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One scene story  作者: ATS
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シーン001:色

 瑞葉みずはが事故によって視力を失ったのは、そう、すべての音を消し去ろうとする様な、雪の花びらが舞い散る寒い冬の夜だった。


「わぁ〜キレー」

 瑞葉はロングのフレアにヒールの高い革のブーツと言った格好にも関わらず、東京にしては珍しく積る程の雪にはしゃいでいた。


「瑞葉、そんなにはしゃいでいると……」

 と、俺が言い終わらないうち

「ドスン!」と言う鈍い音と共に、瑞葉が足を滑らせて尻餅を付く


「いっっ、痛ぁ〜」


「あははははははははは」

「っつ、何もそんなに笑わなくてもいいじゃない!」

 瑞葉はふくれっつらで

「ほら涼、レディーには優しくするてーのが男のつとめでしょ」

 と言って、手を突きだしてきた。


「ええ? 何処にレディーがいるって?」

 俺がそんな瑞葉の言葉に少々とぼけて見せると

「言ったわねぇ〜」

 と、瑞葉は握られた雪を固め、俺を目掛けて投げてきた……

 普段ならこんなにはしゃぐ事などは珍しかったのだが、東京にしては珍しくなった雪のせいか、夕闇のカーテンが昼と夜との世界を分けようとするまで、いつもと少し違う東京の町を楽しんだ。


 それにしても、いくら雪の降らない地方で育ったからって良くもまああんなに楽しそうにはしゃげるよ……


 少し前に聞いた話では、瑞葉は九州の雪の降らないところで育ったらしく、10歳の時に初めて雪を見た時には相当に感動したらしい。

 なにせ、普段は信じもしない神様が、自分の為に白い花びらを舞い降らせて銀色の舞台を作り上げてくれてるんだと本気で思ったそうだ。


 その事を俺が「なんともまぁ、乙女チックな事で」と、からかった時、瑞葉が「だって乙女ですもの」と、澄ました顔で答えたのを覚えている。

 まあしかし、初めて見た銀色の舞台に感動し、クラシックバレーを始めるきっかけにすらなった程だ、アレくらいの事は本当に思ったのかも知れない。

 そう言う部分で、瑞葉は乙女チックな部分を本当に持っているからだ……が、しかし、実はこの初めて見た雪の話には続きがある。


 銀色の舞台で1時間位ボーっと口を開けたまま立ち続けていた瑞葉は、その日、ひどい熱を出して寝込んだらしい。

 俺はそんな話を聞いて、いかにも瑞穂らしい話だと思った。


 ボーっとしてる所とか……ね


 俺はあの日、そんな事を思い出しながらアパートへと帰った。

 そしてあの留守電を聞く事になる。


 あの日のあのメッセージを聞いた時の事が、今でも詳細に記憶の中に残っている。


「おっと、留守電にメッセージが入ってるな」


 貧乏な一人暮らしの学生に、無理矢理、留守電機能付きの電話を買わせたのは、同郷と言う事で知り合った同じ学科の先輩だった。

 当初は電話なんてと言う思いが大きく、買わされてしまった感覚が強かったものだ。けれど、使って行く内に、あればあったで意外と便利な物だと思う様になっていた……。


 アレはそんな頃だった。

 留守番電話のメッセージが入っている事を知らせる赤いランプが、今でも嫌な記憶と共に思い出された。


ピーッ

「ロクオン・ハ・二件デス」

 機械的な音声が二件の伝言がある事を告げる。


 一件目は同じゼミを受講していたやつからで、レポートがどうのとか言う、どうでも良いような内容だった。


そして、二件目。

 いつもはのんびりとした口調が特徴の瑞葉の母が、少々早口ぎみに用件だけを入れたものが、俺の耳に飛び込んできた。


「あ、もしもし、涼君ですか? 高科(瑞葉の名字「たかしな」)です。今日ね、涼君と別れた後に瑞葉が交通事故に遭って、今○○の病院から……」

 俺はその留守電のメッセージを聞き終わると、上着を着るのももどかしいくらいに家を飛び出して、瑞穂が運ばれた病院へと駆け出した。


 外は、あれからずっと降り続いていた雪が……少し積もりかけていた。



 俺は、乱れた息も整わないまま、受け付けから瑞穂の居る病室を聞くとエレベーターに飛び乗った。


 5階へ付くまでがひどくもどかしく感じられた事も覚えている。

 そして5階に付き、瑞葉がいる病室の前まで来た俺は、乱れた呼吸を整えなければと辛うじて思い、何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから病室のドアを少し震える手でノックした。


コン・コン―――


「はい」

 病室のドアが開き、最初に出てきたのは瑞葉の母で、電話の時よりも幾分落ち着きを取り戻したのか、俺の顔を見ると少し表情を緩ませながら話し出した。


「ごめんなさいね。突然電話で呼び出してしまって」

「いえそんな事は……それよりも、瑞葉の具合はどうなんですか?」

 俺は自分では気が付かなかったが、静かな病室に大きく響く程の声を出していたらしい。

 瑞葉の母親は少々声のトーンを落としながら説明してくれた。


「ええ、車に轢かれたとは言ってもね、それ程相手の車もスピードが出ていたわけでもなかったらしくて、体の方には骨折とかはなかったの。だけど……」

 ここで少し間を空けて、ベットで寝ている瑞葉に聞こえない様に、更に声をひそめて説明してくれた。


「ただね、今はちょっと視力の方が戻って無いらしいの。詳しくは検査してみないと解らないらしいんだけど、お医者様の話だと外傷らしいものが見当たらないらしくて、一時的なショックが原因による精神的な視力障害なんじゃないかって ……」


 瑞葉の母親はそこまで説明してくれると「高科さんのお母さんですね」

「はいそうです」

「ちょっと来ていただけますか?」

 と看護婦に呼ばれ、入院するのに色々な手続きがあるのか

「ごめんなさい涼君。ちょっと瑞葉の側に付いていてくれるかしら」

 と、言って病室を後にした。


「りょう」


 瑞葉の母親が出て行くと、痛々しく目を覆うように包帯をしてベットに寝ている瑞葉が俺を呼んだ。

 俺はそんな瑞葉のベッドに近づくと、直ぐ横に置いてあった椅子へと腰を掛けた ……すると、瑞葉は包帯が巻かれていて見えないながらも、こちらの方を向いて

「あははっ、私ってドジだからさぁ、車にハネられちゃった」

 と、たぶん、俺に心配をかけたくなかったのか、それとも自分自身の平静も保ちたかったのか、努めて明るさを見せながらしゃべりだした。


 そんな瑞葉を見て、俺はかなり無理をしているな―――と、思わざるを得なかった。今は、それこそ事故の直後だけに色々と気が張っているから良いが、このまま視力が戻らないような事になったら……きっと瑞葉もその事が気になっているのだろう、表面の明るさが逆に不安な心を表していた。


 それを思うと、俺は居たたまれなくなって瑞葉の手を強く握りしめた。


「瑞葉」


 すると今までの緊張が一気に取れたのか、俺の手を強く握りかえすと胸に顔を埋め、肩を震わせながら声を押し殺すように泣き出した。


「わ、私、このまま視力が戻らなかったら……」

 このまま光を失ってしまうのではないかと言う不安が、瑞葉の心を押しつぶそうとしているのか、俺の手を握る彼女の手に力が入った。


「りょう……」

「大丈夫だよ瑞葉。事故のショックで、一時的に視力が戻らなくなっているだけさ」

「でも……でも」

「大丈夫、きっと見える様になるさ」

 今の俺にはこう言って瑞葉を安心させる事しか出来なかった。

 それに、絶対に瑞葉に視力が戻ると言う事は信じていた。

 だって、あれ程澄んでいて真っ直ぐな瑞葉の瞳に、光が戻らないなんて事を信じたくなかったから……




 しかし、この後一年を過ぎようとしても瑞葉の目に視力が戻る事は……なかった。




 あの後瑞葉は、検査の為に一週間ほど入院したのだが、視力が戻らない以外は大した外傷も無かったので、まもなく退院して自宅に戻る事になった。

 医者の話によれば、頭部の外傷はまったく認められない状態で、事故による精神的なショックが引き金となった視神経障害だろうと言う事だった。


「この先、突然視力が戻る事も、一生戻らない可能性もあります」

 と、担当医は淡々と説明を続ける。

「これは少し珍しいケースでして、本人が一生このまま視力が戻らないのではないかと言う、恐怖心や脅迫観念なども視力の回復を妨げているのではないかと考えられます。治療と言うものはありません。後は、患者本人の心の問題です」


 瑞葉の心の中の問題―――


 俺はこの言葉を聞いて、自分は一体瑞葉の為に何をしてやれるだろう。何をしてやらなくてはならないのか……初めの頃は全く分からなかった。

 だけど、一つだけハッキリと思っていたこともある。


―――瑞葉は絶対に目が見えるようになる。


 どんな状況になろうとも、俺だけは信じていよう、そう思った。

 しかし……そんな俺の気持ちも、今の瑞葉には逆にストレスになってしまったのか、一向に回復の兆しを見せようとしなかった。

 そして、目の見えない瑞葉の顔から、ひとつづつ表情が消えて行くのが、どうする事も出来ない俺にとっても辛い日々になった。


「瑞葉、今日はさ、こんな季節には珍しい奇麗な花を店先で見付けてね、買って来たんだ」

 あれから俺は、出来るだけ瑞葉が興味を持ちそうなものを買ってきたり、話をする様になった。もちろん、瑞葉の「見たい」と言う気持ちを引き出す為にだ。

「ははっ、花屋にさ男は俺一人だったから、ちょっと恥ずかしかったよ」


―――視力は心因性のものと考えられます。


 俺は医者の言葉を信じ、少しでも瑞葉の「見たい」と言う気持ちを掻きたてれば、いつか視力が戻ると信じていた。

 このまま、瑞葉の瞳に俺の姿が映らない様な事には、絶対になって欲しくなかったから。


「…………」


「ほら、結構良い香りがするだろう」

 そう言いながら、俺は買ってきた淡い紫の花を瑞葉の顔へ近づけようとした。


「ヤメテ!!」

 突然、瑞葉はその花を払いのけると手で顔を覆いながら泣き出した。


「もう……やめて。無理なのよ、一年も視力が戻らなのよ。これからだって視力が戻る事なんて無いのよ」

 目が見えない事のストレスがここに来て抑え切れなくなったのか、感情に任せるままに、自虐的な言葉を放つ瑞葉を見るのは初めてだった。


 しかし、そんな風に苦しむ姿を見ても、俺自身には瑞葉の持つ不安や絶望、ストレスと言った感情を理解しようとしても理解する事は出来なかった。

 いや、瑞葉の事を心配する事は出来ても、瑞葉自身の持つ不安やストレスと言うものは、目の見える俺には理解出来ないと言った方が正しいだろう。


 いくら目の見えなくなった瑞葉の様に目をつぶって見ても、目を開ければ俺にはものを見る事が出来る……どうやっても、瑞葉の本当のこころを理解する事は出来ようが無い。


 だけれども―――


「何言ってるんだよ瑞葉。先生だって心因性だって言ってたじゃないか、これからだって……」

「もう……無理よ。私は一生暗闇の中で暮らさなくてはならないの。誰にも、光を失った私の気持ちなんか、理解できないのよ」

 何かの悲劇のヒロインを思わせるかの様に自嘲ぎみな言葉をはく瑞葉に


俺は―――


パン!


 俺は瑞葉の頬を平手で叩いていた。


「ああ解らないさ」

 俺の手は微かな震えが止まらなかった。

「どんなに考えたって、目が見える人間には理解できる訳がないさ。目の見えない人の不安や恐怖なんて言うものは。だけど……だけど、俺だって悲しい顔しか見せない瑞葉を見るのは―――本当につらいんだ」


「瑞葉が悲しいなら、俺だって悲しい」

「瑞葉が不安なら、俺だって不安だよ」

「逆に」

「瑞葉が楽しいなら、俺だって楽しいし、幸せなら、俺も幸せになるんだ」

「瑞葉……」


 瑞葉は、頬をたたかれたショックより、自分の事を本当に必要としてくれる人間がいるのが嬉しかったのか、大粒の涙を拭う事もしないで流し続けた。


「何で……何で忘れてたんだろう―――私は一人じゃ無い事を」

「そうさ、瑞葉は決して一人じゃない。俺はどんな時でも瑞葉の側に居て、そして信じてる。何時かまた、俺の顔を見て笑ってくれるのを」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 泣きながら何度も何度も謝って来る瑞葉を、俺は力一杯抱きしめて、長く、そして涙まじりのキスをかわした。


 季節は冬―――

 あの時と同じ様に、窓の外は厚く空を覆う雲が今にも真っ白な雪の花びらを舞わせようとしていた。


「瑞葉」

「ん?」

「雪が……」


 しばらくの後、二人の事を祝福するかの様に振り出した雪は、本当に銀色の舞台を作り上げる、真っ白な雪の花びらだった。


「りょ……う」

「ん?」


「まるで神様が、私達の為に銀色の舞台を用意してくれているみたい」



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