39:狂った町
宿屋の時計を見ると午前三時過ぎ。まだ外は暗いがもうすぐ朝が来る。
今更だが、世界が違うのにほぼ二十四時間で一日というのは同じ。時計も同じような作りだ。文化的に百年程の差はあれど、住んでいる人種以外、この世界は私の知っている日本に非常によく似ている。考え出すと気味が悪くなってくるほどに
一応、宿の主に声を掛けようとも思ったが、やはりやめておいた。
この町はおかしい。
ひょっとしなくても、宿の主も味方ではない。ヴァファムに意識を乗っ取られてもいない男と、下っ端に寄生されている男が一緒にいる、客の男二人が攫われ、私達も暴れたにも関わらず誰も出て来ない所を見ると、こうなることをわかっていたのかもしれない。ここに泊まった瞬間から私達は狙われていたのだろう。
置きっぱなしだったグイルとルピアの荷物は回収し、代わりにルピアに渡されていた料金だけを部屋に置いて出て来た。
「マユカ、お金はいらなかったんじゃ……」
マナが少し呆れている。だが仮にもお風呂にも入らせてもらい、短時間とはいえ快適なベッドで眠らせていただいたのだ。タダというのは気が引ける。
ちなみに刺客の男達は、縛り上げたままあの場に放置してきた。
「ミーア達の宿も無事ではないだろうな」
「そうね。こちらより人数も多いし、返り討ちにしているといいけど」
ルピアがいないので、もう一組がどうなっているのかはわからない。だがマナが言う通り、向こうは全員が戦える。チビのイーアですら魚族最強の戦士なのだ。ゾンゲもリシュルもいるから大丈夫だろうとは思うのだが……こちらは味方内でも最も体力のあるグイルですら一緒に連れて行かれている。
その点については、マナも思うところがあったみたいだ。
「思うのだけど、グイルさんは、わかっていてわざと一緒に連れて行かれたのではないかしら? 鼻も利くから眠らされたりはしていないでしょう。ルピア様一人が連れて行かれるよりは心強いし。彼はそのくらいの気が回ると思うわ」
「そうか。それならば納得が行く。少しは安心できるな」
頼む、グイル。ルピアを、私の子猫を守っていてくれ。
時間は違うが、目指す港への途中、丁度朝もう一組と落ち合おうと打ち合わせていた中央広場近くを通る。無事ならばミーア達の組と合流出来るかも知れない。
「急ごう」
まだ夜も明けぬひんやりと冷たい空気の町を、私とマナは走った。
ひたひた。
大勢の足音が聞える。魚族が多いのもあるだろうが、足音が妙に水っぽいと思うのは気のせいだろうか。。
いつの間にか私たちはかなり大勢の市民に囲まれていた。
点々と灯る街灯に、人々の影は不気味に伸びて、建物の壁に、石畳の道に大きな化け物のように伸びている。
額に印のある者もいる。だが印の無い者も同じように、手にそれぞれ棒や箒などを持ち武装している。中には長剣やナイフを持っている者もいた。
「やはりこの町はすでにヴァファムの手に落ちていたか」
「こちらが本当の姿というわけね」
もう少しで中央広場という所で、町の人間に完全に囲まれ行く手を阻まれた。
女もいるが、年寄りや子供の姿は見えない。やはりどこかに囚われているのだろう。
「リリク様の命令……」
「リリク様ノタメ二……」
口々に呟く町の人の目には生気が無い。
部屋に押し入って来た男が言っていたヴァファムの役付きの名前。リリク様か。一体どんな奴なんだろう。ヴァファムに寄生されていない者まで味方につけるというのは、何か催眠術のような技でも使うのだろうか。だがあの男は受け答えは普通に出来ていた。
じりじりと包囲は縮まり、退路も無くなって来た。一般市民に手荒な事をするのは気が引けるものの、私達は急いでいる。
足止めをくらって焦りを覚えているのは、マナも一緒のようだ。
「強行突破しますか」
「それしか無さそうだ。だが待て、向こうが僅かでも手を出して来てからだ。こちらから先に手を出すのは良くない」
一撃でいい、相手から先に襲って来られたらこちらも動ける。世界が違うのだからこだわる必要は無いとは思うけれど、警察官として叩き込まれた常識を私は守りたいのだ。
少しづつだが私達は前へ進む。かかって来ないなら来ないで良い。このまま行かせてくれるなら、誰にも痛い思いをさせなくて済む。私達が一歩進むたびに、囲んだ市民は一歩下がる。主に寄生されていない者は恐怖の方が勝っているのだろう。
だがあまり時間はない。いっそ走って突破出来そうかと思い、マナとともに走り出した時、ついに一人が棒で殴り掛かってきた。
「わああ!」
隙だらけの振り方だったので、あっさりかわせた。だが、それをきっかけにして、周囲が一斉に襲い掛かってきた。
「あまり傷付けるな」
「ええ」
マナはサーカス団員らしく、バク転でひょいひょい身軽にかわしつつ、緩く蹴りを入れて蹴散している。コモナレアに憑かれていた時も一番苦戦した相手だが、味方になるとこの身体能力は本当に心強い。
私も回し蹴りで数人纏めて飛ばしておいて、何人かは軽く投げた。刃物を持っている者もいるので、あまり混戦になって同士討ちされても後味が悪い。長剣を持っている者、ナイフを持っている者を優先的に狙い武器を落とす。
少し進路が開けたので、一気に走る。マナも遅れずについて来ている。目指す広場はもう目の前。もし向こうの組がいなかったらそのまま港を目指す。
結構な数を私達が蹴散らしたのを見て恐れをなしたのか、かなりの町人が減ったが、振り返ると屈強そうな男達が追って来る。先頭にいるのは、よその町でも見慣れた制服。キリムの警察官だ。下っ端よりもやや上位の見張り役が憑いているのだろう。少し額の印が濃い。
「リリク様ノ所二行カセルナ!」
ほうほう、ということは、こっちの方向にリリク様がおいでなのだな。
目指す広場が見えた。そこにも何人もの市民がいる。だが、よく見ると倒れている者、今まさに飛ばされている者がいる。その中央に背中を合わせるように立っているのは……。
「ゾンゲ! リシュル!」
街頭に照らされて、見慣れた豹の顔とほっそりした青白い姿が見えた時、私は心底ほっとした。
合流して程なく、追っ手も全て倒し、額に印の無い何人かは逃げて行った。
「無事だったか。良かった……」
「それはこちらの台詞だ、マユカ」
ゾンゲによると、やはり彼らの宿も襲われたらしい。
「ミーアとイーアは? リールもいないな。まさか連れて行かれたんじゃ……」
賑やかな二人と鳥青年がいない。イーアとミーアは強いと言っても子供と女だ。だが、その心配はリシュルの説明で晴れた。
「足の速いミーア、リールには処理部隊とキリムの兵を呼びに行かせた。こちらももう少し人数を確保して町の住人を何とかしないと、武器工場にも辿り着けない。イーアが少し怪我をしたが、かすり傷で動けないほどではない。念のため今安全そうな場所に隠してある。増援を待ってもらう役目もあるから。マユカの指示を仰がず勝手に仕切って悪かった」
「いや、いい判断だ。リシュル、感謝する。そうかイーアが怪我を……」
違う組にリシュルを置いておいて良かった。イーアの事は心配だが、確かに増援部隊との合流の役目もあるのでその辺りは任せたい。
「ルピアとグイルが連れて行かれた。怪我もしているかもしれない。グイルは恐らくルピアを案じて自分で着いて行ったのだと思われるが……私がついていながら本当にすまない」
簡単にこちらも襲われた時の状況を説明しながら、足は止めずに港の方を目指す。
「ルピア様は無事だろうか?」
ゾンゲが心配そうだ。自分の国の王様だし、同族ゆえかルピアもゾンゲを一番信頼しているからな。
「襲ったものは、何があってもルピアを生かして連れて来いと言われたらしいから、酷い事はされていないだろう。グイルもついているから滅多なことは無いとは思うが……あまり私と長時間離れていると前みたいに魔力が切れて……それが心配なんだ」
「そうだったな」
あの時、ほとんど息もしていなかったルピアを担いで来たのはゾンゲだった。よく知っているだけに深刻さはわかっているだろう。
「早く取り返せばいい。大丈夫、か弱そうに見えて強いですよ、猫は」
リシュルが微かに、苦い笑いを浮かべながら言った。
ああ、そうかもしれない。猫は強かな生き物だからな。
町を抜けると海に出た。
水平線の彼方が微かにピンクを帯びた色に染まってきた。もうすぐ夜が明ける。
港の方としか聞いておらず、鼻の利くグイルも今いないので場所まではわからない。しかし、私の職業柄と経験から言えば、誰かを攫って行くとしたらどこかの建物ではあるだろう。そして刺客が、連れて来いと言われた以上は、待っている者も必ずいる。
「あれかな?」
海沿いに、よく映画で見るようなレンガ造りの倉庫が幾つか並んでいるのが見える。恐らくあの中のどれかだと私の勘が告げた。
リリクレアと言ったな。そこにその役付きもいるのだろうか。マナがこちらの大陸に派遣された女王以外の役付きの雌の中で一番上位だと言った。それはコモナレアより強いという意味なのだろうか。
九人でこの街に来たのに、今こちらは四人だけ。しかし増援を呼びに行った仲間を待つ時間的余裕も無い。
まず一つ目の倉庫の前に立つ。
気合を入れ、重そうな扉に手を掛けた時だった。
『マユカ……』
ルピアの声が聞こえた気がした。
頭の中に直接響くような、弱々しくて今にも消え入りそうな声。
この感じ、前にもあった。あの時と同じ。
まだ大丈夫だよな? 頼むルピア、もう少し頑張ってくれ。




