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1/3

1/3話 [約8千文字]

 朝の日差しが、なんとも心地の良い季節になりました。

 凍えるほど寒かった冬が、ついこないだの事だなんて嘘のようです。

 今朝も早起きして、洗濯をして、朝食を作ります。

 自分で言うのもなんですが、もう慣れたもので、朝の冷たい井戸水もへっちゃらです。

 私が十歳の時にお母様が亡くなって、それから六年間ずっと私が家事をしているのだから、当然なのです。

 お父様は私のことを自慢の娘と思っているに違いありません。

 きっといいお嫁さんになれます。

 でも、私が嫁いでしまったら、お父様はどうなってしまうのでしょう。

 お父様はこの農村で鍛冶屋を営んでいる職人で、見た目は怖いけどとっても優しい人です。

 きっと俺のことは心配するなって、笑顔で私を送り出してしまうのでしょうけど、お父様ったら洗濯も料理もできない、一人では何もできない人なのだから、私がいないとぜんぜんダメだと思うの。

 だから、私はお嫁にはいかないし、そんなお父様が大好きなのだから、ずっと一緒にいてあげたい。

 だけど、私はいけない子になってしまったのでしょうか、ふとした時に考えてしまうのです。

 私を迎えに来てくれる、王子様のことを。

 きっと私も、年頃になってしまったのでしょう。


「ベティ? 洗濯してる手が止まってるよ?」


 何も聞こえない。

 今の私に話しかけて良いのは王子様だけ。


「何で変な顔して遠くを見てるんだ?」


 そう、私に話しかけて良いのはこんなクソガキではないので、視界にゴミが入らないように、私は静かに目を閉じるのです。


「おーい。」

「ふがっ!」


 突然息ができなくなり、驚いた私は思いっきり後ろに倒れました。

 じんじんする鼻をさすって、目を開けてみると、アルがお腹を押さえて笑っています。

 どうやらアルに鼻をつままれたようです。


「アルっ! 何するのよ!?」

「あははっ!」


 このアルという少年は、六年前にお母様が亡くなったのと同時にお父様が連れてきた、私より二つ下の男の子です。

 なぜアルがこの家に居候することになったのかを、お父様は話そうとしませんでしたし、私もそれを知ってはいけないような気がしたので、お父様に聞くこともありませんでした。

 もっとも、アルが思い詰めたようなそぶりを見せていれば、私も少しは気になったのでしょうけど、そんな事なんてどうでも良くなるぐらいにアルは元気で、気にもとめませんでした。


「アル〜〜っ!!」

「鬼ババアが怒った! 逃げろっ!!」


 アルは素早く駆け出すと、お父様の仕事場の鍛冶場に逃げ込み、窓から顔を見せると、ベーっと舌を出してバカにしてきます。


「もうっ!」


 私は諦めて洗濯の続きをするため、冷たい水を注いだ桶に手を入れました。

 すると、アルを追いかけまわして火照った体が急に冷やされて、なんだか血が上った頭まで冷やされたように心地良くなり、アルとの何気ないやりとりも一人っ子だった私にとってはなんだか嬉しく感じられ、つい口元が緩んでしまいます。

 アルとは六年も一緒にいるので、弟のように思えて可愛いのは確かなのです。

 それにアルは、ああ見えても根は真面目で、お父様が仕事を始める前に、毎日早起きして鍛冶場で色々と仕事の準備をしてくれています。

 お父様にとってもアルは息子であり弟子なのでしょう、色々と仕事を叩き込んでいて、アルは十四歳ながらももう仕事を一人前にこなしています。


「おはよう、ベティ。今日もありがとうな。」


 洗濯を終えて家に入ると、お父様のいつもの声が聞こえてきました。

 その声を聞くと心が落ち着いて、アルにからかわれたことも忘れてしまい、顔がほころんでしまいます。

 私の様子に笑顔を浮かべたお父様は、ゴツゴツした手で椅子を引くと、いつもの席に腰を下ろしました。

 いつも金槌でトンカンと鋼を打っているお父様の手は、もう火傷もしないほどに皮膚が分厚く、まるで岩のよう。

 おまけに、油だったり、煤だったりが手についちゃって、刺青みたいに真っ黒が手に染み込んじゃって、そんなお父様の手を汚いだの気持ち悪いだの言う人がいるのだけれど、私はその手を誇りに思っています。

 私はその立派な手に包まれて育ってきたのだから、そのゴツゴツの手は優しいお父さんそのものなのです。


「お父様、今日もお仕事頑張ってくださいね!」


 私は皆の朝食のフライドエッグとパンをテーブルに置くと、鍛冶場にいるアルを呼びに勝手口より外へ出ました。

 朝の澄んだ空気が私の体を包み込み、最高の気分で今日も楽しい一日が始まると思っていました。





 午前中の修理品や注文の品の配達が終わって、お店のカウンターで一息ついた私は、いつものようにお茶を淹れると、お父様とアルの分を鍛冶場まで持っていきます。

 お父様は兵隊さんのそれを作っているわけではなく、農家さんのクワや、お肉屋さんの包丁なんかを作っています。

 昔、都市にいた頃はそういう物騒なものも作っていたのですけれど、ある事がきっかけで、もうお父様はそれを作るのをやめてしまいました。

 そのきっかけが何かは、今だに私には教えてくれないのですが、人殺しの道具を作るより、人を幸せにする道具を作るお父様の方が私は好きです。

 それはともかく、こんなご時世なのに、お客さんは良い人ばかりで、皆さん私を娘のように可愛がってくれるので、お仕事はとっても楽しいです。

 私もお茶を飲み一息ついていると、以前にクワの修理を依頼してくれた農家のおじ様が、アルに直してもらったクワの調子が良かったと、ジャガイモをたくさん持ってきてくれて、私にもリンゴをくれました。


「それにしてもアルくんは腕をあげたね〜」


 アルを褒められると、なんだか自分のことのように嬉しくなり、口元が緩んでしまいます。

 でもリンゴのことはアルに見られたら、ベティばっかりズルいと言われそうなので、私はこっそりそのリンゴをかじりました。

 口いっぱいに甘酸っぱさを感じていると、不意におじ様が、


「いやぁ。これでアルくんもベティちゃんの立派な王子様になれるね。」


 などと、突拍子もないことを言ってくるので、はしたなくも口に含んだリンゴを吹き出してしまいました。


「お、おじ様! 言っていい冗談と悪い冗談が!」

「わははっ! 元気で結構!」

「もう! おじ様なんて知らない!」


 おじ様にツンとした態度をとっていると、お店の扉が開きました。


「いけない!」


 私はかじりかけのリンゴを置いて、急いで口を拭くと、お客様へと向き直りました。


「いらっしゃいませ〜」


 しかし、返ってきた言葉は私にではなく隣にいるおじ様へと投げかけられました。


「あんた! いつまでサボってるんだい!」


 どうやら、おじ様の奥様がお迎えにきたようです。


「ベティちゃん、店番の邪魔してごめんなさいね。ほら、早く行くよ!」

「ひぃ、怖え、怖え。そんじゃベティちゃんまたな!」


 おじ様は奥様に襟首を掴まれると、ズルズルと店から引っ張り出されていきます。

 私はそれを呆然と見送っていましたが、お店のドアが閉まるとなんだかおかしくて、一人でクスクスと笑ってしまいました。

 しかし、すぐにまたお店のドアが開かれました。

 おじ様が何か忘れ物をしたのだと思い、ドアの方へと視線を向けると、そこには農家のおじ様ではなく、見慣れない男が立っていました。

 その男はいかにも金持ちそうな格好をしていて、ずんぐりむっくりな体型からも、相当に贅沢をされて育ったように見えます。

 見た目で人を判断してはならないと、お父様に言われたことがあるのですが、このお客様を見る限り、私の第一印象は軽蔑でした。

 お父様も、先ほどの農家のおじ様も、中年になればお腹も前に突き出すことは避けられず、場合によってはそんなお腹も可愛く見えることがあるくらいです。

 でも、この男の図々しくでっぷりと前に突き出したお腹は、お父様や農家のおじ様のそれとは違って見えるのです。

 全身の装いと態度からそう思い込んでしまうのかもしれませんが、その男のお腹には、傲慢、貪欲、憎悪、嫉妬など、人間の嫌なところがたくさん詰まって膨れ上がっているように見えて仕方ないのです。

 面を食らった私が立ち尽くしていると、その男はチッっと口を鳴らし、


「この店は、いらっしゃいませも言えんのか!」


 と甲高い声で怒鳴られてしまいました。


「も、申し訳ございません! いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 本当はこの男と喋りたくもないけれど、お客様であることには変わりありません。

 めいいっぱいの作り笑いをして、声をかけました。


「うむ。この店は良い剣を打つと人伝で聞いてな、一つ打って欲しいのだが。なに、金ならいくらでも出すぞ。」


 やっぱり普通に話す声も甲高く、その声を聞いているだけで、私の背筋に蟻が這い回るような、そんな感覚さえあるのです。

 ですが、幸いにもこの男が注文している品は剣です。

 もう、お父様は剣は打たないので、この男の期待に応えることはできません。

 ここは一刻も早くお引き取りいただきましょう。


「あの、大変申し訳ございませんが、当店はもう剣は打たないのです。」


 私は率直に事実を伝えると、男の顔は先ほど怒鳴った時の顔のように険しいものへと変わり、私の前までずけずけと歩いてきました。

 その迫力と、この嫌な男に近づきたくないという生理的な気持ちから、私は反射的に後ずさりしてしまいます。

 ですが、店内はさほど広くないため、カウンターまで下がったところで、私はどうすることもできず、男から逃げることができなくなりました。

 男は、その汚らしい顔を、私の顔の前まで近づけると、またチッっと汚らしい音を口から鳴らし、


「娘、私は剣を打てと言ったのだ。聞こえんかったのか?」


 とまたあの甲高い声で怒鳴ってくるのです。

 私は恐怖と嫌悪から足が震えてしまい、何もすることができなく泣き出しそうになった時、店の勝手口の扉が開き、お父様が鍛冶場から戻ってきました。

 お父様は、すぐに状況を理解したようで、冷静に男に向かって一礼しました。


「伯爵様、本日はこのような潰れかけの鍛冶屋にどのようなご用件でしょうか?」


 私はお父様の言葉を聞いて、さらにこの男への嫌悪が増しました。

 こんな男が伯爵だなんて、こんな男がこの農村を治めてるなんて、私は信じたくありませんでした。

 男は、その様子を見ると鼻を鳴らし、お父様に向き直ると今度は私を指差しました。


「これはお前の娘か? 私が剣を打てと言っても耳が遠くて聞こえんようでな。お前はそんなことはないように見えるが?」


 薄ら笑いを浮かべながら、お父様へ汚い目を向けているこの男を許せませんでした。

 お父様はあの時から、もう剣は打たないって決めていると、堂々と言ってやりたかった。

 だけども、体も口も怖くて動けなくて、自分の無力さが悔しくて、涙が溢れ出てきました。

 お父様は、そんな私を見ると、私の言いたいことがわかったかのように、男へと深々と頭を下げました。


「伯爵様、私はもう剣は打てないのです。お引き取りください。」


 男は、お父様の言葉を聞くと、ほうと喉を鳴らすと、何も言わず店に置いてある包丁へと手を伸ばしました。

 それはお肉屋さん向けの包丁で、もちろん肉を切るのに特化した刃渡り三十センチほどもある包丁です。

 普段なら、お客様が包丁を持って品定めをしても、こんなに緊張することはありません。

 ですが、この男が包丁を持つと、ぞっと悪寒が走るのです。

 この男の目には、包丁の向こうに豚や羊の肉ではなく、人間の肉が写っているような、そんな気がしてならないのです。

 私がゴクリと唾を飲みかけたところで、男は包丁を逆さに持ち、その刃先をお父様へ向けました。

 私は、あたかも自分に刃先が向けられているような、そんな恐怖を覚えて、目を見開きました。


「おい、娘。そこのリンゴをこの包丁の上から落としてみろ。」


 男が言うリンゴとは、先ほどまで私がかじっていたリンゴのことでしょう。

 こんな男の言うことなんて聞きたくもありませんが、男は刃物を持っているのですから、何をされるかわかりません。

 私は勇気を振り絞り、震えて動かないはずの体へ鞭を打ち、かじりかけのリンゴをやっとの思いで手に取り、男が持つ包丁の真上から、そのリンゴを落としました。

 すると、リンゴは音もなく包丁をすり抜けたように落ちていき、そのまま床に落ちると、一つのはずのリンゴがガラスのように綺麗な断面を上に向けて、真っ二つに割れていました。

 娘である私は、お父様が作る包丁の切れ味ぐらいわかっていますので、当然このような結果になることもわかっていましたが、男にとっては予想以上の結果だったのか、満足そうに汚い笑みを浮かべました。


「剣が打てないだと? これほどの業物を打てる奴の言う台詞ではないと思うのだがな。」


 男はそう言うと、お父様へ視線を送りながら、乱暴に包丁を商品棚へと垂直に突き刺しました。

 まるで、次はお前だと言わんばかりの、お父様へ刃を尽き立てているような、そんな脅迫じみた芝居をして見せたのです。


「明日まで待ってやる、それまでに剣を打つと言え。でないと、そうだな、娘をもらう。」


 男はそう言うと、私へ下衆な目を向けてきました。

 私はその目が本当に嫌で、思わず身震いして目をそらしました。


「だが、剣よりも娘のほうが良いかもしれんな。気は強そうだが、調教し甲斐があるというものだ。」


 男の汚い顔が私の顔へとどんどん近づいてくる。

 喉をゴクリと鳴らす音すら聞こえてくる。

 私の顔へ男の手が触れようとしたその時、


「その汚い手をどけろ!」


 アルが男の手に飛びかかりました。

 アルは私から男を引き離そうと、必死にもがいています。


「なっ、なんだこのガキは!」


 男は腕を乱暴に振りアルを引き剥がそうとしますが、アルも負けじと男の腕にしがみつきました。

 目の前でもみくちゃになるアルを、私はただ震えて見ていることしかできません。


「ベティに謝れ!」

「私が誰だかわかっているのか!」


 次の瞬間、男は反対の腕を掲げるとアルの顔面を思いっきり殴りました。

 アルは吹き飛ばされ、店内に轟音が響きます。


「アルっ!」


 店内の商品には刃物も数多く危険で、私は思わずアルへと駆け寄り傷口を確認すると、案の定アルは商品の刃物で数カ所切り傷を負っていましたが、命に関わるような傷はないようです。

 私は手ぬぐいを裂き、出血の多い部分を止血しました。

 アルの傷口から流れる血を見ると、男への怒りの感情がふつふつと湧き上がり、私は男を睨みつけました。

 男はその目が気に食わなかったのか、


「娘、なんだその目は……」


 言いかけたところで、


「伯爵様、お引き取りください!」


 お父様の力強い声が響きました。

 男も我に返ったのか、チッっと口を鳴らすと、体型に似合わないキザな身のこなしで出口へと向き直り、


「明日また来る。」


 と言い残し、店を出て行きました。

 私は、生きた心地がせず、その場に泣き崩れ、お父様はそんな私とアルを、優しく抱きしめてくれました。



 その日の晩、夕食が喉を通らなかった私は、お店の勝手口から外に出て、星空を眺めていました。

 お父様も同じだったらしく、夕食ができたと呼んでも、まだ鍛冶場にこもりっきりで出てきません。

 アルも出血が酷かったので、今日は早く寝かせました。

 昼間に来た男に私は何もできなかったことが悔しくて、見上げる星空がだんだん滲んでいきます。

 どれがどの星座かなんて、もうわからないぐらいに視界はぐちゃぐちゃです。


「ベティ。」


 突然後ろから、寝ていたはずのアルの声が聞こえました。


「アル?」


 こんなくちゃぐちゃな顔をアルには見せられないので、そのまま上を向いて返事をします。


「僕が、守るから。」


 アルがそう言うと、すぐに勝手口の扉が閉まる音が聞こえました。

 キザったらしくそれだけ言い残すと、どうやら家に戻って行ったようです。

 あの男にあんなにボコボコにされたのに、どの口が言ってるのだか。

 だけど、


「ありがとう。私の弱っちい王子様。」


 更に滲んで見えなくなった星空を、私はしばらく眺めていました。





 翌朝、昨晩寝付けなかった私は、眠たい目を擦りながら洗濯をしています。

 いつもなら爽やかに思える天気の良い朝ですが、今日はあの男がまた来ると思うと空気が重たく感じます。

 ぼんやりした頭で鍛冶場を見ていると、不意に鍛冶場のドアが開き、中からお父様が出てきました。

 いつもならまだお父様は寝ている時間なのですが、どうやら一晩中鍛冶場にいたようです。

 私はいつものようにお父様におはようと言おうと向き直ると、お父様の手に信じられないものが握られていました。


「お父様……その剣は……?」


 もうお父様は剣を打たないと信じていたのに、その手には鞘に収まった剣が握られていたのです。


「ベティ、すまない。倉庫に眠らせといた仕上げ直前の剣が一振りあってな、これを昨晩仕上げていた。」


 私が聞きたいのはそんなことじゃない。

 なぜまた剣を打ってしまったのかを聞きたいのです。


「まさか、それをあの男に差し出すのですか? お父様が剣を渡すぐらいなら、私はあの男に……」


 そう言いかけたところで、お父様は私を抱きしめました。


「娘より大事なものなんて、この世に無いんだよ。それに、この剣はあの男には渡さない。ベティもあの男に渡さない。」

「え?」


 一体どういうことなのでしょうか。


「アルを呼んできてくれ。」

「おやっさん。僕ならここにいるよ。」


 振り返ると、そこには既にアルが立っていました。


「アル! 傷は大丈夫なの?」


 私の呼びかけにアルは答えず、お父様とアルは真剣な目をして向き合っています。

 その目には、何か決意のようなものを感じましたが、私には読み取れませんでした。

 お父様が剣をアルに差し出すと、アルはその剣を両手でしっかりと受け取りました。


「アル、任せたぞ。」

「おやっさん、もとからそのつもりです!」


 お父様はアルの様子に満足そうに微笑むと、アルに布袋を手渡しました。

 袋からはジャラッという音が聞こえてくるところから、中にはお金が入っているようです。

 お父様は私の顔を見ると、また満足そうに微笑み店内へと入っていきました。


「ベティ、隣町まで買い出しに行くよ。支度をして。」

「え? だって、今日あの男が来るのでしょ? 買い出しなんて……」

「早くっ!!」


 アルは拳を握り俯いて震えながら、私の言葉を遮りました。

 さすがに私もそこまで鈍くは無いのだから、気づいてしまいます。

 アルと家を出て、あの男から逃げろと言うことなのでしょう。


「いやよ……」

 

 また、私はあの男に立ち向かうこともできず、ただ震えて怯えて立っているだけ。


「また何もできないなんて、また怖くて動けないなんて……いや……」


 私の目からまた涙がこぼれおちる。

 ほらまた、悔しくて、震えて、怯えて、立ちすくんで、また動けないでここに立っているだけ。

 どうせまた動けないんだから。


「違う!」


 アルは私の両肩を掴んで、今にも泣き出しそうに悲しそうに叫びました。


「動けないでいたら、ただアイツらに連れていかれるだけなんだ!」

「でも、これって逃げるってことじゃない! 同じことよ!」


 わからない、私にはどうしたら良いのかわからない。


「同じじゃ無いよベティ! 動くんだ! アイツらに捕まらないように勇気を出して動くんだ! それは立ち止まることよりずっといい!」


 きっと、私がここに残っても、結局は何もできずにあの男に連れていかれてしまうでしょう。

 もしくは、アルに渡された剣が奪われてしまうかもしれません。

 そうなったら、お父様が守ってきた誇りはどうなってしまうのでしょう。

 でも、私はそんな誇りよりも、やっぱりお父様が大事なのです。


「でも、お父様が!」


 私がそう言うと、悲しい顔をしていたアルが急に優しく微笑みこう言いました。


「ベティ、おやっさんの決意を無駄にしないであげて。」


つづく

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