雨宿り
房総の季節は早い、関東の中でも特に。
雪になるかもしれなくて大変だ、と、首都圏で言っているのも、どこか少し他人事だったし。
でも……。
ギリギリ持つと思っていた天気は、俺の本日の講義が終わるのに合わせたかのようなタイミングで、曇りから雨に変わった。
傘を持って来れば良かったのかも知れないが、今日は単位認定試験の初日で、それも、午前に一コマ午後一コマの楽なスケジュールだったし、安物の傘はこの前の雨で壊れてそのままにしていたので、レポートをまめに出していた講義の試験同様に、傘なんて無くても大丈夫だろうと楽観視しすぎてしまった。
雪よりも、雨の方がどちらかと言えば厄介だな、と、思う。
雪なら、そのまま突っ切って帰っても良いかなと思うけど、雨でこの気温だと、ちょっと無謀すぎる。バカな中学高校時代ならともかく、もう大学生なんだし、……ああいうのはちょっと、な。
視線の先で、つめてー、とか、騒ぎながら走ってく、ほんとに大学生? と、疑惑の眼差しを向けたくなるチャライ集団に溜息を吐き、雨空を見上げ、一度だけ溜息を吐き――。
俺は一年の講義棟一階にある、図書室へと向かうことにした。
明るさから言って、雲は薄いみたいだし、長くはふらないだろうと思ったから。
最上階にあるコンピューター室は、……単位認定試験前に成績が危ういと確定している連中が、救済レポートでバタバタしているだろうし、行く気は無い。
学生証を通して、図書室の無人のゲートを抜ける。経費削減のためかなんだか知らないが、常駐の司書は見かけたことがない。いないわけじゃないと思うんだけど、準備室あたりでサボってるんじゃないかと思う。
まあ、利用者がいないんだし、それで問題は無いのかもしれないけど……。
高校とかの教室二つ分ぐらいの、小さな図書室。
大学一年用のキャンパスだからか、蔵書も少なく、自習用の二つの十人掛けの大きな机が、部屋の半分を占めている……?
奥の机、窓に面した場所になにか……って、人か、珍しいな。
机に突っ伏すんじゃなくて、椅子に深く寄りかかるようにして――若干、椅子からズレ落ちそうになっている、ショートボブの女の子が居た。
午後の三コマ目、もしくは今日の最後の四コマ目に試験があって、時間を潰しているのかもしれない。二コマ目なら、時間的にアウトだし。
取り合えず、関わらないでおこう、と、真逆の出入り口に一番近い席に荷物を置く。
試験対策、と言っても、一般教養は高校と差して変わらない内容だし、専門科目はノート持込可の論述式だからな。あんまり、今更の対策ってない。
まあ、うたた寝している女の子見てて、嫌な顔されても嫌だったので、適当に講義のノートを開いて目を落とす。
授業中や、勉強中だけ掛けている眼鏡をかける。
女の子は、少し背が低めで――今時じゃない表現かもしれないけど、お人形みたいな、女子大生としてすれてない感じの女の子だった。
去年の今頃に散々見飽きた……っていうか、英語は、良いか。もう。授業のテキスト、トムソーヤの原文だったし、大した試験にならないだろ。他は……モル計算もな、三角関数、数式の証明……。
なんか、いま、さら……、び、みょ、……う。
かっくん、と、自分の顎が――いや、首か? が、落ちた感じで目が覚めた。
試験勉強を夕べ頑張ったってわけじゃないけど、緊張して少し早い時間に起きたせいかも。
んー、と、伸びれば、瞼に明るさと温かさを感じ――、ああ、夕日が出たのか。
冬の夕暮れの、低い太陽の光がここまで伸びていた。
雨は上がっているらしい。
…………?
っと、口開けて寝ていたのか、ちょっと端に涎みたいな感覚があって、慌てて口元を拭う。そして、ふと思い出して窓際の席を見れば、あの女の子はいなかった。
出入り口は俺の斜め後ろなんだし、みっともないとこ見られてなきゃ良いけど。
晴れたし、帰るか、と、荷物を仕舞いなおそうとして――。
見慣れない、栞がノートに挟まっているのに気付いた。
「うん?」
なにかのおまけとか、学食で配ってたチケットでも挟まったのかな、と、引き抜いてみる。
桔梗の描かれた和風な栞で、全く見覚えが無い。裏返してみると――。
『ノートありがとうございます。それと、ごちそうさま。学生番号N1530237より』
うたた寝していた擦れていなさそうな顔のお人形みたいな女子は、意外と強かな子だったようだ。
ノートは良いとして、ごちそうさまってなんだよ、と、栞をひらひらさせて……いや、まさかな。
栞をノートの端に挟む。
学生同士なら、大学のホームページからログインした時にコミュニティメールを送れる。名前じゃなくて、学番を残したのは、だからだろう。
ふぅ、と、微かに溜息を吐く。
試験期間が終わったら、メールでも送ってみるか、な。
日が落ちきる前に、と、荷物をまとめて図書室を出る。
雨と試験で憂鬱だった気持ちは、晴れ上がったのと合わせたようにどこかへ行ってしまったようだった。