第三十二話 助けてくれ
「黒竜が……具現化したのか!?」
リクの汗が止まらない。
この世界には色々なものに宿る『姿なき者たち』がいる。中には人の負の感情や病などに宿り、人の形を取るものもいる。精霊か魔物か人か、境界がなくなってしまうのである。
アーシェが慎重に答える。
「おそらく。きっと最初は精霊か何か小さな者だったのだろう。長い年月、人に病をかけ続けた結果、具現化したとみている。鍵を持って行った目的は分からないが、鍵だけ持って行っても、月の扉は開けられまい。扉を開くためには朱麗公国を倒さねばならん。戦乱の世界とつながる朱麗の扉が開けば、この世は戦乱の世となる。そうはさせない」
リクの息が上がる。
自分の手には決して負えないことに、巻き込まれてしまっていることを痛感していた。
「このこと、他の国は知ってんのか?」
「さてな。国が混乱していて外交ルートが使えない。しかし、我が国の様子から少しは察しているはずだ。そんな中、情報が寄せられた。鍵を新しく作って扉の鍵を付け替えることが出来るのは、最初に鍵を作った『太陽の精霊である光の精霊』だけであると。我々に教えてくれたのは、とある国の王だ。更には、光の精霊の居場所は、月の精霊に聞けばいいとも。調べた結果、リーシェスに精霊を呼び出せる方法が載る文献があるという情報があったので、それで我々は来たのだ」
大公と第一公子が亡くなったのは、二年前の黄極月の年のことである。それ以来、大公は不在で議会が政治を行っているが、国民の混乱は計り知れない。一刻も早く鍵を継承して国を守る大公が必要である。
「月鍵七国の王たちがどこまで知ってるか、か。……案外全部分かって様子見てんのかもな」
リクは自分の知る各国の王を思い浮かべた。
皆『ピンキリ』のピンを極めた人物ばかりである。
(特に、あの人たちは、マジで全部分かってそうなんだよなー……)
遠い目をしたリクにバッファが控え目に言い添えた。
「そうだとしたら解せません。この世界の存続に関わることでもあります。光の精霊を探し始める前、我々は躍起になって『黒竜の呪い』を追っていました。よりによって朱麗の鍵を持ち出し、依然として行方知れずなのです。もし、他国が情報を掴んでいるのならば、叱責なり援助なり、『黒竜の呪い』から鍵を取り返すのではなく、光の精霊に新たに鍵を作ってもらえという情報のように、何かしら内々にでも対応してくるはずです」
「今んところ? この情報だけ?」
「左様です。接触してきたのは一国のみ」
「誰に伝えるべきか、それを様子見ているかもよ?」
アーシェが首を捻る。
「どういうことだ?」
「次の大公は誰かってこと。月鍵七国のそもそもは、この世界を守るために、他の七つの世界への扉に鍵がかけられたことが始まりだろ。世間が信じている話と違うことが出てきたら、世間は大混乱に陥る。各国の代々の王たちだけが知る事実に関わることを、議会ごときに話す気はないのかも知れない、ってこと。だけど、鍵を継承するのが王の仕事だから、鍵自体がなくては次の王は『王』にはなれない。鍵を取り戻すのにも、新しく付け変えるにも、一体『誰』を助けたらいいのか、どの国も判断出来なかったんじゃないのか? 光の精霊の情報にしたって、議会じゃなくて特定の人にもたらされたはずだ。違うか?」
バッファが静かに肯定する。その通りだと。
「しかし、まあ……こりゃ、また大変なことに巻き込んでくれちゃったね……。あんたらの入学妨害は、鍵が今、国にないことを知らない他の公子の仕業だな?」
「そうだ。三番目のバカ公子の仕業だ」
トーマが吐き捨てるように言った。珍しくアーシェがトーマを窘めている。
(ということは、トーマは二番目か四番目の公子ということになる。年からしておそらく四番目か。三番目のバカ公子とやらは、まず下の公子を大公戦から落とし、二番目と一騎打ちするつもりか)
「……また、新たに、さっくりと巻き込んでくれちゃったね?」
そんな事情、知らずにいたかったなぁなんて、リクがげんなりして言い、アーシェが真摯に再度頭を下げた。
「リク、誓ってスズは必ず取り返す。俺たちを、朱麗を助けてくれ」
「……もう一回言うケド、スズ次第、だよ」
アーシェとリクのするどい視線が交錯したところで、馬車は王立図書館に到着した。
〈何だか、何かあったみたいよ?〉
「ん? どこでだい?」
〈学院のふもと。あのマセガキが大量に精霊を捕まえてスズを探させたみたい。結局見つからなかったらしいわ。あの子の迷子もどんどん壮大になっていくわね。私また呼ばれちゃうかしら〉
風に乗ってやってきた精霊たちが噂している。あの子また探されてるわよ、と。
「合格発表の日に迷子とは、ね。拐かされちゃったかな」
〈あら、想定内みたいね? キース〉
「そうだね。それぐらいで済めばいいけど。我々も予定より急いで国に帰ろう。この朱麗の事情は概ね分かったしね。ラーイ、もしスズに呼ばれたらすぐに行ってきちんと最後まで助けるんだよ? きっとスズのことだから、自分も一緒に光の精霊の所に行くって言い出すだろうから」
〈はーい、分かったわよ。スズが行くならあのマセガキも行くでしょうから、通訳してもらうわよ。しかし無駄足だったわね。会いたかった公子は、なんと学院を受けるため蒼斗へ。この『私』を探しに行ったなんて。あんたがちゃんと受験生の名簿に目を通してから判子を押しておけば、こんなことにはならなかったのよ。しかも、時期的にスズと初めて会った時にいたっていう赤い瞳の裸男、学院に向かっていた本人っぽいわよね〉
「ちゃんと見てたはずなんだけどなぁ。まあ、無駄ではなかったよ。第二公子に会うことができた。彼の考えも聞けたし、議会が重い腰を上げて朱麗試合をするつもりなのも分かったし。とにもかくにも鍵の件が先だね」
〈アホの第三公子はいなかったわね?〉
「アホって、こらこら。仮にも他国の王子にだね……いや、仮ってのも失礼か」
〈あのマセガキといい、碧の変人といい、あんたといい、月鍵七国の王族って変人ばっかりなのね〉
「ヒトくくりにしないでくれ。特にライレットとは」
〈あら、似たもの従兄弟じゃない〉
「やめてくれ……」
〈時折、似てるわよ?〉
「やめてくれ……本当に、泣くぞ……」
〈あら、かわいいじゃない! 泣いてみせてよ〉
「そうやってリクもいじめるから懐いてくれないんだぞ」
〈結構よ。あの子は精霊を信じてないもの〉
「ふむ? ……今もかい?」
〈さあ? 少しだけ変わったようだけど? マセただけかも?〉
「いいことだ。年相応とはいかなくても、誰かを想い、人間関係を築こうとすることはリクを変えてくれるだろう。少しずつでも」
〈あら、先生らしいこと言うじゃない〉
「知っての通り一応先生なのでね……。学院の入学式に間に合わないと、さすがに怒られるだろうし、急いで帰ろう」
〈また、ゾイスの頭が薄くなるわね〉
「……私のせいではないよ」
〈知っての通り……あんたのせいよ〉




