隙間
六月十八日
学生時代に気に入って買ったジッポライターが消えた。
この部屋を借りて二年、最近やたらと物を失くす事が多かったがあれを見失うという事は若年性認知症でも入ってるんじゃないだろうかと思ってしまう。
今迄はハンカチだったり消しゴム程度の些細なものだったから大して深く考えてなかったが、流石にジッポは思い入れがある代物だから一度大掃除も兼ねて本格的に探した方がいいのかもしれない。
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ついてない。
喫煙所で一服をしながら、武井は最近自分が不幸続きである事を呪った。
いや、最終的に自分のミスが重なった結果なのだから誰を呪うとかは有得ない話なのだが、それでも現実逃避でもしないとやってられないというのが本音だった。
「お、武井じゃん。お疲れー」
喫煙所に、先輩の室伏が入ってきた。正直苦手なタイプではあったのだが、立場上相槌のひとつでも打っておかないと面倒な事になるだろう、と武井は内心諦めていた。
「最近元気ないじゃん、何か嫌な事でもあったか?」
「ここで貴方に会った事もです」とは言えずに、武井は大人しく「最近色々あったんで・・・」と口をもごもごさせながら呟く。
「なーんだ、だったら先輩に甘えろよー。飲み代ぐらいだったら出してやるから、遠慮なく愚痴のひとつでもこぼしゃいいじゃん」
そういう軽いノリが苦手なんだよ。
『なるべく家でのんびり過ごしたい』というタイプの武井にとって『外に出てみんなでワイワイ楽しみたい!』といった正反対の室伏は、学生時代から避けて通るタイプの相手だっただけに、何でこんな人が会社の先輩なんだろう・・・と頭を抱える材料のひとつでしかなかった。
「はぁ・・・全くついてない」
けらけらと笑いながら煙草を吸う室伏の横で、彼は大きな溜息を吐いた。
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七月十日
コンビニで買い物をしようとしたらカードがなかったので買い物が出来なかった。
そんな大事なものを失くす訳ないだろ、停止させるの面倒だなと思って帰ったら、洗濯機と壁の間に立てかける様に刺さっていた。
そんな隙間にカードが刺さっているのも不思議だが、家に帰ってから財布の中身なんて確認しないのに何でそんな所にカードが転がってるのか・・・いよいよ頭がやばくなったか?
七月十二日
最近、部屋のあちこちから変な音が聴こえる様な気がする。
特に帰宅直後や就寝後にガサガサ聴こえるが、部屋に虫が出た事は一度もないし立地的にも有得ない。
でも、少し前に黒い影の様なものを見た気がするし、殺虫剤か何かを買った方がいいんだろうか。
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「お前、こないだコンビニから猛ダッシュで飛び出してたけど、何かあったん?」
昼休みの食堂で、武井の隣に座った室伏がおもむろに聞いてきた。
「あ、それ僕も見たかも。武井君にしては珍しく大慌てだったみたいだから不思議だったな」
先に座っていた室伏と同期の吉田も、思い出したかの様に相槌を打っている。しかし、吉田にはまだしもよりによって室伏に見られていたのは武井にとっては痛手でしかなかった。
弁明するのも面倒だし、恐らくどう応えたとしてもからかわれるに決まっている。
「ああ・・・あれ、財布忘れちゃって」
「うわっ、サザエさんじゃあるまいに。やらかすなー」
やっぱりか。
これだから室伏という男は面倒臭い。
「そういう事は誰にでもあるだろ。むしろ、気づいた時に声かけてあげればよかったね」
返答に困っている武井を察したのか、吉田が助け舟を出した。
彼は仕事に関してはどちらかといえば厳しい方ではあったが、普段は誰に対しても優しく接するいいお兄さん的立ち位置で周りからも評判は高い。そんな人が、何で室伏なんかの様なずぼらな人間と特に親しいのかが武井にとっては不思議でならなかった。
「いや、悪いのは自分なんで・・・却ってすいません」
何で室伏のいじりから始まった会話で僕が謝らなきゃいけないんだよ。
武井は、相も変わらずけらけらと笑う室伏を睨みつけながら弁当をかっ食らった。
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八月六日
これを書いている今も信じられないんだが、食器棚の隙間に小さな人間がいた。
それもたくさん。
ボールペンがなくなったからどうせ何処かの隙間にでも入り込んだんだろうと思って何の気なしに食器棚の隙間を見たら、何人かの小人とバッチリ目が合った。
すぐにサササーッといなくなってしまったが、あれは気のせいなんかじゃない。
いや、こんな事を考えてる時点で頭がおかしくなってるんだろうか。
最近仕事がハードすぎて疲れが溜まってるのか幻覚でも見たのかもしれない。
一度病院に行くべきなのかな。
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仕事のミスが重なり、武井は上司に罵声を飛ばされてしまった。
「おい、顔色悪いけど大丈夫か?」
作業場に戻ると、室伏が珍しく神妙な面持ちで心配してきた。
体調不良もあったが私生活でも不幸が度重なり、正直な所精神的にも限界を感じ始めてはいた。しかし、今は仕事でもしていないと逆にやってられない、というのが武井の本音だった。
「すいません・・・ちょっと寝不足で」
極力普段と変わらない様に喋る武井を見て室伏はますます心配になったが、本人が仕事を続けようとしているのだからこれ以上は何も返せない。
「それだったらいいけど、無理そうなら早退した方がいいぞ」
「平気です・・・すいません」
今日、仕事終わったら精のつく物でも食わせてやるか。
か細く謝る武井を見ながら、室伏は先輩としてやれる事を頭の中で巡らせた。
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八月七日
改めて食器棚の裏を確認したら、今迄なくなったと思っていたもののいくつかが重なり合う様に置いてあった。
ブロックを組んでる様な、もしくはバリケードといった感じ。
病院に行く前にあれが本当だったのかどうか確かめたいので、押入れからビデオカメラを洗濯棚にでも設置して様子を見ようと思う。
八月二十四日
カメラの設置は意味がなかった。
敵ではないと認識されたのか、小人の方から接触を図ってきた。
接触は大袈裟かもしれないが、こちらが起きていても堂々と物をくすねていく様になってきたのだ。
もし、これが仕事のストレスからくる幻覚だったとしても、見ていて面白いからしばらくはこの共同生活?を楽しむのもいいかもしれない。
九月一日
小人達を観察して判った事。
定規がないから正確な大きさは何ともいえないが、小人達はロングサイズの煙草一本分くらい。
運ぼうとする物は自分と同じかそれ以下の大きさの物が多く、カード類の様な軽くて大きい物は働き蟻の様に集団で運搬。
隙間を好んで生活している様だが、食器棚の裏の隙間を基本居住区として生活しているらしい。
今の所、何を食事にしているのかは不明。
九月五日
会社帰りに近くの公園で死んだミミズを見つけたので、ものは試しに小人達に与えてみた(本当は持って帰るのは凄く嫌だったが、自由研究だと思って我慢した)。
最初は爪楊枝を武器の様にして突いていたが、全く動かないと判ると興味を失ったのか一斉に爪楊枝を突き刺した後バリケードの奥に消えていった。
一体何を食べて生活しているのか不明なままだが、問題はこのミミズをどう処分するかだ。
九月十二日
百円ショップで一番小さな裁縫セットを買って、小人達に与えてみた。
興味深かったのは、マチ針を床に刺して境界線らしい跡を作ってる事だろうか。
多分「ここは俺達の領土だ、お前はこれ以上踏み込んでくるな」と訴えているんだろうが、食器棚の範囲を絶対に出ない形でマチ針を刺したって踏み込み様がないだろうに。
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『何か、最近武井さん明るくなったよね』
『彼女が出来たらしいってもっぱらの噂だけど、それだったら奇跡だよねー』
事務の女性社員が色々と噂話に花を咲かせている。それの大半は、主に武井の事だった。
「た・け・い・く・ん! 噂の真相を、お兄さんに教えてくれないかなぁー?」
喫煙所にいた武井を見付けた室伏は、遠慮なく彼の肩をがっしり掴んでにやにやと笑いながら追求した。
「噂って、彼女がどうのですか?」
自分が噂されている事は武井自身気付いていた。
だが、どうでもいい内容だったから「勝手に盛り上がってろ」というのが本音だっただけに、こうも直接訊かれるのは面倒以外の何者でもなかった。
「別に彼女なんていませんよ。って言うか、そんなに女の人に興味ないし」
「ええー! そりゃ勿体無いよー!」
室伏が大袈裟に驚いて、まるで漫画のワンシーンよろしく両肩を掴んで思い切り揺さぶってきた。たかがそれくらいの事で、何でこの人は大騒ぎするんだろう。
相手をするのも面倒になって好きにさせていると、喫煙室のドアが開いて吉田が入ってきた。
「お疲れ様・・・って、何大騒ぎしてるの?」
「吉田ー、聞いてくれよー! 武井が女に興味ねーって言うんだぜー」
今度は吉田の肩を揺さぶりながら合コンがー出会いがーと騒ぐ室伏を見て、武井は「やっぱり面倒臭い」と頭を垂れた。
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十月三日
小人達にハサミを与えたのは失敗だったかもしれない。
脱ぎ散らかしたまま寝た俺も悪かったが、まさかお気に入りのシャツを切り刻まれるとは思わなかった。
布と化したシャツは、どうやら奴等のベッドシーツとカーテンに変えられた模様。
注意しようにも言葉は通じそうにないし、今後の行動次第では何か対策を考えた方がよさそうだ。
十月九日
足に痛みを感じて起きてみると、左の足首に縫い針が刺さっていた。
散乱させたままほったらかしにしたんだろうが、この間のハサミの件といい少し図々しくなってきてる気がする。
この部屋の長が誰なのか、そろそろハッキリさせるべきだろうな。
十月十六日
注意不足じゃない、わざとだ。
注意不足で散乱させていたなら、俺の体に七本も針が刺さる訳がない。
奴等は一体何を狙っているのだろうか?
下克上か?
面白い、奴等がその気ならこっちにだって考えがある。
明日を楽しみにしていろ。
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仕事を終えて駅へと向う途中、武井は吉田に呼び止められた。
「最近機嫌悪そうだけど、何かあったのかい?」
吉田は心から気になって声をかけた、と言わんばかりの表情で武井と並んで歩き出す。
「いえ、別に・・・」
彼は決して悪い人ではないと判ってはいる。
それでも、私生活の不幸事を他人に話す気にはなれなかった武井は言葉を濁すので精一杯だった。その表情を汲んだのか、吉田もそれ以上は追及しようとはしてこない。
「無理に話せとは言わないけど、何かあったらいつでも相談に乗るよ?」
社交辞令でも何でもなく、本心から言ってるんだろうな。
室伏さんと違って、吉田さんは本当にしっかりしてる。見習うべきはこういう人なんだろうな…と武井が密かに考えていると、吉田が「そういえば」と言葉を続けた。
「室伏も、君の事を結構高く評価しててさ。あいつ口は悪いけど、結構頼りになる奴だから気軽に話してやってほしいな」
まるで自分の心を見透かした様に室伏の名前を出されて、武井は焦るあまりその場に立ち尽くしてしまった。同時に、室伏が自分の事を高く評価しているという事に目を丸くさせてしまう。
あの室伏さんが? いつも僕をいじって楽しんでる彼が?
にわかに信じられない状況ではあったが、確かに何だかんだいって食事に誘ってくれたり何かにつけて話を振ったりしてきてくれているのは事実だ。
「僕も室伏も、君の事弟の様に思ってるからさ。遠慮なくぶつかってきてよ」
恥ずかしそうに笑う吉田を見て、武井は自分の汚れているだろう心を恥じた。
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十月十七日
燻煙殺虫剤を使ってやった。
奴等はどうせゴキブリみたいな存在だ、これで苦しもうが死者が出ようが、俺がこの部屋の長であり神なのだから、俺に仇名す奴は恐れおののくがいい。
もし反撃してくる様であればジェット噴射型の殺虫剤もあるし、お前等には使う事が出来ない包丁もある。
人間様を舐めるんじゃねぇ。
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とあるアパートの一室。
パソコンデスク用のスチール椅子に座る肉塊と、床一面に敷かれている人間の表皮──まるで豪邸にある虎皮の敷物の様だ、とその刑事は呆れながらに思った。
自分の管轄で初めての猟奇的殺人。
全身の皮を剥いで床にマチ針で固定する、そんな残虐な殺人を行う犯人の思考が理解出来ない。
「刑事、ちょっとこれを見て貰えませんか?」
部下が不思議そうな顔をしながら一冊のノートを手渡してくる。
見た目は普通の大学ノートだが、パラパラとめくるとそれはどうやら日記の様だった。
「…何だ、これは?」
書き始めの頃は合コンがどうの会社がどうのと書かれていたものが、ある日を境に小人がどうのと一気に内容が変化している。
「小説家でも目指そうとしていたんですかね」
「ンな訳あるか…精神科、あるいは心療系機関の通院履歴を調べる方が早いだろ」
部下に指示を出すと、刑事は改めて日記を読み漁る。
「鑑識ー、悪いが食器棚の裏にこまごました物が落ちてないか調べてくれー」
刑事の一言に、鑑識の一人が部屋の片隅を覗き込み「…あー、何かごちゃごちゃと物が落ちてますねー」と怪訝そうな声を上げた。
食器棚の裏、小人、鋏、針…
状況は日記に書かれている事柄と合致はする。
だからと言って「犯人は小人だ!」なんて言える訳がない。そもそも、そんな事を信じてしまえば自分が精神鑑定を受ける羽目になるじゃないか。
「…全く、面倒な事件に巻き込まれたっぽいな…」
刑事は大きな溜息を吐いた。
「本来であれば、捜査段階でこういうのをお見せするのはまずいんですが・・・何かご存知ないかと思いまして」
担当の刑事だと名乗る男に一冊のノートを差し出され、室伏はそれを受け取ると中身を確認して目を丸くさせた。
「書いてある内容が、その、どうも精神を病んでいらっしゃる様に見受けられたのですが、上司の方からは通院履歴等の報告もなかったそうで」
ざっと目を通すと、確かに『小人』だの何だのと病んでいる様にしか思えない内容だったが、普段そんな話を一度も口に出された事は一度もない。
「・・・いやぁ、そんな話聞いた事ないっすけど」
職場の人間が死んだ、しかも殺されたと聞いて心臓が飛び出そうになったが、ノートの内様にますます混乱してしまう。
「そうですか・・・因みに、貴方から見て被害者はどんな方でしたか?」
「そうっすねぇ…最初の頃は取っ付き難かった感じだったんすけど、最近はちょくちょく食事とかにも行ける程度にはなってたんで・・・正直信じられません」
その後も刑事にいくつか質問はされたが、これといって深く答えられるものはなかったのですぐに解放された。
職場は事件で大混乱だ、こんなんじゃ今日は仕事にならないだろうな、そう思った彼は、上司に断るとそのまま喫煙室へと向った。
「あ…お疲れ様です」
喫煙室には、既に事情聴取を受けただろう武井が真っ青な顔をして煙草を吸っていた。
「おう、お疲れー。お前はどうだった?」
室伏は作業服の胸ポケットから煙草を取り出すと、武井の横に立って火を点けた。
「いえ、別にそこ迄喋れる事もなかったんで」
「だよなー・・・」
武井が横目で室伏を見ると、彼の手が震えていた。それはそうだろう、同期で比較的仲のよかった人間が殺されれば誰だって動揺して落ち着かなくなるのは当たり前だ。
「ってか、吉田の奴があそこ迄病んでたなんてなー」
普段人前でストレスを感じさせない吉田が精神的に病んでいた。
殺された事もショックだったが、それ以上に彼がそんな状態だったなんて誰もが信じられなかった。だが、逆に考えたら普段人前で明るく努めていたからこそその反動が大きかったのかもしれない。
「これから、どうなるんでしょうね」
武井の質問に、室伏はしばらく悩んだ後、
「当分は事件でパニックになるだろうけど、数日で通常に戻るんじゃねーの? 場合によっちゃ、何人かは辞めるかもしんねーけど」
『辞める』
実家の祖母が寝たきりになって介護が大変だから戻ってこいと言われ続けても反発していたし、最近になってようやく仕事が楽しくなってきてこれからだと思ってたんだけど、こんな事が起きて仕事なんて続けていられないだろうし大人しく田舎に帰るべきなのかな…
「はぁ・・・全くついてない」
事件を忘れようと必死に苦笑いながら煙草を吸う室伏の横で、彼は大きな溜息を吐いた。