46:今はまだ
朝起きて、早朝にマンションの近くをランニング。簡単な素振りやエクササイズの後、シャワーを浴びて朝食をとって身支度して出勤。定時までの仕事の後は、道場で鍛えてから食糧を買いに行くか、行きつけの定食屋で野菜メインの夕飯を食べて帰宅。担当の事件が難しいときや帰りが遅くなった日はこの限りではなかったとはいえ、何年もほぼ同じような毎日を過ごしてきた。
ここ数年付き合った男もそういないので、休みの日の楽しみといえば部屋で猫グッズや猫の写真集を見て一人で悶えるくらい。ベランダで近所の野良猫や、ウチを別宅扱いにしている穂波さんのところのチィがおやつをねだりに来るのを待つ……。
色気は無いな。うん、振り返ってみると私って何と枯れた独身女であろうか。
接触する機会のある妙齢の異性など、いかにイケメンであろうと仕事の同僚であり、犯人であり、道場で投げ飛ばすだけの関係。それ以上でも以下でも無い。
同性もそうだ。学生時代の友人達ともたまにしか言葉を交す機会も無かった上、お洒落をするわけでも、恋の話をするわけでもなく、面白い事を言えるでもない私。話が合おうはずもない。そんな私に、本当に気を許せる友人などいなかった。
だが今はどうだ。
大好きな猫はいつも傍に。幾ら鍛えようと日常生活で役に立った事は仕事以外無い……仕事ですらも極稀……の柔道に空手に剣道といった武道も役に立っている。
いい男も、気を許して喋れる仲間もいる。ルピアだけじゃない、ゾンゲもグイルもリシュルもイーアも。同じ女のミーアも、つい最近知り合ったばかりのマナですら会話が成り立つ。見た目も種族も様々なのに皆いい奴等だ。鍛えて来たのは、ともすれば浮きがちだったものを、同じく戦うものとして気持ちがわかるから安心して背中を任せられるし、気も許せる。
過剰な気もするけど、好意を隠しもしないルピアも……無駄に綺麗な見た目だから、私の方が身構えてしまうのもあるとはいえ、最近は勝手に気持ちを読まれても嫌な気もしなくなった。
嫌な気どころか……多分、今まで生きてきて、誰か一人をここまで好きだと思った事は無いかもしれない。死んだら嫌だ、置いて行くなと泣いたのは本心からだったと思う。
捨てて惜しいものが無いというのは条件にもあったように、確かにあてはまる。私に向こうの世界で仕事以外に捨てて惜しいものなど無い。
時の流れがどうなっているのかは知らないが、もう一ヶ月以上は経った。戻れたとて私の居場所はもう無いのかもしれない。
それでも……わかっているのだ。
ここは私の本来いる世界では無いのだと。いかに居心地が良かろうと。
もしも無事ヴァファムの大女王をしとめ、この世界に再び平穏が訪れたなら、私の役目は終わる。その時私はどうなる?
『責任は取る』
以前ルピアが言ってた気がする。しかし、どう責任を取ってくれるんだろうな。まさか責任を取って私を嫁にもらうという事か?
正直ありかとも思う。けれど、私は一生異邦人のままこの世界で生きてゆくのか?
それこそ私はヴァファム以上のこの世の異物なのではないだろうか。ずっといてよいはずがないのだ……。
『嬉しい?』
嬉しくないと言えば嘘になる。でも……。
ぐるぐると思考の迷路にはまった私。
「マユカ、まだいいじゃないか、そんなの、今考えなくても」
お腹のスリングの中から声がしてはっとした。金色子猫が緑のくるくるした目で見上げている。
ううっ、慣れて来たとはいえホントに可愛いな。首を傾げるな。
ルピアには私の考えてる事なんか筒抜けなのだ。特にこうしてくっついていると尚。
誤魔化すようにルピアが話を変えた。
「一応リリクレアが下っ端に命令を出したから途中は安全かもしれないが……第三階級に見つからないようにしないと」
「そうだな。気合を入れないといかんな」
怪我人を学校に置いたまま、少しでもと下見に来た私達。今は街中を移動中だ。目立つのでマントだけ外した戦士の鎧の上に丈の長いワンピースを被って来た。宿から荷物を持って移動して良かった。肩からスリングをかけていると、私は遠めに見たら赤ん坊を抱いた母親のように見えるのではないだろうか。中身は猫ちゃんだが。
残留組の動向もわかるように、マナにもルピアが呪いをかけてきた。逆に向こうにもこちらの緊急時には伝わるそうだ。なぜ他の野郎の面々でなく、マナなのかはルピアのこだわりだろうか。女にしかかけないと言ってたしな。
今一緒なのは道案内のニルアとイーアのお子様二人だ。ニルアがすでにリリクレアではないと知らない者もいるのか、その姿を見ると町の人は頭を下げたり、恐れをなしたように身を隠す。先に打ち合わせしてあったので、ニルアはリリクらしく振舞ってはいるのだが……。
「なんだか複雑な気分です」
「仕方が無い。時期女王候補だったのだからな。だが、意外に目立つな」
魚族の多いこの町で一番浮いていないのはイーアだ。他の戦士と離れて、イーアとだけ行動する事は滅多に無かったからか、魚少年はご機嫌に私の腕に掴っている。
「こら、マユカにくっつくな」
ルピアにゃんこが文句を言っても、イーアは聞いてはいないようだ。
「へへ、何かあったら僕がマユカを守ってあげるんだ」
「一応、体に強化の魔法を掛けておきました。私も戦えますから」
イーアが嬉しそうに言うのに、負けじとニルアも気合の入ったところをアピールしてくれている。
「頼もしいな、イーア。でもお前も怪我をしてるんだから無理はするな。ニルアもだ」
イーアの包帯の巻いてある二の腕はちょっと痛々しい。かなり強いがまだイーアは十二だ。普通だったら小学生でもおかしくない歳なのだ。ニルアだって日本だったら中学生だ。この二人は極力危険な目に遭わせたくは無い。
「僕もいるから大丈夫だ」
なぜか一番頼りにならなさそうな子猫ちゃんまで張り合ってどうする。
そんな子猫ちゃんなルピアを、イーアがつんつんと突きながら長閑に言った。
「ねぇ、気になってたんだけど、猫王様って変身した時は服ってどうなってるの? さっき貼った湿布も無くなっちゃったね」
うっ! そういえば今まで何も気にしてなかったが、本当にそうだな。
にゃんこはなぜかふんぞり返って謎の説明をはじめた。
「魔法の原理まで詳しく話すと、一晩くらいかかりそうなので簡単にしか言わないが、要は目に見えない速さで着脱するのだ。変態だろう、素っ裸で人に戻ったら」
「へえ。よくわかんないけど、大変そうだね」
「うむ。大変なのだぞ。切羽詰っている時は下着を付け忘れる事もある」
イーアは納得したようだが……聞かなかった事にしておくな、ルピア。切羽詰っている時って朝みたいな時とか……そうか、パンツはいてなかったのか。そんな奴に濃厚キスしていたのか私は。そう思うと本気で涙を返せと言いたくなる。
聞いていたのか、横でニルアちゃんが真っ赤になっている。可愛いな、ウブで。リリクレアの時のあのイケイケぶりと偉い違いだ。
つんつん指先で突かれるたびに、にゃっと声を上げて小さい手を振り回すルピアは猫そのものだ。見ていて飽きない眺めだが、イーア、そろそろやめてやってくれ。スリングが爪でボロボロになりそうだ。
少し和んだところで、町を抜け、海沿いを行くと人の気配も無くなって来た。港の倉庫のあった方とは逆の方角だ。少し張り出した岬が見える。その先に白い灯台らしきものも。
「あの岬の付け根の辺り、地下に武器工場があります。もう少し行ったところに幹部しか知らない抜け道が―――」
ニルアが言いかけて、はっとしたように顔を上げた。スリングの中のルピアも緊張したように体を強張らせたのがわかった。
「マユカ……誰か後ろを着いて来てる?」
イーアが振り返らずに小さく呟いた。
ああ、私にもわかる。何だろうな、この殺気でもない異様な雰囲気は。
これは視線か? 見られている。じっと。
そっと振り返ったが誰もいなかった。身を隠すような物は何も無いのに。
微かに水音が聞えた気がした。
「もう少し近くまで行ってみよう。様子だけ見たら引き返すぞ」
「了解」
町の様子も見たし、ここまでの道も覚えた。抜け道とやらの場所を確認したら一旦引き上げた方がいいかもしれない。
怪しい気配はもう感じられなかった。
しばらく行って、ポンプ場のレンガ造りの建物が見えた。
「入り口はここにもあります。リリクレア達はここから入って行きました。工場で働かされている人達や、資材の搬入はもっと向こうの建物の入り口からです」
ニルアの指差した方、港の倉庫と同じような大きさの建物が見える。そこは資材の搬入口だという建物だと思われる。その横手には建物の無い広大な土地が広がっている。異様なのは地面から短い煙突のような物が等間隔に生えている事だ。煙突からは微かだが煙か湯気が立っているのも確認出来る。
「相当の規模のようだが……地下か。厄介だな」
とりあえず地下から直通のこの通路は危険そうではある。細く密閉された空間はいざという時、逃げ道が無い。大人数で乗り込むなら搬入口だな。
「よし、場所と地理の確認は出来た。少し作戦を練った方がいいみたいだ」
背後の気配もあり、あまり良い予感はしない。ここは一旦帰ってミーア達の到着を待って頭数を揃えてからだなと、引き返そうとした時だった。
背後でバシャっとまた水音が聞えた。
「あれ? 帰っちまうの? 乗り込まないんだ。待ってたのにさ」
振り返ると今度は一人の男が立っていた。全身ずぶ濡れで。
「帰さないけどな。伝説の戦士とやらを生け捕りにして来いってケイ様のご命令だから」
短く尖った歯の並ぶ口で笑った男は、腿に巻いたベルトから柄物を抜いた。
「貴様は……?」
「第三階級ノムザルンカス。以後お見知りおきを」
優雅ともいえる仕草でお辞儀をした男。
刑事スキャン始動。身長およそ百八十七~九十センチ。非常に長身。ひょろりと細身。髪は緑の短髪。目は金色の一重。ぴっちりとしたグレーの着衣はウエットスーツのようなツナギ。足は裸足。手及び足の指には水掻きが見られる。首筋には鰓らしきもの。魚族だろう。服装からしても海の中から追いかけていたと思われる。以上。
ノムザルンカスと名乗った男の手の武器がちゃりっと鳴った。
「ニルア、ルピアを頼む」
スリングごと渡し、こちらも構える。
ふん、鎖鎌とはまた物騒な物を持ってるな。
だが、逃がしてはもらえないとなると、戦うしかあるまい?




