鉄仮面な伝説の戦士は猫がお好き

最終章 決戦大女王編

終話：私は猫が好き

　朝。軽く二・三キロ走り、汗を流して朝食を済ませると職場へ行く時間。

「私はもう出かけるぞ」

　まだ布団にもぐりこんだまま出て来ない、寝ぼすけの小さな同居人に一声掛けると、やっともぞもぞと顔を出してピンクの舌と小さな牙をのぞかせて大きくあくびをする。そしてお返事。

「みゃおぅ」

「出来るだけ早く帰る。いい子にして待ってるんだぞ」

　頭を軽く撫でるとベッドから飛び降りて着いて来た。

　足に縋りついて来る小さな体を、ドアに挟まないように注意して私は部屋を出る。鍵は掛けておかないと、勝手に外に出て車に轢かれでもしたら大変だし、片手で持ち上げられるほど小さいからベランダに出たってカラスに攫われてしまいそうだ。

　そう、同居人は子猫。

　大事な大事な子猫ちゃんは、私の言葉もちゃんと理解してるし、頭がいいからトイレだって失敗しない。ゴハンも置いておいてやればちゃんと食べる。昼間はおもちゃで一人でいい子で遊んでるみたいだし、家具で爪を研いだりもしない。だが寂しいのか、私が出かけようとすると、しばらくドアの所で鳴いている。

「みぃー！　みぃー！」

「……くっ」

　正直毎朝後ろ髪引かれる思いだ。出来るものなら私だって片時も離れたくはない。懐にでも入れて連れて歩きたいのだが、生憎私は公務員だ。しかも危険な現場にも行かなくてはならず連れてはいけない。

　なるべく定時に帰ってくるから待ってろよと、今日も私は職場へ急ぐのだ。子猫ちゃんのエサ代やおもちゃ代も稼がなきゃいけないしな。

「おはようございます、東雲さん」

「おはよう、上杉君」

　今日もなかなか抜けた顔をしているな、上杉。寝ぐせがついてるぞ。

「し、東雲さん？　普通に笑ってませんか？」

「にこやかに挨拶して悪いか？」

　お前の寝ぐせが面白くてつい笑ったとは言ってやらないが。

「いえっ！　東雲さんでも笑うと結構美人ですよね～！」

　上手を言っても何も出ないぞ。それに「でも」ってなんだ。「結構」って。色々失礼な奴だ。大外刈かけるぞ？

　こうして私は、日本で刑事としての日常に戻った。

　私が猫の国の残念な王様に呼ばれ、様々な冒険と戦いをした期間は、軽く数ヶ月はあった気がした。

　大女王を倒し、別れるのが嫌で泣きながら魔法陣に飲み込まれたあの後……私は自分の部屋で目覚めた。日本のマンションの一室で。

　着ていたのは戦士の鎧ではなく仕事用の地味なパンツスーツ。テレビをつけてみたら日は経っておらず、あの猫の箱騒動のあった翌日の早朝だった。

　全ては一夜の夢だったのだろうか。だが何もかもが思い出せる。出会った人々、共に戦った仲間、街の風景までくっきりと。

　あの猫の飛び出してきた箱は玄関には無かった。やはりただ仕事に疲れてそのまま寝てしまい、リアルな夢を見ていたのだろうか。

　でも心にぽっかりと穴が開いてしまったように寂しくて虚しいのは何故。

　私はやっと表情を浮かべない鉄の仮面を脱ぎ捨て、笑うことも泣くことも怒ることも出来るようになったというのに。それは心の底から大事だと、愛していると思える相手に出会えたからなのに。

　それも夢だったというのだろうか。あの金色の髪と緑の瞳の、歳よりも子供じみた、でも優しくて誰よりも我慢強い男にはもう会えないのか。夢だったのか。

　あの長ったらしい名前だって覚えているのに。髪の一筋、首を傾げる角度まで、目を閉じれば浮かんでくるのに。

「ルピア……ルピア……」

　思わず溢して、寒さに震える人のように自分の肘を抱いた。この腕に抱きしめたあの重みが恋しくて。温かさが欲しくて。でも今は空っぽ。

　寂しく立ち尽くすしかない私の足元で、何かがか細い声をあげた。

「みゅぅ」

　足元を見ると、小さな小さな、生まれてまだ数日しか経っていないような子猫が私を見上げていた。

　金色のふわふわの毛、エメラルドを嵌め込んだような大きなまん丸の目。ぴんと立った大きな耳にふさふさの尻尾。この子猫ちゃんは……。

「ルピア？」

「にぃ～」

　返事をするように目を細める子猫。

　夢じゃなかった！　夢じゃなかったんだ！

　子猫を抱き上げて頬ずりすると自然に涙が溢れてきた。

　嬉しくて、愛しくて、切なくて涙が止まらなかった。

　また会えた。

　温かくて柔らかい小さな体。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな生き物。でも、でもこの世で一番大好きな男。

　魔力を使い果たして、またこんなに小さな子猫になってしまって。それにこっちの世界では人間の姿にはなれないって言ってたのに……誰かに突き飛ばされてたのは見た気がしたけど。

「一緒に来たのか？　よかったのか本当に。王様がいなくなって国はどうする？」

「うみゃん」

　子猫は誤魔化すように頭をぐりぐりと私の胸に擦り寄せる。

　言葉も話せなくなってしまったのか。でも私の言葉はわかってるみたいだ。私の涙を舐めとるざらざらした小さな舌。泣かないでと言っているようだ。

　これは悲しくて出る涙じゃない。夢じゃなかった事が、こうしてまた一緒にいられることが嬉しくて、後から後から涙が出てくるんだ。

　もう離さない。さようならなんて言わせない。猫のままでも愛してる。ずっとずっと一緒にいような、ルピア。　

　それから一週間、私は体調がすぐれないからと、溜まっていた有給を使い仕事を休んで片時も離れずにずっと子猫と過ごした。

　ルピアはむこうでも召喚の魔法を使った後は平静を装っていたが、瀕死になるほど弱っていたのだ。先の戦いで既にボロボロに傷ついた体もいえていなかったのに弱っていたのに、私をもう一度こちらに送り返し、更に自分も来てしまった。しかもどうやったのか時間さえも超えて。やはり無事なはずが無かった。

　前よりも小さな子猫になってしまったのがその証拠で、しばらくルピアは声も掠れてあまり動かなかった。

　私は折角会えたのに死んでしまうのではないかと心配になって、少しでもとずっと抱きしめ、キスをして過ごした。その甲斐あってか、子猫は日に日に元気になり、ミルクも沢山飲むようになったし、家の中を活発に動くようになった。一週間で初日よりは一回りほどは大きくなったので、少しづつでも回復していく兆しが見え始めたのだろう。

　まるで普通の猫になってしまったようなルピア。それでもいい。喋れなくても、見た目が普通の猫でもいいからもう離れたくはない。

　途中、私は必要に駆られて買い物に出たりしたが、ルピアは私の部屋の中にいる限り少しは離れても大丈夫だとわかったので、思い切って昼間は部屋に置いて仕事に行くことにした。

　そして、夢では無かったのだから、この世界に帰ってきたのは私だけではないと知ったのは、初めて仕事に出た日の事だった。

　私は実質一晩しか経っていなかったわけだが、三年前に姿を消した事になっていた軽部敬一郎が見つかったと藤堂さんが報告してくれた。彼が篭っていたビルは建て壊されて既に無く、更地になった跡地でぽつんと立ち尽くしていたという。

　元々軽部は不起訴になっているから逮捕はされない。しかし経過観察中の逃走ということで全く手放しで開放とはならない。軽部は消えていた間の事を色々と正直に喋ってはいるけれど、勿論誰も信じてはいない。私を除いて。幸いなのか気の毒なのか、更に精神を病んだと判断されて入院処分となった。

　彼の大好きな、清潔で秩序のある病院での生活だ。そう悪い待遇でもないだろう。それでも少しは気の毒なので、ちょくちょく見舞いに行ってやろうと思う。

　全ては元の生活に戻りつつある。

　代わり映えのない、日本での日々。それでも私は変わったと思う。

　子猫ちゃんがいるから。守るべきものがいるから。

　私はこれからもずっと、猫の王様を守る戦士でありたい。

　聴きこみと巡回の仕事を終え、携帯の待ち受けに撮った愛しの子猫ちゃんの写真を見る。ああ、もうすぐ帰ってコイツに会えるとついニマニマしていると、上杉巡査も別の現場から帰ってきた。

「ニヤニヤしちゃって。あ、ひょっとして彼氏の写真でも見てるんですか？」

「まあ、そんなところだ」

「見せて見せて！」

　むう、勿体無いが見せてやる。

「どうだ可愛いだろう」

　自慢げに見せてやったのに、上杉の反応は微妙だった。

「うわー！　猫ちゃんじゃないですか。やっぱり彼氏じゃないんですね」

　やっぱりとは何だ上杉。技掛けるぞ、しまいには。

「現在同棲中の彼だぞ。イケメンだろう」

　渾身の一言だったのだが、上杉にはするっと流された。むう、やっぱり背負投げ決定だな。

「すっごい可愛いですね。変わった色の毛だな、金色に見えますけど。こんな綺麗な子猫ちゃん見た事無いです。何ていう品種ですか？」

　品種か……何なんだろうな。そういえば気にした事が無かった。

「知らん」

「ええ？　なんっすかそれ。ペットショップで買ったんじゃないんですか？」

「拾った……いや拾われたのかな？」

　拾われたってのも違う気がするが、説明のしようもないしな。

「猫ちゃん、名前は何ていうんですか？」

　よくぞ聞いてくれたと、私は愛しい男の名前を言う。

「ルピア・ヒャルト・デザール・コモイオ七世」

「な、長くて変な名前ですね。何っすか七世って」

……ほお。変とはなんだ、無礼者め。せっかく教えてやったというのに。

「しっ、東雲さんっ、笑いながら拳振り上げないでっ！　無表情より怖い！　いい名前です！　素晴らしいお名前ですっ！」

　ふん。当たり前だ。由緒正しき王たる猫なのだぞ。ちょっと時々残念だが、イケメンで足が長くて、魔法が使えて誰よりも優しくて強い男の名前なのだぞ。

「何だい、楽しそうだね」

　今度は耳かき片手に、藤堂警部が覗きこんできた。いつ見ても和む風貌のおじさんだ。現場で鬼の藤堂と言われているのが嘘のように。

「東雲さんちの猫ちゃん、すごく可愛いんですよ。写真を見せてもらってたんです」

　なぜか得意げに上杉が報告する。

「へえ、東雲さん猫飼ってんの。私にも見せておくれよ」

「いいですよ」

　写真を覗きこんだ途端、藤堂のおやっさんの目尻が更に下がった。

「ホント、可愛いねぇ。東雲さんがこの頃いい顔をしてると思ったらそういう事だったんだねぇ。そりゃね、こんな子猫ちゃんと一緒にいたら鉄仮面の修羅も仮面を脱ぐわな。癒やされるよねぇ、猫は。私の家にもいるよ、三毛のおばあさんが」

　ふうん。藤堂さんも猫好きだったのか。初耳だな。

「今度連れておいでよ。なぁに、怒られやしない。こんなちっちゃい子、家に一人で置いとくの可哀想じゃないか」

「はぁ」

　いいのかな？　公務員がそんなことで……と、思ったら横で連れておいでの言葉に目を輝かせて喜んでいる男がいる。

「僕も子猫ちゃん抱っこしたいです！」

「上杉君は駄目」

　即答しておいてやった。

「なんでー？」

「オスだから、若い男は引っ掻かれるぞ」

　なぁ、ルピア。

　夜。部屋に帰って扉を開けても一人じゃない。玄関マットの上にちょこんと座って待っていてくれる相手がいる。ただいまと言える相手が。それだけで日々に潤いがある気がする。

「ただいま」

「うにゃんぃ」

　なんか最近、猫の声がおかえりと聞こえる気がするのは気のせいかな？

「いい子にしてたか？」

「にゃう」

　ルピアにゃんこは当然と言いたげに返事をしてしっぽをゆらゆら。

　出来合いだが買ってきたおかずで晩御飯を食べるのも一人じゃない。

　ちょっと贅沢な王様の猫は、柔らかい缶詰のキャットフードがお好みのようで。上等のなんかすごくいい匂いがするし、人間が食べても美味しそうだもんな。

　今日のまぐろ味はルピア様のお口に合ったらしい。食べっぷりが半端ない。

　テーブルの足元に置いてやった専用の皿が早々に空っぽになったからか、爪を立てずに私の足をぱふぱふしてもっとくれアピールだ。チビなのによく食べる。

　ああ、そういや本当は二十四歳の男なんだもんな。一番食べる盛りかもしれない。

　でもいくら美味しかったとはいえ、小さな子猫の体で食べ過ぎてお腹を壊したら大変だ。もう今日は駄目と私が目で語ると、ルピアはちょっと首を傾げてうるうるした目で見上げてくる。

　ううっ、その目は反則だろう！

　そしてルピアは絞りだすように、おかしな声をあげた。

「まぅ、か」

「え？」

　今私の名前を呼んだ？　喋った！？

「ルピア、もう一回言ってみ」

「まにゅか～」

　上手に言えたから褒めてと言わんばかりに、私の足に頭をすりすりしてくるのが限りなく普通の猫らしい動きなんだが。

　でも、でも！

　喋った！　私の名前を呼んだ！　やっぱりあのルピアだ！

「お前、ひょっとして昼間は言葉の練習してたりする？」

「にゃ」

　うんうん頷いてるし。

　いつかまた残念な言葉をべらべら喋ってくれるかな。魔力を溜めて大きくなったら、ひょとしてこっちでも変身出来るようになるかな。

　また会えるかもしれないな、あの美しい男に。

　焦らなくても、もうずっと一緒だから。無理しなくていいから、ゆっくりゆっくり大きくなってほしい。

「うにゃ。まぅか、にょっと」

　あんまり嬉しかったので、つい猫用おやつの乾燥かまぼこをやってしまった私はちょっと甘いかもしれない……。

　最後に言っておく。誰に？　そんなツッコミはいらない。

　私は猫が好きだ。大好きだ。

　この柔らかで触り心地のよい毛並み。

　くるくるした宝石のような目。くにゃんと柔らかな体。

　誘うように揺れる尻尾。蕩ける様な肉球の手触り。

　自分が構って欲しい時だけ擦り寄って来る気まぐれな態度。自分がどうやったら一番人間に可愛く見えるかを知っているような計算された動き。

　……見てるだけで自然と目尻が下がってしまう癒される生き物。

　私は猫が好きだ。心の底から愛してる。

　　完