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烏が連れていきはるところ  作者: 文月 優
2/6

 人とロボットはどこまでも間反対と言える。

 ロボットは従順にプログラムである仕事をこなし、限界はない。かつ個性はいらない。

 けれど人間はそうはいかないのだから。


 個性がないと、人として魅力のない人間のように扱われ、毎日毎日たくさんのタスクをこなさねばならないが、変化に順応しなければならない。

 けれど人には限界がある。ロボットのように二十四時間働くのは寿命を縮める。

「時々、自分はロボットになりたいと思うことがあるのよね」

「ロボットのように、ですか?」

 バーテンダーの手がぴたりと止まる。ビー玉のように澄んだ瞳が結月を捉えた。

「ひとつ聞きたいのだけど……ロボットであるあなたに、感情というものはあるの?」

「感情はありませんね。それはプログラムされていませんので」

「なら、いいわね。ややこしい事がなくって」

 思わずため息がこぼれた。それを補うかのように、結月はカクテルを一口飲む。

 霧がかかる山の頂上のようにカクテルのトップを覆う泡。その上に乗っていたはずのコーヒービーンズの一粒が、揺れるカクテルの波に飲まれて沈んでいく。


「ややこしい事とは、例えばどういうことでしょう?」

「そうね、例えば結婚して妻も子供もいる相手を好きになったりしないでしょうし」

 そもそも感情がないのだから、誰かを好きになるということ自体、彼女にとっては未知の出来事だろう。

「ではあなたは、結婚していて妻子のいる相手を好きになってるんですね」

「まぁ、そういうことになるわね」

 結月は再びカクテルを一口飲む。コーヒービーンズの一粒がまた、沈んで見えなくなった。

「詳しい状況も知らない、一介のバーテンダーとして聞いてもよろしいでしょうか?」

「ええ、いいわ」

 一度グラスとテーブルの上に置き、両手を重ねて、その上に顎を乗せた。

 ロボットであるこのバーテンダーは一体どんな言葉を語るつもりだろうか、と結月の中で興味が湧き始めていた。

 感情のないロボット。それを知らない存在。答えはきっとプログラムされたものだろうが、それでもどういった言葉がプログラミングされているのかが気になったのだ。


「結婚していて、妻子がいる。その相手を好きになって、一体何がややこしいのでしょうか?」

「ややこしいわよ。だって相手には家庭があるでしょう?」

「ええ、それは承知です。ではあなたも、他の相手と結婚していて、子供がいればややこしくないということでしょうか?」

 肘を付いていた腕が、思わずテーブルの上を滑った。

「それはもっと、ややこしいことになるわね」

「それはなぜでしょう?」

 さっきまではこのロボットの事を意外と高性能で、とても人間らしいと考えていた結月だったが、いくら人間の知能を持ち、見た目も、行動も言葉も似通わせたところで、所詮はロボットだと思わざる負えないでいた。

 少しガッカリした気持ちで、結月は小さく息を吐き出してから話を続けた。

「考えてもみてよ。万が一お互いの家族にバレたら、家庭崩壊するじゃない」

「そもそも崩壊することは、ダメなことなのでしょうか?」

「ダメよ」

「なぜ? お互いに愛し合っているのでしょう? 崩壊すれば二人の関係は前よりもっと、強く築き上げることができるのではないのでしょうか?」

 バーテンダーは解せないとでも言いたげに「ふぅむ」と首を傾げている。

「家庭を壊したくないから、ややこしいって言っているのよ」

 結月は再びグラスを手に取り、カクテルを一口飲む。最後の一粒がスッと茶色の海の底に沈み、同時にグラスの中のそれは残り三分の一にまで減っていた。


「ではお二人は今の関係に満足しているのですか?」

「それもしていないから、ややこしいのよ」

 呆れたようにそう言い放った後、結月は最後の一口のカクテルを喉の奥に流し込んだ。タン、とテーブルに置いたグラスの中には、あの三粒のコーヒービーンズが寄り添うようにグラスの底に残っている。

 ぼんやりとそれを見つめながら、そろそろ店を出ようかと考えていた矢先だった。

「満足していないのなら、どうすれば満足になれるのでしょうか? そのややこしいという事態を解決できるのでしょうか?」

「そうね。相手に妻子がいなくて、結婚していない状態で私と付き合えていたら良かったと思うわ」

 もっと早くに出会っていれば。少なくとも彼が結婚する前に出会っていれば、今の現状は違っただろう。

 今まで幾度となく考えては、その不毛さに嫌気がさしていた。いくら相手がロボットとはいえ、いいや、感情のないロボットだからこそ、純粋無垢とも感じられる真っすぐな疑問に、耳を塞ぎたい気持ちになっていたのだ。

 せっかく気持ちよく酔えていたのに、シラケた気持ちになっていた。けれどそれは自分から蒔いた種でもあると、結月も理解していた。

 自分から話を振ったのだ。きっかけは意図しないものだったにせよ、ロボットだから話半分に愚痴でも零せるかと思っていたのだ。

 けれど愚痴は、零せば零すほど、自分の首を絞めていくような感覚に近いと結月は感じていた。


「まぁ、ロボットのあなたには分からないことよね」

 そう一言添えて、席を立とうとした結月だが――。

「このコーヒービーンズの意味を、ご存じですか?」

 彼女は手のひらを天井に向けて、グラスの中に無残な形で残っている三粒のコーヒービーンズを指し示した。

「意味? ただの飾りじゃないの?」

 腰を少し浮かせていた結月だが、彼女の話が少し気になり、再び腰を沈めた。

 仄暗い光の中で、彼女は上品な笑みを浮かべている。

「はい。飾りなのは間違いないですが、コーヒービーンズが三粒なのにも意味があるんです」

 空になったカクテルグラス。残ったエスプレッソマティーニの泡を帯びてグラスの底に残った三粒のコーヒービーンズ。

 結月は再びグラスの細い持ち手を、人差しと親指でつかみ、カウンターに並べられているお酒の棚から差す光を当てるようにグラスを掲げた。

「健康、繁栄、そして幸福。この三つの豆はその三つの事柄を表していると言われています」

「へぇ……」

 迷信というか、願掛けというか。思いがけないトリビアを聞いて、結月はまじまじとコーヒービーンズを見つめる。

「先ほどのグラスにも豆が残っていましたが、せっかくなので最後に召しあがってみてはいかがでしょうか? せっかくの幸福を残すのはもったいないと思いませんか?」

 さっきあんな話をしたからだろうか。幸の薄い人間に見えたのかと、少しばかり気分を害しそうになったが、きっと感情のない彼女に、そんな考えは毛頭ないだろう。

 コーヒービーンズをそのまま食べたことのない結月だが、まぁ端午の節句で豆を食べるのと同じような発想か、と思い、残った泡と共に口の中へと滑り込ませた。

 ――カリリっと音を立てたコーヒー豆は、結月の口の中で苦い味とコーヒーの香りを一気に広げていく。

 この話を先に聞いていればカクテルと共に流し込めたが、コーヒー豆単体で食べると苦みだけが広がる。


「ところで――先ほどあなたは、ロボットのようになりたいと言っていましたが、それは今も思っていますか?」

「そうね」

「では検証いたしましょう」

「検証?」

 バーテンダーのこのロボットは、軽快な様子でそう言い、綺麗に洗い、水滴も拭き取られた新しいカクテルグラスを二つ、結月の前に置いた。

「ロボットと人、一体どこが違うのか、今のあなたの状況からか考えてみましょう」

 唐突な申し出に、さすがの結月も戸惑う。けれどバーテンダーはそんな結月にお構いなく話を続けていく。

「まず第一に、相手には子供がいて、妻がいる。それって逆に言えばあなたに選択肢が合って、あなたが二人の関係の主導権を握ってるってことですよね?」

「えっ?」

 突然振られた話にも、一度は終わったと思っていた会話もまだ続いていたのだと分かり、結月は少し面を食らった。

「だってあなたには旦那も子供もいない。言わばフリーの状態ですよね?」

「……そう、だけど」

「あなたは二人の今の関係に満足していない。なぜなら、相手には妻子がいるから。その関係を壊したいと思っていない。もっと二人の関係を踏み込みたいのに、先には進めない」

 結月は口を挟もうとはせず、静かにこのロボットの言う言葉を聞いていた。その様子をガラス玉のような瞳がじっと見据えて、さらにこう言葉を紡ぐ。

「それは本当に、相手のことを好きなのでしょうか?」

「決まってるじゃない!」

 思わずカッとなり、叫んだ。何もわかっていないロボットが、感情も持ち合わせていないただの機械が、人間の感情を、人間関係をとやかく言うなど、馬鹿にされたようで、どこか見下されたようにも感じて、結月は苛立った。

「好きだから私は――」

 ロボット相手に何をムキになっているのか。自分を律し、椅子から腰を上げる。

「ロボットに何も分かるわけがなかったわね」

 吐き捨てるようにそう言うと、バーテンダーの彼女は、空いた二つのカクテルグラスの中に、コーヒービーンズを一粒ずつ入れた。

「分かりますよ」

「どうやって? 感情もなければ、私のように他人と拗れることだってないロボットなのに?」

 感情があるから、人は拗れる。拗れる原因に、人の想いや考えというものがあるからだ。

 自分を持たない、気持ちもないロボットが、そもそも誰かとケンカしたり、愛したり、嫌な思いをすることがあるわけない。そもそもそんな感情が欠落しているのだから。

「それでも分かります。だって今のあなたは、まるで私みたいなのですから」

 ピクリと結月の眉が揺れる。何をもってしてこのロボットと自分が同じだと言えるのかが分からなくて。

「ロボットは気持ちがあるように振る舞います。そうすると、より私達は人間らしく見えるので、そうプログラムされています」

 彼女はそう言って、カクテルグラスの中にコーヒービーンズをもう一粒ずつ入れる。

 カシャン。と小さくグラスの中で跳ねる音が聞こえてきた。

「私の、なんてことない言葉が不快に思うくらい、相手の事が好きなんですよね?」

 結月は何も答えない。ただ口をつぐむだけ。立ち上がったまま、その場を去ろうともしない。

「相手に妻も子供もいるから、相手に選択肢をゆだねている。二人の関係がこの先発展できるのか、それとも終わりを迎えるのか。はたまたこのままの現状を維持するだけの関係で終わるのか」

 カシャン。カシャン。

 彼女はグラスにビーンズを追加した。

「一緒になりたいって思うのであれば、相手も同じように望んでるのであれば、一緒になればいいんですよ」

「だからそんな簡単な話じゃないって……」

「なぜ? 選択肢とはお互いが持っているものですが、その主導権はあなたにあるのですよ?」

 どうしてそうなるのか、結月は考えあぐねいていた。

 このロボットが言いたいことは分かっているはずだった。身持ちが軽い結月の方が、相手を切ることも、推し進めることもできる……と、少なからずこのロボットは思っているだろうと。

 お互いが愛し合っているのなら、相手に妻子がいようと、そちらは切ることができるものだと、信じている。いいや、信じているのではなく、そういう答えを導き出すようなプログラミングが施されている。

 理論上は簡単な話だが、実際はそう簡単なことではない。子供もまだ幼稚園に通っているような年齢で、その子供の将来を考えると、離婚は難しいと言う。

 結月も結月で、彼が奥さんと別れ、自分と一緒になることを選択してくれれば事は円満だが、自分は小学校の教師をしている身。子供の事をぞんざいには扱えない。罪悪感という呪いじみたものを受けとる勇気も、結月にはない。

「相手は本当に、あなたと一緒になりたいと思っているのでしょうか? もし子供も奥さんもいなければ、彼はあなたと一緒にいることを選択したのでしょうか?」

「するわ」

 結月はこのロボットを睨みつけるように、力強くそう言った。

 声はそれほど大きくなくとも、その言葉の力強さに彼女は「なるほど」と小さく前置きした。

「では、あなたと彼の未来をは、一体だれが選択できるのでしょうか? あなたもあなたの彼も一緒にいることを望みながら、それをしていない。それはなぜか? 妻子がいる相手だから」

 カシャン。カシャン。グラスにはすでにいくつものビーンズが入れられている。

 双方のグラスとも、半分ほどがコーヒー豆で埋め尽くされている。

「では、あなた方二人の未来は彼女達が決められるということでしょうか? それって、ロボットの私とあなた方と、どこが違うというのでしょうか?」

 どんどん注がれるビーンズの山。小さなカクテルグラスの中は、あっという間に茶色の種でいっぱいになった。

「あなたと私達ロボットとは同じ。だからわざわざロボットになりたいなどと言うのは、空を飛べない猫が空を飛びたがるのと同じくらい、愚にも付かないことだとは思いませんか?」

 一杯になったカクテルグラス。それを目の前に、結月は押し寄せる感情に必死になって抗っていた。

 ロボットに諭されている事。その言い分が完全に的外れだとは思っていない事。だからこそ、恥ずかしいのやら悔しいのやらで、くちびるをわなわなと震わせていた。


「いいえ、違う。私とあなたは違う」

 絞り出すように言った言葉に、バーテンダーは首を傾げた。

「どこが違うのでしょうか?」

「あなたはロボットで、私は人間だからよ」

 そもそも根本が違うのだ。ロボットには自分たちのように繊細な動きも、心もない。だからロボットはどこか不自然で、不完全なのだと、少なからず結月は思っていた。

 けれど――。

「同じですよ。ほら、ご自身の姿をよく見てください」

 そう言って、バーテンダーは片方のカクテルグラスを手に取り、そのまま空中で逆さまにひっくり返した。

 バラバラバラと雨のように落ちるコーヒー豆。その空っぽになったグラスを見て、結月は目を見開いた。

「あなたもロボットでしょう? 何もない、空っぽの」

 透明なグラスに映る自分の姿。そこにはバーテンダーと同じようにどこか表情に違和感を覚える。

 わなわなと震える唇。けれどガラスに映る自分は微動だにせず、動じず。ただキリッとした表情を見せるだけ。

 さらに言えばその表情からは、自分の顔に何の感情も見られない。まるでこのバーテンダーのように。

 たとえ今、結月が背筋が凍るほど恐れを感じていたとしても。

「違う! こんなの私じゃない!」

 結月は彼女が手にしていたグラスを振り払った。その勢いでグラスは宙を舞い、そのまま壁に激突する。

 ――パリン、と薄いグラスが割れる音が結月の耳にも届いていたが、今の結月にはそれどころではなかった。

 振り払った手が、人間の皮膚をしていなかったのだ――。

「きゃぁぁぁぁ!」

 両手を見つめて、普段感じる皮膚の温かさ、柔らかさ、滑らかさ……どれもがすべて消えていた。

 無機質で、まるでシリコンで肌を覆っているかのような腕を見て、結月は発狂し続けた――。


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