99:最後の死闘(後編)
大女王の片方の翅と魔法を使う複眼を封じた。しかし、まだ終わらない。
「人ごときが……許さぬ、許さぬ!」
物理攻撃に移った女王は、今度は異常なスピードで動き始めた。
手足の内中央の一対はまだ目で追える動きだ。しかし脚の回し蹴り、そして片腕のパンチが速い! 何とか棒を回しながらしのぎ続けたが、当たらなくともその衝撃波だけで物を切り裂けそうな勢いに、なかなかこちらから攻撃に移れない。
躱すばかりではダメなのはわかっていても……私にはまだ打って出て反撃を受ける事への恐れがあったのかもしれない。
すこし息切れして来て私の反応が遅れた。一番大きな、鎌のような足の連続蹴りをかわし損ねた。
一秒にも満たないほんの刹那の時間に、私は死を覚悟した。
なのに私はダメージを受けなかった。
目の前に大きな光る図形が広がって盾のように私を守っていたから。
これは……いつものあのルピアの防御陣。止めるだけじゃなくて、代わりにいつも自分が攻撃を受けていた身代わりの盾。ってことは……。
視界の端に地面に崩れ落ちる姿が見えた。
「ルピアっ!!」
やっぱ馬鹿だお前! そんなヨロヨロなのに身代わりを使うなんて!
ぷちん。頭の中でそんな音が聞こえた気がする。
キレたぞ私は。ゾンゲがバーサーカーモードになる気持ちがわかった。僅かに残っていた恐れや不安なんて数千億光年彼方に飛んで行った。
棒を投げ捨てて、私は素手で女王の懐に入った。
もう相手が虫であろうと何でもいい!
「うおおおっ!」
節のある昆虫の足とドレスの胸元を掴み、背負投げ。。
背中の固い翅がぐしゃと嫌な音をたて、女王が地面に叩きつけられた。すかさずひっくり返して押さえ込む。虫って背中側から押さえると、足が届かなくて抵抗出来ないからな。
と、ここではたと我に返った。
ええと。勢いで押さえ込んだのはいいけど、この後どうするんだよ私。
「胸の、中央……あたり……女王の、核が……そこ、を」
ルピアのかすれた声。
女王を押さえ込んだまま、私が拳を振り上げたその時。
きいぃんと空気を震わせて女王がヴァファム特有のあの声をあげた。
「仲間を呼んだのか?」
くそう、沢山呼ばれたらまた……だが違ったようだ。
「いいえ逆です。危ないから来てはいけませんと子供達に伝えたのです」
こんな状況なのに、なぜそんなに落ち着いた口調なのだろう。
「覚悟を決めたか」
そう言った直後、うつ伏せのままの女王がくすくすと笑い声を上げ始めた。
「覚悟? ふふふ、おかしなことを」
もはや逃げも出来ないくせに、随分と余裕のある声だな。
そして女王が突然語り始めた。
「我等ヴァファムは第六の種族などではない。我等こそ力の石。這いずり、四足で歩き、言葉も持たなかった獣達に文明と言葉を与えたもの。謂わば我等はこの世界の創造主であるというのに。その正しき愛を受け入れぬ世界に再び機会を与えてやったのに。猫の王よ、お前の一族、そしてこの体の主だけはそのことを知っていた。だから封じられていた私を放ってしまったのではなかったのか? そして異界の女よ、お前も。お前達の祖も我等であったのだぞ? お前は神を殺すというのか」
何を言ってる?
創造主? 神だと? 何のことだ。
それに……宿主が大女王を放ったって……?
ふいに自分の周りの景色が変わったのに気がついた。
天井も床も眩しいほど白く、宮殿の様な彫刻のある柱が見える。この場所は知ってる。ええと……そうだ。デザールの城の私が最初に目覚めた部屋?
そういえば女王はセープの最上階から一瞬で表に私達共々移動したほどの事が出来たんだ。ひょっとして私は海さえ超えて、デザールまで戻されたというのか?
いや、それは違うみたいだ。押さえ込んだままの女王の感触はある。ルピアが見えないが傍にいる気配を微かに感じる。
目の前を白いドレスの美しい女性が横切っていった。
白い肌、金色の髪、緑の瞳……あの大女王に寄生されていた女性だと瞬時にわかった。片手に大きな古びた本、もう片方の手に短剣を持っている。目の前には石の台の上に置かれた飾り彫りの施された金属製の箱。
ここは神殿。神を、神から授かった力の石を祀る場所。
柱の陰にもう一人いる? 子供?
本の文字、箱の中の虹色に光る石のようなもの、街、人、空、海、王城……そして金色の髪の子供の泣き顔。
くるくると目の前の景色が変わっていく。それは早回しの映像のように切り替わっていくのに、なぜか私には一つ一つが理解できた。
女性はデザールの前の女王。ルピアの母親。
歴史を研究するうち、彼女は世界の真実を知ってしまった。祭壇に祀られているのは力の石として伝わるものの入った小箱。
だが実際は何百年か前に魔法によって封印されていただけで、死んでいなかったヴァファムの大女王。それをデザールの女王は知的好奇心から確かめるだけのつもりだったのだ。しかし時が経ち、先人の懸けた封印の魔法も弱まっていた中、彼女は大女王に寄生されてしまった。その様子を陰で見ていたのは、まだ小さかったルピアだけ。
大女王もまた弱っていたため、すぐには誰もデザールの女王が寄生されているのに気が付かなかった。ルピアを除いては……大女王は徐々にデザール女王の人格を乗っ取り、数を増すために、同じ様に封じられていたオスの第一階級が祀られているここセープの神殿を目指して、海を渡ってきたのだ。
宿主であるデザールの王族にのみ伝わる召喚の魔法で、異世界の知識を持込み、武器を手にして全世界に広がったヴァファム――――。
私になぜそんな事までわかるのだろうか。まるで誰かの記憶をそのまま刷り込まれたみたいだ。
大女王に見せられているのか?
セープの城の十二階には神が祀られていたのではなかったのか?
デザールに祀られていたのも大女王だったというのか?
神殿に祀るのは神。だったら……。
「マユカっ!」
ルピアの声と共に目の前に光る図形が広がり、ハッとすると、何か細長いものが私の顔近くに伸びていた。
「どこまでも邪魔をする。新しい体を得られるところだったのに」
その言葉に、大女王に危うく寄生されかけたのだと気がついたとき、心底ぞっとした。ルピアがそれを跳ね返してくれたのだ。
「つぁ……」
起き上がりかけたルピアが再び倒れる。ただでさえもう立てないくらいボロボロになってたのに……。
「マユカ……はや、く、大女王を……」
倒れたままこっちに手をのばすルピアが痛々しすぎる。
「真実を知っても私を殺せるのですか?」
やや余裕の声で大女王が言う。
面白くないな。全てを知れば私の気持ちを変えられるとでも思ったのか? 全くの逆効果だったな!
「ああ。殺せるな。もし神だったら何だ?」
「何だとは……」
私の言葉に、驚いたようにビクリと身を震わせた女王。
さっき見た中で私が唯一心動かされたもの。それは小さな男の子の泣き顔。金色の髪の緑の目をした子供。それはそこに倒れている大事な大事な私の猫ちゃん!
「言ったはずだ、世界がどうのとかそんなのはどうでもいいと。私は一番大事な男を泣かせたお前が憎いだけだと!」
拳を握り、振り上げ、渾身の気をこめる。拳が熱い。
同時に大女王の身をくるんと返して振り下ろす。
大女王は声もあげなかった。
めきっと何か薄い板を突き破ったような、そんな音が聞こえた。甲殻を突き破った音かもしれない。そして生温かい嫌な感触。手に当たる固いもの。
手を引き抜くと、金色に光っている私の拳の中に、虹色に光る小さな塊。それは虫のようにも石のようにも見えた。
これが大女王の核なのか?
「マユカ……それを壊し……て」
ルピアが言う。
ああ。終わりにしよう。さようなら、大女王。
私は虹色の塊を握りつぶす。
私の手の指の隙間からばらばらと地面に落ちていく欠片は、虹色の光を失う。
上に伸ばされていた大女王の腕が地に落ちた。
同時に響き渡る音。キーンと空気を震わせ、大地を揺らし、ものすごい音の波が襲って来た。堪らず私は耳を塞ぎ、倒れたままのルピアに覆いかぶさった。
この声は大女王じゃない。
この世界にいる全てのヴァファム達の声。大女王の消失を嘆き悲しむ声。
しばらくして音が収まり、今度は恐ろしいほどの静けさが訪れた。ただ聞こえるのは自分と、抱きしめているルピアの息遣いだけ。
「終わったのか?」
「うん……おわ……った」
弱々しく頷いたルピア。夜目に見ても血に汚れたその顔は蒼白だ。抱き起してまた軽くキスしておく。なんだかもう恥ずかしくもない。
「ルピア、頑張ったな」
「マユ、カも……」
ビカビカ光ってた自分が、元の見慣れた皮の鎧に戻ってるのに気がついた。これは本当に御役目が終わったってことなのかな。
なんか最後はあっけなかったな。城の中は片付いたかな? 早くルピアを診てやって欲しいんだが……
その時だった。
「あ……」
静寂の中、聞こえたのは微かな、小さな小さな声。かさ、と何かが動く音。
極力見無いよう、ルピアに見せないようにしていた大女王の方から。
まさか、まだ生きてる?
そっと伺うと、微かに大女王が動いていた。
再び身構えた私とルピアだったが、もう一度聞こえた声に耳を疑った。
大女王が呼んだ名前は―――
「ルピ……ア」
「え?」
人の形状を残した白い細い手が、何かを探るように弱々しく動いている。
慌てて二人で駆け寄る。
大女王の姿は悲惨だった。不思議と血は出ていないものの、胸に大穴を開けた姿は生きていることさえ怪しい。これは私がやったのだ。
もう母親の部分は生きていないとルピアは言ってたのに。まだ宿主の意識が残っていたのだとしたら。私は、私は……
ルピアが覗き込み、その白い手を握ると、月の光に照らされた片方だけの緑の瞳が微笑むように細められた。
「お母様?」
「ルピ……ア、ごめ……ん……ね」
最後の力を振り絞ったような声の後、再び閉じられた目。
「お母様、お母様っ!」
ルピアが必死に呼びかけても、もう二度とその目は開くことはなく、手はするりとルピアの手をすり抜けて地面に落ちた。
「わああああぁ――――!!」
私は小さな子供のように声を上げて泣き崩れたルピアを、後ろから抱きしめることしか出来なかった。
私はこの手でルピアの母の命を断ったのだから。
自分を呪い殺したいほどの罪悪感。これでは私は両親を殺した男と、大女王と同じじゃないか!
「すまない……すまない、ルピア……」
涙が溢れて、うまく言葉にならない。私も一緒に泣き崩れた。自分が情けなくて、許せなくて。
どのくらい二人で泣いていただろうか。ほんの短い間だったようにも、永遠に思えるほど長い時間だったようにも思えた。
先によろよろと立ち上がったのはルピアだった。
「マユカ、泣かないで。本当に、本当にありがとう……最後に一瞬でも母を取り戻してくれて。マユカは、おまわりさんは間に合ったんだよ……本当にありがとう」
自分を呪い殺したいほどだった私は、その言葉にどれほど救われただろうか。今この場だけでなく、私が長年囚われ続けてきた、全ての枷を解く言葉だったと気がついたのはもっと後のことだ。




