八
秋になる頃、結論から言えば桔梗の策は成功した。破談に憤慨していた叔父大納言も納得してくれたし、藤も帝に拝謁する約束を取り付けることができたそうだ。晴れて桔梗は妻を迎えることとなり、あっという間にその日がやってきた。
大納言邸に招かれた桔梗は、初めて正式な妻を迎えることに緊張していた。どのような方なのだろう。藤の話では、とても気の利く方だというが。
「――月見れば……千々にものこそ、悲しけれ――」
風に乗って涼やかな女人の声が聞こえてくる。声の主が気になって御簾の中をそっと覗くと、廂に座って月を眺めている女人の後ろ姿があった。
月明かりに照らされて、豊かな髪が光を孕む。吸い寄せられるように、息を潜めてあるいていくうちに、女房の声が聞こえた。
「二の姫様、こちらへお入りくださりませ。人が見たらどうなさるのです」
「わかっています。でも、もう少しだけ、秋の月を眺めさせておくれ」
歌をそらんじていたのは、二の姫だったようだ。女房が下がった気配を感じ、桔梗は姫の近くへと迫った。
「……我が身一つの」
「――秋にはあらねど」
知らない男の声に、姫が振り返る。その手を捉えて引き寄せ、腕の中に収める。
「誰か……」
「いけません。どうか静かに」
「!」
男が誰か理解した姫は、安堵したのか小さく笑い出した。
「ふふ、貴方様の花は夏が盛りですのに。秋の月の前でも美しく咲いておられるなんて、考えもしませんでしたわ」
姫は少し変わった女人のようだ。しかし、月光に照らし出された面差しは華やかで若々しく、桔梗は自分の心が彼女に惹かれているのを感じた。
暁の空が白みはじめる頃、少し早く目を覚ました桔梗は、腕の中で眠る二の姫のあどけない寝顔をしばし楽しんだ。裳着をすませたとはいえ、姫の齢はまだ十四。これからどんなに美しく育っていくか、楽しみだ。
「ぅ、ん……桔梗様……?まあ、我が君は朝の光の中でもお美しいのですね」
「姫、お起こししてしまいましたか」
「いえ、私、申し上げなければならないことがございますから、去られる前に起きようと思っていましたの」
「え?」
「貴方様の弟君のお話です。何故婚姻を取りやめようと決めたのか。此は、私の我が儘だったのです」
「どうして……まさか、弟が、貴方に良くないことをしましたか?」
「いいえ、誠実な方でした。ですが、私は気づいてしまいました。あの方には、真に想うお相手がおられると。どちらの女人かは存じ上げませんけれど……あぁ、でも、御兄君である貴方様はご存知かもしれませんわね。仲のよろしいご兄弟だと伺っております」
桔梗は、自身の胸に愛しそうに頬を寄せる少女が、とても鋭い女人であることを知った。
知らないはずがない。弟の真の思い人は、きっと兄である自分だ。藤は軽率に恋人を作ったりはせず、内裏の女たちからは真面目すぎると言われているのにも関わらず、桔梗にだけは執心し、あさましいまでに求めるのだから。
「愛されぬとわかっていて、妻となるのは嫌だった、ただそれだけです。子供のような我が儘でしょう?」
儚く笑う二の姫に、かける言葉がみつからなかった。ただ、もう一度強く抱きしめて、貴方は悪くない、とつぶやいた。
思えば、昨夜二の姫がそらんじていた歌は、物思いにふけるものではなかったか。自分のせいでこの女を悲しませたという事実が、桔梗の心を苛んだ。