第四十七話 自覚
アーシェに背負われている人形を見て叫んだ少女が、無我夢中で泳いで水辺にやって来た。
「な、なに、何よそれ!! あたし!? き、き、気持ち悪い!! 何考えてんのよ!!」
リクは答えずにつかつかと水辺に行き、少女の手を引っ張り上げた。
「けがは?」
「は?」
「は? じゃない。けがは?」
「ありません」
(リク、なんか、すごく、怒ってる……?)
少女は口答えせずに敬語で答えた。リクはよく呆れたりはするが滅多に怒らない。怒る時は、怒られる理由がある時だと言うことを、少女はよく知っていた。
引っ張り上げられた少女の手は、まだリクに握られたままである。リクの静かな声は続いた。
「何かされたか?」
「い、色々……?」
「何を?」
「えっと、食べられそうになりました」
リクの目が光った。
「他には?」
「え、えっと、キスされました」
リクとアーシェの気配が変わった。
(おお。バレバレ)
トーマが呆れてラーイと視線を交わす。「ねえ?」というわけである。
実はトーマは言葉を交わしたことこそないが、少女を見るのは初めてではない。
金獅子の庭で何回もこっそりと少女を見に行っているのである。
はっきり言ってまだ「女」と区分するには幼くて、意識しようもないのだが、すでに男二人も手玉にとっているとは、将来が楽しみだな、と密かに思っていた。
「リク! 痛い!」
リクは知らずに、少女の手を握る手に力を込めてしまっていた。
リクがハッとして力を弛めたが、手は離さなかった。
「どれだけ心配したと思っているんだ。ピンを取りに行ったきり戻らないで。こっちは刺客に誘拐されたと思って探し回っていたっていうのに」
探してくれていると、少女もずっと気になっていたのである。
「ごめんなさい」
少女は素直に謝った。
「この魚に何を言われた?」
「魚ですって!?」
人魚の抗議を無視してリクは話を続ける。
「何を言われた?」
「何って?」
「スズは普段前向きなくせに、一気に被害妄想というか、臆病になって引っ込むからな。ここに来た時のことも思い出したんだろう? 長が記憶の封印が解けたって言ってた」
「記憶の、封印……? 覚えてなかったのは、思い出せなかったのは、長のせいなの?」
「文句は長に言ってくれよな。でも、今回ばかりはオレも賛成だ。……おまえ、覚えていたら、すぐに泉に行こうとしただろ? 言葉も覚えず、何もせず、すぐに」
少女はそうかもしれないと思った。自分ならそうすると、簡単に想像出来たのである。
「いいか、はっきり言っておくけど、光の精霊はお前が代わりにならなくても起きられる。『黒竜の呪い』が奪った人の命をお前が背負うことはない」
少女はリクたちが既に全ての話を知っていることを悟った。
自分の中に、大切な人や物を奪った『黒竜の呪い』がいることを知られてしまったいることに。
少女は俯いて、顔を上げられなかった。
リクは少女の腕を握ったまま、アーシェに言った。
「アーシェ。持ってきてくれ。スズ、長が持たせてくれた。この人形は気持ち悪い程正確に魂ごとおまえを再現している。人形に『黒竜の呪い』を移せば、月の光を貯めたペンダントが『黒竜』に連れて行かれた魂たちの分となり、光の精霊の代わりになれる」
少女はゆっくりと顔を上げてリクを見た。
「長が、どうして……」
「長はお前の中に『黒竜の呪い』がいることを始めから知っていたんだろ。長がおまえの記憶を封じたのも、時間を稼ぎたかったんだろうよ。おまえがこうなることも予測していて、全部準備していたんだ。オレたちも聞いた」
「長、知って、た」
少女の中で張りつめていた糸がぷちんと切れてしまった。
「どうしたらいいの……? あたし、長や皆にどうすればいいの……?」
「泣くな」
少女の腕を引き寄せ、リクは少女を抱き締めた。
あまり身長が変わらないリクに抱きしめられた少女は、肩越しに驚いた顔をしながら、更に顔を歪ませた。
「……泣くな。全部うまくいく。そして皆で学院に行くんだ」
嗚咽を殺さず無く少女を抱き締めながらリクが言うと、黙って見ていたアーシェが人形を下ろしながら声をかけた。
「そうだ」
アーシェは、少しだけ困惑して、自分の中の思いを静かに認めていた。
リクに抱き締められる少女を見ていられなかったのである。
もっと言えば、少女を抱き締めるリクをぶっ飛ばして、自分が少女を抱き締めてやりたかったのである。
それをぐっと押さえてアーシェは続けた。
「そうだ、スズ。さあ、やってしまおう。『黒竜の呪い』をこれに移すんだ」
少女はリクの肩越しにアーシェを見た。
ぼん。
リクからは少女の顔が見えない。見えないが、一気に体温が上がった少女とトーマの顔を見て察してしまった。
「スズ! どうした!? どこか苦しいのか!? 顔が真っ赤だぞ!」
アーシェが少女に駆け寄って額に手を添えた。
その途端、少女が「ぎゃあ!」と奇声を発しながら、リクごとアーシェを突き飛ばして、泉に飛び込んで逃げてしまった。
あまりの早業に、突き飛ばされた二人は体勢を崩して少女を逃してしまった。
「スズ!?」
リクを支えながら体勢を整えたアーシェは、すぐさま泉に入ろうとしたが、人魚がさせなかった。
「何を勝手に話を丸く納めようとしているかしら。スズは眠ることを望んでいるわ。我が君が復活なされば朱麗の鍵も再生できる。黙って見ていなさい」
「駄目だ。スズでなくとも光の精霊は復活出来るのであろう! このペンダントと人形を使ってくれ!」
「イヤよ」
アーシェが赤い瞳を燃え上がらせて叫んだ。
「なぜだ!?」
「一事が万事、月の思い通りなるなんて、とてもじゃないけど受け入れられないわ。自分勝手に我が君を捕まえて、自分勝手に起こそうとして」
「それは……!」
アーシェは言い返せない。自分勝手だと、話を聞いた自分もそう思ったからである。
「私の力で我が君の復活が叶うのに、なぜ月の精霊の力なぞに頼らねばならないの? 業腹もいいところね」
人魚とアーシェが大声で言い争となった。
「なぜだ」と「イヤよ」を繰り返し、良く聞かなくても堂々巡りなのだが、当事者は至って真剣に怒鳴り合っていた。
その脇で、リクとトーマがひそひそ話をしていた。
「あいつら、実は気が合うんじゃねぇのか? ……それにしても、腕の中でフられるなんて、お気の毒としか言いようがないな」
そう言ってトーマはリクの頭をポンポンした。
ぺ、とその手を弾いてリクはひそひそ声で反論した。
「だから違うってばよ。オレはな、スズが幸せならそれでいいんだ。それだけで、いいんだ」
「欲しいとは思わないのか? 女は抱いてナンボだろ。まだ……お子ちゃま、なの?」
トーマは目を丸くしてリクに聞いた。
リクがジト目でトーマを見た。
「抱いてって、あのねぇ。……トーマなら分かるだろ? 手が掛かる子ほど可愛くて、その子が幸せに笑っていれば、なんかこう、達成感というか、こっちまで幸せというか」
アーシェの後ろ姿を見ながらトーマが続ける。
「……そういうことなら、分かる」
幸せに。
たとえ苦労はしても、「やれば良かった」という後悔だけはして欲しくない。全力で生き抜いて欲しい。そのためだったらいくらでも助けてやりたい。
「で、今思い浮かべたソイツ、抱きたいのか?」
トーマが変な顔をした後、リクに素直に謝った。少しだけ想像して、無理一択だった。
「……お前、女なら良かったのに」
トーマの言葉に今度はリクが目を丸くした。
「は?」
「打てば響く。ものすごく気分がいい。……俺の嫁さんにしたのにな」
トーマは優しくリクの頭を撫でた。
撫でられるままにされていたリクは、やがて頭二個分高いトーマの顔をじっと見つめて、「それもいいか」と呟いた。
「え? なに?」
「男に二言はないな?」
「うん?」
「オレの名はリンカ。リクは通り名だ」
「うん……?」
「オレ、女」
トーマの顎が落ちた。




