13:女幹部の鞭
「私は第三階級西方方面第二司令フレイルンカス。貴女が猫族の王に召還されたという戦士ですか。様子を拝見しておりましたが、本当にお強いのですね。その仮面の様な表情一つ変えない冷静さは賞賛に値しますわ」
執務室の美女が言う。
大変長ったらしい肩書だな。それが第一印象だった。
「それはどうも。私は東雲麻友花という。この無表情は……褒めるところでない」
女同士での無言での睨みあい。イーア、グイルは口も開かず横に立っている。
この寄生されている女性はとても知的な顔の美人だ。声の調子、表情などどれをとっても自然で、虫に意識を支配されているように見えないのが不思議だ。額の印さえ無ければ本当にわからない。
しかし、『役つき』というのは下っ端とは全く様子が違うのだな。ヴァファム本体の力が強いと、同化する力も強いということなのだろうか。第三階級とか言ったな。それがどの位の上位なのかはわからないものの、第三があるなら第二も第一もあるということだ。まだ上がいるのだろう。まだ手合わせしていなくとも、このゾクゾクするような気配、気圧される感じ。三番目でこれだけということは上はもっとすごいのだろうか。そう思うと恐ろしい。
フレイルンカスとやらは穏やかに、だがゾッとするような笑みを浮かべて更に語る。
「異世界より来た貴女には本来この世界の事など関係ないはず。そんな貴女に女王様の素晴らしい世界の創造を邪魔をして欲しくないのです。痛い、辛い思いをなさる前に自分の世界にお帰り願えれば嬉しいのですが」
帰れるもんなら帰っておるわと即答したかったが、流石に横にグイルとイーアもいるので我慢した。まあ、確かに関係無いかもしれんがな。
「……脅しか」
「脅しではありませんわ、事実です。我らが世界になれば、争いも自己の欲望により人を貶める事も無い。力なきものもすべて保護し、その生命も無駄にはしない。完全な秩序と管理の元、平等で平和な世界になる。女王はそのような崇高な意志のもと動いておいでなのです。それを違う世界の人間が邪魔なさるというのは間違いだとお気付きにならないほど愚かなのでしょうか?」
かなりカチンと来た。完全な秩序? 平等で平和? 崇高な意志だと? どこぞの二流政治家の演説のようなことを。そういうのは嫌いだ。愚かで結構だよ私は。
「……統制がとれ、管理の行き届いた社会というのも悪くは無いと思う。だが、それを崇高だと言えるのか? 本来の考えも思考ものあるものに寄生し、その人の意思は無視というのも気に喰わん。保護とは名ばかりで、繁殖のために女子供を飼うというのもな。あれのどこが平等だと? 平和などというものは管理されて成される物では無い。人は己の欲望も競争もあってこそのものだ。確かに私はこの世界の人間ではないが、本来のこの世界の人の考えはわかっても、虫の価値観など理解できぬ。そちらこそこの世界に相容れぬものだと理解できないほど愚かなのだろうか?」
思い切って言い返しはしたが、慣れない難しい事を喋ってちょっと舌噛みそうになったぞ。
「……話し合いは無理のようですね」
美人さんの顔から微笑みが消え、すっとデスクの前に出てきた。
ついにやる気になったか……と身構えた私達の前でフレイは手を翻した。
一見ロングドレスに見えたが、フレイが肩に掛かっていた布を掴んだ途端、一瞬でするんと脱げた。おお、早変りのようでカッコイイではないか! ……いや、感心してる場合じゃない。
現れたのは結構露出高めのぴっちりスーツ。エナメルっぽい真紅ってどうよ? ハイヒールのニーハイブーツって。しかもいつの間にか手に鞭を持ってるし。その鞭だって、カウボーイが持つような一本の太い鞭じゃなく、先が幾本にも別れたいわゆるスパンキング用の……。
女王様! 勿論虫の女王じゃなくて、夜の女王様の方っ!
――なんなんだろう、こういうのこっちの世界でもあるんだという衝撃が半端ないんだが。
顔が知的な淑女風なのに、ぽんぎゅっぽんの女性らしい見事なスタイルが異常にいやらしい気がする。ヒールのある靴は動き難そうでも、当ると痛そうだ。
「ふふ、緊張しておいでですわね」
緊張ってより、そのいわゆるボンテージの格好に呆れてるんですけどっ!
この威圧感。背中に般若のプリントのあるどこぞの組長よりも迫力あるかもしれない。
しかしまあ……お子様のイーアもいるのにその恰好なぁ。まあ以前ガサ入れの時にそういう格好のおじさん同士の遊びの最中に出くわした事もあるしな。それと比べれば綺麗なもんだ。
気がつけば、じりじりと間合いを計っていた。
ついに『役つき』との初の対峙。
グイル、イーアもそれぞれ囲むように広がっている。いい間合いだ。
この部屋はそこそこ広いが、デスクやソファーなどの障害物が多い。さて、どう戦う?
まず動いたのはフレイだ。鞭を撓らせて私の方にかかってくる。
早い! 間一髪でかわした鞭が床でぴしっ! と大きな音を立てた。
「へえ、かわすとは」
フレイは驚いたように言いながら、第二、第三の攻撃を繰り出す。かわすのがやっとで、なかなか懐に入れない。こいつ、すごく動きが早い。一対一の綺麗ごとでは早く倒せないかもな。
ちら、とグイルの方を見ると、グイルは何も言わずに後ろに回りこむようにすいっと動いた。よし、挟もう。
「何人ででもかかってらっしゃい」
余裕の笑みを浮かべながら、更に私の方へ来る。今度はヒールの足が高速で蹴りに来た。これを肘で受けると、私はすかさずフレイの床についてる方の足を払った。しかし、フレイはバランスを崩しかけても体操選手の様に前転飛びで逃れる。
すごいな。今までの奴とは桁が違う。俄然燃えて来た。
この際、鞭は喰らうのを覚悟で組みに行く。いいタイミングでグイルが後ろから蹴りを入れる。
「うわっ!」
びしっと撓った鞭がグイルの足に命中したが、その隙に腕を取った。よし、行ける!
掴んだ腕を軸に思いきり投げたが、くるりと回しただけで綺麗に着地されてしまった。一瞬こちらも見惚れるほどの美しい動き。
そして味方はグイルの他にもう一人いるのだった。空いた脇にイーアが触れる。
お魚少年の電撃攻撃。
「ぐ……!」
フレイルンカスが膝を着いた。少しは効いたみたいだ。やるな、イーア。腕を握ってた私も一緒に痺れたがな! 冬場の静電気のバチっていうのの何十倍も来たぞ!
「ゴメン、マユカ」
「……いい。よくやった」
多分顔には出てないだろうが、私も相当効いた。地味に見えて渾身の一撃だったんだなイーア。私とフレイの髪が逆立ったのがわかったもん。
本気で怒ったのか、ボンテージ女から今までとは比べ物にならない殺気が立ち上った。
びしぃ! と大きな音を立てて、床を鞭で打って立ち上がる。
「この私に膝を着かせるとは……!」
いや、最終的には膝つくだけじゃなくて、おねんねして頂かなければならんのだが。
グイルも起き上がったものの鞭で打たれた場所がかなり痛そうだ。スパンキング用とはいえ、鞭の威力は侮れないな。華奢なイーアに当ったら大怪我しそうだ……ってか、それ以前にイーアはこういう密集する現場には向かない。味方がヤバイ。ゾンゲを行かしたのをやや後悔。
そんなわけで、イーアには危ないからと下がっていてもらうことにした。
美人が台無しになる鬼の様な形相で、鞭を振り回しつつフレイが襲ってくるのを躱しつつ、隙を探って二・三発蹴りを入れてみた。例によって尋常でない素早い動きで逃げられ、当ったのは一回だけ。しかも最後は鞭で足を絡めとられてしまった。柔らかい鞭はこういう使い方もあるのか!
「うふふ、捕まえましてよ」
げ、片足上げてるこのポーズ、すごく恥ずかしいんですけど! って、そんな場合じゃない。
「こんな状況でも表情を崩さないとは。余裕ですのね」
余裕なんかないのだがな。表情筋死んでるのかな、私。
ぐいっと引っ張られ、バランスを崩して床に尻をついてしまった。その瞬間、何か光明が見えた気がする。
フレイは鞭を纏めて両手でぐいっと左右に引っ張り、一本の棒のような形にして私の首を押さえこんだ。
「この強い体は女王様に差し上げたいものですね」
興奮したように上気した、美しい女の顔が近づいてくる。首を押さえられて息が苦しい。
女の背後にグイルが迫っているのが見える。勿論フレイも気がついたのか、一瞬鞭が緩んだ。よし、今だ!
フレイの腹の下に片足を入れて……巴投げ。
見事に飛んで行ってくれて、ついでに重そうな執務用のデスクにぶつかってくれた。がしゃん、と大きな音がした。こんなもんで倒せるわけは無いので、すかさず追いかけ、グイルが鞭を取り上げる隙に鳩尾にもう一撃拳を入れておく。
「ぐはっ!」
役つきとはいえ、寄生されているのは女性。ここまでするのは多少気が咎めるが、それでもまだ気を失わない。
「おのれ……」
そうフレイが呟いた直後。何かきーんと音が聞こえた気がした。この女の口から出てる?
仕方あるまい。最後のトドメだ。
「イーア、もう一回痺れさせてくれ」
「了解~!」
とどめはお魚少年のビリビリだった。死んでないよね? うん。大丈夫みたい。
「下っ端とはまったく違ってかなり強いのだな……役つきというのは」
思わず漏らした私の言葉に、グイルが苦々しく返す。
「ああ。第三階級という事はまだ役つきの中でも下の方で弱い方だ」
うっ、マジか? やっぱりか。それに三人掛かってこの苦戦? こんな夜の女王様じゃなく本物の女王って一体どんなものなのだ? ま、今回のこちら側のダメージの半分は味方からだ。イーアは大人数相手かトドメにだけ使おう。
そのイーアは執務室の窓を開けて、他の仲間にここか片付いたことを知らせる狼煙を上げている。 まだ寄生されたままの『フレイ様』は、ぐるぐるに縄で縛ってグイルに担いで行ってもらうことにした。
う~ん、ボンテージの上に縄って、何だかとんでもない眺めなんだけど……お子様もいることだしこの世界の者はそんな事は知らないだろうから……まあいいか。
流石に私も多少は疲れたし、鞭が当ったところは僅かにミミズ腫れになっている。まだ腕は電撃のビリビリ感もちょっとあるし。そう思っていたら心配そうにイーアが覗き込んでいた。
「大丈夫かマユカ?」
「大丈夫だ。お前は怪我をしなかったか?」
「うん。マユカはやっぱり強いんだね。僕のビリビリで顔色一つ変えなかったのはマユカだけだよ」
腕が痺れてるのは黙っとこう……この子も頑張ったんだもんな。
そこで私は大事な事を思い出した。
「そうだ、早くルピアの所に行かねば」
慌てて役場から出た所で、こちらから行かずとも向こうから来た。
ゾンゲ達が馬で掛けて来るのが見える。そのゾンゲの腕の中で金の髪が揺れていた。
なぜか胸がずきんと痛んだ。




