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十分ほどかけ自宅に戻った天馬たちを出迎えたのは、タンクトップにショートパンツ姿の我が妹、九条萌華だった。
目線の先は常に天馬に向いており、隣で揺らめくマシロの姿を認めているのか、これだけでは判断材料が足りないと言える。
首に湿ったタオルをかけ、ほんのり赤らんだ血色のいい頬。いつもは見事なまでのツインテールなのだが、今は髪がぺたと濡れてストレートヘアになっていた。どう見ても湯上がり状態である。
さっぱりとした様子の萌華は、昔ながらの棒アイスを口にくわえていた。湯上がりという相乗効果と露出の多い服装も相俟って妙な色気を放っていたが、六反田といい勝負のちんちくりんであることを除いても、妹相手に欲情などするはずがない。ましてやシスコンなどでもない。
「ただいま、萌華」
兄の挨拶を聞いた萌華は、口からアイスを抜いて、片足を上げおっさんのようにポリポリともう片方の足を踵で掻くと、
「天兄ぃ帰ってくんの遅すぎ。門限とかないけど、ご飯間に合わない時は連絡しろって口酸っぱく言われてんじゃん」
おかえりも言わず睨むようにキッと目を眇める。長年生活を共にしているだけあって、天馬を恐がらず平気で悪態までついてくる。天馬にしてみれば、ある意味それが心地よかったりもするのだが。
「たはは、天馬くんが咎められてるー」何が面白いのか笑うマシロは「この子、天馬くんの妹さん? へー、可愛いねー、ふーん。ぜんぜん似てないね!」
さっきからうっせェなこいつ。
確かに妹は、天馬とは似ても似つかない可愛らしい顔をしている。
性格の方は、どちらかというと天馬よりでがさつなのだが、見てくれの良さと裏表のなさから男ウケは非常にいいらしい。
兄妹といえど、やはり萌華の目にも浮遊するマシロの姿は映らず、フリーダムな幽霊は放っておくことにし、ひとまず謝罪。
「悪かったよ。言い訳じゃねえけど、カバンにスマホと財布入れっぱにしたままで連絡の取りようがなかったんだ」
「完全に言い訳じゃんそれ。あ、そうそう。天兄ぃの舎弟第一号を名乗る前なんちゃらって人が天兄ぃのカバンと傘届けてくれたから、部屋にカバン投げ込んどいた」
「いや投げ込むなよ置いといてくれよ。まぁサンキュな」
「ん」
再度アイスを口にくわえ踵を巡らすと、大股歩きでずんずんリビングに入っていった。
前垣内のやつ、わざわざ家まで持ってきてくれたんだな。舎弟にした覚えは一ミリもねェが、この功績に免じて目を瞑っといてやる。
「ねえねえ、天馬くんの妹さんの名前なんて言うの?」
「萌えーの萌えに、中華の華で萌華。俺の一つ下だから今年受験生だな」
「萌華ちゃんかあ。こんなに可愛いんだからきっと学校じゃモテモテだよおにぃちゃん♪」
「知るか。妹がモテたところで俺には関係ない」
「……」
「ん? どうした急に無言になって」
「え? あ、ううん。何でもない何でもない」
変なやつだなと思いつつ階段を上がる。天馬の家は築二十年の二階建て一軒家だ。階段を上り、すぐ右手のところに天馬の部屋はあった。扉を開け電気をつけると、この部屋の家主である天馬よりも先にマシロが部屋へと飛び込んでいった。壁をすり抜けず待っていたあたり律儀と言うべきなんだろうか。
ベランダ付き六畳一間の自室には、勉強机、本棚、ベッド、テレビとその台、その他ゴミ箱といった生活する上で最低限の物が置いてある以外は、これといって特に目ぼしいものは見られなかった。
「へ~、思ったより綺麗だね。というか閑散としてる? 男の子の部屋ってどこもこういうもんなの?」
「あまり物を置く習慣がねえからな。他の野郎どもは知らんし知りたくもない。っと、萌華のやつ、本当に投げ捨ててやがんな……」
ベッドの上に無造作に転がる通学カバンを拾い上げ、勉強机に置く。それから鞄を開け教科書類を取り出す。
「帰ってすぐ明日の準備って、ひょっとして天馬くんって優等生?」
「そんなんじゃねえよ。ただ後回しにするのが嫌なだけだ。――ん?」
鞄に突っ込んだ手が、何かに触れる。
それは筆箱などではない。やけに小さい。掬い上げると、雑に折り畳まれた一枚の紙切れが出てきた。当然こんな紙切れに心当たりはなく、しかし興味を引かれた天馬が開いて中を確認すると、その紙にはミミズが這ったような字でこのように書かれていた。『その女に関わるな。死ぬぞ』と。
「……なんじゃこりゃ?」
「うわわっ。脅迫文なんて、わたし初めて見たよ」
「俺だってそうだ。つーかこの場合、忠告に近いかもしんねェけど」
背後霊よろしく天馬のすぐ後ろから顔を覗かせるマシロが肩越しに「その女ってひょっとしてわたし? わたしかなっ」と、なぜか嬉々とした声を上げていた。天馬の気のせいでもなければ、どこか楽しんでいるようにも見える。他人事だと思って、と天馬は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるがすぐに平静を取り戻す。
「なんにしても幼稚なイタズラだ。書いたやつの程度が知れる」
と、陳腐な言葉の羅列に踊らされるつもりのない天馬だが、犯人探しには少しばかり精を出す気でいた。
といっても、心当たりのあるやつといえば、考えるまでもなく前垣内だったりするのだが。
書く書かないといった行動原理や動機は除いたとして、他のやつらは天馬を恐れ近付くのですら躊躇うというのに、こんな命知らずな真似ができる、さらにはそれをする時間があったのも前垣内一人しかいない。一応妹にも仕込むだけの時間はあっただろうが、萌華に限ってそれはないと断言できる。
消去法によりあっさり結論は出、文面にあったその女というのはマシロか六反田のどちらかだろうが、こればかりはすぐに結論が出ない。前者だとすれば紙に明記した人物にも幽霊が見えるということになるし、後者であれば時間的にも天馬の行動を知っていなければ不可能なはずだ。
しかし先ほどにも言ったようにただのイタズラという線が極めて濃厚だろう。これを前垣内がやったかどうかはともかく、明日問い詰めてやることに決めた天馬だった。
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