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不思議な月の輝く世界で  作者: 千東風子


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第三十三話 なんで、あなたが


 ねえちゃん! ねえちゃんっ!!

 いつまで寝てんだよー!

 早くお弁当作ってくれよー!

 学童遅れちゃうよ!

 ねえちゃんってばっ!!


 すず姉!!


 少女は冷水をかけられたかのように飛び起きた。


《お弁当! ご飯、炊き忘れた……っ!?》


 起きあがった瞬間、少女の全身に激痛が走った。


《があっ! あたたたた!?》


 鋭い痛みと、ずぶ濡れの全身に、少女の思考回路は止まった。

 仄暗ほのぐらく湿った空気が漂うあたりを見回すが、一切の見覚えがない場所だった。


《え、ここどこさ……?》


「それ、あっちの言葉?」


《だれ!?》


 光の届かない奥の方から声がした。

 

 自分の呼吸音だけがやけに大きく少女の耳に響いた。

 声のした方を見て身構えるが、静寂が降り積もるだけだった。


 目が慣れてきた少女は、もう一度あたりを見回してみた。


 遥か上空に空が見える。周りは木の根や岩の壁だ。どうやら何かの穴に落ちたらしい。

 空を見た後の目では、暗い向こうはただの真っ暗闇にしか見えない。ふわりと湿った臭いが風に乗ってくるだけである。この先に横穴が続いているらしい。


 その暗闇の向こうで何かが光った。


 二つの丸いものが少女を見ている。

 縦に入った黒い筋がきゅっと小さくなったのを少女は確かに見た。

 何故か先程の声の主の目なのが一瞬で分かった。


《だれ……》


 少女は力無く、震える声でもう一度呟いた。

 

 目、なのは分かった。人間の目ではないことも。


「ねえ、ようやくまた会えたわね」


 少女の背中に汗が流れた。軽やかなその声が、なんだかとても恐ろしかった。


《また、って……?》


「不思議な音の言葉ね。初めて会った時も言ってたわね。確か《ケンタ》と《カズハ》って。どういう意味?」


 自分が()()()の言葉をしゃべっていたか、少女は意識していなかった。

 それどころか、落ちた時に頭を打ったのか、何故自分はここにいて、体中が痛いのかも思い至らなかった。


《健太と一葉は、……弟と妹、みたいな子の名前よ。何で知ってるの? あなたは人間なの? あたしと会ったことあるの?》


「だいたい何を言っているのか想像は出来るけど、こっちの言葉で話してくれるかしら? 大事なことを話したいのよ?」


《こっち?》


 少女の頭にスパークが散った。


「今、何時!? あたし、あたし、行かなくっちゃ!」


 痛みの走る体にむち打って、少女は立ち上がった。


「私と話す方が先よ? こっちに来て?」


 爬虫類のように光る目が少女を見据えた。

 有無を言わさない迫力に少女は息を呑むのと同時に、蒼斗そうとまでの道程で見た飛竜を思い出していた。


(この目、見たことある。でもあの飛竜じゃない。なら、どこで? 爬虫類のような目をして話をする……人? 分からない)


「まだ思い出したわけではないようね? いいわ。ようやくあの村を出て、私の水脈につながる水辺に来てくれたんだもの。ゆっくり話しましょう? 《コウヅキスズ》さん?」


「なんで、名前」


 少女はこの世界に来てから『スズ』で通していた。香月珠洲こうづきすずと名乗ったことはない。


「あなたが自分で名乗ったのよ? さあ、こっちに来てちょうだい」


 その光る目に見つめられ、少女は鳥肌が立っていた。

 本能で、逃げなければと思った。

 痛む体を忘れて無意識に後退あとずさるが、穴の中である。すぐに背に岩が当たり、逃げることは到底出来なかった。


「私に、何の用?」


 精一杯の虚勢を張って少女は聞いた。


「約束を果たしてもらうわ」


「約束?」


「そうよ。あなたがこの世界に来た時、私とした約束よ」


「来た時?」


「思い出させてあげる。側に来てちょうだい」


 少女はその目に見つめられながら、ゆっくりと足を前に出した。

 ひどく気力のいる一歩だった。

 光が入る縦の穴から横穴に入ってすぐに水たまりがあり、目の主はその水たまりから顔を出していた。


 ピシャン。


 暗さに慣れた少女の目に、魚の尾鰭おびれがはねたのが見えた。見間違いでなければかなりの大きさだった。


「そんな水たまりに、大きな魚?」


 スイッと尾鰭おひれが水面当たりに漂っている。その尾鰭おひれに繋がっているのは。


「……人魚!?」


「あらあら。初めて会った時と同じ反応ね」


 目と尾鰭おひれの主は、岩に手をかけて上半身を水から上げ、いたずらっぽく笑った。

 藻のように体に絡む髪は腰よりも長く、その先は水面に漂っている。上半身は裸で、なめらかな肌と乳房が露わになっていた。下半身は、虹色に輝く鱗に覆われた尾鰭おひれである。


 妖しげな美しさに少女は赤面してしまった。

 赤い顔のまま呟くように問いかける。


「……ここに来た時のことは全然覚えていないわ。気が付いた時にはおさやしきだった。ここに来た時、村に来る前に、あなたに会ったっていうこと? ……あたし、何でこの世界に来てしまったの?」


「血だらけで私の住む泉のほとりに落っこちてきたのよ。私が気付いて助けてあげなくちゃ、死んでたわよ? 何で来たかって? そんなこと知らないわ。ただ単に扉の隙間を通ってしまっただけでしょ? なあに? この世界に呼ばれた特別な存在とでも思っているの?」


 クスクス笑う人魚のこの言葉に、少女は先程とは別の意味で顔が赤くなり、俯いて静かに話し出した。


「……最初」


「ん?」


「最初はそう思ったの。あたしはここで何かすべきことがあって来たんじゃないかって。でも、あたしは何の力があるわけでもなくて、この世界に本当の意味で順応できるわけでもなくて……。ただの異物だわ。元の世界に帰れるかも分からない。かといって、ここでずっと暮らしていくのも……想像出来ないのよ」


「帰りたい、どうしても! には、見えないけど?」


 生まれ育った場所から自分の意志に関係なくやって来てしまったのだ。がむしゃらに帰りたがっても不思議ではないが、少女は帰ることよりもこの世界でどう生きていくかを考えているようだった。


「帰っても……一人だわ。また必死に働いて働いて、ただ生きていくの。でも、ここでも、変わらない。だから蒼斗そうとで自分がこの世界にとって何なのかを調べたいの。せめて、悪いものでないってことを、調べたいのよ。そうしたら、やっと地に足が着くと思うの。優しくしてくれた皆の為に何かが出来るかもしれないの……」


「ふーん?」


 少女の思いを分かったのか分からないのか、適当な返事を返して人魚は少女に向かって手を差し出した。人間と変わらない五本の指と指の間には薄い水掻きがついていた。


「キラキラして……きれいな手。あたしをどこかに連れて行くの? そもそも、この穴はどこなの?」


「さあ? 約束を果たしてもらえば、それでいいわ」


「あたし、行かなくちゃ。リクたちがきっと探しているわ。約束って、何? ごめんなさい、覚えていないの。後ではだめ?」


 人魚がこぼれるような笑顔で少女を見ながら、勢いよく尾鰭おひれを振りかざし、水の表面を叩いた。

 激しい水しぶきを巻き起こし、水に沈んだ尾鰭おひれを水ごと持ち上げるように少女に向かって振り上げた。


「わ!?」


 大量の水に押し流される形で少女が倒された。

 自分がかけた水に乗るように人魚が水から這い上がり、倒れている少女の足首を両方掴んだ。


「ひ」


 声にならない悲鳴を上げて少女が逃げようとするが、少女の両足は水掻きのついた両手にしっかり掴まれ、抵抗出来なかった。


「は、離して!」


 人魚はニコニコして嬉しそうに少しずつ少女を引きずっていく。水へ、水へと。


「やだ! やだっ!!」


 引きずり込まれたら終わりだと少女は思った。

 蟻地獄にはまった獲物のようにもがいても、どんどん引き寄せられていく。


 食べられると思った。生きたまま、食べられると思った。

 喉の奥から息が出ているのは分かるのに、声にはならなかった。


(助けて! 助けて、誰か! 誰か!!)


 スズ。


 しなやかに伸びる腕、褐色の肌、引き締まった腹筋。

 落ち着いた低い声で名前を呼んでくる。

 しっかりしているかと思えば変に世間知らずで、貴族らしいところが一つもない。いつも大きな背で自分を庇い守ってくれる人。


(なんで)


 命尽きるこの最期の瞬間に脳裏に浮かんだのは、まっすぐに自分を見つめてくる、綺麗な赤い瞳だった。


 恐怖も忘れ、自分自身を疑問に思った瞬間、少女の力が抜けた。


「ラーイ……」


 声になったかならなかったか分からない。助けて、という言葉は続けることが出来ずに、とぷん、と少女は水に沈んでいった。


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