第三十話 自覚なし
カタカタと車輪が回る音が場車内に響く。
「どうなっている!?」
再び語尾を荒げるアーシェに、まだ少し息が荒く、肩で息をしているリクが静かに聞いた。
「三十年前のこの国の受験生誘拐事件を知っているか? 正確には受験に合格した入寮前の生徒を誘拐し、身代金を親に要求した事件だ」
アーシェは無言で否と首を振った。
「ここの王立学院は受験前にも審査があるよな? 受験を認められた者はこの蒼斗において、ありとあらゆる妨害から法によって守られる。ただ、受験生を保護する目的はあくまで無事に受験できるように、だ。どういうことか分かるか?」
アーシェは素直に首を振った。
トーマがやれやれと補足を入れてやる。
「今の俺たちは受験は無事終わったよな? それでまだ合格は未定だ。ということは?」
アーシェがハッとして言った。
「保護の対象ではない?」
リクが「そ」とだけ頷いた。
「保護しませんよー、とそこまであからさまではないかもしれないけど、役所は動くに動けないだろうな。合格した者はその時点で学院生とみなされるもんだけど、現にすぐ入寮するしな。この国は受験を妨害する者と、学院生に何かしたとしたら、ものすごく怒るんだよ」
リクが肩をすくめて続ける。
「で、さっきの誘拐事件の話。犯人一味は、激怒したリーシェス王によって、こてんぱんにされたわけ。学ぶ者への妨害は我が国への挑戦状なり! これに屈するは国辱なり! ってね。蒼軍、王宮近衛の精鋭を惜しみなく導入して、数時間でカタをつけたんだ。もちろん人質は無事に解放。んで、そのこてんぱんぶりがあまりに徹底していたから、伝説みたくなってんの」
少女が攫われたのは合格発表後。そうすれば後は自動的にこの国の軍隊が解決に動いてくれることになる。
そうリクは言ったのだ。
アーシェが変な顔をして三人を見た。
「……それは詐欺と言わんか?」
リクとトーマが声をそろえて「言わないな」と言った。バッファも適切な判断ですと頷いている。
「そもそも、合格しているとは限らん。万が一スズが不合格だったら事態は後手に回った上に何の手がかりもなく最悪だぞ。今、訴え出て、合格発表後に本格的に動いてもらえばいいではないか」
「スズが落ちてたら、アーシェも落ちてるぞ」
アーシェがうっと詰まって怯んでしまった。
大丈夫、とはリクは言わなかったが、顔ではスズは受かっているよと言ったも同然だった。お前は分かんないけどね、とも。
そんなリクの様子にアーシェは微塵も気付かず、トーマに呆れた顔をされていた。
「今訴え出て、犯人が捕まったとしたら、犯人はこう言うだろうな。受験生だとも合格していたことも知りませんでしたってね」
さすがにアーシェも分かった。そうなれば通常の犯罪として処理されることになり、たいした罪には問われない可能性があることを。
「で、そっちの用事は? 大事な用ならオレは別行動して、合格発表後、盛大に役所に訴え出るけど?」
実ににっこりとかわいらしい笑顔で言うのだから、そら恐ろしいと誰もが思った。
「いや、リクはあんまり心配していないようだが? 今この瞬間にスズは危害を加えられているかもしれないんだぞ!」
納得出来ないアーシェがなおも食い下がると、リクはあっさり否定した。
「んー。それはないと思う。あんたたちを狙う人にとっては、スズ自身に価値はない。あんたたちの入学妨害ならば、生かして交渉道具にするだろう。殺してしまえば方々の恨みを買うだけで、入学は止められない。なんの得もない上に指名手配されて、殺し損だ」
アーシェの目がきらりと光った。
「要求が来るか?」
「来るね。よっぽどの馬鹿じゃない限り」
「もしスズも俺も合格していたら、ことは厄介になる。犯人もそれは知っているとみてもいいな? ……発表前に一人で来いくらいは来るだろうな?」
「最低でも、そうだろうね」
アーシェは低く笑った。
「望むところだ。場所さえ分かれば、蒼軍の手を借りるまでもないが、奴らの要求が来るのが遅ければ意味がない。発表後、役所へ通報、俺たちは探しながら要求が来るのを待つのがいいだろうな」
バッファとトーマが頷き同意した。
それを見てアーシェも行動を決めた。
少女を絶対に見捨てることはないと。
「では、このまま予定通り王立図書館へ向かうか? 精霊を使ってくれればいいが、どんな手段で要求を寄越すか分からない。あまり動き回らないほうがいいだろう」
トーマが言うと、バッファが御者をしている部下に予定通り王立図書館へ向かうように指示を出した。
「王立図書館に行くのか? じゃあオレ、降りるよ」
リクが降りようとすると、トーマが止めた。
「いや、一緒の方がいい。発表後はなにも正面広場で騒がなくてもいいだろう。リクは精霊を使って発表を見てくれ。俺たちに今年加護を受けた者はいないんだ。一緒にいてくれた方が何かと助かる」
リクが怪訝な顔をした。
「それは別にいいけど。図書館って、何しに行くわけ? 元々の予定で、合格発表前に行くとこ?」
珍しくアーシェが言いづらそうにしていたが、覚悟を決めて話し出した。
「ああ、王立学院への入学の他に、目的があると言ったろう? 実は知りたいことがあるのだ。部下が様々な文献で探していて、昨日王立図書館の蔵書に、もしかしたら載っているかもしれないと報告があった。持ち出し禁止なので、こちらから行くしかない」
「急ぎ?」
「スズよりは急ぎではない。が、俺の入学よりは大事な用件だ」
リクは目を剥いただけで、「スズが一番大事」発言をスルーした。
さっきから感じていた違和感が芽吹いた瞬間だった。
おいおいまさか、とリクがバッファを見たら、目で「自覚ないんですよ」とバッファは首を振って見せた。
(朱麗のお貴族様が、よりによってスズを? えぇー……?)
げんなりした目でトーマを見ると「放っておけ」と、これまた目で返してきた。
(朱麗の人たち、目で会話するのうまいなー……)
現実逃避しかけたリクは、頭を振って現実に戻ってきた。
「……そう言ってくれるのはいいんだけど、呼び出しがあったら行くわけ? 見え見えの罠だと思うけど」
「スズは友で学問の師だ。見捨てるなどありえない」
(わあ、本当に自覚ないわー)
リクは頭を抱えて言った。
「何か勝算があるわけ? アーシェが捕まったら、逆にスズはすんごく怒ると思うぞ。呼び出しがあってスズの場所が分かったら蒼軍に任せた方がいいと思うけど。案外、スズの事だから目が覚めたら犯人一味に馴染んじゃってるんじゃないかな。適応能力が半端ないからなー」
リクは掛け値なしの本気で言ったのだが、こんな時に冗談を言うなとアーシェに怒られてしまった。
「待てよ、アーシェ。なあ、リク、何でスズは眠っているとか、意識が無いとか思うんだ? 最初からそう言っていたな? 命を取られないだろう理由は納得できるが、けがを負わされて意識が無いことだって考えられるだろうに」
トーマがアーシェを押さえ込んで聞く。
「ん? そ。問答無用に命を奪われるのでなければ、スズは大丈夫だと思う」
「それはなんでだ?」
「あいつは蒼の、しかも風の精霊に名を許されているから」




