30:女王と母性
その部屋の中は甘い匂いがした。
花の匂いにも、蜂蜜にも似た香り。
緑の淡い光に包まれた薄明るい空間は、木漏れ日の森の中を思わせる。。
白い靄のようにも、レースのベールのようにも見えるのは、壁と壁の間に細い無数の糸が張り巡らされているからだとわかった時、私はこの部屋の中は蜘蛛の巣と同じなのだと思った。あるいは昆虫の繭の中。
白い天蓋のベッドに一人の女性がいた。クッションにもたれかかって僅かに身を起こして身を投げ出している。
ウエディングドレスみたいな真っ白なドレス。シーツに波打って広がるのは眩い金の長い髪。
「きれい……」
横でミーアが呆けたように呟くのが聞えた。
ああ、本当に美しい女性だ。
日に当たった事も無いような白い肌、青い目は深い海のよう。儚げな白い花を思わせる美貌。猫族なのか、頭に真っ白のネコ耳が見える。
だが……なんだ、あれ。胸の辺りから白い紐か管みたいなのがひらひらと伸びて微かに蠢いている。
その先を目で辿って行ってギョッとした。この部屋には、他に人はいないと思っていたのに、ベッドにもたれかかる様に男性が二人床に直接座っていた。その耳に白い管が続いている。
それが何なのか理解できて、気味の悪さに鳥肌が立った。常にこうやって受精し続けているという事か。
だがマテ。男の方はいつもの耳の位置にいるとして、女王はどこに寄生しているのだろう。第二階級であれだけ下っ端とは大きさが違うのだ。女王はもっと大きいはず。卵を産むのだから。
その疑問はすぐに解けた。
コモナが薄く笑って言う。まるで私の考えている事を読んでいるみたいに。
「一つ言っておきましょう。女王を人体から取り出すことはすなわち宿主を殺すことです。余計なお世話をなさらぬよう」
肺かどこかに入っているのだろうか。しかも管が外に伸びているということは皮膚を突き破ってるということだよな?
……これは大変な事になってるな。だが助ける事は出来るはず。
そんな私の心配など、まるで気にしていないように、女王は美しい顔に子供の様な無邪気な笑みを浮かべた。
「うふふ、また産まれるみたいよ」
えっ! 産むのっ? 今?
女王は両掌を広げて、口に持って行った。しばらく苦しそうに眉を寄せていたが、手を放すとそこにはピンポン玉より二周りほど小さいまん丸の卵が幾つか載っていた。
「卵は口から産むのか」
「そうですよ」
私が思わず漏らした言葉にコモナが軽く答える。
まあそうだなぁ……とりあえず下から産むので無くて良かったな、幾ら女同士でも見たくは無い光景だ、と変な所で安心した。
「うええ」
ミーアが嫌そうに声を上げる。うん、まあ結構キツイよな、これも。
女王は生まれたばかりの卵をコモナに渡した。
「ゆりかごに入れてやって」
「おめでとうございます。少し上の卵が混じっています」
「まあ、それは良かった」
白い玉の他に少し緑っぽいのがあったが、あれが上の卵なのかな。下っ端の見張りをしてたような少し上位の個体。
「コモナ、奥の卵がもう孵るわ。その人達に感動の瞬間を見せて差し上げて。きっと可愛くて私たちと戦う気など無くなるわ」
女王の無邪気さがかえって痛い。
あの、私、見たくないんだけど。出来れば辞退したいんだけど……。
「ヴァファムがどうやって卵から生まれるのか興味あるなぁ」
ミーアはわりとノリノリだ。その様子にコモナも女王も機嫌を良くして満足げに頷いている。ミーアは空気の読める賢い娘だ。
奥に案内されると、白い糸で作られた棚状のものに、お行儀良く並べられた卵が見えた。コモナはたった今産み落とされたばかりの卵を、空いている所にそっと置く。
そして彼女は一段上を指差し、微笑んだ。
「ほら、孵りますよ」
動いている……卵が動いてるよぉ! 見たくないので私は目を閉じた。
「わぉ、可愛い。ヴァファムも生まれたてはホント可愛いね」
ミーアの声がするが……。
「ほら、伝説の戦士様にご挨拶しましょうか」
コモナの声と共に、何かがほいと目を閉じたままの私の手の上に乗せられた。
ひいいいいいいいっ! 手の、手の上で何か動いているぅ!!
少し気が遠くなった。
「可愛いでしょう? 私の子供達」
女王の優しい優しい声。
思い切って目を開けてみた。
「あ」
あれ? 想像してたうにうにした虫じゃない。確かに足とか無いけど……きのこ? こういうキャラクターを見たことある気がする。白いきのこにおめめと口をつけたゆるキャラ。昆虫って幼虫の方が成虫より大きい事は多いけど、いつも耳から出てくる下っ端の黒い虫の倍以上はある。大人の人差し指の先くらい? まさにシメジサイズ。それが二匹乗って首を傾げるようにくにくに動いてる。
意外と可愛いかもしれない……。
いや、でもっ! これ単体で見たらまあ許せるけど、こんなのが何千とか何万とかうようよいたら相当怖いよ? うわ、全身鳥肌立った。
……カプセルの中見なくて良かった……。
きゅいきゅいと音が聞えるのは、今生まれたばかりの幼虫の声だろうか。落とさないよう丁重にコモナにお返しする。
「か、可愛いな」
「そうでしょう? 生まれたての無垢な命は、どんな種族であっても可愛いものなのですよ」
確かにそうだな。この子供達はまだ何も知らない。無垢な存在。
だが、大人になって他の種族に寄生し、他の人の自由を奪うものに成長するのだ。この女王の体だって、元は違う人格を持った人間だった。コモナもそうだ。この事実を忘れてはいけないのだ。
とにかくこの部屋を出たい。この甘い匂いに惑わされてしまいそうで。
最初にコモナが言っていた。女なら理解できると。確かにそうかもしれない……ここにいたらもう戦う気など無くなってしまう。
私も女なのだな。母性というものがあったんだ。
「女王の体障る。もう失礼しよう」
「お優しいお言葉ですわね。また遊びに来てくださいね」
無邪気な女王の微笑みがマジで心に痛い。
確かに私はまたここに来るだろうが、遊びには来ない……。
部屋を出ると、ミーアと私は同時に思いきり溜息をついた。
「なんか……複雑な気持ちね」
ミーアの言いたい事はわかる。やはり彼女も戦意を削がれたのだろう。
「女王の素晴らしさを仲間に伝えに行きますか?」
コモナレアは満足げだ。入り口で待っていたルミノレアもニヤニヤと笑っている。
「とにかく外に出よう。ここでは戦えん」
「あんた……何言ってんの?」
鳥男が驚いたように眉を吊り上げた。
確かに女王様は大変だよ。だがな、あれだって誰か他の人間の体を使っているんだ。他の寄生された人達と違って、命まで危険だ。だからこれ以上させられるか。
「お前らを倒すと言っているのだ」
私とミーアは無言で外に向かって早足で歩いた。後ろからルミノとコモナがこれも無言でついてくる。
途中、村人がいる部屋の前も通り過ぎた。ここの人達も助けねばならない。
玄関を出ると、待っていたルピアと男達が駆け寄ってくる。
「マユカ!」
「皆、戦闘態勢に入れ。ここの二人は第二階級の役付きだ」
ルピアはすぐに頷いた。きっとまた私の頭の中を読んだのだろう。テキパキと私に代わって兵士や戦士に指示をだしてくれている。
黙って一緒に出てきたルミノレアが私の前に飛び出してきて立ちはだかった。
「愚かな事よ。エルドナイア様のお姿を見ても気は変らんというのか?」
「ああ。お前らもその体から放り出して、女王も助ける。最終的には向こうの大陸にいる大女王もな!」
「ならば……大女王様の所に行く前に、ここで始末してやるよ」
極彩色の鳥男がポケットから何か取り出した。
縄の先に錘のついたもの。ふうん、こいつはまた面白い武器を使うのだな。*流星錘か。
「ルピア、薙刀をくれ」
出来れば武器は使いたくないが、相手が使うならこちらも備えなくてはならないだろう。
言葉もなく私が手を挙げると、それを合図にグイル、リシュル、イーア、ミーアがざっと広がった。相変わらずいい立ち位置で展開するな。
ルピアは他の兵士と共に少し離れた。
「お前は戦わないのか? コモナレア」
すました顔で玄関に立っている女幹部に声を掛けると、彼女はふっと鼻で笑った。
「私まで動けば、周りにいる雑魚共がエルドナ様の所へ行くかもしれません。隙は作りたくないですから。ルミノ一人で充分でしょう」
ふん、可愛げの無いお返事だな。
再び侵入し、女王の虫を捕獲するためにはこのルミノ、次にコモナを倒さないと無理だという事か。まあいい。いずれコモナのほうも戦いに引きずり出してやる。まずは一人ずつ確実に行こう。
寄生されている体が鳥族というのは初めてになる。これまでほぼ犬族だった。さて、どういう動きをみせるのだろう。ミーアでわかるように、身が軽く動きが素早い事だけは予測できるのだが……。
ぶん、ぶんと音をたて、ルミノが流星錘の縄を回す。
先は小さいが重そうだ。当たればかなりのダメージを食らうことは必至。
「皆、気をつけろ」
暗い夜の屋外で、四人目の役付き、第二階級ルミノレアとの戦いが始まった。
*流星錘
長い縄の先端に金属製の錘を取り付け、その錘を縄を回す反動で標的に当てて攻撃する中国発祥の武器。錘一つの単星錘と両端につけた双星錘がある。(ルミノレアは単星錘)




