003
☆
「優秀な提督たちのおかげで仕事の手間が省けるね」
各提督との作戦会議が終了し司令官室に二人だけとなると、アレクセイ・ヴェルサリウスは友人に語りかけるような気さくさと穏やかさで、ユリウスに言った。
先ほどの作戦会議ではほとんど口を開かず、またユリウス自らも意見を求めなかった若き准将は、羊の毛のように柔らかな白金色の髪の毛をもつ青年士官で、天使のように愛らしい微笑を浮かべていた。
似合っていない黒の軍服をそつなく着こなし、その軍服の内側――ちょうど鎖骨と鎖骨の間には“小さな十字架を”下げていたが、そのことを知っているのはユリウスだけだった。
提督でありながら“軍医”としての資格を持つアリョーシャは、自身の指揮する全ての艦に“医療施設”を設置している変わり者の提督で、時として自ら負傷した兵の手術を行うことから、“医療艦隊”や“医師提督”とも呼ばれ、時に揶揄の対象となっている。
「ああ、アリョーシャ。今回の作戦会議で改めて私の見立てが間違っていなかったことを確信したよ」
「うん。そのようだね」
「あとは実戦でそれを示してもらうだけだが、演習不足による連携の乱れだけが、唯一の不安と言ったところだろうな?」
ユリウスは同年齢の若き准将を、彼の愛称である“アリョーシャ”と親しげに呼び、そして無二の親友につられて微笑を浮かべてみせた。
二人の間に、およそこれから戦場に向かうとは思えない柔らかな雰囲気が流れた。
ユリウスとアリョーシャは、お互い“軍アカデミー”の出身であり、アカデミーでは“同会生”でもあった。軍アカデミーで常にトップの成績で独走を続け、生徒たちの頂に君臨するユリウスと違って、アリョーシャは平凡な生徒であった。医学――解剖学、生物学と言った成績では非常に優秀なものの、将来士官になって前線で戦うようなタイプの生徒ではなかった。
アリョーシャ自身も、将来は“軍医”か“衛生兵”にでもなれれば上出来だろうと思っていたし、自分が武人となって戦場で敵と戦うなどとは夢に思っていなかった。そもそも軍アカデミーに入学したのも、戦争で親を亡くして孤児になったせいであり、喰うに困らない暮らしをするために仕方なく入学を決めた。
アリョーシャは、好き好んで人を殺すための技術を学びたいと思ったことは一度もなかった。
そんな心優しき内気な少年は、軍アカデミーでは実技の成績が思うように伸びず、射撃や格闘では他の生徒に大いに遅れを取っていた。そのため周りの生徒からバカにされ、苛められ、いつも泣きべそをかいて胸元から下げた十字架を握りしめていた。
初めてユリウスに声をかけられた十歳の幼きアリョーシャも、一人べそをかいて胸元から下げた十字架を握りしめていた。
「“神”なんていうインチキの権化に祈るな。自分の道は自分の力で切り開け。他人の力で掴みとる勝利なんて、たかが知れているぞ」
十字架を握りしめるアリョーシャに、勇ましい金髪の少年が言ってのける。その整った顔は幼いながらも覇気に満ちており、すでに武人の雰囲気を醸し出していた。
「お前は将来軍医にでもなるのか?」
「うん。僕は人と戦うのは嫌なんだ。だからお医者さんになって誰かを助ける仕事に就きたいんだ」
「つまらない選択だな」
アリョーシャの将来の希望をつまらない切り捨てた金髪の少年は、確信に満ちた声で続ける。
「医者が救える人間の数なんてたかが知れている。一日数人が関の山だ。だけど将官になって戦争全体の指揮をすれば、自分の戦略や戦術で何全何万という兵が救われる。今、この《月同盟軍》には有能な将官が少なすぎる。なぁ、アリョーシャ、俺たちの力でこの不毛な戦争で犠牲なる多くの兵達を救ってやろう」
この時のアリョーシャには、目の前の金髪の少年が何を言っているのかよく分かってはいなかった。それはあまりにもスケールが大き過ぎる話で、アリョーシャの想像を遥かに超えた規模の話だった。ただ、この金髪の少年が将来、何十万何百万という兵と、何百何千という艦を率いる武人に、有能な将官になるであろうことは、疑いの余地なく分かった。
それは天啓を受けたかのような理解の仕方だった。
そして、この時十歳のアレクセイ・ヴェルサリウスは、この金髪の少年にアリョーシャという愛称で呼んでももらったことがただ嬉しくて、ただただユリウスの言葉に頷き、差しだされた手を力強く握って誓いの握手を交わした。
しかしユリウスには分かっていた。
将来この泣き虫の少年が自分の右腕となり、共に幾多の戦場を駆け抜けるであろうことが。
ユリウスは何も直感だけに頼ってアリョーシャを見出したわけでない。アリョーシャの成績や適性を入念に調べ上げ、性格や気質などを吟味し考慮したうえで、この少年を自分の右腕に選んだのだった。確かに射撃や格闘といった実践向けの授業は全て落第に近かったが、不思議と戦略や戦術を立てさせれば抜群の効果を発揮し、まるでチェスで華麗な駒さばきを見せているかのように、アリョーシャの作戦の数々は常に冴え渡った。
軍アカデミーの生徒全員が参加を義務付けられている“戦術コンペ”の際、二回戦でユリウスに負けて敗退したことから、さほど注目を浴びなかったアリョーシャだったが、実際に対戦をしたユリウスは、後少しでアリョーシャの立てた作戦に完全にはまるところだった。ギリギリでアリョーシャの立てた作戦に気が付き、それを逆手に取ることで勝利を得たユリウスだったが、生まれて初めての苦戦に辛酸を舐めさせられたことが記憶に強く焼きついた。
それ以降、アリョーシャのことを常に気にかけていたユリウスは、ある日突然に意を固めてアリョーシャに声をかけ、自身の旗下に加わるように説得して、自らの旗下に加えることに成功した。
「いいかアリョーシャ、今日からお前は俺の大切な部下だ。俺がお前を一人前の将官にまで育て上げてやる。お前も日々の精進と鍛練を怠るなよ」
アリョーシャがこの年齢で准将にまで出世をしたのは、ユリウスに見初められたことが最大の要因であったことは確かだった。いや、ユリウスに見初められなければ、アリョーシャは軍人になっていたかも怪しかっただろう。
しかしユリウスの見初められたことで自己の可能性を知り、常に頂に立ち続ける友人の力になりたいと、日々の鍛練を怠ることなく研鑽を積み上げたこの若き准将の能力も、現在では決して他の提督達に劣るものではなかった。
安定した艦隊運動。
常に腹案を残し相手の何手先をも見通す戦術眼。
そして彼が指揮した艦隊の損害率の軽微さは、ユリウス旗下の提督達も一目を置く存在であった。
そんな《月同盟軍》の若き双璧とも謳われるユリウスとアリョーシャだったが、二人きりの時だけは互いに《月同盟軍》を背負う武人や、階級という立場を忘れて、軍アカデミー時代の友人関係に戻る。
「……だけど、グナイゼナウ中将の増長を見過ごしていていいのかな? 隙あらばユリウスに取って代わろうという態度が見え透いているけれど」
「かまわないさ」
友人の指摘に、最年少大将はどうということはないと笑みを浮かべてみせた。
「グナイゼナウの武人としての力量は申し分ない。それにあれほど分りやすく対抗意識を燃やしてもらえるというのも、上官としては悪い気分じゃないさ」
「寝首をかかれなければいいけれど……」
「その心配はないだろう。あの男は生まれながらの武人だ。そのような卑怯な手に訴え出るくらいなら、真正面から艦隊戦を仕掛けてくるだろう」
「もしも一騎打ちになったら?」
「その時は、私の全力をもってその心意気に答えるまでだ。望み通り、宇宙の藻屑としてやるさ。しかし、あのように使いづらい有能な将を使いこなしてこそ、武人の誉れというものだろう」
「君がそう言うのなら、これ以上僕は何も言わないよ」
「私の心配は良い。それより戦艦《ダモクレス》はどうだ? お前のために優れた士官や航宙士を集めたつもりだが、軍アカデミーのように苛められて泣きべそをかいてはいないだろうな?」
ユリウスは冗談めかせて子供っぽく言った。
「それは大丈夫だよ。僕たちの司令官が嫌われ者の役を一人で演じてくれているからね。僕なんか、かえって同情されているくらいだよ」
「お前もよく言う」
二人はくすくすと笑い合った。
「さぁ、後数時間もすれば“戦闘宙域”に入る。そろそろ先方も我々の動きに気が付く頃だろう。さて、いったいどれほど慌てふためき、みっともなく狼狽していることか」
「ユリウスの目論見通りに動いてくれればいいけれど」
「必ずそうなる」
アリョーシャの指摘に、ユリウスは確信に満ちた調子で断言した。
「相手は、あの《神聖大英帝国騎士団第ニ方面軍》だ。必ずや、私の筋書き通りに演じてくれるだろう」
そう言いながら、ユリウスは足元に浮かび上る“騎士章”――偵察部隊が持ち帰った映像の拡大部分を見つめた。
そこに映った“巨大戦艦”には、《神聖大英帝国騎士団第二方面軍》の証となる“騎士章”――
――“緑色の騎士十字”が誇らしげに描かれていた。
「もしも私の筋書きを逸脱するとなれば、私のまだ知らぬ“第三者”の介在を置いて他にはないだろうな。さて、どのような役者が戦場という名の舞台に上がってくるのだろうか?」