第十二話 次のトラブル
「スズー。それが終わったら、こっちもお願い! 終わったら食事して上がっていいわよー」
「はーい。リクももう終わるかな?」
「さあ? ついさっきまたソンドン爺さんに連れて行かれたからねー。しばらく離してもらえないかもよー」
ソンドン爺さんとは、この宿に先代から働いている庭師の偏屈爺さんである。
なぜかリクは気に入られ、仕事の合間合間にどこかへ連れて行かれていた。働くのは午前中までの約束だが、夜まで帰ってこないこともあるくらいである。行き先は主に山や森に薬草を取りに行っているらしいが、リクも村では一番薬草に詳しかったので話が合うのかもしれないと、少女はリクの好きにさせていた。
「そりゃ無理ですね。姉さん、これはどう畳むの? これやっちゃっいましょう」
二人が従業員として居ついてから二週間が過ぎていた。
少女は午前中に清掃、洗濯を女中のマリアと組んで手伝っていた。マリアは三十代半ばのハツラツ美人で、面倒見の良い姉御肌である。
当初、宿側は学院受験の片手間の手伝いとみて、一日二日様子を見たら手伝いを断るつもりでいた。失敗などして宿の維持運営をかき回されては困るからである。
元々宿側の手違いでのことなので、そのまま少女とリクには屋根裏部屋を自由にしてもらうつもりでいた。
ところが、初日からの働きっぷりに考えを改め、中堅どころの従業員と組ませて、きっちり午前中働いてもらうことにしたのである。さすがに客室係などは無理でも、裏方の仕事は山程あるのだ。満室のこの時期、特に洗濯の人手はいくらあっても困らないのである。
少女とマリアは二人がかりで大物のテーブルクロスを畳みながら楽しく世間話をしていた。
歳は離れているが、少女とマリアはすぐに仲良くなれた。
初対面でマリアは少女に向かって「あんた目が悪いの?」と聞いてきた。
少女は「は?」と目が点になったが、「精霊が見えてないでしょ?」と言われ、何のことだか分かった。
見えないどころか、声も聞こえないと正直に話すと、「へぇ? そんなこともあるもんなんだ。じゃあ、あんたは何色の加護なんだい? あん? 加護は受けていない? へえ。あんたに精霊を使いにやっても駄目ってことね」とあっさり納得してくれたのだ。
この世界には電話はない。文をやり取りする習慣はあるが、加護を受けている年には、もっぱら精霊に言付けを頼むのである。重要な商談から「パン焼いておいて」という簡単なものまで、伝える内容は実に様々である。宿でも蒼究月の加護を受ける者は精霊を呼び止められたら、よく使っていた。マリアも蒼の加護を受けている。
マリアは、精霊が見えないんじゃ色々困ることもあるだろうにと、心配までしてくれた。
「ラー、と、知り合いの人を守護している精霊さんが名前を呼んだら助けてくれるから、あんまり困らない、かな」
そう言うと、マリアは驚いて言った。
「守護精霊かい! へえ? そりゃああんた、すごいね! でも、精霊が見えないのにどうやって助けてもらうんだい?」
こんなにあっさりと受け入れられるとは思っていなかった少女は、すぐにマリアが好きになった。
忙しい仕事の合間に他愛もない会話を楽しんだ。とりわけ、少女はマリアの家族の話が面白くて好きだった。
「ったくさー、うちの馬鹿旦那にはほとほと呆れたわ! 昨日も飲んで、しかも負けてきたのよ!」
「あたし来てから、勝った話を聞いたことがないねー」
「もうそんなだっけ? 来月はこづかい削減だわ。まったく!」
マリアの夫のテッドは、ソンドン爺さんの下で働く庭師である。子どもは3人いて、従業員宿舎ではなく、宿の近くの自宅に住んでいる。一斉に芽吹く春の庭を整えなければならなかった繁忙期を越え、仕事が終わると憂さ晴らしに同僚と一杯飲んで、賭けて、そして負けて帰ってくるのだ。
愚痴をこぼしながらも、この夫婦はマリアがテッドにべた惚れでくっついたのを皆知っているので、犬も食わない、と聞き流している。そんな中、ちゃんと話を聞いてくれる少女をマリアも気に入っているのだ。
午前中の仕事が終わり、従業員食堂でお昼ご飯を頂こうと二人が向かっていた時、まわりが騒がしいのに気がついた。
何やら慌てている女中仲間を捕まえて聞いてみると、厨房の調理師たちがほとんど倒れたと言うのだ。
「なんでそんなことに! 食中毒かい?」
「ソンドン爺さんが言うには今日の食材に毒きのこが混じってたって……。今、ほら、こないだ入った金髪の子と一緒に解毒の薬草を取りに行っているわ」
「ドーン医師は?」
「それが、今日に限って隣町まで行って帰らないっていうのよ。今、あんたのテッドが他の先生を探しに行ってるわ。早くしないと大変なことになるって。あんまり騒がないようにご主人様が言っているわ。お客様の耳に入ったら……」
より声を潜めた。
「そうね。あたしも手伝うわ。倒れた皆はまだ厨房? 救護室を作るんでしょ。離れ? スズ、悪いけど、ご飯はなさそうだから自分で済ませられるわね?」
従業員の賄いも調理師が作っていてくれているのだ。
「あたしも手伝う」
「今日の仕事は終わりよ。あんたは勉強しなさい。どうしても手が足りなくなったらお願いするから」
そう言ってマリアは少女に昼飯代を握らせて、仲間の女中と一緒に行ってしまった。
「勉強しなさい、と言われても。そうなんだけど」
この騒ぎを聞いて勉強に集中出来るはずもない。
生来のお節介で世話好きな性格もあり、少女は一瞬だけ躊躇ったが、何か出来ることがないかと、とりあえず厨房の様子を見に向かったのである。




