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 木下りりか。

 戦場高校二年B組の女子生徒。

 同学年の中でただ一人皆勤賞を取るのではと噂されていたまじめで優等生な女の子。その見た目も制服を着崩すことなく校則通り着用し、髪も染めずに黒のボブという模範的な学生である。

 成績ももちろん良くて、俺の中の上よりは当然上だ。

 小柄でどこか小動物っぽさを感じらせる木下は、その優し気で儚げな風貌どおりの人間であり、他人を押しのけてまで自己主張せずに、会話ではいつも聞き役に徹し友人の話に相槌をうって笑うようなそんな感じの女の子だ。


 往々にしてそういう学生というものはイジメの標的になりやすい。日直や掃除当番を押し付けられたり、反論してこないことをいいことに一方的にからかわれたり、弱肉強食な学生生活では控えめな人間とは狩られる格好の獲物である。


 しかし、木下は違った。

 男女問わずよく話かけられ、困りごとがあればこぞってみんな手を差し伸べる、そんなクラス内での守ってあげたくなるマスコット的ポジションを獲得していたからだ。

 髪を脱色し適度に着崩したファッションをしたクラスの中心的人物と思われる少女と

 も仲が良さそうだ。


 なんて感じでつらつらと彼女についての情報を語っているが、どうして俺がこんなに木下について詳しいのかというと、それには理由がある。

 突き抜ける青空が広がる夏の日の早朝、俺と木下はふたりで猫を埋葬し、ふたりでいっしょに遅刻をするという――小さな秘密の共有、そんな出会いをした。


 あれからというもの俺は木下のことが気になって仕方なかった。無意識にその姿を探してしまうくらいに。

 きっとそれは、ふとした瞬間に血で真っ赤に染まった両手を合わせて猫を弔う彼女の姿を思い出してしまうことが原因だろう。そこだけ切り出せば猟奇的であり、そんな彼女を目で追う俺は異常者に分類されかねないが、思い浮かぶ場面がそこなのだからどうしようもない。

 いちおう言っておきたいのだが、俺は血と少女の組み合わせに興奮を覚える性癖は持ち合わせてはいない。

 前に友人に借りたゲームの中にヤンデレ属性のキャラがいたのだが、あろうことかそいつは血塗れになりながら別のヒロインの腹部を掻っ捌くという前代未聞すぎて世界の度肝抜く行動を起こすのだ。そのシーンを見てからというもの血と少女のセットにはトラウマにすらなっている。もし包丁でも持っていたなら気絶をしていたかもしれない。ナイスボート。


 自分とは何ら関係のない猫のために汚れるのも構わずに行動できる彼女の優しさ。

 それが俺の心を掴んで離さないのだ。


 これが恋なのだと気づくのに時間はそういらなかった。

 まさかエネルギーの浪費を冷めた目で見ていた俺が、恋という非生産的で野蛮な行為に陥るとは思ってもなかったことだが、とにかく恋に落ちたのだ。

 好きな相手のことをもっと知りたいというごく当たり前の欲求だ。

 A組とB組の混合授業、移動教室でB組を通るとき、昼休みの廊下、などなど機会があれば木下のことを追い求めてしまう。


 女性は視線に敏感であるというのはテレビでやってたことだが、木下もその例に漏れないようで、暇さえあれば彼女を凝視していた俺に気づくと、人のいい彼女は俺の元へきて世間話をしてくれた。

 そこから俺たちはよく会うようになり、よく話すようになり、そしてよく一緒にいるようになった。友達以上恋人未満という関係だと言ってもいい。


 だからこの先に待っている俺と木下の戦いは必然だったのだろう。

 避けられない運命はこの時に決まったのだから。




「なあ義久、ゲーセン寄っていかないか? 最近チョー面白いアーケードが入荷されたみたいなんだ。なんでもすごい賞をとったゲームを元にしているから覇権は確定。こりゃやらないわけにはいかないっしょ」


 六時間目の授業が終わったので教科書をカバンに詰めて帰り支度をしていると、猿田信夫――通称サルがやってきた。


「悪いなサル、これから木下と遊びに行くんだ」

「えー、またかよ。最近つきあい悪くね? 俺と木下どっちが大事なんだよ」

「そりゃ木下だろ」

「ぐはっ。目から塩分が。し、塩が効きすぎている」

「お前だって俺と女友達だったら後者を選ぶだろ?」

「そんなもんいないからよく分からん! 俺にはお前しかいないんだ義久! だからいっしょにかーえーろーうーよー」

「しがみつくな! うっとうしい! あとふつうに気持ち悪いことを大声で叫ぶな! クラスメートが引いた目で見てるじゃないか!」


 視線が冷たい。

 エアコンの効いていない教室は窓を開けても暑いというのに俺のまわりはひんやりとしていた。


「周りの奴がなんだ! 今は俺だけを見てくれ!」

「お前は、いいかげんにしろ!」

「ぐぼおお」


 アッパー気味な右パンチが顔面をえぐるとサルは机を巻き込みながら吹き飛んでいった。

 しまった。つい反射的に殴ってしまったが、まわりの迷惑を考えていなかった。

 俺は内心で反省しつつ、片付けるのはこいつにとどめを差した後にしようと地べたに這いつくばったままのサルに近づいていく。

 あと、三角関係? 修羅場? とか言った奴でてこい。同じくぶっ飛ばしてやる。


「殴ったね。親父にも殴られたことないのに!」

「ネタが古すぎて俺くらいしか分からんぞそれ。 てかお前、昔から親父さんに殴られているじゃないか。最近は殴る手が痛いって親父さんボクサーグローブ買いに行ってたぞ。どんな頑丈な頭なんだ」

「あれ? そうだっけ? まあいいや。そんなことよりも、そんなことよりもだ。俺との友情よりもあの女を取るんだな! もういい分かった。義久、お前とは絶交だ! 謝ったって許さないんだからな! うわあああああん」


 サルは顔を腕で隠しながら教室を出ていった。

 まあ明日になれば忘れるだろう。あいつはそういうやつだ。鳥頭ならぬ猿頭、いや、これは猿に失礼だな。動物園の猿の方があいつよりも賢いはずだ。

 俺はサルが散らかしていった机を元に戻してから木下が待つ校門前へ向かうことにした。



「悪い、待たせたか」

「ううん、そんなことないよ」


 鞄を肩にかけ、コンクリート塀に背中を預けていた木下は、俺の謝罪に「私も今来たところ」と男女逆なことを言って笑う。

 そしておもむろに鞄の中に手を入れたかと思うと、


「はいどうぞ」

「これはクッキー?」

「私たちのクラスって今日、調理実習だったんだ。それで作ったの」


 透明な袋にこんがりキツネ色のクッキーが入っていた。

 袋を開けると香ばしいバターの香りがする。


「ちゃんと毒見はしてあるから安心して食べてみて」

「そんな心配はしてないよ」


 口に入れるとサクッとほどけ、バターの風味と優しい甘さが広がった。


「あ、普通にウマイわ」

「むう、普通ってなに? 」

「いや、うん。ウマイ。非常においしゅうございます」

「もう引っかかる言い方だなあ」

「女の子に手作りのものを貰うの初めてだからちょっと恥ずかしいんだよ」

「それなら明日から手作りお弁当つくってあげよっか?」


 からかうような木下の言葉に一瞬それはいいかもと思ったが、昼食の度にサルや他のクラスメートから冷やかされることや木下の負担を考えると、その甘い誘惑に従うわけにはいかない。


「そういうのは新婚夫婦がやるものだろ。俺たちにはまだ早い」

「……っ」

「どうした? 」


 俺がきっぱりと断ると木下は顔を赤くして下を向いていた。


「な、なんでもないの。うん、そうだね。まだ早いよね」

「お、おう」

「それじゃ早く行こ。急がないとお店が閉まっちゃうよ」


 勢いよくまくしたててから先へ歩いて行ってしまった木下を不思議に思いながらも俺はあとを追うことにした。



「ごめんね、付き合わせちゃって」

「気にすんなよ。俺も好きで一緒にいるわけだし」

「そう言ってもらえると嬉しいな」

「それで結局なにを買ったんだ?」

「えへへ、それは内緒」


 楽しそうに笑う木下が持っているのは大型書店の手提げ袋。中には数冊の本が入っているのだが俺はその中身がなんのかを知らない。来年は受験もあることだし参考書の類なんだろうなとは思うのだが、それをわざわざ隠す理由がよくわからない。

 うーん、気になる。

 こんなことならマンガコーナーに寄らずにずっと一緒にいるべきだったな。


 俺たちが今いるのは大型複合ビルの三階。

 このビルは街の中心街にありゲームセンター、セレクトショップ、飲食店などが集中しているから暇をつぶすには事欠かず、学生がとりあえずで選ぶ遊び場所と言えばここ――ジャコスが定番だ。

 地下には食品売り場もあるので、学生だけでなく近隣の住民にとってもなくてはならないそれがジャコス。

 ウチの高校から近いので同じ制服の奴らがチラホラと。

 そういやサルの奴、ゲーセンがどうとこ言ってたな。まさかあの後ひとりでゲームしにやってくるなんてことないだろうが。ちょっと見てみるか。


「少しゲームセンターに寄っていいか?」

「え? うんいいけど」


 俺は木下を連れ立ってエスカレーターで二階へと降り立つ。


 目にまぶしいサイケデリックな光が入り乱れるフロアには多種多様なゲームの筐体が点在していた。その一角に人だかりができていた。

 新台のゲームがどうとか言ってたがあそこか? 入荷したばかりだから人が多いな。へー、整理券なんて配布しているのか。そこまでしてみんながやりたがるゲームってのがどんなのか気になるが、……サルの姿はないな。


「戻ろうか」

「遊ばなくていいの? 私の買い物に付き合ってくれたから今度は西辺くんに付き合うよ?」

「ゲームがやりたかったわけじゃない。ちょっと確認したいことがあっただけなんだ。それにせっかく二人で来てるのに画面を見てるだけじゃつまらないし」

「そういってもらえると嬉しいな」


 エスカレーターの前まで戻ってくるとそこにはよく知った人物がちょうど降りていったところだった。


「あ」

「あ」


 俺と木下の声がハモった。


「えーっと知り合い?」

「うん、そう。友達のサキちゃん」


 よく見れば見覚えがあった。いつも木下といっしょにいるギャルっぽい女の子だ。


「西辺くんってサキちゃんと知り合いだったの?」

「ああ、いや。俺が知ってるのはその隣。メガネをかけた方。ウチのクラスの委員長なんだ」


 遅刻の常習犯である俺の天敵と言ってもいい存在だ。

 授業の途中にこっそり後ろの扉を開けて入ろうとしたときの睨みつけはマジで怖い。ギュンッて効果音がつきそうなぐらいめっちゃ見てくる。

 比較的女子にはやわらかい対応なのに俺たち男子にはことのほか厳しく当たるのでわりかし苦手な相手である。


「声かけなくていいの?」


 触らぬ委員長に祟りなし。好き好んで学校外で関りあいたくはない。


「向こうもなんか楽しそうだし邪魔しちゃ悪いでしょ」


 驚くことにエスカレーターを下っていく委員長は笑っていたのだ。いつも俺たちに相対するときは仏頂面(女子に対してはそうでもないが)なのに。それがふつうの女子高生のように笑っているのだ。

 思わず自分の目を疑ってしまった。

 きっとサルに言っても信じてもらえないだろう。


「そっか、そうだよね」


 俺たちは彼女たちに鉢合わせしないように少し時間を潰してからジャコスを出た。


 時刻は午後六時、空はすっかり夕暮れに染まっていた。

 夏は日の入りが遅いと言われるがあと一時間もすれば完全に日が暮れるだろう。

 女の子に夜道を歩かせるわけにはいかないのでもうそろそろ帰らないとまずい。

 時間の猶予はないか。

 でも気持ちを固めるための時間は十分にあった。木下に告白する決意はできている。

 時刻が中途半端なこともあってジャコスから路地を三つほど下ったさきにある公園には人がいなかった。学生や主婦が去り、酔っぱらったサラリーマンたちが現れるまでの空白の時間帯。タイミングとしてはここしかない。


「なあ木下」

「なに? 」

「今日は楽しかったか? 」

「うんとっても。私あまりゲームセンターとか行かないから新鮮だったかな。クレーンゲームで猫のキーホルダーが取れたときは感動したよ」

「それはよかった。実は楽しんでたのは俺だけだったらどうしようかと不安だったんだ」

「いまさらだよ。これまでだってふたりで遊びにいったりとかしたでしょ? 退屈な相手とだったら断っているよ」


 俺は大きく息を吸い込んでから吐き出す。


「こういう風に予防線張るのはちょっと男らしくないな。リスクを最小限に抑えようとするのはさ。すぱっと言うよ。木下、俺はお前が好きだ。だから決闘を申し込む」


「えへへ。こういうのって少し照れるね」


 はにかむ木下は「うん」と言ってから真面目な表情になり、


「その申し出、受け入れます」


 そう言った。

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