軽井沢康夫の『孤道完結編』紀行(あとがき)
軽井沢康夫の『孤道』完結編(落選作品)紀行
~天皇からの贈り物を運んだ人生~の旅と歴史
(推理小説のあとがき)
推理小説『孤道』完結編・落選作品で弧道を歩んだ人物・竹島伸一のモチーフはナチスの略奪した絵画1280点余り(1300億円相当)を保有していた実在した人物、コルネリウス・グルリット氏である。
2010年9月22日、ドイツ南部のミュンヘンからスイスのチューリッヒへ向かう列車内でドイツ税関職員が乗客チェックを行った。グルリット氏は職員に空の封筒3枚をわざわざ見せ、『申告すべき大金は持っていない。』と言った。不審を感じた職員は報告書にその事を記載した。
その日の夜、スイスからミュンヘンに向かう列車内で別の税関職員がグルリット氏に対して乗客チェックをした。グルリット氏は2枚の空の封筒を見せた。報告書を読んでいた職員が『3枚目の封筒はどうしました?』と訊くと、グルリット氏は明らかに動揺してうろたえた。不審に思った職員がボディチェクをすると3枚目の封筒から9000ユーロ(120万円)が出てきた。グルリット氏は『父親が画商で昔からスイスの銀行に預けてあったお金を引き出してきた。』と答えた。その言葉から職員は『絵画のヤミ取引』を疑った。そして2年後の2012年、脱税容疑でドイツ検察局がミュンヘンのアパート(日本ではマンションに相当)を家宅捜索すると1280点余りの絵画が見つかり、それを押収した。しかし、当局は、様々な理由で発見から1年以上(2013年まで)公表をしていなかった。
しかし、2013年11月4日、ドイツ雑誌「FOCUS」でスクープ記事として事件は公表された。いわく『ナチスの宝・70年後の大発見』である。
翌日、ドイツ検察当局は事実を認める記者会見をしている。
コルネリウス・グルリット氏の父親であるヒルデブラント・グルリットはナチス時代に画商としてナチス高官たちと懇意にしており、戦後、『略奪絵画は空襲で焼けて無くなった』と答えていた。そして第二次世界大戦終結の11年後の1956年、父親ヒルデブラントは交通事故で死亡し、息子のコルネリウスが絵を引き継ぐ結果となる。コルネリウス・グルリット氏は1932年12月28日生まれであったから、当時は23歳であった。
秘密裏にナチスの略奪絵画を引き継いだコルネリウス・グルリット氏は人との接触を極度に恐れ、結婚もせず、近所付合いもせず、友人も作らなかった。
『ヒルデブラントの妻・ヘレネの住所記録から絵画が隠されていたミュンヘン市内のアパートを見つけたがコルネリウスには会えなかった。コルネリウスは国籍をドイツではなくオーストリアにしていたのでドイツには住民登録や税金ナンバーがなく、健康保険の登録もなかった。ドイツには一切の記録がなく、その存在は幽霊のようであった。』とスクープ記者は述べている。すなわち、コルネリウス・グルリット氏は『孤独の道』をすでに歩んでいたのである。
検察当局から絵画の調査鑑定を依頼された美術家は『父・ヒルデブラントに圧し掛かっていたナチス時代の重圧が戦後もまるで家訓のようになり、家族に対しても同じ様に事実の隠ぺいを要求したのだと思います。だから、息子のコルネリウスも歴史の被害者だったのではないでしょうか。彼は大量の絵画を隠し持つ重圧に耐えきれず自分の人生を諦めてしまったのです。彼にとって、あの大量の絵画はナチス時代の呪縛でもあったのです。』と語っている。
また、コルネリウスから絵画の取引を持ちかけられた画商は『彼はただ、父親から受け継いだ絵画を保管していただけだと思います。やせ細っていて顔色が悪かったが、丁寧で、きちんとしていて、とても好感が持てる人でした。答えるのは難しいですが、歴史から残酷な仕打ちを受けることになった彼の事を少し不憫に感じました。』と語っている。
しかし、スクープ記事を書いた記者は『当局からリークされた捜査資料で見た部屋の内部写真が忘れられない。大量に買い溜めされた缶詰の中には30年前に賞味期限が切れたものもあった。その生活はどれほど孤独だったのか。机の上には砂糖の500グラムパックが幾つも積み重ねられていた写真は忘れられないね。パジャマやシャツも大量に買い込んで、未開封のまま積み上げていたんだ。少なくとも、普通に人生を送っている人の暮らしには見えなかった。』と語っている。
スクープ記事の後、多くの記者たちから写真を撮られたり、インタビューされたグルリット氏は答えている。
『ドイツの民法では30年以上所有すれば、所有権を主張できる。あの絵画は当時のドイツ国家政権であるナチスから譲り受けた父が所有していて、父・ヒルデブラントが美術館や個人所有者から奪ったものではない。父は犯罪者ではない。したがって、あの絵は私のものである。私の死後、絵画はスイスのベルン美術館に寄贈する。』と云う遺言を残している。
世間を騒がせたスクープから半年後の2014年5月6日、コルネリウス・グルリット氏は81歳でひっそりと自宅で逝去したと彼の広報人が公表した。心臓の病気があったと謂う。
以上が『弧道』完結編を書く時に参考とした人物モチーフである。
竹島伸一が父親から頼まれた役目を忠実に実行した心理が、コルネリウス・グルリットが父親から受けた教えによって育まれた心理と一致したかどうかは私自身はよく判らない。しかし、二人とも父親を慕っていたことは間違いない。父親から受け継いだ高額の宝物を引き継いだがために孤独の道を歩んだ人生を送ってしまった二人。この様な人生を何故に選んだのか、筆者にはよく判らない。自分にとって有為な人生を送る為にお宝を放棄する考えが浮かばなかったのだろうか。戦後と云う混乱の時代を生きていくためにはそれほど多くの選択肢はなかったことは容易に想像がつくが・・・。豊かな民主主義の時代に生まれ育った我々とは違った心理、考え方があった事を将来に生きる人は肝に銘じる必要があるのだろう。
因みに、九州大隅半島の住吉神社のある住吉山山頂で姥石を発見したのは明治生まれの鳥居龍蔵(1870〜1953)と云う人類学・考古学・民族学の研究者である。中国北東部、朝鮮半島、モンゴル、シベリア、サハリンなどを調査研究された人物である。小説では砂金の入った紫香楽の壺を見つける鳥山龍彦として名前が登場する。
姥石は古代における祭祠場を示す結界石であると云われている。神が舞い降りる祭祠場が造られていたのだろう。
住吉神社の祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神である。表筒とは海の表面から10メートルくらいの深さまでで波の影響を受ける海の部分を意味し船舶に影響を与える。中筒は波の影響は受けない海流の流れる部分を意味し魚が泳いでいる場所である。底筒は海底付近を意味し、海草や甲殻類・貝類の生息する場所である。
中国大陸や南洋諸国への貿易船を操り、魚介類などの海の幸を獲る薩摩隼人たちは、海神に大切な祈りを捧げる神事を住吉山の頂上で行ったのであろう。
神からの贈り物である自然の恵みに感謝する祈りの時間。現代人が忘れてしまった事はいろいろある。
『お宝』とは、人間の命を育む大切なものの事である。
古代天皇。それは、神の意志・言葉を請け、それを人民に伝える役目を担った人物であった。
内田康夫氏が『弧道』で取り上げようとしたテーマ。それは天皇から神の臣民に贈る大切なものが何なのかを明らかにする事だったのではなかったのだろうか?
内田先生のご冥福をお祈りいたします。
2019年2月6日(水) 軽井沢康夫 記
参考文献:NHKプレミアム・アナザーストーリー 2017年10月16日 午後6時から午後7時放送