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4-2 壮行会で爆ぜたもの

「何がちょっとした式よーっ!」


 待機場所でアーランは非常に静かに叫んだ。普通それは囁き声というものである。


「まあリュイフア様の基準だからな。普通と違っておられて当然かと」


 平然としてカエンはその「ちょっとした式」の参列者のリストを眺める。彼女はいつもの第一中等の黒と白の制服ではなく、紺とえんじの紅中私塾の制服を着込んでいた。似合わないな、とアーランはそれを見て思う。

 だがアーランがわめきたくなるのも無理はなかった。

 教育庁長官は当然かもしれない。一応この国の教育界にとっては最初の出来事である。

 だがどうしてその上の文化大臣だの、教育庁とは並立して相互にそう関わりを持たないはずの保存庁長官、軍務省の対外庁技術局の長官、対内庁辺境局長官、…そして何故か国務大臣とその下の内務庁警察局長官までやってくるのかアーランには見当が付かなかった。

 だがしかし、それだけではなかった。

 それで終わりかと思ったら、その上が更に居たのである。


「どーしてこんな『ちょっとした式』に皇帝陛下と皇后陛下のお二方が行幸されるっていうのよーっ!」


 それでも皇帝に対する敬語を何とか忘れていないあたり、アーランもまだ冷静さを残していたと言うべきか。   


 「ちょっとした式」は帝都中央総合駅の中央広場で行われることになっている。アーランは帝都に足を踏み入れるのは初めてだった。


「さすがにすごい作りだな。天井もずいぶん高い」

「カエンも初めてなの?」

「ここしばらくずっと学都にいたからな。帝都に足を踏み入れることができる歳になってからは特に……」

「でも副帝都に実家があるんでしょ。あの西向きの窓がある」

「ああ。だが帝都にワタシ一人で行っても何もならないだろう? 副帝都の方だって、最近ではワタシが帰ると必ず父上はいないし。避けられているふしはあるな。ワタシもそう思われてはそう近付きたくもない。残念だがな」

「嫌いなの?」

「嫌いじゃないさ。ただ、互いに互いを見るのが時々辛くなるんだ。父上の奥さんのこともあるしな」

「そういうものかしら? 私は母さんを早く亡くしたから、やっぱり居るうちは会いたいと思うけど。それともお父様の奥さまは嫌い?」

「嫌いとか、そういうんじゃなくてな。何となく、そこが自分の居場所ではない、という気がしてくる。それこそ学都へ行ってからは学都がワタシの居場所だった。学都と家では相当違うせいもあるが。奇妙なものだ。自分の家に居ると自分らしく居られない気がする」


 あ、そうか、とアーランは思った。


「何となくそれは判る」

「そう?」

「うん。でも別に、実家だからって、そこが自分の居場所だって決めつけなくてもいいと思う」


 アーランはそうだわ、とうなづきながら答える。


「だって家はあくまでお父様の居場所で、カエンはただそこに生まれただけでしょ。そうよ、私もあんたも好きでそこで生まれた訳じゃない。だから自分の居場所を探せばいいんだわね。そーよ」


 くす、とカエンは微かに唇の端を上げた。


「アーランは強いな」

「カエンだって強いわよ。それに、これからはもっともっと強くならなきゃならないのよ。ここで弱音吐いてどうすんの」

「そうだな」


 この時二人が待っていたのは、貸し切りにされた帝都中央総合駅の待合室の一つだった。

 ここには大陸横断列車と都市間列車、その二つの路線が交わるのが中央総合駅である。さすがにそれは「帝国」内でも六ヶ所しか無い。

 帝都中央総合駅は、その中では二番目の規模を誇る、最高の建築技術をもってして建てられた駅舎である。内装とて半端なものではない。

 ドーム型の天井は、三階建ての館の吹き抜けを思わせる。最高部では五階建てくらいあるのではないか、とアーランは思った位だ。

 考えてみれは、先日彼女達が捕まって逃げだした場所と同じ高さなのだ。だが上から下を眺めるのと、下から上を見上げるのではどうしてこうも高さの感覚が違うのか。アーランは一瞬くらり、とふらついたが、危うくカエンに支えられて転ばすにすんだ。

 壁と天井は境がなく、古典的なアラベスクが刻まれている。だがその壁を所々貫くような柱に掛かっているのは現代美術の先端だったりする。

 そんな駅舎の前で式が行われるというのだ。何てこと、とやはりアーランは詳細を告げてくれなかった夫人に内心毒づく。

 大陸横断列車の時間は「連合」との関係で決まっている。故に式の時間もそれに合わせられた。

 「もしものことを考えて」二人は前日の深夜に帝都入りしていた。荷物はそう多くはなかった。アーランが意外だったのは、カエンの荷物も自分と大差なかったことである。


 都市間列車の中でも主要駅だけを取り上げれば、松芽枝の次は帝都である。

 それでもこの時代であるから、その一区間に五時間はかかったのだが。二人は夜行列車で送り出されたのだ。そして今、日は中天にある。

 半時程して、呼び出しがかかった。

 外へ出ると、空は真っ青で雲一つ無かった、ふと見上げたアーランはまぶしそうに顔をしかめた。


「いい天気ね」

「うん。出発日和だ」

「何ごともなければいいけど」


 そう言えば、同じことを以前も願った気がする。アーランは思い出す。

 あれは一ヶ月前だった。「候補」で馬車で松芽枝の紅中私塾へやってきた時だ。信じてもいない「神様」に祈った。

 何ごとかはあった。だが結局、自分はこうやってここに「留学生」として居る。

 神様はいない。都合いい時にだけ助けてくれる神様なんて。

 アーランは思う。

 そんなものは当てにはならない。ともかく動けば何かが変わる。彼女はいつの間にかそして愚痴をこぼすのは止めた。


「ま、それでも何ごとかあっても、何とかなるさ」


 あっさりとカエンは言う。頼もしいわね、と本心半分、からかい半分でアーランは肩をすくめた。


 駅舎周辺は巨大な広場になっている。

 交通の関係で大がかりな催し物はそこで行われることが多かった。例えばサーカス然り、例えば軍人の出発式然り。

 警察局の深緑の制服を着込んだ職員があたふたと駆け回っている。

 そのうちの幾人かは慣れた手付きで天幕を張っている。

 尤も天幕とは言っても、あくまで日除け程度のものだった。だがその大きさときたら、アーランとカエンが呆れるほどのものだった。

 天幕が立ち上がると、その下にはずらずらと椅子が並べられる。椅子と言っても、公式の式典仕様の駅舎の備品である。上等の木材を磨き込んで作られた、一つ一つは小振りではあるが、しっかりした、細工も美しいものだった。

 その天幕の更に周囲を、警察局の一般職員がうろうろしている。何となくものものしい雰囲気すら感じさせる。

 「ちょっとした式」にこんな警備が要るんだろうか? 

 アーランは後ろで組みながら眺める。「式」と言われて彼女が思い浮かぶのは学校の進級式とか卒業式といったものだけだった。

 そもそも、何のために式を行わなくてはならないのか、彼女にはよく判らない点もある。


「そうだな。区切りを付けなくてはならないって所はあるからね」

「そういうもの?」

「そういうものなんだろ。まあそれを行うことによって、そういう式があるって知った人全てへのデモンストレーションにはなる訳だし」


 なるほど、とアーランはうなづいた。デモンストレーションね。


「すみませんこっち向いて下さい!」


 声に振り向くと、ぱ、と一瞬まぶしい光が目を刺す。声を立てた若い男には真っ赤な腕章が巻かれている。

 白抜きで「紅華日報」と書かれている所を見ると、そこの記者なのだろう。別の所では、白地に青で「天虹通信社」と書かれた腕章の記者も居る。どちらも、副帝都で一、二を争う新聞社である。ちなみに紅中私塾で取っていたのは「紅華日報」の方だった。

 どちらも記者一人ではない。記者に加えて、まだ軽い持ち運びは無理である写真機を抱えた技師がそれぞれ二名ついている。

 どうやら今から行われる式が「ちょっとした」ものに過ぎないというのは、単に軍楽隊の合奏が無い、それだけのことではなかろうか、とアーランは思わずにはいられない。確かにそれだけ取れば「地味」な式であることは事実だろう。

 次第に集まってくる顔ぶれは、顔はともかく、着ている服や腕章、肩の階級章などで高官であることは彼女でも判る。


「それにしても色味の無い式だな」


 カエンが腕組をしてぼそっとつぶやく。そうよね、とアーランも応える。


「リュイファ様はおいでになるとワタシもてっきり思っていたのだが」

「お忙しいんでしょう?」

「まあそうだろうな。それにあまり式の来賓として女性が参加したという話も聞かないし」

「へえ」


 実際「色味」がなかった。

 集まった高官の殆どが官服か軍服である。

 すると必然的にそこには鮮やかな赤系の色などは見られなくなる。

 官服の基本の色は紺や焦茶である。警察局は深緑、軍服も複雑な、だが暗い調子の色である。

 天幕や、その下のテーブル、その日の記念品贈呈用の道具の用意にしても、そんな細々とした用事をするのは、内務庁の文官か、駅の職員ばかりだった。


 ふと、周囲がざわざわとし始めたのに二人は気付いた。その様子がそれまでの忙しさに追われるものとは違っていることは一目瞭然だった。


「お二人とも、先刻指示した所へ移動して下さい」


 式を取り仕切る内務庁の初老の役人が、やや緊張した面もちで二人に叫んだ。


「どうしたんですか?」


 カエンも負けず劣らずの声で訊ねる。困ったな、という顔で彼は近付いてくると、声を落とす。


「そろそろ陛下があらせられるのだよ」

「!」


 それだけ言うと、役人はさっさと自分の仕事へ戻って行った。さすがに二人の顔にも緊張が走った。

 遠くから馬車が近付く音が聞こえてくる。

 二人は黙ってうなづき合うと、指定された場所に移動した。

 大きな天幕の下に、赤いびろうどが張られた椅子がちょこんと二脚用意されていた。色味が少ない中、その椅子はひどく目に鮮やかだった。

 馬車が止まると、その場所に即座に、長い厚手の短毛のジュータンが転がされた。そのジュータンの赤い道は、まっすぐアーランやカエンの座る席の前あたりまで伸ばされた。何て長さ、とカエンはつぶやく。

 出席者である高官達も席に付きはじめていた。アーランはさっと視線を巡らす。簡略形の官服だ、とカエンはその視線に気付いて囁いた。普段の官服よりはやや長めで、重そうな印象を受ける。

 武官の地位が少しでもある者は、上着の上に革製で袖の無いベストを付ける。その腕回りには、毛皮の縫い取りがされるのが普通だが、季節によっては外されることもある。従ってそれはその時にはまちまちであった。

 ベストの肩には位に合わせた飾りが付けられる。階級はそれで一目で判断できる。分かりやすく言えば、高級士官になればなるほど肩が派手になっていくということだ。

 文官に比べ、武官の上着は短い。そしてズボンにもたっぷりとした緩みがある。外見より実用を重視する必要がある。ぴったりとしたズボンでは馬にも乗れない。裾は長靴に入れられるか、さもなければ膝下を布で巻くことで邪魔にならない様にする。

 結果として、文官と武官は、基本となる服の構成は同じにも関わらず、そのシルエットは遠目でも判る程違うものになる。

 その文官武官が一斉に立ち上がった。慌ててアーランとカエンも立ち上がる。


 馬車から皇帝と皇后が降りてきたのだ。


 アーランは息を呑んだ。彼女の目はいい。そして小声で隣の友人に囁く。


「絵姿と同じだわ」


 一般に流布している皇帝の絵姿は、即位して何十年も経つというのに、まるで二十代半ばに見えた。

 それが写真であったなら、教科書の記述も信じられるだろうな、と彼女は思っていた。絵姿であることで、彼女はそれが嘘だろうと疑っていた類である。

 ところが、だ。

全身黒の軍服に身を包んだ皇帝は、その絵姿通りの若者に見えた。飛び抜けて背が高いという訳ではないが、充分平均以上ではあった。

 顔立ちは悪くない。遠目で見ても、濃い眉がくっきりと際だつ、ある意味で端正が顔立ちの青年に見えたのだ。

 だが面食らったのはその恰好だった。黒い髪がやや長めに伸ばされているが、それは整えられるでも編まれるでもなく、ただ無造作に後ろで一つに結ばれているだけである。

 よく見ると、無造作なのは髪だけではなかった。武官特有の、前開きのベストは、他には見られない黒いものではあったが、これでもかとばかりにボタンが外されている。ベストの下の上着にしても、一番上は外されていた。

 だが妙に違和感がなかった。びっくりはしたが、彼の持つ、下手すると傲慢にまで見えかねない歩き方立ち方、そして視線の回し方を全部加味すると、その恰好がひどく当然に見えてくるのだ。


 そしてこころもち後ろに居る女性。それが皇后陛下なのだろう、とアーランは気付いた。今度は別の違和感があった。

 皇后の着用している紺の服は決して流行の型ではなかった。

 スカートこそ最近の、くるぶしよりはやや上、という長さであったが、そこに流行のひだはついてなかった。すとん、と真っ直ぐ落ちる、この国に昔からある形のものだった。

 上着は上着で、袖を膨らませもしていない。袖口の刺繍はさすがに豪華なもので美しいが、いつの時代のものだ、と言いたくなるようなものだった。

 だがその上着には、きらびやかな金糸銀糸、鮮やかな色糸を使ったとりどりの細かな刺繍が美しい。

 そしてヴェール。頭に乗せられた金の輪の下から薄い紗のヴェールがかかっていて、顔は見えない。口元だけがかろうじて見える程度だ。

 結い上げられている栗色の髪も、これでもかとばかりに差し込まれている簪の一つ一つまで判る。だが肝心の目元が全く見えない。

 アーランは緊張していた。皇帝皇后のそれだけの容姿を一気に観察するだけの余裕があったにも関わらず、だ。

 たとえその存在に実感がなかろうと、何はともあれアーランはただの臣民の一人だった。目の前にこの帝国全土を治める皇帝と、その唯一の配偶者が目の前に居るといえば緊張するのも当然である。


 二人は並べられた席の、一番上座に座った。そしてそれを合図のように、「ちょっとした式」が始まった。

 公には「第一回女子連合留学生壮行会」とされている。紅華日報や天虹通信の見出しにもそう書かれることだろう。

 今回の「女子連合留学」の主旨が初老の教育庁長官から述べられた。

 大して感銘を呼ぶような内容でも話し方でもなかったが、その前後には礼儀正しく拍手が起こった。

 次々に、参列していた各高官が、アーランとカエンの斜め前に立っては短い祝辞を述べていく。そのたびに二人は立ったり座ったりを繰り返した。

 ある一人の順番の時、カエンはこっそりとアーランをつついた。そして聞こえるか聞こえないかくらいの声で保存庁長官だ、と囁いた。

 保存庁長官は、三十代後半位にアーランには見えた。その歳で、文化省内五庁の一つである保存庁の長官を務めているのだから、かなりの有能な人材らしい。

 文化省内のその五庁は、その各庁の持つ役割の特性から、過去・現在・未来と分けられて考えられることがある。「未来」の文化のための教育庁と科学庁、「現在」の文化のための監察庁と広報庁、そして「過去」の文化の保存庁である。その性格のせいか、保存庁の役人はつい全てのものごとに保守的になるという傾向が強いと以前説明されたことがある。

 この時アーランが考えていたのは、あの拉致された場所のことだった。

 カエンはあの時、そこが保存庁長官の別宅ではないか、と言い出した。カラシュは違うと言った。あまりにも簡単すぎる、と。

 結局その件について、カラシュは出ていくまで一言も話さなかった。従って真相は判らずじまいである。学長も、その話は一言も口にしなかった。

 保存庁長官は礼儀作法の大家から誉められていい程の、上等の言葉を並べた祝辞を述べた。さすがに「伝統の保存者」だ、とアーランは妙に感心してした。心が込められていないのが丸判りなのが奇妙におかしかった。


 全ての祝辞が終わった所で、二人は皇帝の前に出るように言われた。

 記念品の授与としう奴である。二人には細工の施された金時計が渡されることになっていた。

 皇帝の前にゆっくりと進み出ると、あらかじめコンデルハン夫人に教わっていた礼をする。

 もしものためにね、と学長は笑っていたが。そういう意味があったのか、とアーランは内心、苦虫を咬みつぶしたような顔の自分を想像する。


「もっと前に来るがいい」


 はっ、とアーランは心臓に何かぴくりと刺されたような気がした。

 この声。

 低い声だった。何処かけだるそうな、だが確実に魅力的な。

 アーランは言われるままに近付く。

 皇帝は脇の台から、自ら記念品の時計を取り、二人に手渡そうとする。

 ちらり、とアーランは後ろに控えて座る皇后の方を見た。

 と、ふっと軽い風がふっと通り過ぎようとする。

 ヴェールが揺れた。


 は?


 アーランは目を丸くした。


 その時だった。


 どん、と鈍く低く響く音が、足から腰へ、腹へと響いた。


 何ごと!?

 彼女は音の方を振り向く。火薬の臭いが遠くからゆるゆると風に乗ってくるのが判る。

 深緑の警察局の役人が失礼ながら、と言いながらも天幕の下に飛び込んでくる。彼はまず自分の上役に、警察局長官へと耳打ちをする。

 警察局長官は内務庁長官に、そして内務庁長官は国務大臣へ、と次第に伝えていく。

 国務大臣は、一礼して報告を始めた。


「おそれながら皇帝陛下、ただいま駅舎周辺数カ所にて火薬発火物の爆発があったとのことです」

「駅舎のか。で、それは大陸横断(列車)には大事ないか」

「ただ今調べさせております」


 また起こってしまった。アーランは思わずため息をついた。ここまで来てこういうことがあるなんて。

 ふと、肩が暖かくなったのに気付く。カエンが手を置いていたのだ。何となくその温みで少しだけアーランは安心する。

 第二報がやってきた。再び同じ伝言ゲームが繰り返される。国務大臣は再び告げる。


「線路付近ということです」

「陛下、おそれながら申し上げます。今回、本日の出発は見合わせた方がよろしいのではないでしょうか」


 文化大臣が口をはさむ。


「今日の日程は前々から決めていたことだ。そうそう変更などできん」


 皇帝は断言した。単に独断としか聞こえかねない言葉ではあったが、彼が様々な条件を加味してこの日を選んだことは、周囲の高官達全てが知る所だった。

 アーランは身近に聞くその声にやや身震いがする。そしてそれに気付いたカエンが、震えるアーランの肩を抱く。


「陛下、しかし大陸横断列車というのは、連合との信頼関係によって成り立つものです。これまで一度の事故も起こり得なかったということが、唯一の交通機関としてのこの列車の有効性を……」


 辺境庁長官まで口をはさみ出す。長身の武官、姿勢の良い彼は、騒乱に対するエキスパートである。


「陛下、この少女達の身の安全もお考え下さい」


 眼鏡を掛けた小柄な教育庁長官も、身を乗りだしてきた。

 我も我もとばかりに、皆中止を口にする。

 もともとこの皇帝の元では意見の応酬は活発であった。一度意見を口にすると、堰を切ったように皆自分の意見を口にし、侃々諤々と討論を始めてしまった。

 もちろんその中には、それでも出発すべきだという意見もあった。が、大半は「中止にしろ」というものにアーランには聞こえた。

 だが皇帝は動じない。

 論争になってしまったと見ると、とりあえずは、と思ったのか、再び椅子に座り込んでしまった。

 足を組み、頬杖をつくと、辺りの騒ぎを眺める。

 ヴェールの女性は座らずに皇帝の傍らに立ったままだったが、やはり動じることはなかった。

 ふとアーランの耳に、カエンのつぶやきが入ってきた。


 何を待っているんだ?


 冷静な皇帝とは裏腹に、次第に高官達の声は白熱してくる。


「要は国境までの路線をしばらくの間全て警備すればいいだけの話ではないか!」

「どれだけかかると思っていらっしゃる! 人員も、費用も!」

「連合との信頼関係には変えられぬのではないか!正確を究める横断列車の時刻表が予定が安全が」

「だが人命には変えられぬ」

「甘いっ! 甘いですよっ!」

「いや諸君、それより問題は現在何処かに居るだろう犯人を」


話がずれてきそうだ、とアーランは次第に恐怖感よりも、うんざりとした気持ちが湧いてくる自分に気付いた。

 白熱してくる論争は、どんどん声の音量も上げていた。

 すると、ふだん落ち着いて喋る声とは何音か上がってくる。どんな高官とて例外ではない。中には興奮しすぎて声が裏返ってしまう者も居る。


「そう貴君は言われるが、絶対に列車が安全であるという保証が何処にあるのかね!」

「それでも警備が万全であればっ!」

「いいえっ! いくら勇猛を誇る部隊でも静山砲の一撃には被害を逃れ得ません!」

「静山砲、か?」


 そこで始めてその論争に皇帝が口をはさんだ。


「音だけで断定できるのか。保存庁長官」

「は…… 陛下」

「軍の者ならともかく、根っからの文民の、古いもの好きのお前が、現在の火器にそれ程詳しいとは、俺も知らなかったが」


 皇帝は足組みを解くと、ゆっくりと立ち上がる。

 そして通り道に居たアーランとカエンの頭を、それぞれぽんぽん、と軽く叩くと横に下がらせた。

 アーランは皇后のヴェールの下、口元が軽く上がるのを見た。


「さてどうかな?」


 皇帝の問いに、それでも保存庁長官はまっすぐ向き直った。


「おそれながら皇帝陛下、あの大音量をもって鳴る火器と言えば、静山砲に他なりません。わたくし如き武に疎い者でもそれ位は判ります」


 静山砲は、現在帝国軍務省における最も新型で破壊力のあるとされる大砲であった。

 無論実戦など、ここ何十年も無いのであるから、実際の攻撃にどうかは誰も知らない。軽い内乱は起こっても、砲術大隊が出動する程ではない。

 だが軍務省対内庁技術局の実験ではその破壊力を証明されている。その発射時の大音量も含め。

 正式名称は静山鳴動砲、という。静かな山すらもその大音量で目覚める、というのでその名前が付けられたが、いちいち正式名称を呼ぶのも面倒だ、ということで、現場では静山砲で通っている。


「ほおそうか」


 皇帝はさも感心したようにうなづく。


「確かにお前は過去の記録だけではなく、現在の火器にも精通しているらしいな。どうも俺にはあれは花火にしか聞こえなかったんだが。違うか? 軍務大臣」

「御意」


 軍務大臣は素早く起立する。


「あれは火器にあらず。但し」

「ただし、何だ?」

「どう考察すれども、常識では考えられる所の無い規模の花火かと」


 堅く堅く、あくまで堅く、表情一つ、抑揚一つ加えずに軍務大臣は答えた。


「辺境局長官。お前は現場の火器に詳しい。どうだ?」

「確かにやや危険かも知れませぬな。あれ程の巨大花火であれば。留学生各女はきちんと窓をお閉めになられなくてはなりませぬ。が、砂漠の嵐程の危険ではありませぬ」


 くっくっくっ、とアーランの耳に皇帝の含み笑いが聞こえてくる。


「技術局長官。どうだ?」


 先程の論争で、つばを飛ばすくらいの勢いで喋っていた技術武官は、うって変わった涼しげな笑顔になって言う。


「皇帝陛下、おふざけにも程がございますよ。音は静山砲に匹敵するくらいの『綺麗な火薬発火物』を大至急作れなど。おかげて民間の職人探しから始めて、うちの部下どもがどれだけ徹夜したことか」

「めでたい折だ。巨大花火くらい悪くなかろう。それにねずみのいぶり出しには充分な効果があっただろう?」

「へ、陛下」


 アーランの目に映った保存庁長官の顔色は、非常に分かりやすく変わっていった。

 論争に紅潮していた顔は、既に全身に震えが来ているのをたやすく想像させる程青ざめていたのである。


「さて、如何様にして保存庁長官には、静山砲などという発想が湧いたのかな、このめでたい日に」

「……」

「連れて来い」


 は、と警察局長官が席を立った。

 少しして戻ってきた長官は、部下と共に、数名の男を引き連れていた。あ、とアーランは声をもらし、カエンはこうつぶやいた。


「あのハゲ……」


 髪の手入れをする暇も無いようで、隠しに隠した不毛地帯があらわになってしまっていた、

 あの男が先頭に居た。アーランはあの時男に感じた、身震いするほどの嫌悪感は、相手が憔悴しているせいか、ずいぶん薄れているのに気付いた。


「ここで裁判沙汰を起こすのは好きではないし、茶番にも見えかねないが、ちょうど皆集まっていることだしな。警察局長官」


 深緑の官服の警察局長官は、はい、と言ってポケットに入れておいた折り畳んだ報告書を取りだした。


「先日ご依頼により、松芽枝市内に放置されていた怪しい人物六名を保護致しました。その後の調べによると、彼らは松芽枝市内で過去にも強引な商法で当局に注意を受けていたコグレ屋の代表とのこと。保護していただけだったので当局が釈放を申し渡しましたら、それを拒否」

「ほお。それは何故だ」

「ここに居れば安全だ、命を狙われる、と妙におびえてまして。そこで更に追求致しました所、ある人物に依頼され、今回の女子留学生の拉致誘拐をしたと自白致しました。彼女達をコグレ屋の本店の最上階に監禁したとのこと。そして彼らにそれを依頼した人物とは」

「言うな」


 うめき声のようだ、とアーランは思った。オクターブ下がったようなその声は、確かにそう言っていた。


「保存庁長官」

「言うなーっ!」


 名前を告げられるのを恐れたように、彼はいきなり叫んだ。


「どうしてそんなヤクザ者のことをお信じになります? 皇帝陛下。わたくしは陛下の、この帝国の忠実な臣民でございます。どうしてそんなことを」

「辺境局長官」


 警察庁長官に変わって辺境庁長官が報告書を取り出す。


「対内庁陸軍局から昨今わが辺境局へ調査依頼が来ました。依頼内容は、陸軍局の火器庫からこつぜんと消え失せた静山砲三台の行方。松芽枝市内の保存庁長官の別宅から見つかりました」

「でたらめだ! 皆でたらめだ!」


 冷静で有名な「過去の知識」保存人の彼はいつのまにか声を裏返し、頭を抱えて叫んでいた。


「そしてこれは保存局次官からの報告書です」


 次に文化大臣がゆったりと立ち上がった。


「帝国本紀編纂部から、資料が最近大量に盗まれた、との報告が入っています。主にそれはわが帝国の建国時の物が大半であり、貴重の度合いは保存局でも最高の部類に入ります」

「それは先日の松芽枝の捜索の際に発見致しまして、昨日より返却作業に入っております」


 もうよい、と皇帝は手を上げた。そして保存庁長官に向かい、口を開く。


「保存庁長官。お前は確かにこの帝国に忠誠を誓う臣民であるようだが、どうやらその忠誠はやや方向を違えたようだな」

「間違っている、間違っているんだ……」


 報告最中にも叫び過ぎて、もはや彼の声は枯れかけていた。がっくりと膝を床につく。


「……何故貴方様程の方が御存知ない、皇帝陛下…… わたくしが管轄していた過去の文献は全て、一つの方向を指していた。すなわちそれは、女が国政へ近付くことがこの帝国の滅亡につながる、と」


 殆どすがるような目で彼は皇帝を見上げる。


「お前は過去の知識の優秀な保存者だった。過去の知識は確かに未来の為に有効だ。だが過去という堰では未来へ向かう河はせき止められない」


 くっ、と彼は声を立てた。そしていきなり立ち上がると、赤いジュータンの上に飛び出した。手には細い短剣が握られていた。

 保存庁長官と短剣。その組み合わせが意外だったのか、周囲の反応は遅かった。アーランも同様だった。頭の中にあったのはただ一言。


 こっちへやってくる!


 アーランは自分が大声を上げていることに気付いていなかった。

 カエンは突差にアーランを抱え込んだ。

 やめて、あんたがやられる!

 それは声にはならない。身体はカエンを押し退けようともがく。だが無理だった。アーランは目をつぶる。


 と。


 鈍い音と、くぉ、と喉に絡まった時のような声が耳に飛び込んできた。


 何かが彼の顔面に命中したのだ。


 今だ、と警察局長官と辺境局長官が飛び出し、もともとこういったテロ行為に慣れていない筈の文官を取り押さえた。


「剣に触るな」


 辺境局長官は鋭い声で言った。


「毒が塗られている可能性がある」


 そうですね、とカエンは苦々しい顔でつぶやいた。

 そしてゆっくりとアーランを抱きしめていた手を解いた。ふう、とアーランは息をついた。

 目を開け、解かれた腕の中から脱け出しつつ、何が防いでくれたのか、と足元に目をやった。

 きらり、と何かが光った。堅い金の輪だった。皇后のヴェールを留めていた、美しい細工の施された髪飾りだった。

 そしてその先には、ヴェールがあった。ジュータンの上に落ちて、その赤を布越しに透かしていた。


「ああ全く。どうしてこうも無茶をするんだろうな、お前は」


 低い声が響く。そこへ女性の声が絡んだ。


「無茶ではありませんわ、大切な子達ですもの」


 アーランは慌てて顔を上げた。そして見覚えのある顔に向かって叫んだ。


「カラシュ!」


 皇后は実に鮮やかに笑ってみせた。

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