第十三話 どんどんトラブル
厨房のまわりはひっそりとしているのに、どこか落ち着かない様子だった。
少女が厨房をのぞくと、そこには凄まじい光景が広がっていた。
調理師十五人中、実に十人が倒れ、看病を受けていたのだ。しかも残りの五人も三人は辛うじて意識がある程度で、何ともないのは二人だけである。
調理師が苦しんで暴れた厨房は、めちゃくちゃな有様だった。
厨房の奥の方で、宿の主人が意識がしっかりある二人から話を聞いていた。
二人は恐怖からか小刻みに震えながら、しどろもどろ答えていた。
「いつもの店でちゃんと実物を見て仕入れてきたんです。なんで毒きのこなんかが入ってたのか……」
「本当です! 僕も昨日の下ごしらえの時に触ってますから! いつも使うきのこでしたよ!」
「それが本当となると、誰かがすり替えたとしか……」
宿の主人が入って来た少女に気が付いて話を止めた。
「これはおじょうさま。とんだ事になりまして……。ここは私どもが対処いたしますので、お部屋にお戻りください。事の次第がはっきりするまで、どうぞ口外無用でお願い致します」
こんな時でも半従業員でしかない自分にまでしっかりとした態度を取る宿の主人に、少女はすごいな、と思った。
「はい。しゃべりません。それよりも出来ることがあったら言って下さい。リクも手伝っていますし、皆さんにはお世話になっていますし。倒れた人の応急処置は終わっていますか? こちらに対応する分、手が足りなくなるところはどこですか? 看病の手は足りますか? 夕食の準備は誰が?」
倒れた者たちへの出来る限りの処置はしてあった。吐ける者は吐き、意識の無い者もいつ吐いてもいいように横を向いて寝かせられ、毛布がかけられていた。あとは救護室に移して安静にし、医師かソンドン爺さんたちの解毒草を待つのみであった。
「いやいや、それには及びません……」
言い終わらないうちに主人の顔が青ざめていった。
今は昼を過ぎた時間。客に対する昼食の提供は終わっている。きのこづくしの夕食の準備中に、味見をした調理師たちがばったばったと倒れたのだ。
「お、お前たち、夕食の準備は」
そう言われた無事だった二人は、主人よりも青ざめた。
反射的に調理場を見渡す。すべてがめちゃくちゃである。昨日仕込んだ食材も、調理器具も。そして調理師は二人しかいない。
真っ白になり立ち尽くす二人の脇を少女がすり抜け、片付けを始めた。
「とりあえず片付けましょう! マリア姉さんたちが救護室を整えているから、倒れている皆を移して、ソンドン爺さんとリクの薬草を待ちましょう。リクは村でも一番薬草に詳しかったんですよ、あれでも! お医者さんも探してるんでしょう?」
呆気にとられている宿の主人と調理師たちの後ろから、当のリクが帰ってきた。
「あれでも、は余計だ。お前はいつも一言多いんだからなー。解毒、作ってきたぞー。なんだよ、まだ皆その辺にに転がしてるのかよ。んじゃ、とりあえず、ここで飲ますか。爺さーん、まだ皆ここにいたぞ」
体中に泥や葉っぱをくっつけて帰ってきたソンドン爺さんとリクが、倒れている調理師たちに玉虫色の液体を飲ませて回った。
「なんでそんな色? まずそう」
少女は自分も苦そうな顔をしながら呟いた。
「薬草が旨いことあるかよ。良薬口に苦し、だ」
「それで良くなる?」
「あのきのこは食ってから鐘六つが勝負だ。ソンドン爺さんが解毒になるノマ・ノノ草の群生地を知ってたし、オレ、今年加護の年だから草から解毒を作るのにも精霊に頼めば時間かからないし。この人たち運が良かったなー」
精霊の力を借りずに解毒を精製するとなると、煮出すだけでも数刻かかるからな、とリクは呟いた。
「つまり、助かる?」
「そういうこと」
それを聞いて安心したと、てきぱき片付けを始めた少女を見て、一番先に我に帰ったのは年長の調理師だった。
「おい! ボサッとしている時間はないぞ! 俺は主菜を考える。お前は片付けて、消毒してからパン生地を作れ!」
その一言で全員がまた慌ただしく動き出した。
おそらく、伝統ある『金獅子の庭』始まって以来の危機を乗り切るために、従業員が一致団結した瞬間であった。
調理師が更にまわりに声をかけ、リクに聞いた。
「おい、ぼうず。皆はどれ位で回復する?」
「ぼうずって。倒れちゃった人は一週間位無理なんじゃないかなー。こっちの症状の軽かった人は二、三日ってところかなー。あとは本人の体力次第」
「どうにかならないのか!?」
「無理言わないでよ」
「そこをなんとか!」
二人の調理師で客の食事を作るのには無理がある。十五人いても厳しい時期なのだ。切実で悲痛な叫びは当然だろう。
「これ、無理を言うものではない。お客人にここまでして頂いた上に、厚かましいですよ」
ようやく息を吹き返した宿の主人が調理師を嗜める。
「命が助かった。それだけでも、まずは良しとしましょう。また、お客様の口には入らなかったことが何よりです。出来るだけ人手を呼んで、片付けを最優先としましょう。私は調理師を出来るだけ手配してみます。今回の原因究明はそれからです。いいですね皆さん」
片付ける際は残った食材、念のため調味料もすべてを新品に取り替えること、汚れていない食器類についても全て洗浄し消毒することなどの細かい指示を出した後、主人は改めてリクに礼を述べ、調理師の非礼を詫びた。そして少女に向き直り、深々と頭を下げた。
「おじょうさまの一言が無ければお客様の存在を失念したままでした。宿屋の主人としてお恥ずかしい限りです。このとおりお礼申し上げます」
少女は慌てて首を振った。
「そんな。助かってよかったです。とりあえず、片付けましょう。あたし、いもの皮むきくらいは出来ますし」
助力の申し出を遠慮している事態ではないので、主人は素直に重ねて礼を述べた。
それからは目が回るような忙しさだった。厨房内はもちろん、厨房に人手を取られた他の係もてんてこ舞いだった。
主人はすぐさま伝を使って七人の調理師を連れてきた。新しい食材や調味料も続々と届き、何とか客に出す夕食が間に合ったのである。
最後の客室への料理が運ばれる際には、自然と拍手が沸き起こった。
間に合ったのが奇跡のように思えた。全員が心と体もクタクタになっていた。
しかし、一つだけ間に合わなかったものがある。従業員への賄いである。昼も飛ばしているのだが、そこまで手が回らなかったのだ。
野菜のスープくらいは作ろうと、年長の調理師が立ち上がろうとしたが、ひざが笑ってしまっている。事情が事情だけに、パンだけで勘弁してもらうしかないと誰もが思った時、少女がひょっこり厨房に入ってきた。
「あのー。お疲れ様でした。簡単ですけど、皆でご飯作ったので食堂へ来てください。あたし先に食べたので、こっちのお皿洗うの手伝いますから」
涙が出るかと思った。調理師全員が心からそう思った。




