第四十六話 好き
「違う?」
人魚の言葉は少女を打ちのめした。
少女は無言でもう一度水鏡に触れた。
「アーシェ……」
打って変わって、人魚は諭すように、只の事実を告げるように少女に言った。
「あなたの中で、辛いことも悲しいことも時間が過去にしてくれているのよ。もう眠る間際で最後なんだから、認めたら?」
「……何を?」
少女はひどく気だるそうに聞いた。
「この男が、好きなんでしょ?」
「好き?」
「そう」
人魚が何かにハッとし、眉を寄せたが、少女はそれに気が付かずに、ぶつぶつ呟いた。
(好き? あたしがアーシェを? 確かにあの腹筋は好みだわ。でもそれだけ。……それだけよ。もうあたしは眠り、この世界の一部になる。次に目が覚めることがあっても、もう知っている人は誰もいない世界だわ)
長も。
リクも。
アーシェも。
自分を知る人のいない世界。
少女の目に涙が溢れた。とぷん、と頭まで水に入り、少女は膝を抱えて丸まった。
得も知れぬ寂しさがこみ上げてきたのである。
もう会えない。
もう二度と。
もう、あたしを呼んでくれない。
しばらく丸まって、嗚咽をこらえていたが、少女はやがて静かに水面に出て、人魚に向き合った。
人魚はまるで懺悔を聞くかのように、真摯に少女に向き合っていた。
「……アーシェのお父さんもお兄さんも『黒竜の呪い』で亡くなったのよ」
「ちなみに黒竜はあの国の国宝も持ち出しているわね。みーんな躍起になって探しているわ」
「何それ!? じゃあ、今眠ったら、アーシェが困るってことなの!?」
「でも、関係ないわよね? 好きでも何でもないんだから」
「……意地悪」
「誉め言葉ね。認めた?」
「……うん」
少女は人魚をまっすぐ見て言った。
「あたし、アーシェが好き。刺客から守ってくれる度、名前を呼んでくれる度、あたし、嬉しかった。……アーシェの為に何かしてあげたい。アーシェが困ることは、あたしもイヤだわ」
妙にさっぱりした笑顔で少女は告白した。
(うん。アーシェが好き。彼の住むこの世界の一部になる。それがあたしのここにいる意味。一緒にはいられなくても、それが、あたしの出来ること。……あとは、その国宝とやらを何とか出来れば)
「良かったじゃない。両想いで」
少女がその意味を聞くよりも先に、もう二度と聞くことがないとたった今思っていた声で、名前を呼ばれた。
「スズ!!」
振り向けば、そこにはアーシェがいた。
少女は一瞬固まった。
次の瞬間、瞬間湯沸かし器のように、体中が沸騰したのが分かった。
(なんでなんでなんで、アーシェがここに!?)
少女は混乱した。
「え……アーシェ!? な、なんで? ……ば、ば、ば、ばかー!! 来ないでよー!!」
好きだと自覚した次の瞬間、本人が現れるなんて反則である。
面食らったのはアーシェである。
探しに探した少女にやっと会えたのに、よりによって「来るな、バカ」とは何事かと思った。
「ば、バカとは何事だ!? 皆どれだけ心配して探したか!!」
駆け出した勢いのままアーシェが泉に入ろうとした瞬間、水が壁となり立ちはだかった。
「下がれ、下賤」
言われる前に危険を察してアーシェは飛び去っていた。
流れるような動作で抜剣し、隙なく構える。
「人魚? ……お前が泉の番人か?」
アーシェが鋭く誰何した。
「いかにも。お前ごときがこの泉の聖なる水に触れることは許さない。去れ」
「いいだろう。ただし、スズと共にだ。それ以外の選択はない」
「スズは自分の意思で今ここにいる。お前に何か言われる筋ではないわね。そうでしょう? 裏切り者のつむじ風」
人魚ははアーシェの向こう、奥の二人を見ていた。正確には、リクの右腕を。
「出てきたら? もう隠れてる意味はないわ。さすがに私に合わせる顔がないのかしら? 私を水の精霊から水魔に堕とした張本人ですものね」
リクの右腕の袖から風と共に出てきたラーイは、不自然なくらい感情のない声で答えた。
〈……久しぶりね。相変わらず意地が悪そうで何よりだわ。……ここに来た用件は今言ったとおり。スズを連れて帰るわ。スズの意思は関係ないの。スズの保護者からの通報だから。従わないと、光の泉ごと、この森を封印するわ。彼はやるわよ。知っているでしょう?〉
「……自分は来ないで小僧を寄越すあたり、本当に卑怯者だわ」
少女以外の全員の視線がリクに集中する。
「……確かに一番若いけど、小僧ってオレ?」
リクはこめかみをポリポリ掻いて、ラーイを見た。
「長と仲悪い感じ?」
「あの変態どころか、この世界中と仲悪いってところかしら」
「憎んじゃって話を聞くどころじゃない?」
「いいえ。話を聞く聞かないではなくて、ある意味あの変態と似ていて、主の光の精霊関連以外のことは全く眼中にないの」
この言葉に人魚が反応した。
「馬鹿言わないで。あの男と似ているですって?」
アーシェを牽制していた水の壁を崩して、ものすごい形相で水辺にやって来て、リクに詰め寄った。
「断じて認めないわ! 訂正しなさい!」
「オレが言ったんじゃないのに。長ってば、こんなところにまで悪名を轟かせているのかよ。かえってなんかすげーなぁ……」
リクは一つ息を吐いて、腹を決めた。
のほほんとした雰囲気の一切を消して人魚に話しかけた。
「ならば話を聞いてもらおう。長と同列に見られたくないのであれば、当然だが?」
「聞くわ。ただし、私が人間の言うことを聞くなんて思わないでちょうだい」
「結構。アーシェ、剣を納めてくれ。その人形を……」
リクが言い終わらない内に、遠くから叫び声が聞こえてきた。
「ぎゃーっ!? 何それ!? あたし!? キモッ!!」




