53:私VS猫、残念VS狂気
ブーメラン。主にスポーツ用というイメージが大きく、本来は狩りや祭礼に使われた道具であって武器ではない。だが、あえて武器として分類するならば、棍棒の仲間に入るのだろうか。
私は木や樹脂で出来たものは見たことがあっても、金属製は見たことが無い。飛ばすのには重いと不向きだからだろう。
ベネトルンカスが持っている物をよく見ると、最初の印象よりも軽量に思えた。アルミかそれに近しい軽い金属で出来ているか、エッジの部分だけが金属のようだ。中が空洞になっているのかもしれない。そうでないと幾ら怪力でも先程の様に飛ばすのも、猫ちゃんが背負っていたのにも無理がある。ならば少しはやりやすい。
すぐ横に軽部もいるからか、ベネトがいきなり投げて来なかったのは幸いだった。手で持って殴打に来る気のようだ。ナイフ兼メイスといったところか。
対するこちらも素手ではない。今回私は薙刀を持って来ている。長い柄がある分、こちらも距離を置くことが出来るからな。
流石に猫だけあって、ベネトはノムザよりはスピードがある。斜めに切りつけてきたところを、紙一重でかわして薙刀でいなした。
「ふふん、やるじゃない」
ベネトの金色の目が光ったかに見えた。お、やる気満々だな。
こちらも薙刀を攻撃の形、八相に構える。相手が殺傷能力のある武器だ。逆刃に持つ必要もなかろう。とはいえ刃は殺してあるので余程叩きつけないと切れない。
私はもう一度攻撃に来たベネトにすり足で近づき、斜め下から薙ぐ。かん、と軽い音がしてこちらの刃は弾かれたものの、やはり中身はスカスカみたいな音だった。
身軽に飛んで数メートル下がったベネト。動きは猫そのものだ。
ひゅん、と音がしてブーメランが飛んで来た。本来の使い方である投擲に出たな。
頭を下げてブーメランは簡単に躱せた。その直後、ルピアの叫び声が響いた。
「マユカっ!」
その声で気付き、一瞬早く体勢を立て直せたおかげで直撃は食らわなかったものの、刃をもつブーメランは私の肩口を掠めた。体には触れなかったけれど、私の髪の毛先が宙に舞った。
助かった、ルピア。そうだ、考えてみたら戻ってくるのがブーメランの一番の特徴だった!
「ベネトさんの邪魔をしてはいけませんね」
軽部がナイフを手にルピアの方に向かう。おい、人の事を気にしている場合じゃないぞ、ルピア!
「マユカこそ、僕の方を気にしてないで、その女サッサとやっつけちゃえ。コッチの男は僕に任せろ」
力強く言ったルピアは、いつの間にやらデコったトンファーを構えている。
「ほう、それはリリクさんに持たせていたトンファー。面白い、やりますか」
や、面白く無いぞ軽部。猫王様、物理的な戦闘は素人だし!
だがルピアの言うとおり、余所見している隙はこちらにも無さそうだ。もう一撃ブーメランが投げられたのがわかった。
かわしても返って来るな。ここは止めねば。
今度はあえて退けない。薄暗い部屋の中で銀色の円盤のように迫って来るブーメラン。よし軌道が見えた。
私は薙刀で防御に入ったが、予想外にブーメランのエッジは切れ味がよかった。
木製の薙刀の柄がすぱっと切断されたではないか! 幸い体には当たらず、ブーメランはそのまま飛んで行った。
からん、と音を立てて私の足元に落ちた薙刀の刃。
……これ、マトモに当たったら首くらい簡単に飛ぶなと、一瞬で脳裏に閃きお腹のあたりが冷たくなった。
そしてブーメランは放った者の元へ戻るものだ。狩りで使う時も行きではなく、返って来るときに相手を仕留めるのだ。今度は行きに薙刀を切断していった分スピードが落ちたのか、ややゆっくりで余裕で躱せた。しかし、やすやすと手元に戻ったブーメランを受けたベネトに、少々こちらも気が焦る。返って来る角度も計算に入れた正確な投擲、敵ながらあっぱれ。
って、感心してる場合じゃないな。
むう。こちらの得物が無くなってしまった。薙刀はもはやただの棒。
ちら、とルピアの方を見ると、軽部との素人同士のやりあいは頑張ってはいても何と言うか……かなり残念な事になっていた。
何だろうか、そのお尻を突き出したようなヘッポコな構えは。しかも二人とも。
軽部、ナイフを刺しに行くのはいいが、何でそうスローなんだ。へなちょこに見えても相手は素早い猫だぞ?
そしてルピア。サッと躱すのはよい動きだ。でもトンファーって太鼓のバチじゃないんだから、端をもって相手を叩こうとしない。しかもそれすらも逃げられてるし。子供のケンカか?
うん、今は見なかった事にして目を逸らせておこう。たぶんあっちは大丈夫だ。怪我人も出ないだろう。それよりコッチは命懸けだし。
ベネトが私とは反対の方向へ走った。効くとわかったのか、更に部屋の端まで離れてもう一投来るようだ。そうだな、せっかくの投擲武器、接近戦では勿体無い……が!
こちらの薙刀はすでに柄しか残っていない。ただの棒だ。これでどうしろと?
ん? 棒……
見えた。今頭の中で「かっ!」と何かが開眼した気がしたぞ。だからあえてベネトを追わない。対ブーメラン、見切った。
残った棒は丁度木刀ほどの長さ。剣道の方が得意な私にはしっくりくる。左手で端を持ち、右手を添えて正眼に構える。来い、投げて来い。
思いきりよく投げられたブーメランは私を避けるように大きく部屋を回り、主である軽部をややビビらせ、慌ててしゃがんだルピアの頭上を通り、勢いをつけて私の方へ向かってくる。ついでにルピアをも狙った何とも正確な投げっぷりだ。だが、その正確さこそが、弱点。
そしてここまで飛距離を稼いでくれた事に感謝する。
一歩後ろに下がる勢いで、棒を振りかぶる。剣道の素振りみたいなものだ。そして、目前に迫ったところで思いきり、めーん!
「にゃっ!?」
遠くでベネトの情けない声と一緒に、石の床にブーメランが叩きつけられた金属音が聞えた。
ブーメランは平べったい。回転しているが、平面の上ないし下からの衝撃には弱いと見た。コマを指でとめるのと同じ。
「危ない飛び道具は持たないほうがいいな、猫ちゃん」
私が笑いかけてやったら、ベネトが固まった。ついでに横で軽部とルピアも固まっているがな! うむ、久々だなこの反応。そんなに怖いのか、私の顔は。ちゃんと笑顔を見せたつもりなのに……
案外軽かったブーメランを拾い上げ、両端を持って膝を入れると、ぐにゃっと二つ折れになった。他の武器は結構戦利品としてもらってきたが、これは危なすぎる。
「よ、よくもっ!」
得物を失くし、素手で走り寄って来たベネト。ノムザよりは素早いとはいえ、所詮は第三階級だ。今まで第二階級を相手にしてきた身には、かなりスローに見える。
蹴りに来た足をがっちり掴んで持ち上げてやると、女としてはいや~んな格好になった。それでもくるりと宙返りして体勢を立て直すあたり、やはり猫は身軽だな。
今度はコッチが蹴りに行った。そろそろ終わりにしたい。
よしクリティカルというところで、私の足は空を切った。え?
「にゃん」
ううっ! ベネトが猫になりやがった! なんて卑怯なっ!
「蹴っちゃう? 叩く?」
く、首を傾げるな。むうっ、か、可愛いいぃ! こんな可愛い生き物を叩いたり蹴ったり出来るはずが無いではないかっ!
すりすり。足元に擦り寄る猫にゃんの感触に、ちょっと意識が飛びそうになる。耐えろ私! なんとか気を引き締めなおし……たいがっ!
「お姉さん、抱っこしてぇ」
まさにこういうのを猫撫で声というのだろうな。いかん、手が勝手に美しいアビシニアンに伸びる……。
「マユカ、顔を引っ掻く気だよ!」
はっ! そうか。コイツはベネトルンカス。幾ら綺麗な猫ちゃんでも中身はヴァファムの幹部。虫っ!
でも猫を攻撃は出来無いので、とりあえす足首にすりすりしている猫の襟首を掴んで持ち上げてみた。そして尻尾をむぎゅぅ。結構付け根のほう。
「いやぁあああんっ!」
ううっ。
猫が声をあげて悶えている。ものすごくイケナイ事をしている気がする……
「ほい。返す」
ぽいっと軽部の方に投げてみた。猫って投げると四肢をバッって広げて、爪が出るんだよねぇ。
がしっと爪を立てて軽部にくっついた猫。顔にストライクだな。
「ベネトさん痛い、痛いっ!」
ルピアがその騒動中に、そろっとベネトの猫に近づいて、何やら摘むような仕草を見せたと思うと、たたっと走って私の元に戻って来た。
「猫の耳に入りきれなかったのか、半分出てたから捕まえてきた」
見せられたのは赤い大きめの虫。ひょっとしてベネトルンカス本体?
「ビンに入れとくね」
いつも不思議でたまらんのだが、ルピアはどこからビンを出すのだろう。それも魔法? そして今、素手で虫を掴んだな。ちゃんと手を洗ってからでないと触らないで欲しい。それは後でいいとしてだ。今ケイ様……軽部の顔面にひっついている猫は、もうベネトじゃないわけで。
今度は私がそーっと近づいて、軽部のナイフを取り上げポイした後、興奮して軽部の顔に爪を立てている猫にゃんを抱いて思い切り引っ張ってみた。
バリバリっとよい音がした。ついでに眼鏡も外れた。
がくりと膝をついた軽部。
「軽部、もうベネトさんはいないぞ? 降参するか?」
「くっ……」
床に俯いて項垂れている軽部の返答を待つ。彼はヴァファムに寄生されていない。素人相手に出来ればそう手荒な真似はしたくないしな。
だが私は忘れていた。コイツが普通の神経の持ち主じゃない事を。




