25.オフ会の余韻
美園花恋は帰宅すると、シャワーも浴びずに自室のベッドにダイブする。
服にはオフ会でついたタバコの匂いや汗ばんだ匂いが混じり合っているが、花恋はその匂いが己の心を掻き立てるスパイスになっていた。熱っぽい吐息と共に暫く余韻に浸る。
愛おしい太陽の指先に触れたこと、そして名前を呼んでもらった記憶は今も胸に焼きついている。ホテルに駆けつけたときの荒い息遣い、サングラス越しで見えないはずなのに心で通じ合う瞳。
「……好き、だなぁ」
枕に顔を沈め、響く言葉。
花恋は、あのままホテルで二人だけの世界に浸りたかった。無音の部屋で響き渡る声、重ねあう指先が次第にお互いの瞳を据えて、心地よい想いで満たされる。
初めて、それだけで全てを掻き立てる心。触れた瞬間、電流が流れるようにピリピリとした感覚が襲い、そのまま重ねあう二人の唇。甘味を味わうように何度も唇を交わし、蛇のように絡みつく人肌の温もり。そんな妄想に耽る。
恋は麻薬だ。一度味わうと何度も欲してしまう。乾いた喉を潤す存在が水であるのなら、心を潤す存在は愛する人からの愛。
恋に溺れた花恋は太陽以外の声は届かない。
「……太陽くんの唇に触れたい」
花恋は自分の唇にそっと触れる。弾力がある柔らかい唇を何度も撫ぜながら、太陽の唇を思い描く。
男らしい細い唇とシャープな輪郭、そんな妄想に耽ると身体が火照ってくる。
ーーズルイ。こんなにも求めてるのに、清ました態度で私を翻弄する
花恋は見えない手で身体を弄られたかのような感覚に襲われる。
「連絡先交換すればよかった」
花恋は、そんな言葉を漏らすと深い眠りについた。
○
その頃、影山は自室で葛藤していた。盛りの男子高校生が考えることは、たった一つだ。
「……やはり一発やっとくべきだったか」
神妙な面持ちで椅子に座り、自問自答する。反芻し、辿り着いた答えは後悔だ。
影山は自分のことを一番理解していた。陰キャでコミュ障な自分が、女子と関係を持つことはこれから先大変難しい行為であると。あのままチャンスをものにしていれば、数十年先も胸を張って生きていける。一度経験すれば、ちっぽけな男のプライドが廃ることはない。昔の経験を焼き増ししながら人生に幕を閉じればいい。
ーーどうせこんな僕と結婚したいと思う人はいない
影山はお得意の自己卑下が発動していた。
「……いっそのこと太陽じゃなく、僕を好きでいてくれたら」
そんな本音がポツリと漏れる。影山は今日の出来事を思い出すだけで赤面する。そして自覚した想い。
「くそっ、美園さんは大胆すぎるんだっ」
心臓の鼓動が速くなり、感情がうまくコントロール出来ない。影山はこの想いを認めたくなかった。
「いつも僕に意地悪しやがって……」
乱暴な言葉とは裏腹に、影山の心は絆されていた。彼女に対する愛おしさが心を超えて口から溢れそうだ。それは真っ赤になった頬が物語っている。
一度咲いた花を蕾に戻すことは出来ない。ただ、枯れて散る運命を待つしかないのだ。影山はその花を摘んで思いを吐きだす勇気はない。
だがそれ以上に心に残る出来事がある。それは現を抜かす花恋のことだ。顔と名前も知らない男を盲目的に愛し、真っ直ぐに突き進む彼女の姿勢は影山にとって胸がえぐられるようだった。
今の彼女は抜け殻のようで、ただ感情だけが先走っているようにみえる。花恋に好感を抱いたのは、周りを疎かにしない優しい性格だ。今は心ない悪口を言ったりするが、それは本当の姿ではないと知っている。あの日、うじうじした自分に勇気を与えたのは紛れもなく花恋だ。
影山はこれ以上、色ボケした彼女を見たくなかった。
「……覚えとけ、本当に好きだから我慢するんだ」
影山は指先に触れられた熱が未だに残っている。掌を見つめ、小さなため息をつく。
「本当に太陽が好きなんだな……」
ーーマスクを外した姿が僕だと知ったら、どんな反応をするのだろうか
一目惚れは理解できる。影山も可愛い女子を見れば胸が高鳴り、好きになることはある。だが、マスクをして顔を隠したクリエイターを見て、好意を抱くのは本当の恋と言えるのか。性格が好きだから顔は関係ない、それは言葉の響きがとてもいい。純愛に感じる人もいるはずだ。
だが、心を通じて恋する人間が何故身近な人間に好意を抱かないのだろうか。学生なら性格がいい男なんてそれなりにいるはずだ。ネット上でマスクをした得体の知れない男に恋をするなら、学校で会える異性に片想いした方がよっぽどいい。
それとも人気実況者というブランドに食いつき、ひとり優越感に浸りたいだけなのか。影山は考えこむ。
「好きって何だろうな」
どちらも同じ自分なのに、花恋が好意を抱く方はマスクで顔を隠した太陽の姿。思わず小さなため息をつく。
「……寝るか」
どこか覇気がない声をしていた。




