第二十七話 さあ、行こうか
少女とリクが世話になったお礼を宿の主人に改めて述べ、さあ出発と部屋を出ようとした時、宿の主人からそれぞれに袋を渡された。
中身は結構な額のお金である。
何か言おうとする少女をやんわりと制止し、宿の主人は静かに言った。
「どうかお納めください。この二ヶ月のお給金です。改めまして、部屋の準備に関してまして、大変申し訳ございませんでした。私どもの従業員は厳しい基準で採用しておりますが、お二人がもし面接にいらっしゃっていたら間違いなく採用しているところでございます。今後も何かとご入用でしょうし、確かに最初の約束とは違いますが、私どもの気持ちです。お受け取りくださいませ」
お礼を言って二人は受け取った。
働きを認めてもらって、素直に嬉しくもあった。
「滞在費も浮いて、お給料までもらっちゃったね。お金持ちになっちゃったわ」
「いいんじゃないの? 長期休みに村に帰る費用にすれば。あとは好きなもんでも買おうや」
すっかり受かる気でいるリクに少し苦笑いして、少女は「そうだね」と返した。
宿を出る前、ソンドン爺さんに最後にもう一度挨拶に行くとリクが言うので、少女も付き合った。
ソンドン爺さんは中々の偏屈者で、気に入らない相手は空気のように扱い、挨拶すらしない。
少女は辛うじて挨拶してもらえる程度にであるが、リクとはよく話すようである。
リクは薬草や植物などに詳しく、村でもよく薬草を煎じてくれとお願いされていた。ソンドン爺さんも庭の造形はもとより、植物に関する知識と経験が豊富である。二人は毎日仕事しながら『草談議』に花を咲かせていたのである。
ソンドン爺さんは庭の木の剪定を黙々と行っていた。
心なしか、ソンドン爺さんの背が寂しそうに丸くなっているように少女には見えた。
「爺さん。昨日も言ったけど、行ってくるなー。この二ヶ月本当にありがとうなー。春になったら爺さん自慢のレンギョウとユキヤナギ見に来るからな。それまで死ぬなよー」
「っ……ふん」
リクを一瞥したソンドン爺さんは、それだけ言って、また剪定をしだした。植物について以外は口数が少ないのである。
「さ、行こうぜ」
「え、いいの? これで」
「いいのいいの。じいさんシャイだから。昨日挨拶したから、今日はもう来ないと思って寂しがってたんだぞ、あれ。素っ気ないのは爺さんの照れ隠しだよ」
「そんなもん?」
「そ」
少女がソンドン爺さんを見ると、さっきより背中が伸びているように見えた。
(……分かりづら!)
少女は笑いながらソンドン爺さんの背中にお辞儀をした。
「お、アーシェとバッファだ。ん? ご一行様だな。揃ってるところ初めてだな。どの人が公子様だろうな?」
中庭を挟んだ回廊の向こう側を七人のいかつい男たちが歩いていた。アーシェとバッファが歩くだけでも目立つのに、七人になると一種異様な雰囲気を醸し出していた。
二人が朱麗からの刺客に目を付けられてしまい、守るためにと自分の護衛を二人に付けてくれていたことを、つい先程宿の主人から聞いたばかりである。
巻き込まれて迷惑以外何者でもないが、アーシェとバッファと過ごした時間はとても貴重なものだった。
あの二人を付けてくれた公子様にお礼をしなくてはいけないと少女は思った。
「アーシェとバッファと、あと、あの人たちは部下っぽい? 公子様はあの人じゃないの? ……なんか少しアーシェたちと趣が違うね?」
アーシェ達は褐色の肌に黒い髪、赤や赤茶色の眼なのに対して、公子と思われる青年は髪も肌も明るくて、遠目では何色かまでは分からないが、赤ではない眼の色に見えた。
「朱麗も混血が進んでいるからな。民族的な特徴もあんまりあてにはならないさ」
「ふーん。あ、こっちに気付いた」
少女が公子と言った人物がこちらに気付き、アーシェに何か一言二言かけていた。アーシェとバッファも少女たちを見て、何か頷きあって、アーシェがこちらに向かって来た。
「二人とも早いな。もう出るところか? 部屋はもう引き払ったのか?」
アーシェはズタ袋としか言いようのないリュックを背負っているだけである。それで荷物の全てではないだろうから、必要最低限の物だけ手に持ち、あとは馬車に積んだのだろうと二人は思った。
庶民は歩くが、貴族は近距離でも歩かないものである。
「うん。あたしたちは歩きだから」
「そうか。俺たちもまもなく出るところなんだ。一つ寄り道をするが、付き合ってくれるのであれば一緒に行かないか?」
「馬車乗れんの? いいのかー? 公子様はー?」
「良いも何も? 荷物は持っているだけだろう? 詰めれば乗れる」
「ありがと。馬車に乗る前に会ったことのない人たちを紹介して? 宿のご主人から聞いたわ。友人になりたいとか一緒に勉強したいとか、随分とあんぽんたんなこと言ってたけど、私たちの護衛のためだったんですって? 本来の仕事をほっぽりだすことになって、他の人に迷惑かけたでしょう? あたしたちからもお礼を言わせてね」
アーシェは何とも言えない苦虫を噛んだような顔をして、先に正面玄関で待つようにとだけ言い、一行に戻って行った。
「おかーさんが、出来は悪いがかわいい息子の上司に挨拶……」
「はあ?」
「を、するみたいな言い回しだったぞー、スズ」
「ただの挨拶じゃないのよ。馬鹿言ってないで行きましょう」
てくてく歩くつもりだったが馬車に乗れるとあればラッキーである。
「あ!」
少女が突然立ち止まって、「あ!」の顔のまま固まっていた。
「ナニ奇声上げてんだよ」
「忘れ物した! 髪留め、きっと台所だ! リク先行ってて。取ってくる」
「あの赤いやつ?」
「そう! 走って行ってくるけど、ごめん、待っててってアーシェたちに言っておいて」
リクに荷物を預け少女は食堂棟へ向かって走って行った。
徒歩で旅する二人の荷物は元々必要最低限であり、両手が開くように肩がけ一つである。
両肩に鞄を提げたリクは、足取りが乱れることなく正面玄関へ向かって行った。




