4-3 何とか出発。そして謎が一気に語られる
「……」
「そろそろ機嫌なおさない?」
苦笑しながらカエンはぽんぽんとアーランの背を叩く。
「やだ」
ははは、とカエンは力無く笑う。
彼女にしては珍しい表情なので、アーランもいつまでもテーブルにうつ伏せて居ずに、その顔を拝んでやりたいような気もする。だがどうしても、一度抜けた気力はなかなか元には戻らない。
既に夜になりかかっていた。
二人は大陸横断列車の個室の中に居た。
式がどういう結末であろうと、出かけるという予定と出かける時間だけは決められていて変更はなかった。
皇后の顔を見た瞬間に大半の気が抜けてしまっていたアーランは、残りのほんの微かな気力でようやく身体を動かして列車に乗り込んだ。
窓から見送る人々に手を振り、顔の筋肉を総動員して笑みを浮かべた。得意な筈だったのに、気力がないとこうも難しいものか、とアーランは改めて思った。
その見送りの中に元凶を見いだした途端、なけなしの気力すら失せそうになった。気付いたカエンが慌てて支えたが、列車が発車するや否やこの始末である。
「じゃコーヒーをいれようか。あの寮舎くらいの設備だったら共同だけど、ついてるよ」
「やだ、ここに居て」
「あのね。だから何があってもびっくりするなって言ったでしょうに」
「それよ」
アーランは顔を上げ、友人を真っ直ぐ指さす。
「あんた知ってたんでしょ」
「まあ多少は」
「だったらどうして言わなかったの!」
「だから確証の無いことは言いたくないって言ったでしょう」
「確証」
カエンはやや困ったような顔になり、アーランの対面の座席に腰を下ろす。
「現在の皇后陛下の正式名称だって一応知ってはいたし。だいたいカラシュって通称を使える名前なんて、カラシェンカかカラシェイナの二つしかないし。それに本当に歳を取らない方だってのも聞いてはいたし」
「本当に、歳を取らないの?」
「皇帝陛下を見たろう? 理屈はともかく、現実にそうなんだ」
理屈はともかく、とカエンの口から出るのはなかなか不思議なものがある、とアーランは思う。
だからもしかしたら彼女は認めたくなかったのかも、とも。
「で、いつ気付いたの」
「名前を聞いたとき、最初から何か妙な気はしたな。だけど決定的だったのは、あの時。傷が無かったんでね」
「傷?」
「教科書の記述、覚えているだろ? 在位の間は皇帝陛下は不老長寿、というの」
「うん」
眉唾ものではあったが。
「怪我しようがたちどころに治ってしまうとか、一瞬信じ難いあの記述のあれこれ」
「覚えている、けど」
「あの屋根裏から逃げ出す時、ワタシは確かに、カラシュがあの窓の割った破片で手を怪我していたのを見たんだ。彼女、一瞬声を立てたし、朱が大丈夫ですか、とか聞いてたし。帰ってからも、袖口に染みができているのも見えたし。けど、手自体は何ごともなかったように綺麗なものだったと」
「はあ」
さらりと述べてはいたが、言ったカエン自身も非常に説明に困っているのは明らかだった。
そもそもが理詰めの性格なので、たとえ自分の目で見たことでも理屈が通らないことを認めるのは苦しいのだろう。
「じゃ、あの私達が捕まった場所のことは? あの時カラシュは、違うって言ったけれど、結局犯人は保存庁長官だった訳じゃない」
「それについてはね、外にいる誰かさんが答えてくれるさ」
なあ、とカエンは勢いよく個室の扉を開けた。
黄色いリボンで黒い髪を一つに束ねた少女が大きなトランクを一つ持って立っていた。
アーランは思わず彼女の名を呼んでしまった。
「山吹」
彼女を入れ、カエンはぴったりと扉を閉めた。
カエンはアーランの横に座り、彼女には自分達の前に座るように勧めた。では、と礼儀正しく彼女は音もさせずに座った。
「皇后カラシュさまの命により、わたくし山吹ことヤガノ・コズエ・サコン、お二方にお供させていただきます。どうか到着後は本名でお呼び下さい」
「お供って…… 連合まで?」
アーランは身を乗り出す。山吹はうなづく。
「はい。あなた方を当分お守りすることがわたくしの使命となりました」
カエンはそれを聞くと立ち上がり、缶と漉し袋を持って扉の外へ出た。
問われない限り、じっと行儀よくしている山吹に対してどう反応していいのか困った。
何せアーランは誰かの世話を焼いたことはあっても、誰かに主人扱いされたことは一度もなかったのである。
四半時ほどして、開けて、という声がした。アーランは飛び上がって慌てて扉を開けた。
一気に個室中にコーヒーの香りが広がった。
カップは備え付けのものだったし、ミルクも無かったが、甘味だけは借りてきたらしく、トレイにしっかりと乗せられている。
いつもの倍入れるんだ、とカエンはアーランに言う。アーランもさすがに苦いのは嫌なので、言われる通りにする。
「君も飲んで」
「いえ、わたくしは…」
「一緒に行くんだろう? だったらただの学生に勧められたもの位、口にするんだ。向こうでもそんな馬鹿丁寧な言葉つかいで、ただの留学生につきまとう気か?」
「は、はい。わかりました」
「あ、甘味入れた方が」
カエンはアーランを制した。そのまま口をつけた彼女の顔は明らかに不快そうだった。
「申し訳こざいません。これは…」
「何が必要だ? 欲しいものを欲しいと言うこと」
「はい。じゃ、甘味をお願いいたします」
カエンはアーランにうなづく。アーランは抱えていたポットを彼女に渡す。
「ありがとうございます」
「山吹、君は残桜衆だろう?」
カエンは甘味を入れる彼女にすかさず訊ねた。彼女はその問いには意外に驚かずうなづく。
「はい」
「聞きたかったんだ。どうしてカラシュが…… 皇后陛下が、君達を指揮できるんだ。彼女には国政に参加できる権限はない。私兵を持つことも出来ない筈だ」
多少呑みやすくなったコーヒーを一口すすると、山吹は顔をあげて、カエンを真っ直ぐ見る。
「カエンラグジュ様は」
「カエンだ」
「ではカエンは、どの位、残桜衆の事を御存知ですか?」
「大して知らない。ただ藩国『桜』の残党ということ程度だ」
「残桜衆は、四代帝陛下の頃より、帝国の『良き変化』の為に動く集団です」
「良き変化?」
アーランはその言葉に引っかかった。
「現在何名居るか、はわたくしにもよく判りません。ただ、大きく分けて三大隊があります。それらは独立していて、直接仕える主君もその隊長の判断で決定されます。ですから下手すると、残桜衆同士が相打ちになる可能性もありますが、今のところ幸運にもそんなことはありません」
すらすらと、何処か違う世界の話が山吹の口から流れてくる。少なくともアーランの歴史の知識の中には無かったことだ。藩国時代のことはあまり学校では詳しく教えない。
「一つの大隊は五から六の小隊から成ります。基本的な主旨が大隊長の意志に反しないならば、小隊長は主君を選ぶことができます。わたくし達の隊はその小隊のうちでも小さい方で、およそ三十人はおりません。朱をご覧になったでしょう?」
二人はうなづく。
「彼がわたくし達の小隊長です。朱は数年前、皇后陛下と知り合われて、あの方の元に付くことを決定しました。彼が決定したならば、それがわが隊の進む方向です」
「皇帝陛下ではなく?」
「はい。皇后陛下に、です」
「良き変化とはどういうことだ? あの保存庁長官のように考える者だっている訳じゃないか」
「ここから先は、あくまで朱の考えです。わたくしは彼についてきただけですから」
微妙にカエンは口元をゆがめる。
「本来残桜衆とは、カエンのおっしゃる通り、藩国『桜』の残党です。当初は反帝国運動の先鋒でした。ですが、四代帝陛下には『桜』の血が混じっておられました。三代の皇后陛下は『桜』の親衛隊の一人でした」
二人はいきなりそこで歴史談義になるとは思っていなかったが、内容が内容だったので、驚き、興味を持った。
「するとあくまで『桜』の復活を願う我々の目的は、ここで半ば完結してしまった訳です。帝国の中枢自体に『桜』の血が入ってしまったのですから」
確かに、とアーランは黙ってうなづいた。
「すると反帝国運動、という題目は効力を持たなくなります。そこで当時の――― 当時はまだ三隊に分かれていず、頭領には近江法師という人物が付いていました。彼は引退し、隊を三つに分け、それぞれの大隊長に帝国をより良い方向へと向かわせる主君を見つけるように命じて姿を消しました。残桜衆は、『桜』の為の部隊です。帝国が『桜』の姿を変えたものとすれば、我々が帝国をより良い方向へ持っていこうとするのは、ひいては『桜』の為だ…と」
「つまり、君達の行動には矛盾は無いし、皇后陛下カラシュが雇ったというよりは、君達が勝手に協力しているだけ、ということだね?」
「はい」
迷い無く、山吹はうなづいた。
「えーと、山吹、じゃ、あの時のことは」
「あの時」
「私達が捕まったときの」
「あ、はい、そのことでしたら、わたくしの口からわたくしの視点で説明できます。もともと皇后陛下の楓館に女官として入り込んでいる者が居りまして、彼女から出る間合いを伝えてもらっていました。しばらく我々は、紅中私塾の近辺で警護していたのです」
「知らなかった」
「気付かれることはないと思います。ですからあなた方が連れ去られる時につけて行き、カラシュさまに先に目を覚ましてもらい、あなた方への解毒薬と、アーラン、あなたの身体を自由を一時的に奪う薬を手渡しました」
なるほど、とアーランは思った。それならカラシュがそんな薬を持っていたのも判る。
「ではカラシュが、何か間合いを見計らっていたのは」
山吹はうなづく。
「我々が向こうの証拠を掴むのを」
「だが、ワタシ達が捕まったのはコグレ屋だった。どうしてすぐに保存庁長官だって判った?」
「いえ、当初は彼らはあなた方をそちらへ運ぼうとしたのです。ところが途中で変更を。調べてみた所、向こうの屋根裏に静山砲と資料が山になっていたので、あなた方を閉じこめるだけの場所がなかったそうです」
場所が無かっただけかい、とカエンは苦笑して頭を抱えた。
「ですがその行動のおかげで、コグレ屋と保存庁長官のつながりが判りましたから、決して無駄では無いと」
「まあそうだね……」
「御理解いただけましたか?」
山吹は実に素直に訊ねた。カエンはやれやれ、とつぶやく。アーランも頭が半ば混乱しつつも、何とか、と答えた。
「ではこれからは、よろしくお願いします」
そのまま山吹は荷物を持って立ち上がろうとしていた。
「ちょっと待った。行かせないよ」
だがカエンは彼女の荷物を持つ手を止める。
「何をなさいます。わたくしの席は三等ですから、そちらへ戻らなくては」
「一緒に行くのはいいさ。だけど、条件があるんだ」
一体何を言い出すんだ、とアーランは驚く。
「残桜衆は、与えられた役割は完璧にこなすと聞いている。だから君はワタシ達と同じように留学生の顔をしていてくれ。ワタシ達の友達だ」
「友達、ですか」
「そう。だから三等ではなく、ここに居ること。元々ここは最大三人仕様だ。君一人加えることくらい、充分な広さだろう?」
「ですがわたくしは…」
「残桜衆は、より良い方向に行かなくてはならないんだろう? だったらもっといろいろなことを学んで、自分の考えを持つんだ」
「良いのですか?」
「難しいなら、最初はフリでいいさ」
「はい」
その時、どん、と聞き覚えのある音が響いた。
アーランは慌てて窓に顔をくっつける。
「カエン、山吹、花火!」
「花火?」
「あ、朱と緑達ですわ。言い忘れてました。花火が残っているから、暗くなったら窓の外を見ろ、と」
「どうしてそんな大事なことを黙っているのよっ!」
アーランはそう言って山吹を引っ張って窓に一緒にくっつける。
始めは無音で光が昇る。光る。広がる。枝垂る。
そしてあの大きな音が伝わる。
「綺麗」
誰ともなく、そうつぶやいた。