40:港の倉庫
一つ目の倉庫は外れだった。
正確に言うと全くの外れというワケではない。そこにルピアがいなかっただけで、重要な場所であったのは事実だから。
海風でやや錆びの浮いた重い金属製の扉には、外の閂だけで鍵はかかっていなかった。中の者を出られなくするにはそれだけで充分だ。
ぎいぃと軋んだ音を立てる重い扉を開けると、微かな魚の臭いとともに、赤ん坊の泣き声とそれをあやす女の声が聞こえた。
この臭いからして、本来は水揚げした魚の集積所か、漁に使う網や道具を仕舞う場所だと推測できる。そういえば表に沢山ブイや網が積んであった。
高い天井に剥き出しの石の床。壁の上に方にある小さな空気抜きの窓から微かに昇り始めた朝日が差し込む。大き目の体育館ほどもある内部にはベッドが沢山並んでいて、一見すると仮設の病院の様にも見えた。一部ランプを点している箇所もあるが、全体に暗い。
中に入った私達を見て、ざわざわと人の声が上がった。早朝ゆえか、まだ眠っている者もいる。ここは小さな子供や年寄り、妊婦などヴァファムの寄生に適さない者が集められた場所なのだろう。
よその町でも同じような場所はあったとはいえ、今までになく規模が大きく収容されている人数も半端ない。やはりこの港町は普通ではないというのが実感できた。
ぐずる小さな赤ん坊を抱いた若い女が、怯えた様にこちらを見ている。びっくりするわな。こんなとんでもない鎧をつけた女が入ってきたら。
「怖がらなくていい。私達はヴァファムの手の者ではない。デザールから皆を解放に来たのだ」
「……本当に?」
ついでと言っては失礼だしな。いずれは解放せねばならなかったのだ。順番が違っただけで。
「デザールから……それにそのお姿。もしや、世界を救うという伝説の女戦士様ですか? 今の世にも呼ばれたとは聞いていましたが本当に来てくださるなんて」
横のベッドにいた老婆が声をかけて来た。その声に反応したのか、一気に周りがざわめき始めた。
うーん、伝説の戦士とか言われても。私の事だったよな。何だか最近もうすっかり忘れていたが。ちなみに未だにこの格好はかなり恥ずかしい。
「そうです。彼女は異界より助けに来てくれたのですよ。私もヴァファムの寄生から助けられました」
おーい、マナさーん。焚き付けない、焚き付けない。
「ありがたや、ありがたや」
おばあさん方も拝まないでくれ……仏様じゃ無いから、私。
「とにかく表の扉は開けておくから、自由にすればいい」
私がそういうと、赤ん坊の母親は首を振った。
「家に帰りたいけど、外に出られても町全体がおかしいから余計に怖い。主人も私達の事をわからないみたいで……ここにいればとりあえずは安全。ヴァファムは綺麗好きだから、着替えも食べ物も子供のオムツももらえるから……」
その言葉に、ぐっと胸に何かを突き刺されたような気がした。そうか、他の町のように闇雲に開放してもダメという事か。
「この町にもヴァファムの役付きがいる。それを倒して町を元に戻してみせる。それまで子供を大事に見ていてやってくれ」
「本当に、本当に元に戻せるのですか?」
「ああ。必ず」
そうは言ったものの、この町は他と違いすぎる。幹部を倒すだけで元に戻せるのかは自信は無い。ここは地元の人に詳しい話を聞くほうがいいだろう。少なくとも外の寄生もされていないのにヴァファムについている町の人達よりはマトモみたいだし。
先程のおばあさんに尋ねると説明してくれた。
「額に印のある虫憑きの者は全体の三分の一ほど。ここにいる私達の家族です。後の人間は歯向かいさえしなければ、普通に今まで通りの生活を保障されたので言う事を聞くのです。少しでも歯向かった者は、虫憑きになって帰ってきました。それを見ているので……」
「なるほど」
ふうん。これは面白く無い。ヴァファムの知能は相当高いとは思っていたが、この町の幹部はその中でもかなりの知恵者だといえる。人の心理を上手く活用して、必要最低限の数で全体を抑える方法。飴と鞭を使った見えない脅し。もしもこれを全土でやられたら、あっという間にヴァファムを頂点とする世界に塗り変るだろう。
だが、良い事も聞いた。寄生されている数は思ったほど多くないのだ。脅す大元を抑えれば、この町は簡単に開放できるという事だ。
「待っていろ。何とかする」
これは急がねば。
軽くおばあさん達に挨拶をして出て行きかけた私を呼び止める声があった。先程の赤ん坊を抱いた母親だった。
「この子を抱いてやってくれませんか? 伝説の戦士様に抱いていただけたら、この子はきっと強い子になります」
「えっと……」
よく、相撲取りにゲン担ぎに抱いてもらうというのは見たことがある。ひょっとしなくても私は関取扱いという事か。まあ、いいけども。
手渡された小さなぷくぷくした赤ん坊。少し垂れた獣耳は犬族なのだろうか。男の子みたいだ。正直抱きなれないので、上手く抱いているとは言えないが、先程までぐずっていたのに真ん丸の可愛い顔がにっと笑った。
……ううっ、かーわーいーいいいいぃ!
「強くなれ。強くなってお母さんを守るのだぞ」
頭を何度も下げる母親に赤ん坊を返して、私達は倉庫を出た。
手に、温かく柔らかな赤ん坊の微かな重みと感触が残っている。
いつか私も自分の子をああして抱くことがあるのだろうか。もう結構いい歳だ。子供の一人や二人いても良い歳。
私も自分の子供が欲しいな。だがそれは誰の子だろうか。
ふと、金髪緑目の美しい顔が浮かんだ。
いやいや……それは……なぁ。
お馬鹿な事を考えている間に、次の倉庫に着いた。
これはビンゴなのだろうか。
閂さえ掛かっていない扉を開けた瞬間に、雪崩の様に人が出て来た。
待ち構えていたというわけか。二十人ばかりいるな。目つきといい機械音のような声といい、ヴァファムに寄生されている特徴のあるものばかり。
「リリク様ノトコロ、行カセナイ!」
よっしゃ、ここで正解というわけだな。
全員見張りクラスの額の印だ。手にはそれぞれ武器を持っているし、こちらは四人だけだ。だが私達の敵では無いわ。
「ゾンゲ、リシュル、思う存分やれ! ただし殺すなよ」
「ああ、遠慮なく!」
ここ最近怪我などで暴れたり無かったのか、ゾンゲが張り切っている。数人纏めて蹴り倒し、武器を飛ばして軽く引っ掻いている。
リシュルもカンフーみたいな動きで音も無く相手を倒しているし、マナも流石の動きで次々と床に沈める。うーん正直私の出番が無いではないか。一応十人ほどは投げておいたけどな。
長剣を振りかぶってかかってきた男を、躱しざまに背負い投げで沈めたのを最後に、入り口は突破した。
中に入ると、もう誰も襲って来なかった。
ん、この倉庫は魚臭くない。どちらかというと甘いイチゴのような良い匂いがする。そして明るい。
「何だ、ここ……?」
外観はほぼ同じだったのに、中は隣とは全く違っていた。床にはふかふかした絨毯が敷かれ、内装も綺麗に整えられている。明るいのは煌びやかなシャンデリアだ。倉庫の中というより、お屋敷に入ったような。
ただ、色が少し……ピンクのパーティションで仕切られ、良く見ると絨毯は花柄。赤いソファーも置いてあるが、これもフリルのついたピンクの水玉のカバーがかけてある。クッションもハート型。女の子のお部屋という感じだ。
……なんかなぁ。
うーん、さっき襲って来た奴等、この部屋で待機してたわけ? むさっ苦しい、武器を持った野郎共でしたけど?
一気に気分が萎えたが、気を取り直して奥に進む。
パーティションの向こうはさらにラブリースペースだった。
ぬいぐるみに、色とりどりのファンシーな小物。
しかし、花柄絨毯の上に、ラブリーとは程遠い、この部屋に似つかわしくないものが伏せていた。灰色の尻尾にマッチョなボディ……。
「グイル!」
ゾンゲが抱き起こしてひっくり返すと、グイルは酷い有様だった。頬や口元に青痣が出来、服もあちこち破れて傷だらけだ。完全に気を失っている。
グイルがここまで酷くやられるなんて……!
衝撃を隠しきれない私達に、なんとも緊張感のない声がかかった。
「ちょっとぉ、あんた達、ナニ挨拶も無しで入って来ちゃってるわけ? 何ぃ? もう見張りのお兄さん達倒されちゃった? ったく、使えないわねぇ」
「うっ……!」
何やらとんでもないの出てきたぞ。
チェックのプリーツの短いスカート、胸元に大きなリボンのある上着。一見すると制服姿の女子高生のような小柄な少女が立っていた。幼げな可愛らしい顔なのに化粧が濃い。ばさばさの目はツケマか? そしてでかいリボンをつけた髪は見事にロールしている。
その綺麗にネイルを施した手で、襟首を掴んでぶら下げているのは……。
「ルピア!」
ぐったりした様子で金色の子猫は動かない。
「ねぇーえ、この猫ちゃん可愛くないー。お菓子も食べないしぃ、ちっとも遊んでくれないんだもぉん。躾、間違ってなぁい?」
軽い口調で、少女が口を尖らせた。
ひょっとしてコイツが『リリク様』なのか?
ぷつっと頭の中で何かがキレた気がした。
コイツ……許さん!!




