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 それはよく晴れた日のことだった。

 もうすぐ夏休みだとクラス内のみんなが浮かれ始める七月下旬、俺――西辺義久は運命の出会いをした。

 運命といっても、何でも叶えてくれる願望器を巡る争いに巻き込まれたわけじゃないし、金髪碧眼の騎士さまに忠誠を誓われたわけでもない。

 ごく普通の黒髪女子高生――木下リリカに恋をしたのだ。


 その日もいつもと変わらず軽い朝食を取ってから、駐車場に止めてあるママチャリのかごに手提げカバンを投げ込んで、代わり映えのしない通学路を自転車で走行していると、見慣れた公園の横に一台の自転車が止められているのが目に入った。

 後輪の泥除けに貼られているのは戦場高校のシール。

 色は青色。

 つまりは俺と同じ二年生である。


 ズボンのポケットからスマホを取りだして時間を確認してみると、時刻は八時二十三分。

 学校のチャイムが鳴るのは八時四十分なので、ここから学校までの距離を考えると、全力で立ちこぎしてようやく遅刻ギリギリかという具合だ。そんな状況なのに、こんなところで呑気に休憩しているのはどんなのんびり屋なのだろうか。


 まあ遅刻しかけている俺がいうことではないが。

 スマホに映るデジタルな数字が三から四に変化するのを眺めながら、一学期からの遅刻の回数と担任教師のぶち切れ具合を考える。

 ごく当たり前の男子高校生として過ごす俺は、世間の学生と同じようによく遅刻をする。別にルールを破りたいというアウトサイダーみたいな考えを持っているわけじゃないし、突っ張ることが男の勲章だなんて思ってもいない。むしろそういうやつらは苦手な分類でもある。盗んだバイクで走り出したり、深夜の校舎に侵入して窓ガラスを破壊したり、水道の蛇口を開けっ放しにしたり、もう少しそのエネルギーを他のことに回せと言いたくなる。


 俺が遅刻をするのはそんなチョイ悪を目指しているのではなく、ただ単純に朝早く起きるのが苦手というだけなのだ。

 週に四度は遅刻をしている俺の内申点は恐らく良くはない。成績は中の上で安定しているためギリギリ相殺できていると思うが、だからといって限度を越えればその限りではないだろう。

 時計はいつの間にか二十五分まで進んでいた。


「よし」


 一回多く遅刻したところで影響はないさ。五十歩百歩って言葉があるんだし一歩の差なんて誤差だろう。

 心の天秤はあっさりと好奇心を満たすことに傾いた。

 ママチャリをシティサイクルに横づけして公園の中に入っていく。


 自分と同類のサボリ仲間――通称サボローはすぐに見つかった。

 住宅地の憩いの場として設置されている、滑り台とブランコと砂場くらいしかないこじんまりとした公園に学生服を着ている人間がいれば嫌でも目に入る。

 サボロー、いや、サボリ少女はこちらに背中を向けて地面にしゃがみ込んでいた。


 ……彼女は何をしているんだろうか。

 想像ではベンチにでも座ってコンビニで買ってきた朝食を食べていたり、文庫本を開いて読書タイム、もしくは惰眠をむさぼっているのかと思っていたのだが、平日の早朝の住宅地にある公園でうら若き女子高生が公園の端っこで座りこんでいるとか尋常な沙汰ではない。

 ――非日常だ。


「こんな場面は企画物の……そ、そうか! そういうことか!」


 脳裏にピンとひらめくものがあった。

 最近は目覚ましい経済発展の影響もあってコンビニの数が急増し、医者の数よりもコンビニの方が多いなんてのは周知の事実だ。当然コンビニには清潔なトイレが備わっている。そんな中で尿意を催した際にわざわざ小汚い公衆トイレを探すやつなど相当な変人くらいだろう。利用者の減ったトイレは公園から消えいくのが定めである。


 前置きを長々と書いたが本題はこれからだ。

 俺の記憶がたしかなら『この場所の近くにコンビニはない』。

 一本道を進んで大通りと合流した後に北へ向かえば青い看板のローソンがあるけど、どうしたって十分はかかる。そしてネットで調べた情報によると女性という物は尿道が短いのであまり我慢できないらしい。

 これらの情報を元に俺は一つの仮説を立ててみた。

 もし通学中の女子高生が突然はげしい尿意に襲われたとしたら? 近くにはコンビニは無くあるのは小さな公園だけ。漏れそうになるのを必死に我慢しながら公園に駆け込むがそこにはあるはずのトイレがない。困った彼女は耐え切れない腹痛にやがて……。


 危ないな。これは危ない。うん、非常に危ない。無防備すぎて心配になるほどだ。見かけたのが俺だったからよかったものの、性欲に振り回される思春期の青少年や脂ぎった中年オヤジだったなら成人指定にされかねない展開になっていたはずだ。

 ほんと俺でよかったよ。

 そういう無駄なエネルギーの消費を冷めた目で見れる俺なら彼女に恥も恐怖も与えずに協力してあげることができる。

 いまだ俺の存在に気づかず、茂みの中でしゃがみ込んだままの少女を驚かせないようそっと忍び足で近づき、


「ティッシュ足りてますか?」

「えっ?」


 努めておだやかな声で話しかける。

 トイレの際は汁を振り飛ばして終わりな男と違って女性は後始末をしなければならない。(もちろん、これもネットで得た知識だ)

 通常のトイレであればトイレットペーパーを使えばいいのだが、ここは開放的な空間だ。そんなものはない。代用できるのはティッシュか葉っぱくらいなもの。もしティッシュの枚数が足りなかった場合は濡れたまま下着を履くことになるのだ。一日中ずっと不快感に襲われるだろう。

 そんな不幸に見舞われることを見過ごすほど俺は冷めてはいなかった。

 だからいつでも差し出せるようティッシュを用意しておいたのだが。


「えっ? えっ? あ、あの?」


 残念なことに彼女は用を足してはいなかった。

 いやここは不幸になる少女がいなかったことを喜んでおくことにしておこう。

 ではトイレじゃなければ何の用なのかといえば、


「それは……猫?」


 しゃがみこんだ彼女の足元に一匹の猫が横たわっていた。

 黒い猫だ。しかしその猫は生きているようには見えなかった

 腹の部分が破けていて内臓が飛び出していた。完全にご臨終です。


「道路にね、倒れていたんだこの子。見ちゃったからには放っておけないでしょう? 」

「それで穴を掘って埋葬しようとしていたのか」

「スコップでもあれば良かったんだけど、なかなか上手くいかなくって」


 彼女が手にしているのは赤いボールペンだ。

 先端の方には土がついている。ずっとこれで掘っていたのか。

 地面には引っ掻いたような筋状のあとが残っている。


「もうすぐチャイムが鳴るぞ」

「あはは、えーっと、西辺くんでいいのかな? たぶん間に合いそうにないから先生に遅れることを伝えておいてくれないかな?」


 彼女はYシャツの左ポケットについていた名札を見てそう言った。

 止めるつもりはないようだ。


「はあ、仕方ないなー」

「ごめんね」


 俺はガシガシと頭を掻くと彼女に背を向けて公園の外に出る。

 そのまま歩いて近くの民家のチャイムを押し、事情を話して園芸用のスコップを借りると再び彼女の元へと戻った。


「あれ、学校に行ったんじゃなかったの?」

「この状況で女の子一人残して行くわけがないだろう。どんな薄情な人間だよそれは。こう見えても俺は仲間内では聖人指定される男だぞ。ちょっとどいててくれ」

「あ、うん。どうぞ」


 手にしたスコップで地面に穴を開けていく。

 園芸用なだけあって簡単に土を掘ることができる。


「それくらいで十分だよ」

「この程度いいのか? まだまだ深く出来るぞ? なんてったって俺はまだ本気を出していないからな」

「その本気はまたの機会にお願いしたいかな」


 ちょうど一匹分が入るくらいまで掘った穴に猫を収め、土をかぶせて埋葬してから、俺たちは手を合わせて黙とうする。


「手伝ってくれてありがとう」

「別にお礼を言われることじゃない。その猫を放っておけなかっただけだ。それに……」

「それに?」

「ま、まずは水道のところへ行かないか? このスコップは借りものだから洗ってから返さなきゃいけないし、お前のその手、真っ赤じゃないか」


 道路からここまで運んできたときについたのだろう。


「あー。うん、そうだね」


 茂みを抜けて水飲み場へ。

 石鹸がないから完全には血を落とすことは出来なかったようだけどだいぶマシにはなっただろう。

 濡れた手を見つめている同級生に俺はティッシュを差し出す。


「これで手を拭いてくれ」


 当初の予定とは違う物を拭くことになったが役目を果たせてティッシュも本望だろう。彼女に先に行っててくれと伝えてから俺は民家へスコップを返しに行った。そして自転車のところへ戻ってくると、黒髪の同級生は律義に俺を待っていた。


「待たせて悪いな」

「ううん、そんなことないよ」

「しっかし、九時かあ。完全な遅刻だな」

「巻き込んじゃってごめんね」

「俺にとっては遅刻なんて慣れっこだよ。遅刻しない日の方が少ないくらい」

「それは慣れちゃダメだよ」

「むしろ、お前の方が大丈夫なのかと心配になるよ。えーっと……」


 男子の胸元には名前の刻まれたプレートを着用することが義務付けられているが女子にはプライバシー保護のため名札はつけられていないのだ。

 露骨なまでの男女不平等。毎日つけるのが面倒だから廃止してほしいのだが、生徒を叱る時に名前が分からないのでは教師としての体面が保てない、とのことで男子たちの訴えは無視されている。というか教師なら生徒の名前を憶えておけよ。


 だから目の前の少女が誰なのかが分からない。

 そんな俺の逡巡が伝わったのか、


「私は二年B組の木下きららだよ」


 そう教えてくれた。


「俺は二年A組の西辺義久。木下の方こそ遅刻して大丈夫なのか?」

「実は初めてなんだ遅刻するの。だからドキドキするかも」

「俺、皆勤賞を狙える人間を初めて見たかも」

「それくらいしか取り柄がないからね。登校中に車にはねられても遅刻しなかったのが自慢だよ」

「それは休んで病院行けよ! その状態で学校行こうとすることに驚きだ!」


 大人しめな印象と違って結構げんきな少女らしい。


「でもそっか隣のクラスだったんだね」

「そうみたいだな。もしかしたら廊下とかですれ違ってたこともあったかもな」

「でも、西辺くんがあのA組の西辺くんだったなんて驚いたよ」

「え、なに? 俺の話がB組に伝わってるの? ちょっとビックリなんだけど。そこまで目立つタイプじゃないんだけどな」

「猿田くんといつも一緒だからうちのクラスではバカ二人組って呼ばれてるよ」

「なんだと! サルのせいで俺までバカ扱いかよ! これでも成績は悪くないってのに!」


 知らない間に風評被害を受けていた。


「学校行ったらまずサルをぶちのめしてやる」

「そういうことしてるからコンビに見られるじゃ……」


 その後、ふたり揃って遅めの登校をして先生にこってり絞られた。

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