第二十五話 家出っ子
少女にとって初耳だった。
リクは村で生まれて村で育って、勉強は長に見てもらっていたと思っていたのだ。
「引っ越してきたの? ひとりで? ちょっと待って。リク、あんた、家族は? 亡くなったって聞いたけど」
少女は長からそう聞いていた。だから、あんまりリクの家族のことは本人には聞くなとも言われていた。少女はそれをまったく疑問には思ってもいなかった。
「はあ? ……長だなー? 父ちゃんたち、碧斗でピンピンしてるよ。長も弟殺すなよなー。父ちゃん聞いたらまたケンカだよ」
少女はポカンとした。
「弟? 誰の?」
「長の」
「誰が?」
「オレの父ちゃん」
つまりは。
リクがはっきりと告げた。
「長、オレの伯父さん」
少女にとって衝撃的な事実だった。
「リクが、長の……?」
少女は相当動揺していた。
そんな少女を見てリクが苦笑いした。
「そんなにショックかよ」
「ショックっていうか。あの長と、血、つながってんだ」
あの、長と。
「意味深なショックを受けんなよ。オレは母ちゃん似なの。それでなくても長と父ちゃんは正反対で水と油なのに」
「正反対? ということは、お父さんは真面目でコツコツ、白は白、黒は黒タイプ?」
「その通り」
万事が玉虫色の長とはさぞ合わなかったであろうに。
「なんでリクだけ村に来たの?」
やっぱり聞くよな、とリクは頭をポリポリかいて、答えた。
「んー、と、オレ、父ちゃんと大喧嘩して逃げたんだけど、長が拾ってくれて村に連れてってくれたんだ」
「逃げて? へ? 家から?」
「そ」
「家出じゃないのよ……」
少女は脱力した。
そんなあっけらかんと言う事ではない。しかも一体どれだけ帰ってないというのか。
アーシェも目を見張ってリクを見た。
「最初はなー。でも、ちゃんと連絡入れたぞー。しばらく帰りませんて」
実に立派な家出宣言である。
「いつから村にいるのよ」
「スズが来る半年くらい前かなー。いや、もうそんなに経ったんだー」
早いなーと呟くリクの横で、聞き役に徹していたアーシェが口を挟んだ。
「ちょっと、ということは、家出してそのまま卒業してないということか? それにしては勉強出来るな」
こいつも突っ込んでくるな……と、リクは苦々しく思いながら、答えなければ少女がまた聞いてくるだけなので、正直に答えた。
「卒業はしたんだ。結構前に。ちょっと、というのは、ずっと家庭教師だったから、あんまり学校行ってないんだ。それで卒業しちゃったからなー」
「家庭教師?」
「そーだけど?」
「……リク、あんたもしかして貴族なの?」
「ん、まあ、そーだよ。やっぱりと思ったけど、知らなかった?」
少女はペンを置いて、机に突っ伏してしまった。リクが貴族。ということは、お父さんも貴族。つまりは長も貴族。ここにきて寝耳に水どころか洪水ものである。
「……何で身分受験しないのよ」
色々聞きたいことはあったが、少女は辛うじてそれだけ搾り出して聞いてみた。
「あれ? スズは身分受験したかったのか? だったら言えば良かったのに。きっと長が何とかしてたぞ?」
「あたしじゃなくて、リクが」
「オレ? 家出したのに、家に頼るのか? そんなみっともないことしたくないね。親父にそれ見たことか、ってせせら笑われるのが目に見えてるしな。それってかなり我慢ならないね。それに貴族だって能力受験する奴は結構いるんだぞ。たいした身分じゃない奴とか、自分の能力だけで合格したい奴とか。スズはどうだよ。長が何とかしてくれたら、簡単に身分受験したのかよ」
「しないわよ。実力で受かってやるわよ!」
リクはニッと笑って二人を見た。
「んじゃ、勉強しようや。な、アーシェ」
ぐ。と喉の奥に息を詰まらせて、アーシェがしどろもどろ言った。
「身分受験すら怪しい俺に、よくも言ったな。脳みそ分けて欲しいぞ……」
どの学校を卒業したのか、リクが明言しなかったことに気が付いたのは、バッファだけだった。
バッファは知っていたのである。
一緒に勉強していて気付かないわけがなかった。リクのレベルは既に遥か高みにあり、学院入学どころか、卒業レベル以上にあることを。
それに加えて、数年前、フェーデレック王国にとんでもない神童が現れたと話題になったことも、バッファは記憶していた。
まだ基礎学校に行っているような歳の子どもが、王立学園に首席で入学し、一年経たずに卒業したということを。その方は……。
リクが、物言いたげなバッファに気付いて、口の端を上げて見せた。
バッファは小さく頷くだけに留めた。
「あー、もう、色々気になる! けど、まずは合格! 受かったら、根掘り葉掘り聞くわよ! 二人とも!」
少女が「うわーっ」となったところで、三人は気を取り直して勉強を再開した。
それはこちらの台詞だと思いながら、リクとアーシェは頷いた。
合格しなければ、誰かが受かっても誰かが落ちたら、そこでお別れなのである。
勉強の合間の会話はよい休憩になったし、意外にもアーシェとリクはつんけんしながら気が合っているようだった。
アーシェは、一緒に受験で来ている幼馴染がリクと似ていると言っていた。アーシェとバッファ以外は名前も知らないが(きっとこの二人が抜けた穴を必死で埋めているに違いない)、学院に合格すれば嫌でも知り合いになれるため、二人はあまり気にしなかった。
刺客が来る度にアーシェとリクに守ってもらいながら、少女は「絶対合格してやるからね! ふんっ!」と闘志を燃やし、リクと毎晩月に祈ってみては届かぬ思いに空を仰ぎ、鍛錬しているアーシェの腹筋にうっとりし、そうして死に物狂いで受験日を迎え、合格発表の朝を迎えたのだった。




