41:本気で怒った!
「ルピアを……子猫を返せ」
「いいよー。もういらないしぃ」
自分でも怒りで声が震えるほどの私に、少女は悪びれた風も無く笑った。
「だってつまんないもん、せっかく可愛がってあげようと思ってたのに、動かなくなっちゃったしぃ。ワンちゃんのお兄さんも弱っちかったしさぁ」
少女は、ぽいと子猫を私の方に投げやがった。落とさないように慌てて受ける。
私の手の中で小さな金色の体は目も開けずぐったりしている。それでも温かくて息をしているのがわかった。良かった、何とか生きてる。
「ルピア! しっかりしろ」
「……マユカ……」
うっすらと目を開け、かすれた声を上げるルピア。
こんなに弱ってるなんて……。
とりあえず猫の姿のままなので、人目も憚らず口付けした。ほんの少し元気そうになっても、まだ人の姿には戻れないみたいだ。変身するにも魔力を使うと言っていた。こんなのもでは足りないかもしれない。また後でたっぷりしてやるから勘弁してくれ。
「待ってろ、さっさと片付ける。マナ、ルピアとグイルを頼む」
私がルピアをマナに託して向き直ると、退屈そうにリボンの少女は自分の髪を弄っっていた。上目遣いで私を見ながら彼女は言う。
「お姉さんさぁ、怒らないんだ? あんたの仲間がこんだけやられてるのにさぁ、全然表情も変えないなんて、冷たいよねー」
「貴様……!」
こんな時でも私の顔は仮面のままなのかと自分でも呆れる。これ以上ないくらいに腹が立っているのに。怒っているのに。本気で。
私はどんな凶悪犯相手でも、ここまで憎いと思ったことは無かった。なのに今少女の茶色いロールした髪も、スカートの短さにすら吐き気がする。
こんな見た目の娘は日本にもゴロゴロいた。口のきき方も礼儀も知らず、自分本位で、平気で他人を傷付ける。気にするのはメールの中身と流行だけ。そんな娘を何人夜の町から昼間に連れ戻したか。それでも、そんな娘達でも本来は素直な優しい子が多かった。しかし、今は目の前のちゃらちゃらしたギャルに、殺意すら覚えている。いまだかつて私をここまで怒らせた奴はいない。
私の可愛い子猫ちゃんをよくも!
「怒っているぞ、猛烈にな!」
相手の力量もわからないのに、もう体は止められなかった。私は思いきり殴りに行ったが、ふっと掻き消したように少女の姿が消え、拳は虚しく空を切る。
「遊ぶ? わーい、いいよぉ、リリクが一緒に遊んであげるねぇ」
気がつくと後ろから声が聞こえた。何だ? 今の速さ。
「マユカ、落ち着け」
リシュルとゾンゲが私の両横に立った。ああ、そうだな。怒りに任せて動いてもろくな事が無い。折角三人いるのだ、作戦を立てなければ。
「あれぇ、大きい猫ちゃんとお兄さんも一緒に遊びたいのぉ? いいよ、退屈だしぃ、まとめてリリクちゃんが面倒みてあげる」
何処までも腹の立つ奴だ。自分で言うのだからコイツが最強の第二階級幹部のリリクレアで間違いないのだろう。まさかこんな小娘の姿を借りているとは。いや、見た目はいい。問題は中身だ。今までの相手は、まだもう少し相手として尊敬に値した。私はどんな相手でも全力で戦う相手には敬意を払いたい方だ。
たとえ本体は小さな虫であっても、今までの役付きはみな女王のためにという、一つの意思を持って戦意むき出しで戦ってきた。その気概は組織に組み込まれた者として、それなりに崇高だとすら思える。
だが、コイツからは戦おうという意思も、殺気も何も感じない。それが気味悪い。遊ぶと言ったな? これが遊びだと言うのか。
じり、とこちらが動いても、鼻歌を唄いながら全くかかってくる様子も無いリリクレア。こちらの出方を窺っているのか?
「マユカ、気をつけて。第二階級と言う事は、必ず武器を持っているわ」
ルピアを抱いてグイルの介抱をしながら、部屋の隅でマナが言った。
そうだな、コモナレアはモーニングスターを隠し持ってた。ルミノレアは流星錘を。一見何も持っていないように見えても、どんな武器が出てくるかわからない。
おもむろに、ピンクのチェストの上のクマのぬいぐるみを抱き上げ、面白くなさ気にそれを撫でている少女は、一見隙だらけに見えてどこから掛かっていいやら図りかねた。それはゾンゲとリシュルも一緒だったようで、広がって三方から囲んだはいいが、誰が最初に出るか互いにタイミングを計っているみたいだ。
「遊ぶならはーやーくぅ。退屈だって……言ってるじゃんかぁ!」
いきなりキレたように、ぬいぐるみを床に叩き付けた少女の姿のモノは、ついに自分から動いた。よし、これでやっとやる気になったな。
つかつかと真っ直ぐリシュルの方に歩いて行ったリリクは、無造作に腕を振り上げてその頬に向かって腕を振り下ろした。
え、平手って? 勿論リシュルはかわしたが、それが気に入らなかったのか、えいえいっと言いながら何度も殴ろうとしている。さっきの異常な速さは何処に行ったのかというトロイ動きだったので、蛇王子はことごとくかわしている。困っているというより呆れた顔だ。
……子供が癇癪を起した時みたいだな。
思わずぽかーんとゾンゲと私は目が点になってしまったが、ここで行かなければ。
がら空きに見えた横から、思いきり正拳突きに行く。
だが、リリクはこちらも見ずに、それを肘で止めた。
がきっと硬い感触に、拳がじーんと痛かった。何? 何も持っていないと思っていたが素手の感触じゃなかった。
同時に蹴りに入っていたゾンゲも、もう一方の手で止められている。そっちも何か硬い音がした。
「やーっと楽しくなってきたぁ」
リリクは予備動作もなくぴょんと軽く後ろに飛んで一旦私達から離れる。その両手がくるくると何かを回していた。短い持ち手のついた、四・五十センチの二本の毛の生えたピンク色の棒?
あれは……なんか変だけどひょっとして*トンファー? いつの間に。
私達に武器を見せつけるさまは、威嚇するというより自慢げなリリク。
「えへへー、どう? 可愛いでしょ。木のまんまじゃ可愛く無いからぁ、色つけて、キラキラとふわふわ飾ってみたのぉ」
……ううっ。
デコったトンファーなんか初めて見たっ!
トンファー。訓練でも使ったことのある馴染みのある武器だ。警棒として正式採用している国もある。棒に取っ手をつけただけの簡単な造りだが、防御と攻撃を兼ね備えた地味に嫌な武器だ。
それにしても、トンファーにファーって……洒落にもならんな。
「蛇っぽいお兄さんは結構タイプぅ。だから最後に遊ぼうね。待ってなさい。まずは……大きい猫ちゃん!」
ふっとリリクの姿が消えたと思ったら、次の瞬間に打撃音と共にゾンゲが飛んだ。
何が起きたのかもわからないほどの早さだった。ゾンゲに大丈夫かと声をかける間もなく、今度は私の方に何かが迫ってきたのを感じ、顔の前で腕をクロスして防御に入る。
痛っ……!
防御出来るレベルの打撃では無かった。何とか飛ばされこそしなかったものの、足元が絨毯で滑らなかったぶん後ろに倒れそうになった。いっそゾンゲの様に飛ばされたほうが衝撃が少なかったかもしれない。これ、戦士の鎧じゃなかったらヤバかった。
「ふうん、お姉さん丈夫ねぇ」
ひゅう、と口笛を吹きながら、余裕の顔でまたリリクがバトンのようにトンファーを回しはじめた。
間を置かず、すぐに立ち上ってコッチから回し蹴りに行ったが、やはり肘側に長い部分を回す形で防御された。見た目はともかく、使い方は完璧だな。
私とゾンゲが攻撃を受ける隙に、大人しくしていたリシュルが後ろから回り込んで拳を入れた。しかし、またリリクはふっと掻き消える様にすばやくかわした。
「待ってなさいって言ったでしょ?」
今度はリシュルが飛んだ。どんな攻撃だったのかさえ良く見えないほど速かったが、蹴りをくらったらしい。
「リシュル!」
そんな暇は無いとわかっているが、ちらりと床に倒れたリシュルの方を見ると気を失っているみたいだ。
くそっ……マジで強いな、こいつ。
どこかに隙は無いかと考えていたら、横で先に倒れたゾンゲが静かに立ち上った。
あ、この感じ。ゾンゲの喉からぐるるって唸り声が。ひょっとしてキレた?
「マユカ、ちょっと退けてた方が……」
ほんの少し持ち直したらしいルピアに言われて、倒れたままのリシュルを引き摺ってそろーっと下がる。この状態のゾンゲは見境がないから、巻き添えを食らうと怖い。
ゾンゲの変貌にリリクも気が付いたようだ。
「あれぇ、おっきい猫ちゃんがなんかこわーい」
「猫と言うな。俺は豹だ!」
熊手にみたいに伸びた爪を翳し、通常の何倍かの速さでゾンゲが飛んだ。そこからの乱れ引っ掻き。
バリ、といい音が聞えたが、ゾンゲの爪は例によってトンファーで防御されていた。爪に引き裂かれたピンクのファーが細切れになって宙に桃色の雪の様に舞う。デコられていたビーズと一緒に。
「ああーっ! アタシの可愛いフワフワちゃんとピカピカがぁ!」
上目使いでぷうっと頬を膨らませたリリクから、今まで感じられなかった殺気がゆらりと立ち昇った気がした。
「怒った。悪い子はお仕置きっ!」
もう一度かかって行ったゾンゲの爪を、避けもせず受けるリリクレア。だが、次の瞬間、ゾンゲの動きが止まった。
「ふふん。ねんねしてなさい。あたし、可愛く無い猫ちゃんはキライなの」
トンファーの長い方側の棒身が、ゾンゲの鳩尾に食い込んでいた。くるりと回して突いたのだろう。
声も上げずに倒れたゾンゲ。
……強い。今まで戦った中で一番苦労したコモナレアが霞むほどハンパ無い強さだ。まさかバーサーカー状態のゾンゲの攻撃を受けきり、反撃を食らわすとは。
残るは私一人。リリクの目が私を真っ直ぐに見た。
「さあて、次はお姉さんだよぉ。そうだ、いいコト考えちゃった。この体気に入ってるけどちょっと飽きて来ちゃったし。お姉さんの体ちょうだいよ」
は? 何言ってるんだ、コイツ?
*トンファー
長さ四十~五十センチの棒に持ち手をつけたものを二本一対を両手に持って使う。防御、打撃攻撃、突きなど多彩な使い方の出来る武器。アメリカやイギリスでは警察官の特殊警棒として正式に採用されている。沖縄空手、中国拳法でも良く似た物を使う。




