3/3話 [約4千文字]
雨は強さを増し、雷が凄まじい音を轟かせながら、あたりを明るく照らします。
雨音と雷で辺りはこんなにも音で溢れかえっているのに、私の耳には何も聞こえず、ただそこにあるのは静寂でした。
雷の光で一瞬見えるアルの顔は血に染まり、六年間ずっと一緒に寄り添ってきたアルはどこにもいませんでした。
「どうして……」
それは、目の前で起こっている現実を、ただ否定したいがための叫び。
「アル! どうしてーーっ!」
私の喉からは、もうかすれたような声しか出ませんでした。
「ぐっひゃっひゃっひゃっうひゃっはひゃひゃひゃっ!!」
一方、男の喉は、笑いすぎてかすれているようです。
男は従者のさす傘も無視して、伯爵であるとは到底思えないほど下品に、濡れた地面に膝をついて笑い転げています。
この男は狂っています。
農民へ強制労働を強いるだけでは足りず、重い税を取り立て、農村という鳥かごに人間を閉じ込めて、人間を物のように扱っていれば、自分を神だと勘違いして、退屈になったその神は人間というおもちゃで、こんな遊びを思いつくのでしょう。
ですが、それは神ではなく、もはや悪魔です。
こんな悪魔は生かしておけない。
「貴サマぁぁ!! 」
こいつだけは、こいつだけは絶対に許せない。
「なんだ? 伯爵であるこの我輩にその態度。無礼にもほどがあるな。お前などもういらん。死んでしまえ。」
お父様を、アルをこんなにしたあなたを絶対に許さない。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
「うあぁぁ!! アぁ! ア゛ァァ!!」
「暴れるな!」
必死の抵抗も虚しく、私は地面に押し付けられてしまいます。
そして、兵士が剣を頭上に掲げたところで、悪魔がニヤリと笑いました。
「ちょっと待て、普通に殺しても面白くない。そこのアルとやらに殺させよう。」
やはりこいつは最悪の悪魔なのです。
この期に及んでもこの悪魔は、目の前にある壊れかけのおもちゃで、まだ楽しもうとしているのです。
「あーー。あぁぁ。」
仇であるお父様を手にかけたアルは、目的を失い放心状態でその場に立っていました。
悪魔はそんなアルへと躊躇なく近づき、それこそ悪魔のように耳元で囁くのでした。
「アルよ、お前は確かにロランドを斬った。だが、目の前にはまだロランドの娘が生きている。これで本当に父さんと母さんの仇をとったと言えるかな? 私の言いたいことがわかるか?」
アルは完全に白目をむいていて、雨水と泥でぐちゃぐちゃになった顔は完全に正気を失っているように見えましたが、ロランドの娘と聞いたアルは何かを思い出そうとしているのか、必死に首を振り悶えています。
「うぅぅ……あぁぁ……ロランドの……娘、ベティ……」
アルが私の名前をぼそりとつぶやき、その時、確かに私の知っているアルが顔を覗かせました。
私はその一瞬の希望を逃すまいと、すかさずアルへと必死に呼びかけました。
「アル! ベティよっ! 目を覚まして!」
「そうだ、ベティはまだ生きているんだ。」
しかし、そんな私の叫びは、悪魔の囁きによってアルの耳に届くことはなく、雨の音の中に虚しく消えてしまいます。
「お前はベティをどうしたい?」
悪魔は興奮冷めやらぬ様子で息を荒げながら、アルの返答を待っています。
「ベティを……殺す。」
その言葉に、悪魔は涎を垂らしながらさも満足そうな顔で絶頂し、もう見るに耐えません。
その言葉を発した当のアルの顔にも、もう先ほどの希望の面影はなく、知らない顔をしたアルがゆっくりと私へと近づいてきます。
私を押さえていた兵士はアルが近づいてくるのを確認すると、身を守るためか私を離すと少し距離をとった位置に移動し剣を構えました。
私がアルから逃げれば、きっとこの兵士達に殺されるでしょうから、アルに殺される方がまだマシでしょう。
でも、どうせなら私の知っているアルに殺されたかった。
神よ、どうして悪魔が生き残り、私のような弱き者が殺される運命なのでしょうか。
私は全てを諦めて、アルの前に立ち尽くしました。
私を射程に収めたアルが剣をゆっくりと持ち上げるのが見え、そこで私は静かに目を閉じました。
次の瞬間、剣が風を切る音が聞こえた後に、ビシャリと地面に何かが落ちる音が聞こえました。
自分の首が斬られて地面に落ちたのかと、恐る恐る目を開けてみたのですが、依然として私の頭は首とつながっています。
不思議に思い、アルを見てみると、私とは反対の方を向いています。
「アル?」
そして、アルの向こうには、首のない悪魔が立っていました。
「き、貴様! 伯爵様を!」
動揺していたのか、残る二人の兵士が遅れてアルに飛びかかりましたが、アルはこちらに振り返る動作に合わせて剣を振ると、飛びかかる兵士達を私の目の前で両断してしまいました。
その返り血が雨のように降り注ぎ、私は真っ赤なドレスを着たかのように血に染まりました。
「ひぃっ! 化け物だ!」
悪魔の従者たちは馬車に足早に乗り込むと、もともと忠誠心がなかったのでしょう、主人の亡骸に目もくれずこの場を去って行きました。
私達が乗ってきた馬車も、どうやらどさくさに紛れて乗客が馬を操り立ち去ってしまったようです。
雨が降りしきる中、道の真ん中で私とアルだけが残されてしまいました。
「ベ……ティ……」
アルは、剣を引きずりながら私へとさらに近づいてきます。
私は状況を飲み込めておらず、なぜ私がまだ生きているのかすら信じられず、でも、もう逃げる体力も残っておらず、その場にへたり込んでしまいました。
目と鼻の先にいるアルを見上げると、やはりそこには私の知っているアルの顔は無く、デジャビュのように、アルが剣をゆっくりと持ち上げるのが見え、今度こそ終わりなのだと覚悟しました。
しかし、アルは剣を逆手に持ち変えると、なんと自分の腹に剣を突き刺しました。
「アルっ!」
私は予想外の出来事に混乱し、倒れてくるアルを受け止めたは良いものの、どうしていいかわからず、ひたすらアルへと呼びかけました。
すると、アルの顔は徐々に私の知っているアルの顔へと戻って行きました。
「アルっ!」
ですが、アルは息も絶え絶えに、消えそうな声で、震えながら言葉を絞り出しています。
「ごめん、おやっさんを……」
アルがお父様を斬ったこと、私の知っているアルの意思ではなかったとしても、その事実をまだ受け止めきれない私がアルに言葉を返せずにいると、それを知ってか、アルは言葉を紡ぎました。
「でも、これで昔の僕は死んだよ。」
「でも、今のアルまで死んでしまったら、私……」
アルの目は、徐々に虚ろになっていきます。
私にとってアルが大きな存在だったと気付かされたばかりだというのに、その大きな存在が急速に消えていくような喪失感が私の体を震わせます。
「どうして、どうしてこんなこと……」
アルは最後の力を振り絞り起き上がると、私の唇に自分の唇を優しく押し当てました。
「言ったでしょ、僕が守るって。」
◇
お父様とアルとお別れしてから、半年の月日が流れました。
あれから私は別の農村の教会へと預けられ、そこで孤児として過ごしています。
半年が経ってもアルの唇の感触は鮮明に覚えていて、それを思い出すと無意識に自分の唇を触ってしまい、今でもどこかにアルの存在が残っていないか探してしまいます。
ですが、そこにアルがいるはずもなく、毎晩枕をぬらす日々が続きました。
私がこの教会に預けられた当時のことについて司祭様に聞いてみたのですが、私は気絶していたところを運良く通りがかった商人に助けられ、この教会へと運ばれたとのことでした。
お父様とアルを失った直後の私は、二人と一緒に天国へ行けたらなどと考えておりましたが、救っていただいた命を粗末にするような考えは最も罪深い事だと、この教会の司祭様は教えてくださり、私は毎日神への祈りを捧げております。
また、本来神への祈りとは個人的な願いを懇願するものではないのですが、どうしても二人が戻って来てくれることを願わずにはいられず、日々この事を祈ってしまうのです。
そんなある日のことでした、いつものように昼下がりの祈りを捧げていると、私と同じ孤児の少女が私を探している人が来ていると呼びにきました。
「神様、ごめんなさい!」
私は祈りの途中でしたが、神様に一言謝ると、教会の正面入り口へと大急ぎで走り出しました。
途中、司祭様に教会内を走らないようにと注意されましたが、そんなことは今はどうでも良いので、後でいくらでも怒られましょう。
入り口の扉は残暑の日差しに照らされて、向こうが見えないほどに輝いています。
その輝きの向こうに片腕のない一人の人影が見えました。
「お父様!」
私は思わず飛びつき、お父様は残された右腕で私をしっかりと抱きしめてくれました。
「本当に! 本当にお父様なのですね! 幽霊ではないのですね!」
「あぁ、本物だよベティ。久しぶりだな。」
久しぶりのお父様の感触に、私は涙が止まりません。
「生きて、生きていたのですね。てっきりアルに斬られて殺されてしまったのかと。」
「ああ、でも確かに私はアルに殺されたよ。」
お父様は遠い目をして、空を見ていましたが、私はどういう事なのかわからず、その顔を見つめて、次の言葉を待ちました。
「腕を無くした私は、もう本当に剣を打てなくなった。剣を打つ私はアルに殺されたんだ。」
昔のアルが恨んでいたのは剣を打つお父様だった。
もしかしたら、お父様にも私の時と同じように、私達の知っているアルが昔のアルに抗い、急所を外して、剣を打たないお父様だけは残してくれたのかもしれません。
私のお母様を殺してしまった昔のアルの事は今でも許せませんが、確かにあの雨の降る日に昔のアルは死んだのです。
そして、今のアルは私の大好きなところだけをお父様に残してくれました。
私にとって、とても大きな存在となった今のアルを恨む理由なんてもうありません。
「アルは……、アルは死んでしまったのでしょうか?」
「……」
お父様は何も言わず、険しい顔で俯いてしまいました。
やはり、もうアルはこの世にはいないのでしょうか。
絶望という二文字が私へと足音を立てて近づいてくるような気がして、今にもこの世から逃げ出したくなる衝動にかられながらも、必死にお父様へしがみつきます。
「それが、わからないんだ。」
「え?」
お父様は、私たちを助けてくれた商人にお礼をするために、実際にその商人に会いに行き、当時の様子を聞いたそうなのです。
その商人は、あの現場にいた人間に息がないか一人一人確認したそうなのですが、息があったのは私とお父様だけで、また、男の子の死体も無かったというのです。
そのため、アルの生死がまだわからないのです。
「だからな、ベティ。アルを探しに行こう。」
私は教会を出て、お父様とアルを探す旅に出ることにしました。
いつかで会える、王子様を探しに。
「待っててね。私の弱っちい王子様。」
おわり