表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

 男・九条(くじょう)天馬(てんま)、十六歳は、未だかつて経験したことのないほどの人生の岐路に立たされていた。

 地元を根城とするヤクザに囲まれた時も、強盗犯と間違われ警察官総出で追い掛けられた時も、ここまで心臓が跳ね上がったことはないだろう。

 それほどまでに、天馬にとっては、後頭部を鈍器で殴られたくらい衝撃的すぎる出来事であった。


「――ちょっとアンタ聞いてんの? 早くこの中から誰が一番いいか選びなさいよ」


 あからさまに苛立ちをはらんだような声に加え、傲然(ごうぜん)とした目が狼狽する天馬を射抜いた。


 こんなにも狼狽(うろた)える自分はひどく滑稽(こっけい)だと自らを戒め、しかし未体験の世界であることには変わりないため、我慢ならずついには呻いた。


 誰が一番いいか選びなさいよという言葉の通り、ここには相対する少女以外にも二人ほどいた。

 同じく天馬に星空のような双眸(そうぼう)を向け、それに対し直視するのもままならず天馬らしからぬ態度で視線を誰もいない宙へと振った。文字通り逃げを打ったのだ。顔に似合わず初心(うぶ)な反応と冷やかされたくはないが、事実その通りである以上もはや否定のしようがない。

 一体どこで道を踏み外したらこんな事態に陥るのかと、物事を客観的に捉えられるようになった天馬は散らばった思考の欠片をかき集めるように思い出す。


 今、天馬が置かれている状況を簡単に説明すると、それはつまり――モテていた。


 有り得ない、と天馬は思った。

 別に己を過小評価しているつもりは毛頭ないが、春が来たことのない自分にとってはどうも疑わずにはいられない。疑心暗鬼を生ずだ。遅まきながらモテ期が訪れたといえばそれまでだが、天馬に限ってそれはないだろう。


 なぜなら、天馬の顔は怖かった。


 無表情の時ですら親の死に目に会えなかった怒りを露にしているようで、笑った日には死人が出る。事実、一部の人間からはそう(ささや)かれていた。

 さらに、怖いのは顔だけではなかった。

 ゆうに百八十はあるであろう立っ端は他者を威嚇するには十分すぎる威圧感があるようで、加えて鍛えてもないのに無駄に筋肉質な体型が人々の恐怖感を煽った。因みに両親は痩せ型体質であり、どこかで遺伝子組み換えを間違えたんじゃないかというのが一般的なサラリーマン家庭で生まれ育った天馬の本音である。


 とにもかくにも、天馬は怖かった。箔付きだ。ヤクザの若頭と言われても何も違和感がないほどに強面、高身長であり、精悍せいかんすぎる身体付き。

 そんなワルないしマッチョな男が好きという女も中にはいるだろう。何せ十人十色なのだ。外面ではなく内面を好いているという可能性も決してゼロではない。

 しかし頭上で疑問符を旋回させる(すべ)しか持たない天馬は、もしや美人局なのでは? 裏に男がいて全員がグルになって自分を(おとし)めようとしているのでは? と疑心暗鬼全開の思考へと傾いていた。

 そして一度傾いてしまったらすぐに戻すことはできず、天馬はこうなった経緯を大分前にまで遡り特定しようと躍起になった――。




 例年通り梅雨入りを果たした六月の週末は生憎の雨模様が続き、それが解消されないまま訪れた月曜日は見事と言う他ないくらい土砂降りとなった。

 当然それは学校ないし教室という密閉された空間はいやに湿度が高く、かつてないほどにじめじめしていた。

 元々無骨な性格であり、あまり素行のよろしくない天馬だが、むやみやたらと難癖を付けたり他人に危害を加える真似はせず、触らぬ神に祟りなし。余計なちょっかいさえ出さなければ石の裏に住み着くダンゴムシくらい無害な存在だった。が、今日だけは異なった。

 ただでさえ憂鬱な月曜日に雨降りの相乗効果は絶大であり、例に漏れず天馬の気分は最悪のものとなっていた。もしかしたら登校途中、水溜まりの汚水を走行車にかけられたせいもあるかもしれない。


 イライラと貧乏揺すりをし、地震後のちょっとした余震みたいになっていると、板書を終えた社会科教師が天馬と目を合わせた瞬間、わざとらしく視線を逸らした。極め付きには下手な咳払い付きだ。教師すらも恐れる存在、それが天馬という男である。


「あー、あー……龍泉寺(りゅうせんじ)、ここに当て嵌まる言葉が分かるか?」


 天馬に代わって名指しされたのは、今まで一度も話したことのない、いや誰かと話している姿さえ見たことのない女生徒、龍泉寺(りゅうせんじ)木葉(このは)だった。天馬の左二つ後ろの席に座る龍泉寺はつっと目を細めると気だるそうに立ち上がり、これまた覇気のない声で、「……無欲」と言った。


「正解だ。座っていいぞ」


 正答したことに特にリアクションをとることもなく、言われるまでもないといった様子でストンと腰を落とした。どことなく謎めいていて影のある少女だ。そう天馬の目には映っていた。

 退屈そうに頬杖をつく天馬は、欠伸を噛み殺し、再度教壇に立つ教師へと目を向けた。


「――であるからして、二○二五年七月三十日に人間の本能といえる三大欲求に無欲が正式に追加され、食欲、睡眠欲、性欲、無欲の四大欲求へと変化したわけだ」


 ……この内容何回目だよといい加減天馬はうんざりする。小中のみならず幼稚園でも聞かされた内容だ。とっくに耳にはタコができていることだろう。

 と、耳に障る声がしたのはそんな時だ。


『(はぁ~ダリィ、はよ帰りてぇ~)』

『(今日の帰り彼氏とどこ行こっかなあ)』

『(……はあ)』


 授業中にも関わらずはっきりとした声量で声が聞こえてきた。軽い学級崩壊だ。しかし教師も周りの生徒に至っても誰一人として反応しない。まるで何も聞こえていないように。


「……であるからして、未だに大きな爪痕を残し復旧作業が進行する二○十八年に、他人の考えていることが分かる報告が続々と挙がり、口に出さずとも直接脳内で会話ができるようになったわけだ。ここはテストに出すから覚えておくように。といってもサービス問題だろうが」


 何度も使われる『であるからして』がいやに耳に残るが、着目すべき点はそこじゃない。


 ――直接脳内で会話ができるようになった。


 これは天馬の聞き間違いでも何でもない。確かに、社会科教師――うちの担任である袴田(はかまだ)和人(かずと)はそう口にしていた。



 ――――今から三十九年前。


 二○十二年七月七日。

 織姫と彦星がたった一度だけ会うことを許された七夕の日に、地球にいくつもの隕石が衝突し、甚大な被害をもたらした。

 大気圏で小型隕石がある程度消滅し、中型隕石が主要都市から外れ、海上や僻地にばかり落ちたのは奇跡という他ない。その代償として、津波による二次災害が発生し、多くの地面を穿(うが)ち、大きなクレーターを残すこととなったのはそれこそ遺憾の意しかないだろう。

 地球全土に渡り多大な人的被害をもたらしたことから、その時のことは『二○一二年アースインパクト』と呼ばれ、世界中で今もなお語り継がれている。


 そしてその六年後、二○一八年。

 順調に被災地の復興が進む中、世界各地で他者の心が読める人間が続々と報告された。

 一体何がキッカケとなったのか、地球上に住まう人類のみが開花した力。口に出さずとも直接脳内で会話が可能となった世界――。

 不思議な力が使えるようになったと諸手(もろて)を上げる者から、いきなり得た力に戸惑いを抱く者など様々で、そのほとんどが後者に属していた。

 科学的な説明が付かず、この問題について世界的に一石が投じられることとなり、病気の一種であるという医学的見解、我々は神に認められさらなる進化を許された新人類になったと宗教的な問題にまで発展。しかし、その僅か数ヶ月後に染色体異常が確認されたことでこの問題はあっさり決着した。


 病名――『染色体異常シックスセンス症』。


 巷間に諸説乱れ飛ぶも、こうなった原因は一切不明。一説にはアースインパクトによる影響とも言われているが、明確な根拠がないため真実は未だ定かである。


 この心を読む力に関してだが、利便性に長けている反面、同時に数多くのデメリットも孕んでいた。

 一部の相手のみを指定して会話をするといった器用な真似はできず、周りの人間に思ったことが筒抜けとなり、他者の心を読み取れないようにするという融通も利かないため、嫌でも頭の中に飛び込んできてそのことでいざこざになるのは想像に難くない。事実、そうなっていた。


 ちょっとしたことでのトラブルや思考が読み取れるのを悪用した犯罪が増加し、まともな対策さえも取れないためいたちごっこにすらならなかった。何の気なしに考えたことでさえ他人に漏れてしまうためプライバシーもへったくれもなく、人間不信に陥る者や鬱病になる者が後を絶たなかったと聞く。


 復旧作業が完了する二○二五年に、正式に三大欲求に無欲が加わり四大欲求へと変化、考えることを止めた思考停止人間が数多く生まれることとなった。自ら無心となり考えさえしなければ無用なトラブルは避けられるという結論に至ったからだ。


 それから十年という年月が流れたある日、大手有名企業であるリオネール社から他者に心を読まれず、なおかつ他者の心を読めなくなるアイテム『思考プロテクトver.1』が販売され、爆発的に売れると同時に社会現象にまでなり、今では政府公認の必需品として、常時装着を義務付けられなければならない法律が日本のみならず世界的に定められたのだった。


 これにより人類は平和という二文字を取り戻し、昔と変わらない平穏な生活を迎え入れることに成功したのだが、せっかく開花した力を封じるなどもってのほかだと政府のやり方に意義を唱える組織が現れ、テロリストとして現在進行形で抗争を続けているようだ。



 ここまでが、現代社会に組み込まれた歴史であり、一見天馬とはあまり関係のないように思えるが、実のところ大有りだったりする。

 その功績が世界でも認められ、一躍有名企業となったリオネール社から販売される『思考プロテクト』、通称『Sプロ』。

 一つ三万三千とそこそこ値は張るが(最新機種の値段)、デザインは多種多様でカラーの選択も自由、補聴器のような形状となっていて耳かけ型が主流だろう。今ではバージョン5まで出ている。

 大した意味もないだろうが、基本的に、思考プロテクトは片方の耳に装着していればよく、腕時計とは反対に右利きの人は右耳に、左利きの人には左耳に装着されている場合が多く、右利きの天馬も例によって右に付けているのだが、正直天馬には何の意味もなさない。先に言っておくと、右利きだからとかは無関係だ。


 というのも、その原因は天馬自身にあった。


 天馬の場合、Sプロを装着していても半径十メートル圏内にいる人間の心を読み取ってしまう、言わば特異体質の持ち主だったからだ。


 たまに十メートル圏外からでも読み取ってしまう時があるが、それはさておき。


 物事がつく前からその異常性に心付いていた天馬は、そのことを両親に打ち明け精密検査まで受けたのだが、これといった異常は発見されず、子供の構ってほしいという心理状態から出た言葉ということでこの話はあっさり終幕した。過去に似たような報告例が挙がっていなかったのと、その頃一つ下の妹にばかり傾注していたこともあり、最終的には子供の戯言と一笑に付されたわけだ。

 天馬としても嘘という汚名を着せられたままでは納得がいかないと本音では食い下がりたかったが、その反面これ以上両親に迷惑はかけられないと年齢不相応ながら感情を押し殺し、すごすごと引き下がるしかなかった。


 そしてこの特異体質が治ることなく、しかし誰にも悟られることなくいつしか高校生となった天馬だが、慣れというのは本当に恐ろしいもので、今や脳内に響く声にもノーリアクション、スルーを決め込むことが出来るようになっていた。

 先ほどのような平々凡々な思考から、自分に向けられるコエ~という正直な所感まで様々だが、出会い頭で激しくビビっているのに去り際で手のひらを返したように悪態をつかれるのを聞いた日には、我慢ならず殴りかかってしまうかもしれない。


 時刻は既に十五時を回り、残すところこの退屈な授業を消化するだけとなっていたのだが、恐いだの消されるだの天馬に恐怖する言葉を今日だけでかれこれ五十回は聞いている。もちろんそれは脳内での話なのだが(たまにヒソヒソ声もある)、入学して二ヶ月、ここまで顔を合わせているのだからいい加減慣れろよと言いたい。しかし言ったら言ったであっという間に恐怖政治が構築されてしまいそうなため、結局無意味に業を煮やすしかなかった。天馬の生きにくい世の中になっている。そんな感じ。


 そんな詮無いことを考えているうちに本日の終了を知らせる鐘が鳴り、担任が教科担当だったためそのままホームルームを済まし、一年A組の教室はいち早く放課後を迎えた。

 五限目まで窓を叩いていた雨音は、まるでイラつく天馬のご機嫌を取るかのように鳴りを潜め、晴れ間がのぞくことはないものの、雨が降りそうな気配は小一時間ほど掻き消えていた。


 身の丈に合わない小さな通学カバンの持ち手を掴み、肩の後ろへ提げて早足に教室を出る。

 本来今週が天馬の掃除当番だったのだが、天馬が箒を握るや「くくく九条さんは掃除なんてやらなくていいよ」というおどおどした同級生の一言により、あっさり免除されたのだった。が、内心はこうである。


『(九条さんと掃除なんてしたらゴミの代わりに僕達が掃除されちゃうよ……)』


 ……誰がうまいことを言えと。


 もちろんそんな物騒なこと自体一度も考えたことないが、にしても同級生相手に君付けじゃなくさん付けとは、いかに天馬が恐れられているのかが分かる。


湿った靴に履き替え、まだ完全には乾ききっていない傘を回収し昇降口を出ると、天馬を恐れる声に混じって天馬の姿を発見し歓喜の声を上げる者、いや名前を呼ぶ者がいた。


 ところで肉声と脳内に響く声を聞き分ける方法は意外と単純だ。前者は外部から直接耳に入るため基本的に間違えることはないし、後者は若干ノイズがかったように聞こえる。単純とは言ったものの慣れるまでに多少時間はかかるかもしれない。


 今回の場合は脳内の方で、あえて振り向かずすたすたと歩いていると、ひょっこり脇から小柄な男が顔を覗かせた。


「へい兄貴。今日はえらく早いんスね。ホームルームボイコットして追っ掛けてきちゃいましたよ」


 ボイコットは組織的な意味合いで使うものだというマジレスはせず、代わりに「兄貴は止めろっつってんだろ」と睨みを利かせて忠言した。

 対して揉み手する行商人のように笑う男は「こりゃどうもスンマセン、九条の兄貴」と悪びれた様子もなく言ったことから顔を般若へと変え憤慨(ふんがい)――はせず、そのまま右から左へ聞き流した。恒例というか割りといつものやりとりなのだ。この男が学習能力皆無なのは今に始まったことじゃない。


 この男、名を前垣内(まえがいと)海斗(かいと)といって、声変わりもまだのこいつが絵に描いたような不良に囲まれていたところをたまたま通りかかった天馬が助けたのがキッカケで、恩人である天馬を兄貴と慕い敬い、今では天馬の腰巾着と成り下がっていた。

 まるで長いものに巻かれるというのを体現したような男だが、舎弟なんて連れ歩いた日には余計に根も葉もないうわさが流れそうなため(すごく今更な気もするが)、天馬としてはあまりよく思っていないのが本音だ。ただ付きまとわれる分には人畜無害ではあるのでとりあえず何も言わないでいる。

 それに、天馬を恐がらない人種というのは大変貴重なもので、不快に思わないというのが前垣内を近くに置く最たる理由だろう。


 荷物お持ちしますよと飼い猫のようにすり寄る前垣内に傘だけを手渡し、一定のペースを保ってそう遠くない帰路を辿る。

 天馬の自宅は学校から徒歩圏内にあり、わざわざ自転車を使用するまでもないのだが、同じ歩幅で一歩後ろを歩く前垣内はどうやら片道一時間近くかかるらしく(本人が以前話していた)、自転車や交通機関の利便性についてこんこんと語ってやりたかったが、本人からしてみればいらぬお節介だろうと胸中に押し留めていた。


 他愛もない話ばかり振る前垣内に適当に相槌を打ち、相変わらずじめっとした外気に触れながら肩で風を切って歩いていると、本当に突然不快に感じる程度の高音が耳の奥で鳴り響き、その直後『(死んでやる……!)』という聞き慣れない女の声が頭の中で反響した。

 それから急に眩暈を覚え、近くにあった電信柱に手を付きこめかみの辺りを押さえていると、その姿を見兼ねた前垣内が「だ、大丈夫スか兄貴」と心配するような声を掛け介抱しようと近付いた。しかしそれには反応せず辺りをキョロキョロと見回す。どこだ。どこから聞こえた――。


 急速に都心化が進む中、まったくと言っていいほどその影響を受けず未だくたびれた市街地と雑居ビルに混じって今時珍しい廃墟ビルが点在していた。


 そしてその内の一つ、その屋上。

 たまたま見上げたそこに人影を認めた天馬は手にしていた通学カバンをキョトンとする前垣内の胸に押し付け、無心にでもなったように考えるよりも先に足を動かした。いや、勝手に動いていた。


 見てみぬフリはできないというのも少なからずあるが、どうしても止めなければならないという衝動にひどく強く駆られたからだ。


 無論過去にもこれと似たような経験をしたことはあった。

 基本的には、心を読むことが可能な半径十メートル圏内ではなく圏外から直接脳に響き、決まって先ほどのような眩暈に襲われる。さらに届いたとしても助けを訴える人物が見付からず泣く泣くその場を後にしたことがほとんどだったが、これまでに川で溺れかけていた子供を助けたこともあったし、穴のあいた壁にすっぽりとはまり抜けなくなった女子高生を助けたこともあった。助けに来たのが前科五犯でも違和感のない天馬で初めは恐がられたものの(相手が女子高生の時はバックで犯されると散々騒がれたし)、最後には皆一様にありがとうと感謝の言葉を掛けてくれたのは正直悪い気はしなかった。


 素行はよろしくないが人助けには労を惜しまない精神を持つ天馬は、今回に至っても例に漏れず、立ち入り禁止と書かれた札付きの鎖を軽く飛び越え、階段を一気に駆け上がり、厳しい鉄の扉を開け放ち屋上に出た。出た瞬間、気圧差からか突風に煽られた。


 思わず目をすがめ正面を見据えると、そこにはやはり女がいた。

 後ろ姿ではあるが背丈はあまりなく、短く切り揃えられた髪が風に吹かれさやさやと揺れた。周りが見えていないのか、息急き切って現れた天馬に気付いた様子はない。


 女の姿を認め、安堵はするがまだ気は抜けない。なぜならここは十階建ての廃墟ビル、フェンスも何もない開放的すぎる屋上だ。いつ落下しても不思議ではないこの状況。落ちたら即死はまず免れない。


 やにわに、一身に風を浴びるが如く女がバッと両腕を広げた。まるで沈没する船の舳先に立っているような光景を彷彿とさせる。これで夕日が出ていたら実に絵になっていただろうが、今は生憎の空模様だ。神秘的とはとても言い難い。


「……」


 今より半歩ほど、女が歩みを進めた。

 屋上の一隅に前のめりとなり女は今にもダイブする寸前、ワニの口に頭を半分突っ込むくらいには絶体絶命のピンチと言えるだろう。


 状況が状況だけに冷静さを事欠いていた天馬は一瞬ピタッと足を止め、自殺なんて止めろと常套句(じょうとうく)を投げ掛けるべきか、走って無理矢理にでも押さえ付けるべきか思案し、すぐに後者を選択した。

 どんな経緯で死ぬのを選択したにしろ、その結論に至ったということは生半可な覚悟じゃないってことだ。それを理由も知らない第三者が割り込み投げ掛ける言葉ほど、陳腐かつ安っぽいものはない。


 やるべきことは決まったと心臓が早鐘(はやがね)を打つ天馬に背を向ける女のもとに短い助走で走り出す。助けるなんて偽善がましいことは思っちゃいないが、もうじき消えようとしている命の灯火をむざむざ見捨てるわけにもいかない。


 もう少しで手が届くという距離まできてようやく女が天馬の存在に気付いたらしかった。くるっと半回転し天馬の姿を認めるや端正な顔立ちが驚きに変わる。それほどまでにおぞましかったのだろうか。大きな双眸(そうぼう)を見開き、後ろに一歩下がり――


「――ッ! あぶねえ!」


 バランスを崩し転落しそうになる少女に、弾かれたように天馬は全力で手を伸ばす。もう少し、あと少しで掴める――が。


 スカッ。


「は……?!」


 伸ばした手はあっさり虚空を切り少女の身体を通過、いや透過した。

 いきなりのことによく事態が飲み込めず、こればかりは天馬の反射神経の賜物(たまもの)だろう。とっさに身をよじり体勢を立て直そうとするも時既に遅く、勢い余って屋上から宙に投げ出された。途端に、天馬の身体を得体の知れないものが這いずったようにひりひりと痛み出すが、今の天馬にそれを気にしている暇はない。どうする! どうする!? と助かる術を見出すことで頭がいっぱいだ。だが切羽詰まった頭で捻り出せるほど容易なものではなく、眼前に吊り下げられた死に臆し、ついに天馬は考えることを――生きることを放棄した。この状況、どうやっても助からないという結論に至ったからだ。


 少女を救おうとしたら自分が死にかけるという何ともバカな話だ。皮肉めいてすらいる。友人に話すのにちょうどいい笑い話くらいにはなるかもしれないが、いかんせん天馬に友人の一人もいないのがまた悲しいところだ。


 走馬灯なるものを見ることもなく、間もなく天馬の身体はアスファルトに叩き付けられようとしていた。距離があるのか、あるいは何も考えてはいないのか、誰の心も読み取れやしないが、キャー! という女の悲鳴が聞こえることから下界には目撃者がいるようだ。


 トラウマになるだろうから目を逸らした方がいい――最後にそんな他人を心配するようなことを(おもんぱか)り、地面に叩き付けられるすんでのところで、フッと蝋燭に灯った火が吹き消されるように天馬の意識が消失した。


ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

七年振りに神の視点を書くため稚拙な点が目立つとは思いますが、これからも更新を頑張っていくのでお付き合い頂けると幸いです。

次回、土曜日に投稿予定。誤字脱字、感想等があればお気軽にどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ