第十一話 最初のトラブル
「空いてない?」
リクが低い声で訪ねた。
「大変申し訳ございません。当方の事情でして……。お預かりしておりました前金はお返しいたしますので、どうぞご容赦頂きたく……」
宿の受付での問答である。
少女とリクはキースが予約してくれていた宿にやって来た。
予約済みなので何の心配もしていなかったが、受付の女性は二人が名を告げると困った顔をして奥に引っ込み、宿の主人を連れて来たのである。
「冗談じゃない。今から他の宿なんて空いているかも分からない。そちらの事情と認めるならば、代わりの宿を手配するなり、対応があるだろう」
「私どもも手配を試みたのですが、秋までの長期間となると、どちらも空きがありませんで。特に本年の学院の受験生はいつもよりも多いらしく……。どちらか縁戚の方は蒼斗にいらっしゃいませんか? お客様の保護者の方や世話役の方はご同行でいらっしゃっておいででしょうか。当方から詳しくご説明申し上げますが……」
「生憎、世話役とはつい先程別れたばかりだ。子どもだけでは話にならないということか? 国中の宿が空いていないのを知っていて、予約したにも拘らず『空いていません』と門前払いをするつもりか。これが蒼斗に名だたる『金獅子の庭』のすることか」
きつい口調で別人のように宿の主人と話をするリクに少女は驚いていた。
(いつものあほリクじゃない。驚き)
「聞いているのか、スズ?」
「あ? な、なに?」
「今、オレたちは、予約した宿に『他の人に貸しちゃって部屋ないんですよーすいませんねー。前金返せばいいでしょ? それで』と追い返されそうになっているんだぞ」
リクの変貌ぶりに呆気に取られていた少女は、話の内容をまったく聞いていなかった。
「は? おじさんが予約してくれてたんでしょ? 何でそんなことになってんの?」
あまりにストレートな通訳に宿の主人が慌てて説明に入った。
「おじょうさま、大変申し訳ございません。実は何度もご連絡先に使いを送らせて頂きましたが、予約を頂戴した方が長期の留守をされていらっしゃり、どうしても連絡がつかず、おいで頂く日になってしまった次第でして」
「あー、あたしたちを迎えに来てくれていたから」
「たとえ事前に連絡をもらっていたとしても、あまりに一方的。宿がなくては、こちらも困る。何とかしてもらおう」
「誠におっしゃるとおりでございます。私どもとしても代わりの部屋をと思い手を尽くしましたが、生憎……」
話が元に戻ってしまった。リクと宿の主人がどうしたものかと見つめ合って固まっていると、少女が恐る恐る宿の主人に話しかけた。
「あのー、部屋はいつまで埋まっているんですか? 何日かだったらまた来ますけど」
いい季節である。数日くらいはどこかで野宿しても構わない。そう思って少女は尋ねたのだが、宿の主人は更に申し訳なさそうな顔をして、王立学院の合格発表の日まで埋まっていると答えた。
「あの! あたしたちも受けるんです。それじゃ、受験まで居るところがなくて本当に困るんです。まだ勉強もしたいし。もう寒くないから、雨露がしのげて寝るところがあればいいんです」
ここからはリクが驚く番だった。
おじょうさまも受験を? と、驚く主人から少女は、従業員の食堂棟にある屋根裏部屋の存在を聞き出し、そこでいいから泊めてくれと、お願い攻撃に出た。
お客様をお泊めするような部屋ではないと言う主人を懇々と説得し、なら客でなければいいでしょ、と、見事借りることに成功したのだ。しかも、一日午前中だけ宿の掃除などの仕事を手伝うという条件で三食付いて宿泊代は無料。
「当方をご利用なさるくらいですから、身分受験でいらっしゃるのでは? 屋根裏部屋など……しかもお掃除などして頂かなくても」
この『金獅子の庭』は部屋によっては一泊で一般庶民の一月分の賃金に相当する高級宿である。
少女たちが予約を取っていたのは宿の中でも庶民向けの部屋だが、二ヶ月の滞在となると一般庶民にとっては高額に違いない。
宿の主人は、リクの風貌や身なりからして、フェーデレック王国の貴族の子息と滞在中の世話役でついてきた幼馴染の少女といったところと二人を見ていた。
しかし少女も受験すると言う。本当ならば不躾で失礼な質問だが、どういった身分の連れ合いなのか分かりかねての発言だった。
「働かざる者食うべからず、です。お気になさらず。ご飯を頂くからにはお手伝いくらいは当然です。従業員用の部屋なんですよね? でも、あたしたち能力受験だから勉強もしなくちゃだし、一日中は働けないので、せめて時間を決めて働かせてください。メリハリがついて勉強も捗るだろうし」
この少女の言葉を聞いて、蒼斗での世話役に必ず連絡を取って事情を説明することを条件に、宿の主人が折れたのである。
こうして、二人は無事に屋根の下での寝床確保に成功したのだった。
「おまえってすげーよなー」
「は? 何よ、いきなり」
リクはつくづく感心してしまった。
元々住み込みで働きながら受験するつもりだったというが、スズなら難なく働き口を見つけてやってのけただろう。順応力と言うか、適応力が半端ではない。自分だけなら、あのまま宿の主人と見つめ合いになって埒が明かなかっただろうし、いくら自分がこの屋根裏を貸してくれと言ったところで、きっと無理だったろう。
「結局タダで三食付だもんな」
「タダじゃないわよ。言ったからには働くわよ。さ、荷物を片付けたら挨拶しに行ってお仕事もらいましょ」
廊下の突き当たりの雨戸を開け、光と風を入れる。新鮮な空気が流れ込み、眠っていた屋根裏が目覚めたようだった。屋根裏部屋と言っても、廊下を挟んで二部屋ずつあり、清掃も行き届いていた。
この棟は一階が従業員食堂、二階が主に倉庫、そして屋根裏がある。棟と言っても少し大きい一軒家である。この屋根裏は元々住み込み従業員の部屋だったが、最近敷地内に新しく従業員用の宿舎が建ち、この屋根裏の住人から部屋を移っていったという。
部屋の中には小さな寝台と机、洋服かけと、収納棚が一つあるだけのこじんまりとしたものだが、村でも同じような部屋だった二人には充分だった。
「さあ、はじめましょう」
リクは頷いた。受験まで二ヶ月。どうなることかと思ったが、あとは出来ることをやるだけである。




