六
「土は軟らかいのだから裸足でも良いであろう。私は待つのは嫌いだ」
むくれる東宮にやっと追いついた藤は、その横顔を眺めながら口を開いた。
「我慢なさりませ。御身はいつか帝におなりあそばす御方」
「わかっておる。だからこそ、地にこの手で触れてみたいのだ。昔の帝は、その足で国中を駈け回られたというからな」
「東宮様、唐国の書物だけでなく、日の本の成り立ちについてもお読みに?」
「ああ、そなたがあまりに兄のことばかり申す故、私も学を身につけねばと思うて」
言われてみればたしかに、昔は尊敬する兄の話をどこにいってもしていた気がする。今思うと気恥ずかしいほどに。
「よう覚えておられる」
「忘れぬといっただろう。そなたとしたことは全て覚えておるよ」
歩き出した東宮のみずらが、風でふわふわ揺れる。昔、兄から見た自分はこのように小さかったのだろうか。そう思うと、ぎゅっと胸が締め付けられる。
「かように風があっては砂が邪魔だな。だが遣水の音は心地よい。そう思わぬか」
「ええ」
返事をしながらも、やはり兄のことを考えてしまう。上の空な藤の体に、どんと衝撃が加わった。我に返った藤が見たのは、自分に抱きつく東宮のつむじだった。
「何を考えている?私のことでなかったら許さぬぞ」
「はっ、申し訳ありません」
「ふん、そろそろ戻るぞ」
「はい……あの、このままですと戻れませぬ」
抱きつかれたままでは動けないので、どうしようかと思った途端、東宮が藤の胸に埋めていた顔を上げた。
「そなた、いつもと香りが違う。香を変えたのか?そなたらしくない、深みのある香りだな。内大臣のつくらせたものか?それならば内大臣はそなたのことをわかっておらぬ、そなたには爽やかな薫りが似合うというのに」
「香……ですか?特に変えてはおりませぬが」
すん、と袖を嗅ぐと、覚えのある香りがした。これは、兄の邸のものだ。兄の女房が用意してくれた袍に焚きしめられていた。
「昨日、兄の邸に泊まりました故、そちらの薫りかと。お気に召しませんか」
「いつもの方が良い」
「では、衣を変えて参ります故、お離しくださりませ」
そっと東宮の腕を外し、歩き出す。兄の薫りを消してしまうのは名残惜しいが、仕方あるまい。
「待て。まだ話は終わっておらぬ」
藤が振り返るのと、東宮が手を伸ばしたのは同時のことだった。両手で頬を挟み込まれ、藤は困惑した。
「藤、そなたは私に仕える臣下であろう?ならばそなたは私のものだ。忘れるでないぞ」
その瞬間、互いの瞳に映るのは互いの姿だけだった。
そして、刹那の束縛から先に逃げたのは、藤の方だった。東宮の手から逃れ、その場で跪く。
「はい、東宮様。この世の全ては帝のもの。いつか全てが貴方様のものになります」
「っ……あぁ、そうだ。引きとめて、すまなんだ。戻ろう」
「はい」
くるりと踵を返した東宮の顔が歪んでいたことに、藤は気づかなかった。