82:二人で一人
一対一でやろうと言った以上はやらねばならん。
ルピアは余程ヤバくなったら防御魔法くらいは使ってくれるだろうが、それもあまり期待したくない。というより無理して欲しく無い。せっかく元気になったのに、また代わりにダメージを受ける身代わりという形の防御はやってほしくない。彼が痛いのは嫌だ。
「僕は大丈夫だ、気にしないで」
ルピアがまた勝手に頭の中を読んだのか、後ろで言ってる。そう言っても気にするに決まっているだろう。もうあんなに弱った姿を見たくない。
少し意識が逸れたのがいけなかった。
びゅん、と風を切る音と共に鈍く光る金属の固まりが襲って来た。慌てて棒で防御して直接攻撃は受けなかった。しかし、本来は武器では無い突っ張り棒。めきっという嫌な音をたてて九の字に曲がってしまった。
折角の日本の形見が……!
それでも止まってはいられない。武器を振り下ろした直後が狙い目! 足払いを狙って右足を飛ばしたが、スレカは僅かに体勢を崩しただけで持ちこたえた。それどころか斧を持った方の手とは逆の、素手の方の裏拳が来て私の頬を強かに打ちつけた。
目の前が真っ白になるくらい痛かったが、命懸けの時はそれどころでない。無意識に回し蹴りに入っていた。脇腹に直撃をくらわした蹴りも、やはり衝撃を吸収されたようにダメージは与えられなかった。また体をくねらせて逃げたみたいだ。
一旦離れる。
くう……痛い! 幾ら体を鍛錬していても、武道においては顔は攻撃不可なので鍛えようも無い。鉄仮面なんて言われてても、表情が変わらないだけで硬いわけじゃないし。頬骨や歯は大丈夫みたいだが、つぅと顎に温かいものが流れるのがわかった。唇が切れたみたいだ。口の中も血の味がする。頬の内側が傷ついたんだろう。
私の手には無残に九の字に折れた突っ張り棒。
視界の端にルピアがリシュル達に抑えられているのが見える。
「マユカっ! 血が!」
「大丈夫だ。来るな、ルピア」
いつも思うがヴァファムの幹部は視野が狭いのが多い。私だけを見ているのか他が動いても知らん顔だ。
「すまんな。女の顔に傷をつけるのは本意では無い。それでも泣きも怒りもせんのか。面白く無いな」
「蛇のその顔で言われたくない。これでも怒ってる」
お行儀が悪いが、ぺっ、と血の混じった唾を吐き出した。
私が悲しく思い、怒っているのは顔を殴られたからじゃない。練習中に床や畳に打ち付けたり、竹刀が当ったりしてこんなくらいはしょっちゅうだったから慣れている。手に持ってるこれ……突っ張り棒を壊してしまったから。
軽部のくれた日本のもの。唯一、私と私が本来いるはずだった世界とを繋ぐものだったのに。
いい。日用品であって武器じゃないんだ、これは。私は……繋がりなどに縛られなくても……だが、何だろう、この言いようも無い寂しさ。
スレカはゆっくりとまた構え直しながら言う。
「安心しろ、殺しはしない。大女王様よりお前の体が欲しいと聞いている。エルドナイア、キオシネイアが捕らえられた今、新しい小女王がそろそろ誕生するだろう。その体は女王の器に相応しい」
「それは勘弁してくれ」
またか。これで何度目だ? どうやら大女王は私の存在を知っているらしい。ヴァファムのあの音は広域にまで通信するから、他の幹部から情報が行っているのだろう。しかし私は絶対に卵を産む道具にはなりたくない。
さて、集中せねば。どうやったらこのスレカイアを倒せる? この際素手で組みにいくか? とはいえ柄が三十センチ程しか無い斧は接近戦にこそ威力を発揮しそうだ。
第一にあの攻撃を吸収する体中に関節のある体をどう攻略するか。組むのも難しそうだ。押さえ込みも効かなさそうだし。
とにかくあの斧を取り上げるか何とかしよう。本体はその次だ。
私は使えなくなってしまった突っ張り棒を投げ捨てて構える。
「ほう、素手で?」
「ああ。この方がそっちには都合がいいだろう?」
だが蛇は攻撃して来なかった。ふいっと興味を失くしてしまった様にその殺気が消えて行くのがわかった。
「素手の相手に武器は向けられぬ。我が矜持に反する」
矜持って。
……この蛇さんはお侍か? 喋り方といいめっちゃ古風な感じがする。この宿主の歳は幾つくらいなんだろう? 残念ながら私の刑事スキャンをもってしても蛇の年齢はわかりかねる。
「じゃあ、貴様も素手でやれば良いではないか」
「我が半身ともいえる愛用の刃物を捨てるのも、武人としてあるまじきこと。勝負をしたいなら何か持て。そうすれば心おきなく戦えよう」
「むっ……」
武人とか言ってるよ! 軽部、ひょっとして時代劇でも見せたのか?
くそっ、斧を自分から捨てさせるのには失敗した。まあいい。中身が虫の蛇との勝負はせねばならん。では……そうだな。
「ミーア、鞭を貸してくれ」
「う、うん。いいけど……」
私は仲間内の武器の内で鞭を選んだ。
鞭は実は得意では無い。ミーアもそれを知っているからだろう、やや躊躇ってからこちらにぽいと投げて渡してくれた。本当はさっきまでの棒に一番近い武器である、グイルが持ってる刺叉を選ぼうと思った。だが、何かが閃いた気がして撓る鞭を選んだ。
同じ第一階級のマキアイアは内を鍛えていても表面は弱かった。撓る体に撓る鞭。ここに僅かなりとも攻略のヒントがあるのではないかと思えたのだ。
まあしかし、鞭は本来武器では無い。傷付けない程度に相手や獣に苦痛を与え、従わせるための一種の拷問道具だ。せめて乗馬に使うやつとか、某映画で冒険してた考古学者が持ってたような長い一本の鞭なんかなら武器としてもありだと思うが……これ、細い革紐を何本も束ねた夜の女王様が持ってるタイプだし。苦痛を与えるというか一部の人にはご褒美? 効果のほどは保障しかねる。
地面を少し叩いてみる。ピシィ、パシィととてもいい音がする。なんか使えそうな気もするな。どうでもいいが、ハイヒールは無いがこの戦士の鎧の格好で鞭って、めっちゃ見た目はヤバイ感じになってると思う。
この世界の者はその辺りは知識がないのが救いか。スレカは冷静だ。
「面白い物を持ったな」
「フレイルンカスが持ってた鞭だ。当ると痛いぞ」
「打たれねば良いだけのこと!」
こっちが素手でなくなったらいきなり戦闘再開だ。
勢い良く斧を振り回し始めたスレカ。殺しはしないと言ったわりに、かなり正確に急所を狙って来る。一撃でも首や鎧の無い部分に当れば致命傷になりかねない。超スピードタイプでは無いのがせめてもの救いだが、一撃一撃が早く重い。ギリギリでかわしてはいても、逃げ一方ではそうは持たない。
長い手足、高身長の相手だ。一瞬の隙を突いて脇の下を潜る形で背後に回れた。すかさず開いた背中の肩甲骨の辺りを懇親の力をこめて鞭で打つ。
びし! といい音がして、びくりとその銀色のウロコがびっしりの首筋が震えた。今度は逃げなかったのか? いや、多分くねらせた体に、鞭がついて行ったのだろう。
「厄介な……!」
くるりと向きを変えたが、表情はわからない。人の事は言えないが。でも一撃でも与えることが出来たのは進展だ。
それに今気がついた。ひょっとして本当の蛇と同じで口の辺りに敵を察知する機能が集まっているのではないだろうか。昔、蛇は耳も目も悪いので顔の前に手を出さないと噛まれないとか言われた気がする。腹を地面につけて音を感知し、舌を出して気配を探るんだと。スレカの宿主は半分以上は人だから、耳や目はそう悪くは無いだろうし二本足で立ってる。それでも奴が舌をちろちろしてるのは、あれで間合いを計っているのかもしれない。
後ろに後ろに回り、鞭で打てば少しずつでもダメージを与えられまいか?
「うおおおぉっ!」
斧が来る。両手で持ち、八の字を描くように左右交互に斜めから来る。結構早い! こちらも鞭を振りながらかわすしかない。びゅんびゅん、ばしばしという音が続いた後、僅かに逃げそびれた一撃を手首に喰らった。
「うっ!」
幸い直撃では無かったのと鎧がある部分だったので大した事は無かったものの、刃物と言うより重い物で叩かれたような衝撃。
痛かったが、今のでもう一つ気がついた事がある。鞭は斧で切れない。何度も鞭に斧の刃が掠めたのに、鞭がくにゃっと逃げるので切れないのだ。これは奴の体と同じ。
僅かに光明が見えた。やはりこの鞭という選択肢は間違いでは無かったのだろう。それでも長引くとこちらも持たない。くう、そんな事は言ってられないけど、頬だけで無く手首も痛い。これ以上攻撃を喰らうと……。
とにかく後ろに回りたい。こいつはかなりスタミナがありそうだ。連続して振って来る斧が止まらない。
その時だ。
「むっ?」
突然スレカが足を止めた。何が起きたかわからないが、とにかくチャンス!
すばやく後ろに回って鞭で連続で打つ。肩口、後頭部。極力衣服の無い露出した部分を狙う。
仰け反って痛がっているところを見ると結構効いてるみたいだ。よしこのまま!
上手く斧に鞭が絡まったが、太い筋肉の腕は決して斧を放そうとしない。重っ……! しかしスレカはなぜ止まったままなんだ?
「卑怯な! 一対一でやるのではなかったのか?」
「え? 何の事だ?」
その答えはスレカの足元を見てわかった。魔方陣。これは、ルピア?
「ルピア! どうして?」
ルピアがすたすた歩いてきて、スレカの前に立った。
「これ以上マユカを傷つけたくないから。もっと早くに気がつけば良かった。マスターの僕とマユカは二人で一人みたいなものだ。だから卑怯じゃないと思うよ」
そ、それは屁理屈ってやつだと思うんだけど?
「ほう。それなら仕方あるまいな」
ええっ? 認めちゃうんだスレカも?
「だがこんなもので止められると思うな」
めりめりっと音がしたように思えた。勿論気のせいだろうが。
「馬鹿な! 動けるはず……」
銀色のウロコの蛇男は貼り付けられた足を剥がすように、ゆっくりと動き出した。その目は真っ直ぐにルピアの方を見てる。
逃げろ、ルピア。




