九
父の命ということにしてお頼みしていた、藤の帝との面会の日となった。ごく私的なこととしてお願いしたため、清涼殿での拝謁、ということになっている。
「少納言様、こちらへ」
女房に案内され、帝のもとへ向かう。日が暮れ始める時間を指定されたのは些か不可解だったが、帝の仰せとあらば、仕方ない。
「……ここからはお一人で。人払いをせよと仰せつかっております故」
「人払い?」
「はい、夜が明けるまで、他に誰も入れるなとの仰せ」
「左様か、案内ご苦労だった」
そこまで人に聞かれたくないことをお話になるおつもりなのかと思うと、少し怖くなってきた。数歩歩いたところで聞き慣れた声がした。
「こちらだ、少納言。今宵ここに通されたことは誰にも申すな」
「これは、挨拶も申し上げず失礼いたしました……え?」
反射的に跪いた後に顔を上げ、室内の様子を見て、藤は驚いた。帝がくつろいでいたのは御寝所――夜の御殿だったのだ。后でもないのに、どうしてこのようなところに呼ばれたのか、藤にはわからなかった。
「そなた、朕に何やら話があるとか。申してみよ」
「はっ……恐れながら、帝は何故に右大臣の三の姫を后にご所望になられたのでござりますか。一の姫が既に入内なされ、三の姫には縁談があったことはご存知だったはず」
「なんだ、そのことか。何、単純な理由だ、そなたの兄が縁談の相手だった故よ」
「では何故!」
「――そなたが、わからぬと申すか?」
冷ややかな声色に、藤は肩をふるわせた。帝は怒っておられるのかもしれない。ただ、その原因がわからない。
「申し訳、ございません」
「まぁ、良い。朕はそなたのことをようわかっておる故な」
「……?」
帝は、言うべき言葉が見つからない藤の頬を、両手で挟み込んでじっと目を合わせた。
「そなたは朕にとって何者にも代えがたい男だ。『私』は、帝になった。そなたは朕の臣下だ。そなたは朕のものになったのだ!」
「は、はい、仰せの通りにて」
「それなのにそなたは、朕のもとへ参らぬ。兄のことばかりだ。朕はそなたの兄が憎い、そなたの心を独り占めしておる」
涙を流して縋る帝は、小さい子供のようだった。しかし、藤の胸中は穏やかではなかった。帝が、自分と兄との関係を疑っているように聞こえたのだ。
「たしかに、兄と私は仲の良い兄弟とは思いますが、帝がお気になさるようなことは何も」
「嘘を、申すな!」
強く肩をつかまれ、藤は痛みに顔をゆがめた。爪がぐっと食い込んで、直に肌に傷をつけているように感じた。
「お、お離しをっ……」
「そなたが別邸に出入りしていることは知っておる。そなたの兄もだ。ただの兄弟が左様に人目を避けて会うと思うか?」
「――!」
藤の顔から血の気が引く。帝はご存知なのだ、私達の異常な関係を。
「どうか、お責めになるなら私だけを!私が兄を脅して、無理矢理付き合わせているだけなのです」
きょうだいの姦通は古来より大罪とされている。明るみに出れば、どうなるか。考えるだけで恐ろしい。
「どうか、帝――」
こつん、と額が合わされた。肩にあった手は、再度頬に寄せられる。
「責めぬ。朕の胸の内に留めておいてやる。朕はそなたを失いとうない故」
「帝……!」
優しい微笑みに、安堵したのもつかの間。
「その代わり、そなたの全てを朕に捧げよ」
「……え?」
にぃっと帝の口が弧を描く。
「そなたの想いも、身体も、朕のものだ。絶対に離してやらぬ。死ぬまで、朕に仕えよ」
「そ、れは、どういう」
混乱しきった藤の唇に、帝のそれが重ねられ、言葉が途切れる。……兄よりも柔らかい。
「愛しているぞ、少納言……いや、藤。『私』の想いに答えぬなどとは言わせぬ」
その言葉でやっと、何故ここに通されたのかわかった。まさか、そんな。刹那、思い悩んだ後に、藤は覚悟を決めて、愛しげに微笑んだ。
「わかりました。仰せの通りに、『我が君』」
――兄上を守るためだ。これぐらい、たいしたことではない。私はいくらでもこの身体を明け渡そう。ただし、心までは、渡すまい。嗚呼、それにしても、何故この方は私などを愛されたのか。
満足そうにこちらを見下ろし、懸命に接吻を落としている帝を、藤は哀れに思った。