2:黄金色の子猫
何とか事なきを得た……のだろうか。
気がつくと私は医務室で寝かされていた。
完全にイッてしまった私は、足元の子猫に手を伸ばして抱き上げたのは覚えている。その瞬間、部屋中の子猫が一斉に私の元に駆け寄って来たのも。
ヨチヨチと色とりどりのふわふわの毛玉が、私の元にみゅーみゅーいって寄ってくるさまは……。
昇天。
いや、一匹二匹なら、叫んで取り乱すだけ乱れて、イメージを壊すだけ壊し、皆にドン引きされるという事態に発展していただろう。しかしながら、あまりの嬉しさに私のテンションは臨界点を超え、気を失ってしまったのだ。これは幸い……なのだろうな。気を失う前に醜態を晒していなければの話だが。
「申し訳ありませんでしたあああぁ!」
上杉巡査がまたもフライング土下座している。
「まさか東雲さんが突然息を荒くして鼻血を流して倒れるなんて……アレルギーだったんですね? だから今までも現場で野良猫を見た時に激しく避けていたのですね? 気がつかなくて本当に……」
泣くな、ワンコ。こっちが泣きたいわ。子猫が可愛いあまり興奮しすぎ、鼻血を出して倒れたなんて末代までの笑いものだ。
だがそうか。猫アレルギーという事で収まったのか。今まで猫を激しく避けていたのは、ギリギリの理性のなせる業なのだがな、実際は。
「上杉君のせいでは無い……ところで、あの子猫達はどうした?」
「回収して一応拾得物扱いで管理されてます。でも生き物なので動物愛護センターの方にお願いしてもうすぐ引き取りに来ます」
「なにっ!?」
馬鹿者っ! 二・三匹はお持ち帰りしようと思っていたのにっ!
「現在箱の送り主を捜査中です。鑑識が指紋の解析をすすめていますが、誰がいつどうして東雲さんのデスクに置いたかもまったく不明で……」
「署内の監視カメラは? あんなに大きな箱だし、子猫とはいえ大量に入っていたとなると相当重いはずだ。搬入したらわかるだろう?」
「いや、それが……」
こうしてはおれん。これは何処の誰の嫌がらせだ。私のイメージを崩して楽しむ愉快犯の仕業か?
この手でとっ捕まえて一本背負いで沈めてくれるわっ。
「あのぉ、東雲さん」
勢い良くベッドから飛び起きた私に、上杉巡査はおずおずと声を掛ける。
「何だ?」
「鼻血止まってるなら鼻の詰め物取ってから来てくださいね。流石にそのままいつもの無表情は恐ろしすぎます」
……むぅ。許すまじ。犯人っ!
不思議な事が起きた。
子猫達が箱ごと消えてしまったのだ。署員が交代で見ていたにも関わらず、誰も箱を持って行った者もいないのに。
そして、消える前に箱を調べた鑑識は、開けた上杉と藤堂さん以外の一つの指紋も見つける事が出来なかったという。
「なんだか怖いですね」
「ああ、怖いな」
「東雲さんの『うにゃああああ!』という寝言も怖かったですけどね」
「……忘れろ、上杉。正拳突きで忘れさせてやろうか?」
犯人もわからず終いで、この猫騒動はわずか一日で迷宮入り。
……のはずだった。なのに。
「なぜ?」
家に帰って玄関のドアを開けた私を待っていたのは、巨大なダンボールだった。署から消えた箱だろう。
なぜ、目の前で小刻みに揺れているのだ。何故みゅーみゅーと聞えているのだ。ってか、何故鍵の掛かっていた私の部屋の玄関マットの上に置いてあるのだ?
何の嫌がらせだ? 私は今までそんなに人に恨みを買う事をして来覚えは……あるな。ふむ、こんな職業だ。きっと恨む人間も多数いるだろう。だがどうやって部屋に入った? 合鍵でも勝手に作ったというのか? もはや嫌がらせというだけでは済まん犯罪だそ。
みゅーみゅー。かりかり。
ああ、魅惑の音が私を誘う。
開けちゃっていい? いいよね? ココ私の家だしぃ。 ペット禁止のマンションじゃないしぃ。
いや待て。あの大量の猫ちゃん達がまた一斉に飛び出してきたら……?
「お姉さ~ん。早く開けてよぅ」
おー、よちよち。私だって早く開けたいんだよぉ。だがしかし……ん?
「待て。今誰が喋った?」
空耳だ空耳。この魅惑の鳴き声に私の猫ラブ心が反応しただけだろう。
「僕ですよ。箱の中ですぅ」
……何故、独り言に返事がある?
萌えはどこかに瞬時に消えた。
人が入っているなら問題ないでは無いか。その方が問題だというツッコミはいらん。
僕? 男か。ならば不法侵入の罪でしょっ引けば良いだけの事。
「何故このような犯罪を犯す?」
「どうでもいいから、早く開けて。仲間に引っ搔かれて痛いんだよ」
どうでも良くないぞ! これでも私だって一応独身の女だぞ。
だが、職業柄刃物を持っていようと怖いとも思わん。もし抵抗したら死なない程度に、顔面に拳と膝を入れてくれる。
そろり。
慎重に箱を開ける……と、うるうるした幾つもの目が一斉に私を見た。
「くっ……!」
飛ぶっ! 飛んでいくっ! 私の理性があああああぁ。
雪崩の如く溢れ出る子猫。多分私は無表情のまま、口をぱくぱくしていただろう。
そして吹き飛ぶ理性。
「のわあああっ! 可愛いいいいぃ! やん、やんっ。何匹いるのっ! 触らせてっ! もふもふナデナデさせるのじゃぁああ!」
「お、おねえ……さん……?」
ハッ! そういえば不法侵入犯罪男は何処に?
恐る恐る覗き込むと箱の中は空だった。
「おね~さ~んってば~」
ぷにぷに。私の手の甲に柔らかな玉が当る。
肉球っ! くわあああっ、この弾力。たまらんっ!
「ね~ってば」
「え……?」
短い後ろ足だけで立って、私の手の甲に前足を乗せているちょっと変わった毛色の子猫。金色? 初めて見るな、こんな綺麗なネコちゃんは。それになんという愛らしいポーズ!
ってかさぁ、喋ってない? このコ。
「やっと僕の方見てくれたね」
「……喋ってる?」
「うん」
???
むずっと金ぴか子猫ちゃんを抱き上げた。くすぐったいとか何とか言っているが、関係ない。
エメラルドの様な美しい緑の目。純金で出来てるみたいな毛。ヒゲまで金色だ。肉球だけがラブリーなピンク。なんと……なんとビュリホでわんだほ~!
思わず頬ずり。ぬおおっ、この柔らかい毛っ! まるで耳かきの後ろについてるアレみたいじゃないか! やっぱいい。子猫最高っ!
悶ている私に子猫は言う。
「僕に口づけしてください」
「もうっ、ちっちゃいコがマセた事言ったらメッでしょっ!」
「……性格変わってるよね、おねえさん」
「おねえさんだなんてぇ! 麻友花ってよ・ん・でっ」
もう人語を喋ってようが関係無い。可愛いもんは可愛いっ!
「では、マユカ。僕にキスしろ。速やかに」
命令口調? ナニ、そういうプレイがお好み?
「いいのか?」
「早くしろ」
ではお言葉に甘えまして。
むちゅ~。
「の、濃厚だな」
ちょっと目を細めた子猫ちゃんはにやっと笑った……様に見えた。
「皆の者! 今契約は終わった。救いの戦士を我らが世界へ!」
「みゅ~!!!」
子猫達が一斉に私の方に駆けて来る。ヨチヨチと。ポテポテと。
そして私はもふもふでふわふわの毛玉に全身包まれた。
本日二回目の昇天。合掌してくれ……。