第十四話 トラブルがトラブルを呼ぶ
厨房の片付けと消毒が終わった後、野菜類の皮むきなどを手伝い、出る幕が無くなった少女は、食堂棟で賄い分の料理に着手した。
普段は賄い担当の調理師が作るが、宿の主人に「きっとそこまで出来ないと思うし。でしゃばっていいですか?」ときちんと許可をもらってから、仕事の段落がついたマリアたち女中組と一緒に作ったのである。
賄い分まで食材が回らなかったので、敷地内にある宿の主人の家から食材を提供してもらった。
簡単といっても、献立はバランスを考えられたもので、疲労回復に良いものばかりだった。
鳥肉と野菜を煮込んで牛乳で味を調えたスープ。豚肉を薄く切り、茹でて冷やして青菜で和えたサラダ。パンに卵やハム、チーズを乗せてロール状にしたサンドイッチ。デザートにはオレンジを寒天で固め、少しほぐしてミントの葉を添えた後味の清々しいものだった。量は満足には無かったが、どれも絶妙な味だった。
「この巻いてあるパン、ナニコレうまい!」
「このスープの出汁、何を使ってんだ?」
「明日から厨房で働いてもらっても!」
調理師たちが頬張りながら口々に料理を賞賛した。
「甘えるんじゃないよ。スズは手伝ってはもらっているけど、客人なんだからね。人が良いからって付け込んだらあたしが許さないよ!」
食堂の片付けをしているマリアにぴしゃりと言われて調理師たちは口を閉じたが、料理を褒めることには余念が無かった。
実際マリアも驚いていた。洗濯の手際も良かったが、料理はそれ以上である。あの若さで、非常に優秀な女中だったに違いない。それなのに、このリーシェスの王立学院を受験するという。けして女中が夢見て目指すレベルの門ではない。
(不思議な子……)
精霊が見えないなんて、どんな異質な子かと思ったら、気さくで、お茶目で、かわいく笑って、よく働く。
そしてマリアは知っていた。少女の使う屋根裏部屋の明りは、夜遅くまで消えることが無いことを。少女は本気で学院を目指しているのだ。
「あんたたち、今日のこのご飯を食べたからにはスズの邪魔しないのはもとより、本気で応援しなくちゃ承知しないからね!」
マリアに言われなくても、この一件で少女とリクは宿の危機を救ったアイドルになったのであった。
そんなこととは露知らず、少女は一人厨房の皿洗いをしていた。
もう少ししたら食事を終えた皆が戻ってくる。それまでにある程度カタをつけてしまいたかった。
無心に皿を洗っていたつもりだったが、頭の中ではやはり「なぜこんなことに」という疑問がぐるぐる回っていた。
調理師は仕入れた時はいつものきのこだったと言っていた。それが調理する時になって毒きのこになっていたということは、誰かが入れ替えたとしか思えない。
ソンドン爺さんとリクがいなければ、大事に至っていたかもしれない。
(一体何のために? 誰が、どうして?)
答えのない疑問が頭をぐるぐる回り、そしてまた「なんでこんなことに」に行きついた。
そして。
自分が災いを呼んだのかも。異質な自分が。蒼い月の守護を受ける国にいても、なお。
低地に水が流れるかのように、何度考えても少女はその結論に行き着いてしまうのだった。
「あー、もうやめやめ! ストレスたまるだけだわ」
自分が何でこの世界に来てしまったのか知るために、「悪いもの」ではないことを証明するために最高学府の王立学院に入りたいのだ。
今はまだどんなに考えても何の答えもない。
最後の皿を拭き終わってエプロンを取る。この件は宿の主人が威信をかけて解決し、二度と起こらないようにするだろう。自分の出る幕ではない。手伝えることは手伝ったつもりだ。
昔から、何でもでしゃばるのが自分の悪いところだと自覚している少女は、意を決して皿を片付けた。今日はもう部屋に帰ろう。リクもさっきやっと駆けつけた医師に場を譲って部屋に戻っているはずだった。
そう思って厨房を出ようとした時である。厨房に声がかけられた。
「誰かいるのか?」
少女が出ようとしていたドアとは別のドアから男がのぞいていた。
はーいと声を出して振り向いた瞬間、息が止まった気がした。
褐色の肌に黒髪。少しつり目の印象的な赤い瞳。服の上からでも引き締まった筋肉があることが分かる。上背と筋肉はあるのに、きっと豹のような敏捷さで風を切って走り、そして狙った獲物は逃がさない。そんな強さを少女は男に感じた。何より……。
(腹筋が割れてそう)
「忙しいところすまないのだが」
「はい!」
見惚れながら服を透かして腹筋を想像してしまったやましさから、少女は声が裏返ってしまった。
初対面の人に対して何考えてんのよと、自分に突っ込んで、一呼吸置いて答え直した。
「何か御用ですか?」
そう言った瞬間、男が腰から剣を下げているのが少女の目に入った。
ここは厨房で従業員以外は入ってこない。剣を持って何を目的にこんなところまで入ってくるのか。
不審極まりなかった。
ついさっきあんなことがあっただけに尚更だった。
「ああ、いや、剣は……」
剣を見て見るからに青ざめた少女に向かって、男は慌てて釈明しようと一歩踏み出した、
途端、はじかれた様に少女は後退りながら叫んだ。
「腹筋割れてるからって悪いことしていいの? あたし襲ってもお金ないわよ!」
少女は腰が抜けたのか、へなへなと座り込んでしまった。
こんなところで不審者に襲われるなんて思ってもいなかっただけに、衝撃が大きかったのである。
(立って、逃げるのよ、あたし! 情けないわよ!)
自分を叱咤激励しても、立つことはおろか、人を呼ぼうと叫ぼうにも、もう声すら出なかった。こんなに恐慌状態になるなんて少女は自分で自分が信じられなかったが、もうどうすることも出来ずに、ただ男を見上げて座っているだけだった。
腹筋割れてると叫ばれた男は、「腹筋?」と一瞬呆気に取られたが、こんなに驚いて、怯えている少女を見て、どうしたものかと少し考え、腰から剣をはずしてテーブルに置き、落ち着いた声で言った。
「驚かせてすまない。これは職業柄手放せないもので、ここに置いておくから、そんなに怖がらないでくれ」
それを見てもまだ警戒を解かない少女に、男は自分の用件を告げた。襲いに来たのではないと分かってもらうのが一番早いと考えたのだ。
「俺は東の離れを借りている者だ。客室係を呼んでも来ないので出てきたのだが、途中でも誰もおらず、ここまで来てしまった。連れが体調を壊してしまって、普通の食事が取れないのだで、何か簡単でもいいから体に優しいものを作ってもらいたい。一人か? 皆ことごとく出払っているようだが、何かあったのか? 精霊たちも騒いでいるようだし」
東の離れを借りている。
少女は少し時間がかかったが、やっとのことでその言葉を理解した。
「お客様で……?」
「そうだ。呼んだのに誰も来てくれないから、ここまで来たんだ」
話を飲み込むにつれて、少女は冷静を取り戻していった。しかし、何だか、張り詰めていたものが切れてしまって、涙が溢れ出してきてしまった。
「あれ、あれ、すいません、なんか涙が。~っすみません……そろそろ他の人が帰ってきますから」
ただ用事を頼みたかっただけなのに、腰が抜けるほど驚かれ、そして最後には泣かれてしまった男はお手上げである。
しばらく黙って少女が泣き止むのを待っていたが、思わず呟いてしまった。
「俺はすぐ泣く奴は嫌いだ」
場が一瞬で凍りついた。
下を向いたまま、嗚咽も止め、ピクリとも動かなくなった少女を見て、男はたとえ本音だとしても失言だったと思い、どうフォローしようかと考えあぐね、また沈黙が流れた。
「!」
それを破ったのは、男だった。下を向いていた少女には見えなかったが、男は急に顔を引き締め、テーブルに置いた剣を持って飛ぶように少女の側に行き、少女を抱きかかえて部屋の隅へと移動したのだ。
「なっ!?」
いきなり男に抱き締められた格好になった少女は、叫ぶことも出来ず目を剥いて絶句してしまった。




