「深呼吸したほうがいいと思うよ」
大丈夫、獲物、煙……の三題噺だった気が……。
大丈夫? ときいて返ってくる言葉。本当に大丈夫な人間は、何が? と返すとどこかで聞いた。
でも、それは本当かしら。
どこをどう見たら、何が大丈夫そうに見えたの? と問うてるのではないか。
大丈夫と返す人間も人間で、何が大丈夫か問われる自覚はあるのだ。大丈夫でない自覚があるのだ、と思う。
自分が気にしていることは、言われたくないことは、常に斜め後の視界に消えぬところでちらつく。だから、私がとっさに誰かを攻撃しようと手に取る道具が、頭に浮かぶ言葉が、私の言われたくない言葉なのだ。自分が一番傷つく獲物で、私は他人を傷つける。
楽しい時間は早く終わるものだ。なら、人生をとことん楽しめば、早く終わってくれるのではないかしら。
日々努力するものこそ死に急ぎだといわれる。頑張れば早く死ねるのかしら。
死にたがりほど長生きするそうだから、私は生きたがりになろうと思う。
とても、日々を幸せに生きて、毎日が楽しくてたまらないと踊り続けようと思う。
鼓動が高鳴り、胸は踊り、脈は拍手のように響き渡る、そんな人生を。
だから、俯いて足元ばかりを見ないで、前を見て。蹴躓いて転んで頭でうって死んでしまえるかもしれない。外に出るのだ。不慮の事故で死ねるように。歩き出すのだ。安全な家に引きこもっていてはいけない。自分がごみだからなんだというのだろう。ヒトに迷惑をかけるのと、早死にするのどちらが大事だ。
どうせなら、やりとおしてみせる。私は私が一等大事だ。私は私の望みを一番に叶えてあげたい。動き回るのだ心臓を働かせろ。知識を蓄えろ記憶しろ頭を回せ。酷使すればきっといつか壊れてしまう。壊れないということは、努力が足りぬ。酷使に耐えうる体なぞ持ち合わせていないだろう。ごみに頑丈さなどない。笑え、楽しめ、人様に笑っていただけ。
なんてありがたいのだろう、私は気分がよいだろう、幸せを搾取し続けるのだ、優しさをかじり続けるのだ。ため息などする暇があれば煙を吸え、きっと幾分か幸せが早く訪れる。
「人一人をどうしてそんなに嫌うことができるのかね。愛よりも深いの、それは。好意の反対は無関心だと聞いていたけれど、違うのかい」
私の青臭い馬鹿げた脳内を吐き出し、忘れるために書き殴ったノートを捨て忘れたことを後悔している。