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1 雨の揺りかご       子供と宝石

「その子供は、なんて」

 子供を責めたり、当たり散らすような真似はしていないはずだ。真っ先にそんなことを考えてしまうのは、どこかに、その子供を責めたい気持ちがあるからだろうか。

「……冬樹君は今、誰とも話をしたがらないんだ。無理に聞き出すわけにもいかないしね。後ろの車にいた百合子さんの話では、千可子君は冬樹君を心配しているように見えたそうだ。救急隊員にも状況を説明できていたそうだし」

「俺が聞きましょうか」

「だめだよ」

 即座に否定されて、少しだけ空気が緩む。子供が怖がる、と強面の風貌を千可子たちに茶化された、かつての和やかな時間がよみがえる。見たくない記憶を押しとどめるように、眉間を爪でぐりぐりと押した。舟見も思い直したように淡々とした様子で続ける。

「まあ、本来は冬樹君が乗っていた車だからね。冬樹君について心配な事柄とか、何かに気付いて千可子君があの行動を取ったのだとしたら、事故とは関係なくても注意は必要かもしれないね」

「後ろの車に乗っていた結城家の二人は、何か知らないんですか」

 急かすような柳川に、舟見は口ひげのあたりを掻きながら、困ったような声を出した。

「それが、結城さんは、ちょっと難しい人たちなんだよね。緋呂子さんはその、目下だと思う相手とは気安く話をしなくて、私と話すのも抵抗があるようなんだ」

「目下……?」

「そんな緋呂子さんの孫娘、百合子さんは、みだりに男性と口をきいてはならないらしい。さっきの百合子さんの話も、緋呂子さんを通じて警察が聞いた話だよ。警察も、あの二人から話を聞くのは骨が折れたみたいだよ」

 舟見がため息をつくと、柳川も小さく息を吐いた。

 曽我家と結城家が、わざわざ霜竹の山奥から箱野にある舟見の屋敷に向かっていたのは、縁談絡みの話し合いが目的だったという。親戚とはいえ、ほぼ無関係な舟見が絡んでいるのは、そこに宝石のやり取りが含まれているからだろう。

「一応は、縁談という話でしたね。家同士で揉め事でも?」

「いやまあ、縁談というか……」

 舟見の口ぶりに、厄介事の匂いを感じた柳川が眉を寄せる。

「結城緋呂子さんは、反故にされた婚約を果たすよう、曽我家に求めていたそうだ。二十年くらい前の話みたいだけど、曽我サチさんと結城緋呂子さんは、お互いの子供……曽我家の長男である政一さんと、緋呂子さんの娘である紅葉さんを結婚させる約束をしていたそうだよ」

「そんなものは」

「法的になんの効力も持たないから、曽我政一さんは従わずに私の姉と結婚したんだけど、そのせいで、紅葉さんは別の男性と霜竹を出ていってしまった。しばらくして紅葉さんは娘の百合子さんを連れて戻ってきたけれど、百合子さんを置いていなくなってしまった」

「それを、どうしろと?」

「約束は果たすべきだ。果たせないなら、当時のものを返却してもらいたい。……それが結城緋呂子さんの主張だよ。両家の間で、結納らしきものを交わしていたそうだ」

「……宝石ですか」

それが本当の話ならば、曽我家が慰謝料やら結納の宝石やらを、その結城緋呂子という婆さんに渡せば話は済んでいた。土地や家の風習は知らないが、難しい話とも思えない。舟見が苦笑しながら言った。

「昔は結城家も大きい家だったそうなんだけど、今はもう、緋呂子さんと孫の百合子さんしかいない。緋呂子さんとしては、慰謝料や結納の品より、曽我家と親戚関係を結ぶことを望んでいたみたいだ。だから今まで、約束を果たすことを強く求めていた」

「だからといっても、政一氏が結婚した時点で、諦めるものでは?」

「姉がはじめに生んだ子が、女の子だったのを知って、緋呂子さんはとんでもない提案をしてきた。男を産めないなら離婚させて、孫の百合子さんが十六になるのを待って子供を産ませればいい、と」

 そう言った舟見の表情が一瞬歪み、打ち消すように目を伏せる。理解できない理屈に唖然としていると、肩をすくめて舟見が続けた。

「難しいけれど、本気でそういうふうに考える人も存在するんだよ。ところが、しばらくして冬樹君が生まれた」

 舟見は気を取り直すように明るい声を出した。生まれた子供は、そんな事情を理解しているのだろうか。

「それでも諦めなかったんですか、あっちは」

 柳川が呆れたような声を出すと、舟見は寂しそうに肯いた。

「私の姉、つまり曽我政一さんの妻が五年前に亡くなって、孫の百合子さんを後妻にどうかと提案してきた。または冬樹君との婚約はどうか、とね。百合子さんは今、十九歳だ」

「無茶苦茶な話ですね。曽我家がとっとと結納の品を突っ返せばよかった」

 孫娘を使って婚約を果たそうとする結城緋呂子という人物が、理解できなかった。舟見も困ったように息を吐く。

「今回、政一さんが百合子さんと再婚するか、結納の品を返却するかを、正式に決める予定だった」

「そこまでこだわるってことは、結納の品は、そこそこ価値のある宝石なんですね」

 柳川が呆れたような声を出すと、舟見は考えるような顔をしながら言った。

「5カラットのモゴクのルビーと、同じく5カラットのカシミールサファイア、らしい。私は見ていないから、価値のあるなしはわからない。今回、それが結城家に返還される場合は、売却したいという話だった」

「それで有賀と、……その小野坂氏も呼ばれたんですね」

「うん。結論によっては宝石の鑑定とか査定も兼ねた話し合いになるから、事情を話して副店長の小野坂君に協力してもらうことにしたんだ」

 なるほど、と肯いて目の前のカップに口をつける。宝石に興味はそれほどないが、モゴクだのカシミールだのは、とにかく希少な宝石扱いになると聞いた覚えはあった。

「だいたいのことは私もできるけど、アナログな鑑別では判定に限界があるし、最終的にお金にするなら、直接買い手と話すのが早いと思ったんだ。分析機器のある機関に回すと費用がかさむし、早くお金に換えるなら小野坂君を紹介したほうがいいと思って」

「それで、その宝石とやらは、結局どうなるんですか」

 こんな事態で、話は振り出しに戻ったのかもしれないが、逆に状況は明瞭になっている。問題も、決着せざるを得ないだろう。

「それなんだけどね、あの日、曽我さんたちの所持品に、ルビーもサファイアもなかった。事故の直後に、小野坂君も注意して確認したそうなんだけど、セフィーロの車内には石を収納していたと思われるケースもなかった」

「助かった子供が、持っていたりはしなかったんですか」

「いや、冬樹君は『そんなのはない』って警察に言った。だとしたら、曽我家は石を持参していなかった……つまり、返還の意思がなかったのだとも解釈できる。それなら、政一さんは百合子さんとの縁談を決めるつもりだったのか」

「……まさか」

「縁談もなし、石も返さないというなら、あとはお金で解決かな」

「それなら、はじめから宝石商なんて呼びませんね」

そう言って柳川がカップを置く。舟見は困ったように眉を寄せた。

「結城緋呂子さんは、今回の話を『両家の縁談についての話し合い』と言ってたんだよね。話がまとまったら、婚約指輪の相談をする予定だったと」

「話がまとまりかけていたような言いようですね」

「今も結城緋呂子さんは、曽我家が返還すべき石を持参していなかったことで、曽我家は結城百合子さんとの縁談を進める予定だった、と主張しているんだ」

「仮にそうだったとしても、もう当の政一氏が」

「今、結城家が望んでいるのは、息子の冬樹君との婚約だよ。緋呂子さんは今回のことで、曽我家の遺産がもらえると思ってるのか、私が冬樹君を引き取ることに反対している」

「……なにもかも、ありえませんよ」

「そうは言ってみたんだけど、緋呂子さんが聞く耳を持たないんだよね」

 疲れたように舟見がため息をついた。結城緋呂子がどれだけデタラメな理屈を並べても、動かせないものはある。舟見の説明は理解しているはずだ。

 仮に婚約が成立していたとしても、遺言書もなしに財産分与は認められない。結城家が資産を受け継ぐ可能性があるのは、生き残った曽我家の子供と、結城家の孫娘の婚姻関係が成立した場合だけだ。

「あとは、特別縁故者として、財産分与の申し立てをするつもりとか……しかしあれは、相続人がいない場合に限られるし、仮にいなくても、故人と生計を同じくしていたとか、療養介護に勤めていた人間しか……」

 言いながら柳川が考えこむ。その話も、相続人不在という前提があって、はじめて出てくる選択肢であり、舟見の存在や、曽我家の子供が生きているかぎりは、ありえない話だ。

 ふと気持ちの悪い考えが頭をよぎる。本来、という言葉は適切ではないが、ささやかな変事がなければ、曽我家全員が死んでいたはずだった。もし、それさえなかったら。

 考えても意味のない、考えてはいけない思考に沈みかける。あの車に、千可子ではなく、曽我家の子供が乗っていたなら。

 仮に事故で曽我家が全滅していたなら、舟見一人がどうこうしようとしても、結城家や霜竹の住民たちのいいようにされていたかもしれない。舟見が曽我家の葬儀を出した際も、他所者が仕切ったことで不興を買ったらしく、霜竹では非難囂々だったという。

 閉鎖的な土地柄の奇妙な連帯に、善悪の判断はそれほど力を持たない。それを十分に心得ている結城家の目前で、あの事故が起きた。

「柳川君」

 考えていることを見透かしたように、舟見が険しい顔をした。危険な思考を追い出し、頭を下げると、柳川は絞り出すように言った。

「……とりあえず、俺はその結城家の人間とは、顔を合わせないほうがよさそうです」

 自分が関わっても、今は余計な揉め事が増えるだけだろう。千可子が何を言ったのかはわからないが、舟見がいるかぎり、その子供がいいようにされることはないはずだ。

「こんな状況だから正式な話はしていないし、冬樹君次第だけど、未成年後見人として、私が法定代理人になるつもりだ。結城さんに相続の手続きで丸めこまれることはないよ。ただ、冬樹君に婚約を迫ろうとするのが心配だよ。まだ六年生なんだから」

「その子供は今、どんな具合ですか」

「部屋から出ようとしないけど、落ち着いてはいるよ。今は感情が麻痺してるみたいだ。千鶴君もそんな感じだし、あの子たちの緊張が解けるまでは、話を進めないつもりだよ」

 舟見の言葉に黙って肯く。屋敷には結城緋呂子と孫の百合子だけでなく、宝石商の小野坂と有賀も滞在していた。さらに使用人の葉山や、千可子の妹である千鶴もいるが、曽我冬樹は、見知らぬ人間しかいないこの屋敷で、誰とも話そうとせず、一人で部屋にいる。

 舟見が柳川の目を見た。

「柳川君、君は、大丈夫なのかい」

 返す言葉が見つからず、沈黙が流れる。それでも息を大きく吸い、答えた。

「……なるようになります」

「今回のことは、本当にすまなかった。私がこんなことを千可子君に頼まなければ」

「それは、考えてもしかたのないことですから」

 頭を下げようとする舟見を制し、ため息をつかないように息を止める。そういうことを考えたくないし、聞きたくない。

 目元を押さえる舟見を見ないように立ち上がり、窓の外を見た。雨は強くなっている。自分の痛覚のようなものを、雨音が鈍らせてくれているように思えて、有り難かった。

 南側にあるこの部屋も、今は暗く、明かりをつけても重い空気は変わらなかった。窓のそばに立つくぬぎの木が、さらに暗さを増している。

「あいつのことも頼めますか。少しだけ、時間が欲しいんです」

 あいつ、と千鶴の部屋がある二階の方向に目をやった。今は誰と話しても、返す言葉を考えるのが苦痛で、人を気遣う余裕は残っていない。友人である有賀にも、姉を取り上げられたうえに、一人になった妹の千鶴にも。

「ああ、千鶴君には、私ができるだけのことをするよ。もちろん冬樹君にも」

 目元を拭った舟見が顔を上げる。柳川はドアに近付き手を掛けると、小さく言った。

「すみません。みんな面倒なことになってるのに」

「だからって、君が辛くないわけないじゃないか」

 悲しげな目を向ける舟見に頭を下げると、ドアを開けてホールに出る。そのまま誰とも顔を合わせずにエントランスを抜け、柳川は舟見の屋敷を後にした。濡れるのも構わず、そのまま雨のなかを歩いていく。

 空の色は重く、淡い色の紫陽花が雨の中に光って見えた。


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