第四十三話 アーシェの葛藤
ライレットと別れ、三人と一人は森を進み出した。
秋深い森は静かに佇んでいた。
厳密に言うと音が無いわけではない。風に揺れる梢の音、鳴き声、足音、何かの気配。だが、余計な音がない。すべては森の音、命の音、大自然の営みの音がしていた。
ザクザクと落ち葉を踏みしめながら、しばらく三人は無言で進んで行った。
特にリクとアーシェが何を話せばいいやらで、口火が切れなかったのである。
世界の秘密に関わる一大事であるというのに、気不味いのは、他でもない少女のことだった。
トーマが呆れて声をかけた。
「いいじゃないか。誰が誰を好きかなんて自由なんだから。いやあ、しかし、俺はリクと考え方が似てると思ったけど、女の趣味だけは違ったな」
「女の趣味って。だから! そんなんじゃないってば! 第一、トーマはスズに会ったことないだろ」
トーマが鼻で笑って「はいはいそうですね」とリクで遊んだ後、アーシェもつついた。
「こっちはまだブツブツ友だ友だって言っているしな。まあ、おまえは昔から「付き合ってください」と女から言われても真顔で「どこへだ?」と答える奴だったからな。仕方がないな」
リクが吹く。
「そんなにストレートで通じないんじゃ、一体どうすればいいんだ」
「それがな……」
「トーマ!」
続けようとするトーマをアーシェが羽交い締めにして遮った。
この緊急時に一体何を暴露しようというのかと、アーシェは焦った上に腹が立った。
羽交い締めにされたトーマは、一転、真面目な顔でアーシェに怒り出した。
「おまっ! 自分の気持ちにも鈍感な上に、俺の気持ちも分からんのか!」
思いがけない剣幕に、アーシェが腕をゆるめて、どういうことか聞き入った。
「スズのこともそう! 大公のこともそう! 学院のこともそう! 根が傭兵なもんだから、全部が万事流れ次第でどうとでもなると思っているんだろ! 俺は学院を卒業したらいつまでも朱麗には居られないんだぞ。ディファリアへ帰らなきゃならない」
「トーマ」
「俺は俺のするべきことがある。今は一緒でも、やがては道を分かつことになる」
「……分かっている。お前が俺を助けるためだけに居てくれていることくらい。やがて橙斗へ帰っておやじ様の後を継がなくてはならないことくらい」
「いいや分かっていないね!」
トーマはアーシェの言葉を遮って、真っ直ぐ向き直った。
「分かっているなら、大公になるはずだ」
アーシェがぐっと唇を噛んだ。
「俺は」
「お前以外いない」
「兄上がいる」
「お前が国を守れ」
「もちろん、俺は補佐をする」
「いいや。お前が大公になれ。他の誰がなっても、あの国が泣く」
「兄上が、いる!」
一触即発。
そんな緊張感の中、小さな声がした。
〈良いお友だちじゃない〉
小さな風になってリクの袖の中に隠れているラーイが二人に優しく話しかけた。
〈アホの兄上の方じゃなくて、その上の兄上の言葉よ。「分からず屋の弟は朱麗試合でなければ大公にはなってくれないだろう」って言っていたわ〉
「兄上に、会って……?」
〈そうよ〉
アーシェは目を瞑り、何かを吐き出すように、ラーイに言った。
「俺は、五年前まで自分が朱麗公子だなんて思いも寄らなかった。トーマの家で世話になりながら、傭兵家業の一兵として生きていたんだ」
驚きの告白である。リクが整理するように呟く。
「ヨーハンって、自由都市ディファリアの市長の名だよね。トーマは確かに赤い瞳じゃないけど、朱麗の人でもなかったんだ? アーシェはさっき里子って言ってたけど、隣の橙宰月が守護するザイタン王国へ出されちゃったわけ? 朱麗公子が? 確かに両国は仲良しだけど、そんなことってあるの?」
朱麗公国の東隣にある月鍵七国随一の経済大国、橙宰月の守護を受けるザイタン王国。ザイタン王国を語る上で、独立した経済特区として橙斗でもある自由都市ディファリアの存在が特筆される。
この国は険しい山々と渓谷が多く、農業に適さず、かといって豊富な森林資源を活かすには地の利が険し過ぎた。結局のところ、資源貧国で輸入に頼るしかなかったザイタン王国を大陸一の経済大国として発展させたのは、他でもない自由都市ディファリアである。
どんな相手であっても『客』と認めた以上、客に利益を上げさせ、その一部を還元してもらうディファリアは、信用第一に金になることならば何でもした。そのため、都市への人や物の出入りをほとんど制限していない。かといって無法地帯でもなく、きちんと治世されており、このバランスが人と信用を集め、莫大な富を生み出しているのである。
自由都市の大きな取引先が朱麗公国である。警察軍隊しか持たないザイタン王国は、魔物討伐や盗賊対策などで折々に傭兵を雇う。傭兵個人から、時には朱麗公国の正規軍まで契約によって派遣されるのである。それが両国の交易の大きな一つになっていた。
「朱麗公子をザイタン王国へ里子へ出し、そこで傭兵として育てる、なんてこと、あるの?」
リクが重ねて聞いた。
アーシェが首を振った。
「いくら仲良しでも、普通はないな。朱麗の大公家にはな、たとえ血筋が変わっても受け継がれている伝統があるのだ。後継ぎ以外の公子や公主を幼少期から様々な武術家の元で修行させるんだ。四番目の子の俺もそうなるはずだった。それが俺は、どうやってか予定の武術家の元には行かず、その辺にほっぽり出されてしまって、巡り巡って傭兵となり、ディファリアでトーマの家に厄介になっていた、というわけだ」
リクがげんなりと肩を落とした。
「……大ざっぱにありがとう。いや、実にクラクラする生い立ちだよネ」
屋根裏部屋を心地良いと言い、あまり勉強が身についていないアーシェに、リクは密かに納得した。
「そのせいもあって、俺には大公など考えられない。ましてや兄上を蹴落とすなど、駄目だ」
トーマがアーシェの胸倉を掴んで詰め寄った。
「だから! 朱麗試合に勝ち、全員黙らせてお前がなれってんだ!」
アーシェはされるがまま、黙って頭を振る。
睨み合う二人が堂々巡りになりかけた時、不意にリクが足を止めた。




