44:初めての感情
「ルピア、ルピアっ!」
動かずに倒れているほっそりした姿。
慌てて駆け寄り、上半身を抱き起こしてみても、力の抜けた体はぐにゃんと重い。ルピアはほとんど意識も無いみたいだ。
すまない、本当にすまない。
綺麗な顔の顎に青痣が出来てるのは私が蹴ったからだ。唇が切れて血が出てるのも、艶やかな金色の髪がこんなに乱れてるのも全部私のせいだ。
必死になって私の足に縋り付いていた子猫。
自分の意思で無かったとはいえ、ルピアが人の姿に戻っても私は思いきり蹴った。何度も何度も。その感触が伝わってきただけに、あの痛々しいほど必死に、私を止めようとしていた顔が見えてただけに辛い。
ごめん、ルピア。
頬を温かいものが伝うのを感じた。私は泣いているんだろうか。きっと顔は変って無いだろうけど、それでも涙は出た。悲しくて、本当に悲しくて。
もしもこのままルピアが目を覚まさなかったらどうしよう。私をこんな違う世界に呼び出しておいて、放って行かれたら嫌だ。そんなの寂しいじゃないか。マスターなんだろ? 王様なんだろ?
もう離れない、離さないから。
胸の奥がじんじんする。どうしてこんなに痛いんだろう。体が痛いのは我慢できるのに、この胸の痛みは我慢できなくて。こんなのは初めてだ。
息が微かで、顔は酷く青ざめているルピア。早く魔力の補給をしないと。
もう猫ちゃんじゃないけど、周りに皆いるけどいい。
私は、目を開けない白い顔の頬をそっと両側から挟む。
冷たい唇に自分のを重ねた。ちょっと鉄っぽい味がするのは唇が切れてるからか?
不思議とこうしてキスしていると、胸の痛いのが治まった気がする。
どのくらいこうしてればいい? なあ、早くその緑の宝石みたいな目を開けろ。いつもみたいに元気に残念な事を言ってくれ。
なあ、ルピア―――。
唇を離して頬を撫でてみた。まだ目を開けない顔をじっと見てると、言い様の無い愛おしさが湧き上がって来る。だからまた涙が出て来た。何だろう、この気持ち。
「もっと」
「もっとか。よし、わかった」
もう一度深く唇を重ねる。
「……ん?」
なんか……がしっと噛みあうように顔の角度が変わってないか? この感触は舌? き、気持ちいいけど……さり気に腰の辺りに手が回ってないか? 後頭部も誰かの手に押さえられてるよな。
こんなの前にもあったな。
私は頬を挟んでいた両手にぐっと力を入れてみた。唇を放したので、綺麗な顔がむにゅっと潰されて残念な顔になっているのが見える。それでも目を開けないので、今度は口の両端に指を突っ込んで、ぐいーっと引っ張ってみる。いーっとやったときの顔になった。
……面白いではないか。
透き通るほど青かった頬も血色が戻ってるな。ふう~ん。
あれだけ愛おしくてたまらないと思っていたのが一気に醒め、ちょっと腹が立ってきた。
「いい加減寝たフリはやめろ、ルピア。掌底打ちで本当にしばらく目が覚めないようにしてやろうか?」
「わーっ! ごめんなさいぃ!」
軽く脅すと、ぱっちり目を開けたルピアが元気に飛び退いた。
そうだった。前に瀕死の時でも一度で魔力補給完了していたんだった。自分の学習能力の無さに意味も無く悲しくなった。
私の涙を返せ。
ルピアはかなり元気そうにはなったとはいえ、あれだけ蹴飛ばした背中や横腹はシャツをめくると酷い青痣になっていた。ゾンゲもフラフラだし、グイルもボロボロ。マナも首を少し痛めたらしく痛そうだし、リシュルも肩を押さえている。
……リリクレアにやられただけでなく、私にとどめを刺されたしな。
「ミーアとリールが応援を呼びに行ってるんだったな。あちらの組には医師もいるからもう少し我慢してくれ。本当にすまなかった」
「とりあえず、マユカが敵に回ると本当に恐ろしいとわかったよ」
私も、もう皆の敵には回りたくないぞ、リシュル。
リリクレアに寄生されていた少女は目を覚まし、周りの状況がいまひとつ理解出来無いのかダンマリでぬいぐるみを抱きしめてソファーに掛けたままだ。リリク本体は持ってきたルピアの荷物の中のビンに入れた。
「こちらの大陸にはもう第二階級は残っていないそうだ。後は武器工場の護衛に二人第三階級がいるだけで幹部は終了だそうだが……」
ルピアがビンの中のリリクからそんな情報を聞きだした。頭の中にヴァファムがいるというのを身を持って体験をさせてもらったので、どれだけ知能が高いかはわかった。明確な意思をもって動いているというのも。こちらが理解出来る言葉で伝わってきた。確かに意思の疎通も不可能では無いのだろう。
完全に同化したわけではないので、私にはマナ達のようにヴァファムの方の記憶は残っていない。しかし、今回のリリクレアに寄生されていた少女を見て、武器工場の話をしていた時に感じた違和感が再び蘇ってきた。
……異界、私の本来の世界に酷似し過ぎていないだろうか。
こちらの世界に無いはずの武器、そして服装などの文化。
虫でありながら、幹部にはそれぞれの個性があるのは今まででよくわかっていた。だが、ここまではっきりとはわからなかった。どう見たってこの少女の服装や喋り方はこの世界では異質。
ここで一つの、考えたくない仮説が浮かぶ。
ヴァファムは何らかの方法で向こうの世界の情報を得ているのでは無いだろうか。だとしたら……。
「なあ、ルピア、異界から人間を召還できるのはお前だけだと言ったな? 他にも誰か、私と同じような人間がヴァファムに召還されているとは考えられないだろうか?」
「全く可能性が無いとは言えない。でも限りなく無いに等しいと思う」
うーん、そうか。私を呼んだルピアですら、離れられない、魔力を補給しないと命すら危ないという縛りがあるのだ。原理はわからないが難しいのだろうな。
「あの……」
ずっと黙ったままだった、一見ギャル風の娘が静かに声を上げた。
「私、頭の中にヴァファムがいた時の事、彼女の考え、少し覚えています」
随分と印象の変った、大人しげな喋り方。この見た目でも、本来は大人しいお嬢さんなのだろうか。
「そうだ、名前も歳も聞いてなかったな。この町の人か?」
私が尋ねると、少女は首を振ってから答えた。
「わたしはニルア。セープの学生……歳は十四です」
十四っ! 若いとは思っていたが子供ではないか。日本だったら中学生か。良かった、あまり殴る蹴るしなくてすんで。それに小女王にしなくて済んだ。
セープは向こうの大陸の蛇族の国だったな。リシュルの故郷で大女王がいるという、敵の本拠地。なるほど、それで同族のリシュルをタイプだと言っていたのか。
ニルアという少女は重要な情報を語り始めた。
「この町にある武器工場、そこには変わった魔術を使う人がいます。窓に見たことも無い動く絵を出したり、聞いた事も無い音楽を流したり。服装や、武器の使い方も教えてました。ヴァファムの役付きはそれに夢中でした」
窓の動く絵? 聞いた事も無い音楽?
じわじわとまた不安が大きくなっていく。
これは……
「この町も最初は余所と同じように完全に管理される予定でした。しかし、それを止め、少ない数の下層を寄生させるだけで掌握できる方法をリリクに教えたのも彼です」
「この町の事は、リリクレアの判断では無かったというのか?」
「はい」
「先程のリリクの話だと、もう役付きは第三階級しかいないと言っていたが、その男も役付きに寄生されている?」
「さあ、そこまでは……」
彼と言ったな。男なのか。
武器工場か。そこにその男がいるというのか。異界の知識をヴァファムに伝えた者が。
こいつはかなり重要な転機なのでは無いだろうか。
今すぐにでも行きたい所だが……私以外ボロボロのこの状況で乗り込んで、第三階級を二人も相手はキツイな。
その男は何者なのだろうか。寄生もされていないのだとすると……。
さっきも、ルピアに初めての感情を抱いたが、これもまた方向は違うが初めて味わう感情。
モヤモヤした薄ら寒い恐怖。
このモヤモヤは実際に見てみないと消えないのだろうな。




