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烏が連れていきはるところ  作者: 文月 優
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 小学生に上がると、学校の授業でも聖徳太子の名は出てくる。すると太子と聖徳太子は同じ名前だと、クラスで話題になり、太子は自ずと聖徳太子とあだ名で呼ばれるようになる。

 幼い頃の太子にとって、聖徳太子は身近な人物であり、疎ましい存在であった。


 厩戸皇子とは、聖徳太子の本当の名で、聖徳太子とは“聖人の得を備えた皇太子”という意味で厩戸皇子が亡くなった後に呼ばれるようになった通称であった。

 そのことを父親から聞かされていた太子にとって、この言葉は自分が聖徳太子になっていると決める決定打だった。

パズルの最後のピースをはめてみると、点だったものが線となり、全てのつじつまが合う。太子はそのように感じていた。


 服装ひとつにとっても、見慣れない着慣れないはずの装束に身を包み、頭には冠まで被る始末。義務教育などはるか昔の話とはいえ、聖徳太子の服装はなんとなく頭の中に記憶しているが、太子の服装はそれと同じだった。


「厩戸皇子……どこかお加減がすぐれないのでしょうか?」

「あっ、いえ……大丈夫です」


 せめて言葉遣いだけでも変えた方がいいかという考えが一瞬よぎったが、すぐさま粗が出ると思い、やめることにした。

 そもそも太子が聖徳太子の口ぶりやこの時代の口調までを知る由もなく、太子はちらりと相手の顔を伺いながらそう答えた。


「それではご支度整いましたら、大王の元へ参りましょう」


 相手は相変わらず訝しい様子で太子を見ているが、それ以上何も言う様子はない。

 そのことにひとまず今のところは良しとしようと、太子は別のことを考え始めた。

 推古天皇と言えば日本初の女帝だと言われている天皇であり、そもそも自分が大王に面会するのか、とどこか気が重くなっていた。今の姿は聖徳太子なのかもしれないが、中身はただの宇野太子だ。

 太子は思わず固唾を飲んだ。自分は今過去の偉大な人物になり、偉大なる歴史上の人物と会って粗相をしないか。そもそも自分が聖徳太子とは違う人物だとバレ、切り殺されたりやしないか、と不安を覚えていた。


「……とにかく、行ってみるしかないか」


 よっこいしょと重い体を持ち上げると、この男性は頭を上げて、太子の後ろからついてくる。


「あの……出口はどちらに……?」


 この男の眉間にははっきりとした深いシワが刻まれた。

 状況から察するに、この御殿のような場所は自分の家なのだろうと察していた。自分の家なのに出口も分からない太子は、ましてや推古天皇がいる場所など知る由もない。

 不審がられるのは承知の上だった。むしろすでに怪しまれているのだから、先にボロは出しておくべきかとも考えていた。

 なぜならば全く何の予備知識もなく手探りで対応できるほど、太子はこの時代の礼儀やしきたりに詳しくない。義務教育の内容などとおの昔に記憶から消えている。そもそも義務教育ではそこまでは学ばない。


「厩戸皇子、やはりどこか具合が悪いのでしょうか? でしたらそのように大王へお伝えいたしますが……?」


 その申し出は悪くない、と一瞬太子は考えた。が、そんな一時の逃げではこの後困った状況になるのは目に見えている。


「実は先ほど気がつけば私はうたた寝をしていました。するとその時、私の元へ御仏が現れたのです」

「なんと! それは真ですか? 御仏は一体何と仰せに?」


 思ったよりもあっさりとこの夢物語を受け入れてくれる様子に、太子も驚きつつ演技を続ける。


「仏様は仰いました。今から私の記憶の多くをを抜き取ると。だから私は少しばかり苦労を強いられることになると仰せでした」

「なんと! なんと! だから厩戸皇子はそのような不可思議な振る舞いを……⁉」


 太子はゆっくりと頭を垂れた。

 それはこの男性の言葉を肯定する意味を込めて。

 すると神妙な面持ちに変わった男性は、ゆっくりと首を縦に振った。


「だがしかし、どうしてまた仏様はそのような事を厩戸皇子になさったのでしょうか?」


 疑いなく太子の言葉を信じている様子に、ほっとした安堵の息を心の中でつく。

 聖徳太子は仏教を広めるのにも一躍かったというのは太子の薄い記憶が覚えていた。世界文化遺産に登録されている法隆寺や、大阪にある四天王寺の建設を指示したのが聖徳太子だというのは記憶していた。

 四天王寺に関しては、その辺りに太子の得意先の店があるから、周辺事情は調査していたのだ。


「人よりもっと苦労を現世でし、徳を積めと仏様は仰いました。そうすればきっと、死後の世界では仏様のお近くにいることができるとか……」

「おお! なんと、それは素晴らしい!」


 この時代がそうなのか、太子が生きる現代より神や仏といった神仏に対しての信仰心が熱い。人々の生活に現代よりももっと身近で寄り添うように存在してるのだろうな、とこの男の反応を見ながら、太子は思った。


「法隆寺の建設も終盤を迎えていることですし、立派な寺が出来ることを御仏もお喜びなのでしょうなぁ。誠にめでたい!」


 終盤……ということは、まだ法隆寺は完成していないということか。そう思い、太子はふむと頭の中で過去に何度も見た年表を開く。

 法隆寺の設立は六百七年。ちょうど聖徳太子が三十四歳の頃にあたる。法隆寺が完成していないのであれば、それより前の時代ということだ。

 太子の実家には、聖徳太子が行った出来事の大まかな内容が書かれた年表が部屋に飾られていた。

 聖徳太子のような人物になることを期待されていた、幼少期のものだが毎日それを眺めて育った太子は、大人になった今でも大体の内容は頭に入っていた。


()(もっ)(とうと)しと()す」


 目の前にいるこの男にも聞こえる程度に、ぼそりと呟いた。


「憲法十二条の一条目ですな。それはさすがに覚えておいででしたか」


 あっさりとそう言いのける男に、太子は内心でヨシッと息をつく。

 太子は思った。これで大体おおよそ今がいつの時代なのかが分かったと。

 憲法十二条が作られたのが六百五年、聖徳太子が三十一歳の時だ。ということは法隆寺が建てられた六百七年と憲法発足の六百五年の間の二年間に、太子は今存在していることになる。


「……ところであなたのお名前は、調子麿(ちょうしまろ)でよろしいでしょうか?」

「なんと! 私めのこともお忘れでしたか!」


 彼がおどろく様子を見て、申し訳なく思う一方で、首を縦に振り、肯定する。


「そうです。調子磨でございます。私めの記憶まで御仏は持って行かれたのでございますね⁉」


 聖徳太子には側近の従者、調子磨という人物がいたことを、父親から聞かされていた。

 初めはこの人物がただの側近なのか、従者である調子磨なのか定かではなかったが、推古天皇の場所まで一緒に行くという辺りで、もしかして……? と太子は思っていたのだ。


「はい、そのようです」

「御仏がなさることであれば、きっと意味があるのでしょうが……しかしそうなると、大王のことは覚えていらっしゃるのでしょうか?」

「どうやら私は、調子磨さんのこともそうですが、記憶が朧気で、顔はさっぱり覚えていないのです」

「調子磨……〝さん〟? それは変わった敬称かなにかでしょうか? どうか調子磨と呼んでくださいませ」


 調子磨の首は今や枝垂桜よりもしなだれてしまっている。

 なんとか誤魔化せていたようだが、それでもやはり今の聖徳太子の言動は不明点が多いようだ。

 それも仕方がないことだと、太子は思った。太子自身はこの時代の言葉遣いどころか、敬称の付け方も分からない赤子のような存在なのだから。


「分かりました。ではそのように」

「その言葉遣いもどうか合わせて変えてくださりませんか? 調子が狂って仕方がありません」

「いえ、言葉遣いはこのままでいさせてください。記憶がところどころ抜けている分、この方が私にとっては話しやすいのです」


 言葉遣いを崩すとなると、他の時に粗が出てしまいそうだと、太子は考えた。

 かといって、丁寧語や尊敬語なども、この時代の言葉と現代とでは相違があるであろうことも承知の上だ。

 けれどその違和感を最小限にとどめるためには、この方が効率がい良い。


「厩戸皇子がそうおっしゃるのであれば、私めは何も申しませぬが……」


 不満があるような含みの言葉を残し、ひとまず調子磨は受け入れてくれた。


「とにかく今は、急いで大王の元へと参りましょう。きっと首を長くしてお待ちです」


 調子磨の後を追う形で、太子は大王のいる大宮へと向かった。

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