第十九話 厄介な腹筋
「捕まんねーんじゃないかなー」
「どういうこと? もう! ちゃんと説明しなさいよ! 馬鹿リク!」
「わ。スズが壊れた」
「リク!!」
「わわ。こえーなー。つまりな、やりすぎなんだよ。大方、昨日のきのこでうまくいくと思ってたんだろうが、ダメだったから、急遽オレたちを巻き込んで、犯罪者に仕立てようとしたんだろ」
「誰を?」
「朱麗のボンボンだろ」
「何で!」
「さあ? よくある権力争いじゃないの? 今あの国、政情が不安定だから」
「権力争い?」
「そ。宿にいるのが何番目の公子かは知らないけど、先の大公が崩御されてから、後継者が決まってないからな。皆必死なんだろ」
「はあ? 必死って何よ?」
「自分、もしくは自分が推す誰かを大公にするためには、その他の継承者が邪魔だろう? あわよくば命を。最低でも、学院になんか入られちゃったら手が出せなくなるから、それの阻止。ついでに名誉も地に落としておきたい、ってとこかな」
「そんな優しくはないな」
突然割って入った声に、皆驚いた。扉は閉まっていたのである。
いつ入ってきたのか、昨日厨房にいた男と、男より一回りほど年上の見知らぬ男が立っていた。
「……さすが武人のお国。気配を消して近づくのが上手でいらっしゃる」
リクが驚いた表情をきれいに消して冷たい声で続けて言った。
「今度は本物で? どっから盗み聞きしていたんです?」
「そうつっかからないでもらいたい。巻き込んだことは詫びる。そして礼も言おう。大事な受験を前に心配事を一つ減らすことが出来た。これで昨日の非礼とはトントンだ」
つまりは偽者が入って来た時からすっかり聞いていたということだ。
「心配事? 優しくないって、なにが? 全然話が見えないんですけど!」
少女が怒り出したのと同時に、扉が少し開き、男の部下が「捕らえました」と報告した。
「薔薇の宮様、これは一体どういうことでございましょうか」
宿の主人が入ってきた男に向かって進み出た。
この宿は他の客に身分が分からないように、客を宿泊している部屋の名で呼ぶ。薔薇の宮とは東の離れの屋敷の名である。
「事後報告になってすまない。とりあえず、昨日の食事の件の犯人は、この少年が言うとおり先程の男だろう。今後の取調べや身柄の引渡しについては部下と協議してくれ」
後ろに控えていた男が、宿の主人と話を始めた。主人が「体調はもうよろしいので?」と聞いているところを見ると、昨日具合が悪かったというのはこの人のことだろうか。
「今日も帯剣しているが、驚かないのか?」
男は少女の問いには答えず、明らかに嫌味で少女に言ってきた。
「人間、ここまでびっくりすると、もう驚かなくなるものなんです。今日はどなたが具合悪いのでしょうか、お客様。毒入りではないお食事をお持ちしますけども!」
リクが後ろで小さく拍手をした。ヤレヤレー! と応援しているのである。
「バッファはただの食あたりだ。町で食べたものに当たったらしい。今日も胃に優しい食事で頼む。今、部屋はどこだ? 今日中に荷物をまとめて薔薇の宮に移って来い。身分、待遇についてはバッファと交渉しろ。宿の仕事は引継ぎが必要か? ならば部屋の移動後速やかに行ってくれ。契約期間は今日より学院の合格発表が終わり、我々が寮に入るまでだ。質問は?」
少女とリクは耳を疑った。まるで就職説明会のような。
「使用人の話? それって偽者が言ったんでしょ?」
「いや、昨日確かにそこにいるバッファが宿の主人に伝えたことだ。それをどこかで聞いていて、利用したのだろう」
「リク、リク、さっきの何たら法! もっかい言って!」
「法に触れることなど何も無い。出来る限りお前たちの希望の雇用契約を結ぼう。嫌やがあるならば言うがいい。すべてクリアしよう」
きっぱりと言い切った男の顔は妙に晴れ晴れとしていて、逆に気味が悪い程だった。
本来ならば破格の待遇だろう。しかし、学院受験が目的の二人にはアリガタ迷惑以外の何者でもなかった。
「あたしたち、働きに来てるんじゃないんです」
「知らぬは自分たちばかりか。能力受験で学院を受ける少年少女の話は宿では有名だ。俺たちも受験のために来た。バッファは受験しないが、学院に留学経験がある。受験勉強するには側にいた方がお前たちの得だろう」
すこぶる高慢な言い方である。「教育してやる」は使用人として身分の違いを分からせてやるという意味ではなく、文字通り勉強を見てやるという意味なのか。それとも、後者が建前か。
即答は危険である。
「おい、スズ」
「なに? リク」
「オレ耳が悪くなったようだ」
少女とリクは視線を合わせ、一つ頷いて。
「あたしも、よ」
「よ」で示し合わせて二人は勢いよく部屋を飛び出した。「な?」と、ただ見送った男が逃げられたと気付いた時には、二人の姿はもうどこにも見えなかった。
「……なぜ逃げる?」
不気味な呟きを残して男は何やら宿の主人と話を始めた。
母屋を飛び出して二人は食堂棟へ向かった。
「厄介な腹筋に目をつけられちゃったな……」
リクがこめかみを揉みほぐしながら呟くと、少女も困惑して答えた。
「っていうか、あの人ホントのところ誰? 名前も知らないんだけど」
「そういや、そうだ。……聞かないで終わりたい」
食堂にはもう誰もいなかった。テーブルの上には「お寝坊さんたちへ。ゆっくり食べて終わったらおいで」とマリアのメモと一緒に二人分の朝食が用紙されていた。
その言葉に甘えて、ゆっくり食べながら、少女とリクは今後の対策を話し合っていた。
とりあえず、何も関わりあいたくない。それがベストなのだが。
「宿の主人の家に転がり込むか?」
「あの勢いじゃ、洗濯場に来そう。手伝いをしないわけにもいかないし」
「あー。オレもなんかここら辺に咲いてない花摘んで来いとか無理難題言われそう」
「どうしよう? 役所に相談してみる?」
「ダメだろうな」
「なんで? 受験証を持った人を邪魔しちゃいけないんでしょ? 窓口に行って、邪魔されてます! って訴えればどう?」
「破格の雇用条件で、留学経験者が「教育してやる」って言ってきてんです。助けてください! って言っても、そりゃよかったねーと追い返されるだろうな」
うまく逃げ道を塞がれてしまっている。
「おじさんに相談してみる? ラー…と、名前言ったら来ちゃうんだよね。おじさんの精霊に頼んで、話伝えてもらう?」
「んー。たぶんもうこの国にはいないからなぁ。それは最後の手段にとっておこう。おっちゃんの精霊に「忙しいのに!」ってボッコボコにされそう」
結局いい案は浮かばず、今日のところはとりあえず、「会ったら逃げる」作戦で乗り切り、仕事が終わったら、また相談することにした。
しかし、この考えは、激甘だったのである。




