85:後戻り不可
緑濃い山々に堅牢に守られ、大きな川が何本も流れる盆地。そんな豊かな地には、この国で最大の都市が広がっている。
鳥族、魚族を凌ぐこの大陸最大の勢力である蛇族の国セープ。その首都がここセムである。
山道を越えてきて、町を見下ろす高台で足を止める。ここから見るとそこそこ大きな道路脇の街路樹だろう緑の帯と、それで綺麗に区画分けされた整然とした街並が良くわかる。中央から放射線状に広がる様は、遠めに見るとビスケットのようにも蜘蛛の巣のようにも見えた。かなり計画的に造られた都市だとわかるな。
蜘蛛の巣の中央は周囲から一際浮いた高く大きな建造物……王城だ。1
「……久しぶりだな」
リシュルが小さく呟いた。
あの城で生まれ育った王子様だもんな。帰って来たと言えないのがキツイだろう。彼の両親も役付きに寄生されていると言っていた。自分の家と家族が別物になってるなんて、どんなに辛いことだろうか。他のヴァファムに寄生されていた人達の家族もそうであったとはいえ、相手が違う。
「リシュル、両親と戦う事になるかもしれないが……」
「覚悟は決めている。気にしないでくれ」
人のことは絶対に言えないが、リシュルもわりと無表情だ。内心穏やかで無いだろうに、顔には出さない。それゆえに余計に心が痛い。
「父はともかく母が素の状態でも異常に強い。恐らく大女王の最側近にいる。気をつけて欲しい」
へ、へえ~。そうかお后様は王様より強いんだ。聞くところによると、セープ王は即側室を抱えるでもなく王妃一筋で、リシュルの兄弟はよくある腹違いの兄弟ではなく、全員王妃との間の子だという。ということは王妃は七人も子供を産んだお母さんだ。それで強いって……なんか想像するだけで怖いな。
「スイ君の師匠ももちろん強いんだろう?」
いるのかいないのかわからないほど大人しい白蛇ちゃんは、声を掛けるとこくりと頷いた。
歳上でも体つきがそう変わらないイーアと並んで横にくっつかれておると、学校の先生にでもなったような気がする。本当に可愛らしい子だ。これでもこの国の武術大会の覇者なのだから、戦力には違いない。
「師匠はとても強いです。僕と同じで速さはそれほどでも無いのが救いですが、師匠もまた第一階級に憑かれていて、女王の近くにいるはずです。完全な先祖返りでは無くても、全身が硬い鱗で覆われているので、こちらの攻撃はあまり効きません」
ううっ、また蛇かぁ……というか、これから戦うのはほぼ全員蛇族なんだったな。いい、とりあえず顔が蛇じゃなかったら。
さて、それでは行こうか。
「ルピア、そろそろ下りだ。自分で歩いてもらえるか? いい加減重い」
山道序盤で早くもへばった体力の無いルピアは、猫になってお馴染み赤ちゃんスリングで楽チンに運ばれて来た。途中ゾンゲが代わってくれたものの、最初の子猫姿じゃなくて立派な成獣なものだから長時間だと結構肩にズシンと来る。これ、猫にゃんでルピアじゃなかったら我慢出来無いだろうな。
山の途中までゲン達に幌馬車で送ってもらい、最後の山道は歩いて来た。
それぞれ手には今まで使ってきて随分慣れた武器。
スレカイアに曲げられてしまった突っ張り棒は、ルピアが魔法で直してくれた。戦力的には微妙でも、正直故郷との繋がりを絶たれなかった事はすごく嬉しい。
「マユカのお守りみたいなものだものね」
「ああ」
人型に戻ったルピアも含め、私達八人は目的地セムの町に下りた。
石造りの堅牢な建物の並ぶセムの町。今まで見て来た町よりも進んだ都会に見えた。しかし、やはりヴァファムの支配下にあるのがよくわかる。活気がなく、ゴミ一つ無く清潔で、寒々しくすらある。
一番の大通りで静かな町を少し進んだ頃。
「女王様ノトコロ、行カセナイ!」
あちこちからものすごい数の町の住人が出て来た。全員下っ端に寄生されているのは額の印と虚ろな目つきで一見してわかる。流石に年寄りや幼児はいないものの、他の町よりも女子供も関係なく寄生しているのか、年恰好もまちまちだ。
その数は千ではきくまい。通りを埋め尽くすほどの人数。
「すんなり城まで行けるとは思っていなかったが、流石に数が多いな」
「ねえ、マユカ。ゲン達もせめて町を通るまで一緒でも良かったんじゃ……」
ミーアの意見は尤もだ。だが、これは計算済みだ。ちゃんとルピアとは打ち合わせしてある。
「大丈夫、僕が防御陣で囲むから、出来るだけ下っ端の相手をせずに集まったまま真っ直ぐに城に向かって走れ」
ルピアが皆に指示を出す。
最初の方でも町でルピアの防御陣で守ってもらって群衆の中を通り抜けた事がある。魔力と体力が回復した今、ルピアにはこのくらいは簡単に出来るらしい。
私が何のためにこれだけの人数に絞ったか。それは、城に着くまでルピアにあまり負担をかけたく無かったからだ。大人数も可能だそうだが、この人数なら負担は少ないだろう。
そして、確かに下っ端相手くらいなら、戦いながら進んでもこちらはそうダメージを受けない。だが相手の人数が多すぎる。もし一緒に居残り組みに来てもらって、私達だけが城に行くにしても、後に残された彼等は湯水のように湧いてくる相手に、次第に疲弊するだろう。それでは第二陣として来てもらうという当初の目的が破綻する。
一応考えているんだぞ、私も。
「行くよ!」
ルピアの声で仄かに光る図形が広がり、私達を傘のように包む。
「走れ!」
一斉にかかってきた武器を持った市民の中を、私達は構わずに走る。出来るだけ早く、そして纏ったまま。
ルピアの魔法陣に当たった下っ端達は後ろに飛び、するすると抵抗も無く私達は進めた。これはあれだ、スイが使っていた攻撃を受け流す皮膜のようなもの。
そして私達七人とスイ少年の八人は、ついにセープの王城前に辿り着いた。
「大丈夫か、ルピア」
「う、うん、へい……き」
ぜえぜえ言ってるのは、魔力を使いすぎてとかではなく、私達に合わせて全力疾走で走ってきたからだろう。こいつホントにスタミナが無いからなぁ。
城門の前まで来たら、下っ端の姿は見えなくなった。上下関係が非常に厳しいヴァファムだ。おそらく下層の者は大女王に近づけないのだろう。何よりこの雰囲気……。
「気持ち悪いくらい異様な気配だな」
いつもは静かに黙っているゾンゲが毛を逆立てて肘を抱いている。
確かに、ただの人間の私にもわかる濃密な気配。なんとも言いようの無い、殺気でも敵意でもない、このぞっとする気配。毒々しいとでも言おうか。イメージとしては触れれば爛れる毒のような、それとも甘い匂いを漂わせて虫を誘う食虫植物のような? ……虫の大本営で食虫植物って変かもしれないが、なんとなくそんな感じだ。
目の前に聳える城は、ここまでもそうだったように、見た目としてはアジアの城という風情だ。その中でも特に日本の城に似ている。反り返った屋根とか下広がりで上の方に行くほど小さくなっていくフォルムとか。とはいえ全体に大きな切り出しレンガのようなもので造られていて、日本建築のような屋根の裏側にまで飾り細工がしてあるような繊細さは無い。十階建てくらいかな、かなり高層の建物であり大きい。
もう一つ日本の城と違うのが石垣の上に建っているのでなく平地に建っていて周りを高い城壁に囲まれていることだ。これも石積みの丈夫そうな壁。最上部は忍返しのように尖った金属製の柵になっている。
大通りの突き当たり、目の前には大きなアーチ型の城門。扉は閉されていて、門番もいないし、閂らしきものも見えない。
ここを入ってしまえばもう後戻りは出来無い。大女王を何とかするまで―――
一体この先何人の役付きと戦わなければいけないかもわからないが、ただ一つ言える事は、休む間もない連戦であろうことだけだ。
「ルピア、魔力補給しておこうか」
「わーい! マユカから言ってくれるなんて初めてじゃないか?」
暢気に喜んで折角の綺麗な顔をタコチューにして待ち構えているルピアに、軽く唇を触れるだけのキス。一秒もなかったな、たぶん。
「えー? これだけ?」
「今はな。また後で。見ろ、周りを……」
身を乗り出してガン見すること無いじゃないか、グイル、ゾンゲ、ミーア。リシュルはイーアとスイのチビ二人を抱え込んで目を覆ってるし。
「僕は今更恥ずかしくないぞ!」
「いや、私が恥ずかしい」
そんな一息ついた時間は長くは続かなかった。
危険。
何かが頭に閃いたその瞬間、ぐいとルピアに引き寄せられた。
視界の端に銀色に輝く光を見た気がする。そしてひゅん、という風を切る気配も。
頭上でじゃら、と涼やかな音がした。
「よく来た。だがここまでだ」
低い男の声。
「……父上……!」
リシュルが声とともに見上げた方を、私もそろりと見ると、城門の上に誰か立っていた。
男だ。細身でそう大柄では無いが、見ただけで身の軽そうな髪の長い男。手には銀色に光る長い物。あれは……中国武道で使う九節鞭?
「我が名はメキナレア。大女王様の元には行かせぬ」
ふわりと重さも感じさせないほど静かに男は目の前に降りてきた。
刑事スキャン始動。
身長およそ百七十五~八センチ、体重は六十キロほどだろうか、非常に細身。推定年齢四十から四十五。色白。背中の真ん中ほどまであるストレートの長い髪は鮮やかな藤色。刺すような視線の切れ長の目は金色。どうでもいいがかなりの美形。というか……リシュルがそのまま歳をとったような顔。
「レアということは第二階級か。宿主はリシュルの父ちゃん?」
「ああ、まさか一番最初に出てくるとは思わなかったが」
う、うん。王様が一番手って、扱い軽くないか?
まあいい。まずはコイツを倒し、中に入る!




