2-3 カエンが留学を希望した本当の理由
三人はいつの間にか話し込んでいた。
相手の顔もはっきりしないような暗がりの中では、他に時間をつぶす術が無かったのも確か。
辺りの様子を推し量ってもみた。
この天井裏は広かった。物置として使われてもいるようで、その半分は積まれた古い家具や鍵の壊れた箪笥だったりする。
アーランは月明かりの中、手探りで確認していく。
すると、時々ややねっとりとしたものが手に絡み付く。それがクモの巣であることは彼女には容易に想像がついた。世の少女達のようにそれで悲鳴を上げるようなことはない。そんなことは慣れている。
その探索作業にも限度がある。飽きる。
終わった後にせいぜいできるのは、積み上げられた椅子の中から彼女達の力でも持ち上げられるようなものを下ろし、そこに腰掛けて休むくらいなものだ。
カラシュは何故か人数分以上の椅子を持ち出したり、足のがっしりした小ぶりの机まで引き出していた。何のつもりだろう、とはアーランも思った。だが予想がつかない。
カエンは壁に手を当てて、何処かに扉がないか、と探っている。その作業にはなかなか収穫があった。しばらくすると腰に手を当て、やれやれ、と言いながら戻ってきた。
「扉自体は三つありそうだ。ほれ、向こうの端とそっちの」
「暗くてよく判らないってば。でも三つ?」
「下の階は二つ三つの部屋に分かれているようだ。だけどその何処にも見張りが居るようだ。声が聞こえた」
「でしょうね」
カラシュのため息の音が聞こえる。
「扉一つに一人として、最低三人は見張りが居て、おそらくそれは女じゃあないわね」
だろうな、とアーランも思う。いくら何でも成人近い少女達三人を捕まえるのに女性の見張りということはないだろう。
「出る方法は二つあるわね」
カラシュは言いながら引き出した椅子の一つのほこりを払う。
「と言うと?」
「一つは、とにかく私達を捕まえた相手に引き出されて、その隙を付くこと」
カエンは首を横に振る。
「相手が何なのかも判らないのに、それは危険すぎる」
「私もそう思う。としたら、もう一つは」
うなづくとカラシュは天窓を指した。
「あれよね」
「あれ…… って天窓」
「ええ。あそこから出るしかないでしょうね」
「ちょっと待てよ、ここが誰の屋敷だとしても、最低五階はあるんだよ」
「あるわねえ」
明らかに深刻な内容を話しているにも関わらず、彼女はのんびりと答えた。
「あるってカラシュ、いくら何でも五階から落ちたら大概死ぬよ」
「あら、何も飛び降りるなんて言ってないわよ。ただ、ちょっと心当たりがあるから…… もう少し時期を見計らいましょ」
そんなのんきな、とアーランは言おうと思ったが、やめた。
そして結局、引っぱり出した椅子に座って話し始めてしまった訳である。とりあえず今できることは徒手空拳の身としては無い。
「前から聞きたかったんだけど」
まずカラシュがそう切り出した。
「どうして留学までして勉強したいってあなた達思ったの?」
それはアーランも聞きたかった。何しろそれまで生きてきた環境が全然違う以上、自分と同じ理由である訳がない。
「御恩がどーの、とか言うのはなしよ、アーラン。そんなのは所詮建て前。本当の事を言いなさいな」
釘を刺された、とアーランは思った。ぐっと言葉に詰まる。どうやらカラシュも彼女の隠し事など見破っていたらしい。
まあそれはアーランが嘘をつくのが下手という訳ではない。少なくとも、これまでは、同様にしてきて見破られることはなかった。それは事実なのだ。
でもどうやらこの人達は違う。アーランは認めだしていた。
何となく気付き掛けていた。
嘘をついてだませるのは、相手が自分に関心がなく、自分が相手に関心がないからだった。相手の言葉が本当だろうが嘘だろうが、どちらでもいいからだった。嘘をつかれたことに気付いても、決してそれが相手に傷の一つもつけることはなかったからだ。
ところがカラシュもカエンも、明らかに自分に関心がある。
それは境遇の差ではなく、ただの個性の差に対してではないか。そんな気がし始めていたのだ。
だからアーランも、答えなくてはならない、と思った。本当のことを。
「……上に行きたかったのよ」
「上?」
「そうよ、上よ。上へ行きたいわ。誰もが認める『上』にね」
カラシュの問いに、とうとう口に出してしまった、とアーランは思った。
「私はずっと誰からも『下』に見られてきたわ。好きでそうなった訳でもないのに。名を分ける父親がいないのも、施設にいるのも私のせいじゃないのに、そのことでずっと見下されてきたのよ。施設だろうが、何も持たない貧しい者だろうが、好きこのんでそう生まれた訳じゃない」
「……」
「母さんが悪いって言われてもきたわ。だけど絶対母さんは悪くない。誰の子とも知れない子供を産んだって言って、故郷からも追い出されてとうとう行き倒れてしまって。でもその原因を作ったのは誰? 母さん一人で私を作れる訳がないじゃない! それなのに、誰もが母さんや、生まれた私を白い目で見た。もっと悪いのは別にいるのに、そいつはただ男であるからというだけでのうのうと上にだって行けて!」
「でもアーラン、そんな軽蔑…… ううん、憎んでいるわね、絶対」
「当然よ!」
「そんな軽蔑するような奴がのさばるような『上』に行きたい?」
「じゃ何処に選択肢があるっていうの!」
そんなもの、無い。アーランは思う。
「ワタシもそれをずっと考えていた」
カエンはすっと口をはさむ。アーランはその言葉にはっとする。
「ワタシもそうだ。ワタシの行きたい場所には、ワタシのような女の居場所がない。そこにあるモノのすき間に入り込むしかない、と思っていた」
「カエン」
「だがアーランの言うことには少し疑問がある。アーランは好きこのんで私生児に生まれた訳ではない、と言ったが、ワタシとて好きであの家に生まれた訳ではない」
「だけどあんたは飢えたことなどないでしょう?」
大きく首を振り、こぶしを握りしめながらアーランは反駁する。
「無くはない」
思いがけない言葉。アーランは思わず息を飲んだ。
「まあ飢えとまではいかないが。昔、父が現在の地位につくための足がかりを掴んだ頃のことだ。ワタシ達は東の、海沿いの保養地に家族揃って移らされた」
「別荘? 優雅なものね」
カエンはゆらゆらと首を横に振った。
「違うよアーラン、そんなものじゃない。ワタシ達は逃げたんだ」
「逃げ?」
「その頃ワタシの家の水道に毒が盛られてな」
「毒!」
「何故だと思う? 政敵は父を消すために、一番簡単な方法を選んだのさ。家族全員、果ては家に住む使用人全部を一度に抹殺しようとした。だって何しろ簡単だろう? 誰でもいい。全く面の割れてない風来坊でも雇って、ただの消毒薬だとか何とか言って家の水源に放り込ませればいい。ひどく簡単なことさ」
アーランは背がぞくり、とした。その事実ではない。それを淡々と言ってしまうカエンに、だった。
「使用人が何人か死んだ。朝一番に起きる庭師と、調理場で働く者だ。早起きだった母は、死ぬには至らなかったが、ひどくそこで身体を壊した」
心臓がどきどきするのが判る。
「それが判った時、ワタシ達は脱出の手配が整うまで、何も口にすることができなかった。いや違う、向こうの街にたどり着くまで、だ。さすがに横断鉄道に乗ってしまえば水は飲めたが、何もワタシ達は持って来なかったし、何しろ恐怖でそれどころではなかった。母は母で身体を壊しながらも同行していたし。あれ程身近に医者が欲しいと思ったことはなかったな。ああ、だからか。それがワタシのきっかけだ」
「たどり着くまで」
「そう。たどり着くまで」
うなづく気配がする。
「それが最初だった。父が今の地位を安定させるまで、手を変え品を変え、何度も家の連中は命を狙われた。君の言い方を使えば、『好き好んでそう生まれた訳じゃない』だな」
「……」
そうかもしれない。
痛い所をつかれた、とアーランは思った。少なくともあの施設で、彼女は自分が殺されると思ったことはなかった。
「アーランには悪いが、不公平は当然だ。どんなに社会が変わろうとも、絶対そこに完全な平等なんて存在しないさ」
だがその言い方にはやや神経を逆なでするものがあった。なのでやや声を荒げる。
「それが正しいと思っているの?」
カエンは再び首を振る。
「正しいとか正しくないじゃない。そういうものだ、とワタシは言っているだけだ。事実を言っているだけだ」
「そうやってあんた達貴族は、自分達の立場を正当化するんだわ」
「貴族か。貴族の存在が特別正しいと考えたことはない。無ければあんなもの無くたっていいんだ」
カエンは目をそらす。
「確かにワタシは金銭的に、とか社会的に、とかでは自分が恵まれた環境に生まれたとは思う。生まれてこのかた、生きてゆけるかという心配はしたことがない。確かに暗殺の不安はあったがな。だが逆に、どう生きるか、ということは心配したことがある」
「何それ。どうって…… 生まれてきたら、生きるしかないじゃない。考える余地なんてないわ。とにかく死ぬまで生きるのよ。どんなことをしたって。それが当然じゃない」
そう、それが当然だ。カエンのその疑問がどうして出てくるかが彼女には判らない。だがカエンはうなづく。
「そう。それでいい。それが正しいんだ。そんなことは、そんなことをわざわざ考えない人の方がよっぽど良く知ってるんだ。だがワタシは馬鹿だからその問題に何年もとりつかれてしまった」
「それで見つかったの?」
「ワタシなりに、ならな」
「何?」
「人間の、唯一平等な部分を見つけたんだ」
「何よ。そんなもの無いって言ったじゃない」
「平等ではない、と言ったが、平等な部分が無い、とは言ってはいないさ。病気さ。怪我さ。死さ。そういったものには貴族だろうが平民だろうが、全く関係がない。皆同じように死病には殺されるんだ。名家の令嬢に生まれて名家の貴夫人と呼ばれた母は結局その毒物が身体にずっと残ったままでな、ワタシが幼いうちに亡くなった」
「亡くなったの?」
「アーランは、その中でも医者にかかる金がないから死ぬ者が居る、とか反駁したいのだろう?」
「……もちろんよ!」
アーランは声を荒げていた。だがそれは先ほどのものより威勢は少なかった。
「……どれだけの人々が、生まれたばかりで死んでしまう羽目になるか知ってる? どういうふうに死んでいくのか知ってる? あんたには判らないわ。私の母さんは、働きすぎで過労でとうとう病気になった。お金は無かったから救護院に拾われるしかなかったわ。でも救護院だって大した余裕がある訳じゃない。通りいっぺんの治療をしておしまいよ。医者は言ったわ。もう少し十分な薬があれば、とか、もう少し栄養のあるものを長い間食べさせることが出来れば、って。救護院には余裕がないのよ」
「……それ本当?」
突然カラシュが口をはさんだ。
「だって国は、救護院には充分な費用を送っているはずよ」
意外な、という顔で訊ねる。
「本当よ! ……途中でピンハネされてるのよ」
「途中で」
カラシュは真剣な顔つきになる。
「こんなこと言うと不敬罪にあたるのかもしれないけれど、どれだけ皇帝陛下が素晴らしい方で、善政を敷いたとしても、間にのさばるものが腐っていちゃしょうがないわ」
「腐った肉の入ったサンドイッチは食べられない訳ね」
「そうよ」「確かにな」
声が揃った。
「だがそれはそれとして、その誰もが平等に持っている部分に関わっていきたい、とワタシは思ってしまったんだ。何はともあれ、何処の誰だって、手をつくせば治るかもしれないし、どれだけ金を積もうが寄付をしようが、何もしなければ治らない。だったらやるだけのことをすれば、何らかの結果が見えるんじゃないかと思ってしまったんだ。平等だが、それこそ『好きでもないのに』決められてる何とやらに、一矢報いることができるんじゃないか、と何だか判らんが闘志が湧いてしまってな」
「物好き」
「あまり君と変わらんと思うがな」
「どうしてよ」
「カラシュはどうだか知らんが」
カエンはちらと彼女の方へ視線を飛ばす。
「少なくともアーラン、君はその点だけはワタシと近いよ」
「どうして」
「さあ、どうしてだろうな」
カエンははっきりとは答えなかった。




