第三王子の胸の内2
兄様が愚行を犯した。え、兄様ってもう少し賢い竜だったはずだよね?
番であるローゼにようやく変装無しの姿で勿体振って会ったと思ったら、あろうことか自分の足にキスしてみろと命令したらしい。
「兄様………自分を試したんだね」
「………………………何か間違えた気がする」
その通りだよ!
僕は見たんだ。怒り過ぎて無表情になったローゼが「あの竜、もっと噛んでやれば良かった」と呟いているのを。
この場合、悪印象を与えることを想定しなかったの?
自室で布団を被り出てこない兄様を、僕は哀れんで見舞った。何となく僕も責任を感じちゃったんだ。
「それで分かったの?」
彼女のことが番だけの認識なら、相手の気持ちを無視しても閉じ込めて自分のものにすれば満足するはずなんだ。番へ向ける気持ちは本能的な部分が大きくて、心を通わせる云々よりも容赦がなく欲望に近い。
「凄く自己嫌悪だ」
「ふうん、そっか」
自分の気持ちが良く分かっていなかったのは、兄様だけだよ。
「ローゼがちゃんと好きなんでしょ。そのこと伝えた?」
「つ、伝えられるわけないだろ」
布団の中から兄様はくぐもった声を出した。
「あんなことして告白できるわけがない。ああ俺は……俺は…」
「な、なあに?」
「今すぐ竜化して黒苑の剣で刺身にしてもらってローゼに残さず食べてもらいたい気分だ!」
「大丈夫?!食べないと思うし、そういうのは重いよ!」
そんな形で彼女を不老長寿にして兄様は本望なのかな?
布団からはみ出た自分の足の、彼女に噛まれたらしい部分をさすさす撫でながら身を捧げる覚悟を吐露した兄様、怖いよ。
兄様ってこんなヒトだったかな?
そうか、恋は竜を愚かにするんだね!
でも兄様が悶々として誤解を解かないから、ローゼは城から逃亡まで謀ったんだよ。
「まさかローゼは俺が嫌いなのか」
「まあ……そうなのかな」
ローゼには幼い頃に戦の混乱で母親を亡くした辛い過去がある。そのトラウマなのか、兄様を城で初めて会ったと記憶違いしている。
兄様は、ずっと片想いをしたままなんだ。
彼女が初めて兄様と出会った時からのことを覚えていたら違っただろうに。それを打ち明けても、記憶のうやむやな彼女には真実か分からないだろうから、思い出すまで待つと兄様は言う。
でも誤解したままのローゼは父上に、兄様との婚約を破棄させて欲しいとまで言ったそうだ。
僕はそれを聞いて、あまりに不憫ですれ違い過ぎていて笑ってしまった。ごめん、兄様。
「灰苑様、お願いします」
「分かったよ」
僕は中立なので、ローゼが兄様から逃げたい時は手作り菓子を報酬に助けてあげる。彼女を探す兄様に遊んで攻撃を仕掛けたら、迷惑そうな顔をちょっぴりするけど結局は遊んでくれる。
弟の僕のことも変わらず大事にしてくれる兄様を思うと、早く彼女との誤解を解いて、嬉しそうな顔が見たいなとも思う。邪魔してるのは僕だけどね。
「灰苑様」
親しげに微笑んで抱き締められたら、彼女の一番は僕じゃないかと錯覚しそう。
「ローゼ」
母様以外の女性に抱き締められるなんて初めてだ。しかも人間の彼女の体温は暖かくて心地良い。僕が彼女に好感を持っているから、彼女の匂いさえ良い香りだ。
薔薇のような上品なのに甘い刺激のある香り。嗅いでいると落ち着くのにクラクラするような不思議な香り。兄様も、この香りを知っているはずだ。
なんとなく面白くない。
抱き締められて笑って誤魔化したけれど、これは危うい。僕はまだ仔竜だけれど、ローゼを女性だと強く意識してしまう。柔らかい胸に僕を包んで無防備すぎやしないか。
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黒苑兄ちゃん?
中庭の奥にいるローゼを見つけて、いつものように近付こうとして止めた。反対の道から黒苑兄ちゃんの匂いを感じ取った。
ローゼを見つめている?
僕は兄弟の中で最も嗅覚に優れている。遠過ぎたらさすがに無理だけど、ある程度の範囲内なら、匂いでそのヒトの距離や行動が大体分かる。
じっと動かない匂いに、木陰に隠れてしまった。何となくただならぬ雰囲気を感じたからかもしれない。
「黒苑様」
ようやく動いて姿を現した兄ちゃんに、気付いたローゼが声を掛けた。
隣に座った兄ちゃんは、彼女に何か話しているが小さくて僕には聞こえなかった。
でもその後に兄ちゃんが突然ローゼを抱き締めたのを見て、思わず息を呑んだ。驚いた彼女の顔が、兄ちゃんの肩越しに見えた。
「ローゼ!」
紫苑兄様が彼女を探している声がする。
「………こ、ここよ!」
いつもは隠れてしまうローゼが、自分から声を上げて居場所を知らせた。黒苑兄ちゃんは彼女の声に直ぐに腕を解いて去って行った。兄様が入れ違いに飛び込んできて、僕は胸を撫で下ろした。
ローゼも兄様を見てホッとしたような顔をしている。
それを見届けて、そっと元来た道を引き返しながら僕は不安に襲われた。
まさか………まさかね。
ローゼを見る黒苑兄ちゃんの瞳が、あまりに熱を放っていて、僕は不吉な予感に胸がザワザワとして仕方なかった。