10:悪夢と優しい子猫
「ほれ」
ぱたぱた。
私がおもちゃを動かすと、頭を低くし、持ち上げたお尻をフリフリしながら、標的をキラキラした目で追う子猫。しばらくして狙いすましたように飛びかかってくる。
「うにゃっ」
捕まる前にさっと退けてやると、空振りした短い前足はいっちょ前に爪を出してて、パーの形に広がっているのがなんとも。猫って手が可愛いんだよおぉー!
「コッチだぞ」
また動かしながらぱたぱた。何度でも追ってくる小さなハンター。
「みゃっ!」
少し上で振ると、後ろ足で立って必死で伸び上がってるそのポーズ、いいよっ!
ああ、でも。
細い棒の先にリボンを結びつけただけのもで、良くまあ飽きずに遊べるな。うん……私もな。
「もう疲れただろう? 私もそろそろ眠い」
「えー、もっと遊んでもいいよ。あ、そうだ。添い寝する? なんならマッサージもするぞ」
首を傾げるな。クラクラするではないかっ。猫にゃんのマッサージといえばふみふみ! あれはたまらん。あのにぎにぎするかのような手の動きっ! 萌え――っ! ……でなくて。
こう見えて中身はアレだからな、この猫。
「ルピア、お気遣いはありがたいが、たとえその姿でも同衾は断る」
只今、猫族の大国デザールの若き国王、ルピア・ヒャルト・デザール・コモイオ七世閣下は金色ラブリー子猫ちゃんモードに変身中である。
それなりに文化水準の高いこの世界であっても、残念ながら宿屋にテレビなど無い。レコードと蓄音機に似たもので録音した音楽を流せるという技術があるだけでもたいしたものなのだが、それ以外に娯楽など無い。というわけで、夕食と入浴の後、私の娯楽として子猫ちゃんとの戯れタイムをご提供いただいたのだ。私にとって至福のご褒美でも……中身がわかっているだけにしばらくすると萌えはやや薄れてきて、理性が戻ってきた。
昨日、初の村丸ごと奪取に続いて、今日はもうあと二つ近隣の村も無事ヴァファムの占領から取り返す事が出来た。今はそんな解放した村の宿屋で休ませてもらっているのだ。
「隣村とこの村の人達とそれに寄生していたヴァファムから聞き出した情報によると、この先の街は更に深刻な事になっているらしい。明日以降は今日以上に大変だぞ。恐らく上位の『役つき』がいる」
突然真面目な話をし始めたルピアにゃんこが金髪碧眼美青年の姿に戻った。
ん? ちょっと待て。
「ヴァファムから聞き出した情報って、あのビンに入れた奴等は生きてるのか?」
「勿論だ。仮にも知的生命体をそう簡単に殺せないよ。あれであの小瓶は魔法がかけられた特殊な作りになっていて、数年はあの中で快適に生きられる。幾つか瓶が満タンになったらその後を考えるよ。どうせ女王以外は寄生していないと寿命は非常に短いし」
そうだな。幾ら見た目が虫とはいえ、確かに命は命だ。向こうも他の種族を殺さないのだから、こちらだけが大量虐殺も後味が悪い。少しは安心できた。
でも。あの瓶に満タンって。イヤーッ! 虫がびっしりって嫌だぁ! 鳥肌たった。
まあ、それは置いておいて。今、私にはそれ以上に気になる事があるのだ。
……なぜ、そうも密着したがるのだルピアは。さっきから何度も距離を取るために身を躱そうとついてくる。
少しは慣れて来たとはいえ、花でも背負ってそうな美形ぶりにそう近くに居られては心臓に悪い。考えてみたら、ゾンゲ氏は豹の基準ではどうなのかわからないが充分カッコイイと思うし、グイルにしてもリシュルにしてもタイプは違えどかなりレベルの高いイケメンだ。ミーアも女から見ても非常に美人、お子様のイーアでさえ美少年顔。メイドちゃん達も皆超可愛いし、この世界の容姿の水準って全体的に高くないか? その中にいる私はすごく地味な気がする。あの珍妙な鎧を除いて。
「そんなことないよ。僕としては、マユカは充分美しいと思うよ」
「また考えを読んだな……いい、お世辞など言わなくても」
「世辞などではない。僕は真剣に言っているのだぞ。だから……」
「ハイハイ。では明日からに備えてもう寝るから」
心にも無いことを言う口は達者と見えるルピアを適当にあしらっておいて、私は用意してもらった部屋に向かう。
それでもやっぱりすぐ後ろを歩いてくるルピア。
「何故ついてくる?」
「隣の部屋だから」
良かった。コイツの事だから職権乱用で同室にされたのかと思ったぞ。一応独身の女としては恋人でもない男と一緒の部屋はどうかと思う。
安心したのもつかの間。やっぱり残念なルピアの一言がいけなかった。
「本当は一緒の部屋で、尚且つベッド一つで良かったのにね」
久々に王様を背負い投げで床に寝かしつけて差し上げた。これでよく眠れるぞ、感謝しろ。
怖い。重い……。
お父さん、お母さん、何か喋ってよ。
両親は私の上に被さったまま動かない。私を抱きしめたお母さんだけじゃなく、お父さんが更にその上にいるから、私はまったく動けない。
二人の隙間から見えるのは怖い人。蛍光灯の光で浮かび上がる銀色の刃物。黒い帽子とマスクの間から見えてるのはギラギラした目だけ。
お隣のジョンの吠える声とだんだん近くなってきたパトカーのサイレンが聞こえる。代わりに 怖い人の足音が遠ざかって行く。
おまわりさん、助けて、助けて。怖い、重い。
お父さんもお母さんも段々冷たくなっていく気がする。呼んでも返事をしてくれない。
―――おまわりさん、どうしてもっと早く来てくれなかったの?
柔らかな感触が頬に触れて、眠りの底から意識が引き戻された。
「大丈夫?」
優しい声が掛かって目を開けると、緑の瞳が覗き込んでいた。ルピアだ。
「泣かないで、マユカ」
「……泣いてなど……」
滑らかな指が私の目尻を拭う。泣いてないつもりだったのに、涙、出てたのか……。
私が起き上がるとルピアはびくっと身を引いた。また投げられるとでも思ったのだろうか。あれだけ言ったのに、勝手に人の部屋に入って来た事を咎められると思ったのか。だが……今はそんな気にもならない。
窓に目を遣るとまだ外は暗い。枕もとのランプの光で浮かんだ姿はとても綺麗だ。
「ゴメン、酷くうなされてたから。まだ起きるには早いよ。もう少し眠るといい。僕は部屋に戻るから安心して」
「いや……ここに居てくれ」
おい、私は何を言っているのだ。勝手に口が……。
久しぶりに昔の夢を見た。
きっと昼間『飼われて』いたお年寄りや子供達を見たからだ。呼びかけても返事をしてくれない両親に、小さな心はどんなに傷ついただろう、そんな事を思ったから。
あの夢を見ると酷く心細くて、寂しい気持ちになる。
ルピアがしゃがんだと思ったら、子猫の姿でぴょんとベッドに上がって来た。もっとも、飛び上がりきれずに落ちそうになり、シーツに引っかかって短い足をぱたぱたしているのが可愛くて、つい悶そうになる。慌てて抱き上げると、くるくるした目が微笑むように細められた。
「この方がいいだろ?」
「……ありがとう、ルピア」
柔らかな子猫の体を抱きしめると、言いようの無い安心感がある。私は自分でも自覚がないまま、それ程までに気弱になっていたというのだろうか。
きっとルピアには私の心が読めているはずだ。だが、いつもは無駄なことをべらべら喋るくせに何も問い詰めたりしない。
本物の猫と同じ。悲しい時は何も言わずにそっと傍に身を寄せていてくれる。目を閉じてただ暖かな体温だけを与えてくれる。猫はそんな生き物。
小さな欠伸でのぞく牙と舌が可愛い。
こいつ……本当はいい奴なのかもな。今度からもう少し手加減してやろう。
「大きな町だな。ここも全て寄生されているというのか?」
朝、身支度を整えた私達は早速次の町に着いた。思っていたより大きな町だ。昨日までの村とは随分違い、石やレンガで出来た立派な建物も、等間隔で並ぶ街灯や石畳で舗装された道路も、デザールの王宮近くの町と比べても遜色ない。相当の人口が住んでいるはずだ。
だが町は静か。道に走る馬車も、行き交う人も無い。
「全員が全員寄生はされていないだろう。逃れた人達はどこかで身を隠しているはずだ」
「あと、『役つき』に寄生されている者は恐らく役場や、重要な施設にいて下っ端に指示を出していると思う」
事情に詳しいグイルとルピアが説明してくれた。
そこで、三つに分かれる事にした。
「私とゾンゲ、グイルで『役つき』がいるかもしれない町役場に向かう。ミーアとリシュルは、デザールの兵と一緒に、逃れて寄生されていない者や、捕らえられている女子供を探してくれ。特にミーアは連絡係も頼む」
「了解っ!」
「任せてください」
羽根のついた手で敬礼に似た形でミーアが良い返事をする横で、リシュルも静かに頷いた。
下っ端くらいなら一般兵でも何とかなるし、ミーアとリシュルがいればかなりの数襲ってきても大丈夫だろう。
「ボクはぁ?」
魚族のちびっこ戦士イーアは自分だけ名前が出なかったので心配になったようだ。勿論イーアにだってとても重要な役割がある。
「イーアはルピアの処理部隊と一緒に中央の噴水広場で待機。もし途中下っ端が大勢襲ってきても、イーアなら電撃で皆を守れるだろう?」
「まっかせてー!」
よしよし、やる気満々だな。
緊急の連絡用にそれぞれ狼煙を携帯。早速別れて行動にでようとした間際。
「僕はマユカと一緒に行く」
ルピアがいつに無く深刻な顔で出てきた。
「駄目だ。王様には大事な責任があるだろう? それに危険だからイーアはと待ってろ」
それでも駄々っ子の様に首を振るルピアは、心もち青ざめているようにも見えた。夜明け前の事を思い出して、少しは気持ちが動かなくも無かったが、だからこそ余計に王様を危険に晒したくは無い。
「皆を信頼してどしっと構えてろ。マスター」
「でも……あまりマユカと距離が空くと……」
何か言いかけたが、無視して背を向ける。諦めたのかルピアも自分の隊の方へ向かった。
作戦開始。それぞれが別れて行動する。
もう少し人の話を真面目に聞いておけば良かったと、後悔したのはその数時間後だった。




